今日訪問した老人医療施設はホテルの様な綺麗な建物でした。680号線からヲルナッツクリーク市に入って閑静な住宅街を抜けてちょっと坂を上ったところに位置する、ManorCare Health Service。 普通の老人ホームに住んでいて、病気になって軽い医療治療が必要になった方々がここに入居します。
79才のお友達Tさんが一ヶ月前から入っている施設です。
中に入ると丁度ホテルのロビーの様に、コーヒーが置かれ、素敵なソファーがおかれ、美人の受付の方もおられ、アメリカでも裕福なお年寄りが入る所という感じです。
Tさんは広々とした個室に、一人で息苦しそうに寝ていました。「Tさん!」と声をかけると、認識できているかどうかは分かりませんが、目を開けて嬉しそうな顔です。のどが渇いた様子なので、「喉が渇いていませんか。」と尋ねると、首を縦にふりました。手も届かないベッドから一番遠いテーブルに水がおいてあります。多分Tさんはアルツハイマーなので、水分を取らないといけない事が自覚できず、看護婦さんを呼ぶ事も思いつかないのだと思いました。 そして何時間この姿勢で休んでいたのでしょうか。 床擦れが出来ているのではと気になり、「痛いところはありませんか」と尋ねると「大丈夫」と言います。 多分「大丈夫」というのが口癖になっているのだと思いました。
私達がTさんと知り合ったのはTさんが40代の時。私達が20代の頃。当時はすごいハンサムでかなり女性の関心を集めた方でした。でも一度も結婚していません。たった一人のお兄さんは3週間前に白血病であっという間に亡くなられたのですが、Tさんには知らせてありません。今は近くに住む姪御さんがTさんの経済管理ともろもろのお世話をしています。
数年前から運転が出来なくなったので、家が近い事もあり、買出しのお世話は私がしていました。ところが足に怪我をして病院に入院。お医者様の判断でホームに入ったほうが良いという事になり、Tさんは家を売却してホームに入ることになりました。
私が日本から帰って会いに行ったときは、サンタクララの老人ホームでしたが、いつもの様によく喋り、ジョークを飛ばしながら、それでも時々アルツハイマーのせいで言うことが可笑しくなるTさんでした。ところが今年の3月から風邪をこじらせて大腸に菌が回り、様態が悪くなり、サンタクララの老人ホームは病人には対応していない為、姪御さんの家に近いヲルナッツクリークの施設に引っ越して行きました。
姪御さんもあまり来ている様子ではありません。水はベッドから遠くに置いてあって、ヘルパーさんのお話では殆ど食べていないという。贅沢とも思える高級な家具と大きなテレビ。家族の付き添いが一人もいない部屋に横になっているTさん。
帰る前にダイニングルームを見ました。グランドピアノもあるホテルの様な立派なダイニングルームです。上等の家具もピアノもここではとても空しく見えました。職員の温かい気持ちが感じられない場所でした。
鹿児島の優しいヘルパーさん達に介護された両親を思い、あまりにも大きな差を見て帰りの車で涙がでました。私達の老後は日本じゃない、アメリカなのだと思うと気持ちが沈んでしまいます。
79才のお友達Tさんが一ヶ月前から入っている施設です。
中に入ると丁度ホテルのロビーの様に、コーヒーが置かれ、素敵なソファーがおかれ、美人の受付の方もおられ、アメリカでも裕福なお年寄りが入る所という感じです。
Tさんは広々とした個室に、一人で息苦しそうに寝ていました。「Tさん!」と声をかけると、認識できているかどうかは分かりませんが、目を開けて嬉しそうな顔です。のどが渇いた様子なので、「喉が渇いていませんか。」と尋ねると、首を縦にふりました。手も届かないベッドから一番遠いテーブルに水がおいてあります。多分Tさんはアルツハイマーなので、水分を取らないといけない事が自覚できず、看護婦さんを呼ぶ事も思いつかないのだと思いました。 そして何時間この姿勢で休んでいたのでしょうか。 床擦れが出来ているのではと気になり、「痛いところはありませんか」と尋ねると「大丈夫」と言います。 多分「大丈夫」というのが口癖になっているのだと思いました。
私達がTさんと知り合ったのはTさんが40代の時。私達が20代の頃。当時はすごいハンサムでかなり女性の関心を集めた方でした。でも一度も結婚していません。たった一人のお兄さんは3週間前に白血病であっという間に亡くなられたのですが、Tさんには知らせてありません。今は近くに住む姪御さんがTさんの経済管理ともろもろのお世話をしています。
数年前から運転が出来なくなったので、家が近い事もあり、買出しのお世話は私がしていました。ところが足に怪我をして病院に入院。お医者様の判断でホームに入ったほうが良いという事になり、Tさんは家を売却してホームに入ることになりました。
