1974年、シリコンバレーに位置するサンホゼ市に家を購入しました。私達の最初の家です。小さな裏庭には大きな黄桃の木が一本あり、枝には沢山の黄桃がぶら下がっていました。それはそれは見事なものでした。大きく熟した桃は綺麗なオレンジ色で産毛に覆われています。ところが、ナイフで切ってみると、何とまあ綺麗な皮の下には白のうじ虫の様な幼虫が10匹くらい動いているではありませんか。外からは完璧に見えるのに、皮から2cm下は果実が茶色に変色して食べられた物ではありません。当時この虫がカルフォルニア中をひっくり返すような大騒ぎになると、誰が想像したでしょう。

1975年から大問題になった地中海蝿の始まりでした。 当時州知事だった民主党のブラウン氏は環境保護主義者だったので、カルフォルニア農業組合から提案された空からの殺虫剤散布に反対し続けていました。
他の方法も決定的な効果が無く、被害は急速に広がり、カルフォルニアの果樹産業にあせりの色が見え始めました。遂にブラウン氏は周囲の圧力で、ヘリコプターを使っての散布に同意。 1983年にはヘリコプターを使った殺虫剤の散布が実施されたのです。

子供達が未だ小さい頃で、散布の日は昼間から大事が始まるような騒動振りでした。プールをカバーする事、勿論食べ物を出しておかない事、子供が触るような物はカバーして置く事等、処々の注意がテレビで報道されました。木に生っている果物といえば、自主的に全部もぎ取ってプラスティックの袋に密閉して捨てるよう勧告されていましたので、木には一個も果物はありません。

散布日、子供達も夜中までおきていました。
まるでこれから毒ガスを散布されるような気分です。12時を過ぎると遠くからヘリコプターの音が聞こえ始めました。私たちは家中の電気を消して、一斉に一番大きな裏庭の窓にかけより、段々大きくなる音を聞きながら胸をどきどきさせて空を見上げました。3台のヘリコプターが横に並んで、耳を劈くような音をたてて家の前側から裏庭の方向に飛んいきます。距離は木にひっかからない程度に、恐ろしく低く、手に届くような距離です。子供達は大はしゃぎでしたが、次の朝、裏庭のテーブルの上に白いぽつぽつと薬の跡があるのを見て、不安な気持ちになったのを思い出します。

そして再び、今夜はウエストナイル熱を媒介する蚊の殺虫剤散布というニュースを読みました。
散布は今度も夜中の12時。シリコンバレー最初のウエストナイル熱の患者が我が家の直ぐ近くで出たからです。去年からかなり多くの鳥の死骸が確認されていましたが、人間への感染は初めてでした。カルフォルニア全体では68人目の患者です。

散布方法…今夜はトラックから散布です。