20代の始めに2度目の渡米をしました。アメリカンプレジデントラインの客船で横浜を出航したのですが、同船者の中には加山雄三夫妻、サンホゼ市と姉妹都市からの交換留学生、テキサスの大学院に入学が決まった方、日立の駐在員ご夫婦等、沢山の方に出会いました。その中に2回程お話をした50代の男性がいました。ちょっと暗い感じで最後まで誰にも職業を明かさないやーさん風でした。
その方とお話した時、「アメリカ人と結婚しても、絶対に日本の国籍を放棄するな」と言われたのです。ニューヨークに住んでいて、戦争花嫁(終戦直後、駐屯していたアメリカ兵と結婚した日本人女性の事)の離婚が多くて、日本の国籍を放棄してアメリカ市民になった為に、日本に帰りたくても帰れない女性が沢山いるからという理由でした。
その事が私の脳に焼きついた理由も少しありますが、日本人である事は絶対に放棄できないという気持ちが40年近く続いていました。
最近両親が亡くなり、両親と私達夫婦のお墓も出来て、自分がシニアと呼ばれる年齢に近づいた事もあり、いよいよ選択をしなければならない時期が来た様に思います。アメリカ市民になれば選挙権をもらえて、政府の保険ももらえるし、税金などが安くなるしで、市民としての利点もあるのです。
で、去年遂にアメリカ市民権を申請しました。周囲から、1年はかかるとか、書類が面倒とか、色々暗記しなきゃいけないんだよ、とか沢山の注意を頂いたのですが、出来るだけ長く日本人でいたいので、いくら時間はかかっても一向に構わないという気持ちでした。
申請してから1年目に最後の面接の通知がきました。日時はちょうど姉が日本に帰る日です。直ぐに返事を出しました。「当日は旅行の予定があり、11月中旬まで帰らない可能性があるので面接は12月以降にして欲しい」と書き、面接延期の申請です。姉が帰国する数日前に延期承諾の通知が来ました。でもいつまでも延期するわけにはいきません。日本人であるか、アメリカ人になるか、今までは選択があったのですが、老後の生活を考えるともう選択は無さそうです。
貴方は何人ですかと聞かれた時、「日本人です」と答えられなくなるのがとても複雑な気持ちです。
(面接にアメリカ史が出るのでお勉強用にCDまで送ってきました。55歳以上の人は英語が覚えられなくても、歴史が覚えられなくても大目にみてくれるとか。)
その方とお話した時、「アメリカ人と結婚しても、絶対に日本の国籍を放棄するな」と言われたのです。ニューヨークに住んでいて、戦争花嫁(終戦直後、駐屯していたアメリカ兵と結婚した日本人女性の事)の離婚が多くて、日本の国籍を放棄してアメリカ市民になった為に、日本に帰りたくても帰れない女性が沢山いるからという理由でした。
その事が私の脳に焼きついた理由も少しありますが、日本人である事は絶対に放棄できないという気持ちが40年近く続いていました。
最近両親が亡くなり、両親と私達夫婦のお墓も出来て、自分がシニアと呼ばれる年齢に近づいた事もあり、いよいよ選択をしなければならない時期が来た様に思います。アメリカ市民になれば選挙権をもらえて、政府の保険ももらえるし、税金などが安くなるしで、市民としての利点もあるのです。
で、去年遂にアメリカ市民権を申請しました。周囲から、1年はかかるとか、書類が面倒とか、色々暗記しなきゃいけないんだよ、とか沢山の注意を頂いたのですが、出来るだけ長く日本人でいたいので、いくら時間はかかっても一向に構わないという気持ちでした。
申請してから1年目に最後の面接の通知がきました。日時はちょうど姉が日本に帰る日です。直ぐに返事を出しました。「当日は旅行の予定があり、11月中旬まで帰らない可能性があるので面接は12月以降にして欲しい」と書き、面接延期の申請です。姉が帰国する数日前に延期承諾の通知が来ました。でもいつまでも延期するわけにはいきません。日本人であるか、アメリカ人になるか、今までは選択があったのですが、老後の生活を考えるともう選択は無さそうです。
貴方は何人ですかと聞かれた時、「日本人です」と答えられなくなるのがとても複雑な気持ちです。
(面接にアメリカ史が出るのでお勉強用にCDまで送ってきました。55歳以上の人は英語が覚えられなくても、歴史が覚えられなくても大目にみてくれるとか。)
コメント
コメント一覧 (35)
すごいなぁ。当時でも1ヶ月ぐらいで着くんでしょうか?