私が日本から帰って会いに行ったときは、サンタクララの老人ホームでしたが、いつもの様によく喋り、ジョークを飛ばしながら、それでも時々アルツハイマーのせいで言うことが可笑しくなるTさんでした。ところが今年の3月から風邪をこじらせて大腸に菌が回り、様態が悪くなり、サンタクララの老人ホームは病人には対応していない為、姪御さんの家に近いヲルナッツクリークの施設に引っ越して行きました。
姪御さんもあまり来ている様子ではありません。水はベッドから遠くに置いてあって、ヘルパーさんのお話では殆ど食べていないという。贅沢とも思える高級な家具と大きなテレビ。家族の付き添いが一人もいない部屋に横になっているTさん。
帰る前にダイニングルームを見ました。グランドピアノもあるホテルの様な立派なダイニングルームです。上等の家具もピアノもここではとても空しく見えました。職員の温かい気持ちが感じられない場所でした。
鹿児島の優しいヘルパーさん達に介護された両親を思い、あまりにも大きな差を見て帰りの車で涙がでました。私達の老後は日本じゃない、アメリカなのだと思うと気持ちが沈んでしまいます。
コメント
コメント一覧 (23)
特に死っていうのは、自分で決めれない歯がゆさがあるでしょ、結局なるようにしかならないのよね。
実は私の父は半身不随で自分ひとりでは何もできません。母が自宅で面倒を見ています。
もし母に何かあったら・・・って考えると・・・
今日のような記事を読むと、複雑な気持ちになってしまいますね。
って、話しがしんみりしていかんですね。
話題を変えて、
今年、店に巣作りしたツバメの赤ちゃんが元気に育っていますよ♪
私の祖母が入所している施設は、贅沢ではありませんが、認知症の治療的な対処をしている訳でもなく、ただ食事を頂いて、寝ての繰り返しのような気がします。
帰省のたびに見舞う位しか私もできないので、言えた義理ではないのですが・・・
しかし、今まで見舞いなどで訪問した介護施設で、いいと思った所はありませんでした。
一方で、他の施設で働き介護をする側も何人かの友人がいますが、擦り切れ、疲れ果てていて、辞めた人もいます。こちらもまた、様々な問題を抱えているようです。
アメリカはお金を払えば幾らでもサービスを受けられそうな気がしますが、心が入ったサービスまでは受けられる訳ではないのですね。
祖父も介護を受けていましたが、訪問介護に来てくださるヘルパーさんたちはずいぶん良くして下さいました。でも2ヶ月に3回も救急車で運ばれる掛かり付けの総合病院の看護士さんの中に酷く意地悪な人が何人もいました。私は憤りを抑えるのに必死でした。
日本でも病院やスタッフによってだと思います。
chiblitsさんのご両親は温かい介護を受けてとても幸せでしたね。
アメリカにもヘルパー制度はあるのでしょうか?
chiblitsさんのお気持ちお察しします。でもTさんがchiblitsさんのようなお友だちをお持ちで良かったです。
私も最近自分の「死に方」を考えます。おっしゃるとおり選択があるわけではないのですが。
色々考えると切に長生きしたいとは最近思わなくなりました。もちろん健康で自分の事が出来る状態なら最高ですけど。ですから死ぬと言うことはあまり怖くなくなりました。ただ一つの願い…主人よりは長生きしたい。笑 食事のことは何も出来ない人なので。娘に迷惑がかかるんじゃなかろうかなんて思って。
後でゆっくりツバメちゃんを見におじゃまします。主人のお昼ご飯が出来たら。笑
日本も様々ですね。
鹿児島のヘルパーさん達はどの方も優しい方ばかりでしたね。ケアーマネージャーも良い方でしたけど。鹿児島は食事を日に2回運んでくれるプログラムもあります。日本の方がシステムが良いと思ったんですけどね〜。
本当にお金だけじゃありませんね。いくら綺麗なところでもこんな感じです。私の親友が老人ホームの栄養士をしていて、見学に来いといっています。いつか行こうと思っています。
私も実はアメリカのシステムは良く分からないのです。ご主人が脳梗塞で倒れて介護しているお友達は個人で雇うヘルパーさんはあるようですが、あまり頼みたくないと言っています。頼んだことがあるお友達はあまり良く言っていませんでしたね。多分安くはないと思います。
金曜日に行っているSkill Plusでは個人で雇われた方がお年寄りをクラスに連れてきます。中の二人はすごく良い方。あんな人ばかりだったらなあ〜。
私もそういうホームに入っていらっしゃる方を知っています。日本人のコミュニティーでは最近多いですね。そこはとてもよいホームの様ですね。私もそういう所に入りたい!
私の知っている方はご自分で歩けなくなったので他の場所に移られたと聞きました。ナンシーさんが行かれたところも「自分の事ができる」という条件なんでしょうか。
私の両親は恵まれていましたね。
とつてもしっかりと介護してくれます。
愛情が伝わります。
料理にコメント感謝します。
ぜひお客様用にレシピの中からお選びください。
お越しを
お待ちしております。
日本でも多少はあるようです。
月の維持費が15万未満でも当地では富裕層のみが享受可能な施設〜。義姉が入所〜テレビ、冷蔵庫付きの個室だが決して幸せとはいえない様子。
昨日若年認知症を描いた映画「明日の記憶」を観たが介護の問題は深刻ですね。
安心の老後=資力との公式を考えると寒々とした
思いに陥ってしまいます。
ryuji_s1さんは日本の介護に関して良い面を見ていられるようですね。 私も日本の介護はアメリカと比べると格段に良いと思いました。アメリカも出来るだけホームに入らなくても良いような援助があればいいのですが。
ryuji_s1さんのブログは美味しそうなレシピが満載ですね。またゆっくりお邪魔します。
最後まで家に居れるのが一番願うところです。どんな高級なホームよりも、やはり何十年も住んできた我が家が一番。ここになるべく居れる様に、そんな援助があれば理想なんですけどね。
考えればTさんも最後まで自宅で頑張りましたね。
アメリカの老人ホームは高いです。Tさんが前にいらしたところが月$4,000ドル。これは高い方ですが安くても$3,000。自分の家がなくて、貯蓄もなければ、公立の施設に入れます。公立はかなり安くなりますが、自宅があれば該当しません。条件が色々と難しいです。
健康で働けるという事は最高の幸せと思えますよね。私も仕事が大好きでした。特に自分で独立してからは。独立したら定年がないから、いつまでも働けると思っていたのですけどね〜。職業病で肺を悪くしました。
いつまでもお元気で無理しないようにお仕事頑張ってくださいね。
写真を見た時、素晴らしい老人ホームだと思ったのですが、Tさんのお話を読んでショックを受けました。ドイツでも立派な老人ホームを見かけますが・・・
やっぱり外見よりも中身が重要ですね!
chiblitsさんの御両親は、心優しいヘルパーさんに出会ったのですね。
自分の老後(多分ドイツにいるはずなので。)を考えると、ちょっと恐くなります。日本の母の老後を考えても、やりきれなくなります。今から心配しても、切がないので、あんまり考えないようにしているんですけどね〜〜。
何故かやはり寂しいです。
物では決して人は満ち足りる心は得られないと私は思います。
人は一人で去っていくものですが、生きている最後の瞬間までは、他の人とその空間での時を共有できます。
自然の海の傍がいい、たとえ大した建物でなくても。
私も実際同じように感じました。ホームの中に入った時は、わ〜綺麗と思って感激したのですが、美人の受付の方と話をした時から何となく冷たい雰囲気を感じました。看護婦さんにとヘルパーさんとお話をした時は、また更に失望しました。本当に良いか悪いかはスタフ次第だと思いました。
私もそうでした。両親の老後はその時になってからしか考えませんでした。早く考えてもどんな状況になるか分からないですから、今から考える必要はないですよ。あたって砕けろでOKですよ。今は自分の事ですが、これも今から考えても、どうなるかわかりませんもんね。これもあたって砕けろですね。
同感です。どんなお金があっても情のない生活はつまらない。そして健康でなくちゃ。最後まで自分の家にいれるっていいですね。そうなるように頑張ります。
最初拝読した時重いテーマなので一旦閉じました。わたしにとって近い未来の
問題でもありますし・・・。
日本では「畳の上で死にたい」なんて言葉があります。言葉通り自宅で最期を
迎えたいという意味ですが、現実は様々な問題を抱えています。
痴呆の妻を介護しているのは80才過ぎた夫であるとか、妻の介護に疲れ果て
妻を殺して自分も・・・などなど。
例えホテルの様な施設に居ても心のこもった介護が受けられないのと、日本の
狭小住宅で家族の手厚い介護を受けているのと比べる迄もないですが、
家庭で要介護の老人をお世話する事で家族に重い負担と言うのも現実です。
一概には述べられませんね。ただ私は最後の最後に「幸せだった!」と思える
人生を過ごしたいな!と思っています。変なコメントですみません。難しいです。
コメントありがとうございます。
今日は実はもっと重たいテーマのクラスを取ってきました。いつかはブログに書きたいと思いますが、連続重たいと自分も滅入るので暫くはやめておきます。
私の祖父がなくなった時は親戚一同で看ました。最後の方では私も夜当番で付き添いました。私が結婚前です。そして畳の上で亡くなりました。両親の時は私の家族がアメリカだったので、姉と交代で実家に帰りました。アメリカの家族が直ぐ近くなら、どんなに良いだろうと思いました。家族が近いと皆の協力で看る方も看られる方も楽になるような気がします。私、孫が生まれたら絶対良い友達になりたい!(笑)でも息子はちょっと遠いんですよね。