40年もの間、日本人としてアメリカで暮らすのに容易でないことも少なくなかったでしょう。
これからまさに第2の人生、ですね。
ご両親がアメリカの地で眠られることを望まれても日本人でなくなるわけではないように、chiblitsさんの中にはしっかり日本人の心が消えることはありませんもんね。
国籍については私もよく考えさせられます。今私達家族が日本に滞在しているのも、実は2重国籍を持つ子供達が成人を迎える前に“日本”という国を多少なりとも知ってから 国籍の選択をしてもらいたかったからなんです。
きららノートさんはアメリカンプレジデントラインをよくご存知ですね!びっくりしました。というのは私が乗ったクリーブランド号はその後直ぐ廃船になりました。太平洋航路でしたが今は無いと思います。横浜からサンフランシスコまで14日かかりました。途中、ホノルルで一泊停泊しました。勿論エコノミークラスで。3人の20代の日本女性と同室になり、一生忘れられない楽しい2週間でした。暫く皆さんと文通が続いたのですが、今はどうしていられるでしょう。
両親と自分のお墓が出来たというのが一番の決心できた理由になります。ここで骨を埋める決心がつきました。鹿児島の平和な田舎で老後をという夢を見れなくなりました。
子供達に日本の生活をさせてあげられとというのは素晴らしいですね。私の場合は主人の仕事で日本に生活というのは出来ませんでした。出来たらどんなに良かったでしょう!子供達の為にも。
迷う気持ちよく分かります。特にZiggyさんの場合は日本在住ですから、健康保険の事もあるでしょうし日本人である方がずっと便利ではないですか。
私は両親の看病のため日本に長期滞在していた時、住民票も日本に移して、国民健康保険も払っていました。両親が亡くなってこちらに戻って来たのですが、手続きをしなかったので、未だそのままで健康保険も毎月差っぴかれています。近く帰国する時、ちゃんとしなくちゃ。
台湾人のお友達も2重国籍。本当に日本も出来ると良いのにねえ。
そうですね。最後はどこに住むのか、それがはっきり決まるまでは、早く選択する必要は無いと思います。アメリカ市民権を取ったら日本に長期滞在が難しくなると思うんです。私の場合はどうしても長期滞在が必要でしたから、日本人でいて良かったと思いました。将来子供が何処に住むようになるかも、考えなくてはいけないし。若い方は最後まで保留にしていた方が無難なようですね。
ですが、コメントは初めてです。「見る」と「読ませる」の
両方を兼ね備えた素敵なブログです。私の中の大のお気に入
りなんですよ。美味しそうなお料理の数々も、とっても魅力
的。今後も遊びに来たら足跡を残していこうと思います。
以前若いころにハワイにいたころ、日系1世の方の
家でお世話になっていましたが・・・その頃1世の方々を沢山
紹介していただき、写真やお話を聞いたことを思い出します。
難しい選択ですが、生活を基盤として考えるとchiblits さんの
決断・・・正しいと思います。(正しいとか、そんな問題では
ないでしょうが)
これからが第2の人生・・・実りある人生になるといいですね。
国籍の事で考える方がいらっしゃらなかったから、もしいらっしゃれば身近な
事として考えれたでしょうね。
そんな私なのでコメントは、ちぐはぐな事を申し上げるのじゃないかと不安です。
でも一つだけ言えるのは、アメリカ国籍になられてもchiblitsさんの心の中まで
アメリカ人になるのじゃないですもの。生きて行く上で必要な事ならば、それは
仕方無い事だと思います。本当にチグハグで申し訳ございません。
遅くなってしまいましたが息子さん結婚
おめでとうございます♪
国籍の問題は私もよくわかりませんが
40年アメリカに住んで家族を作り
その家族がまたアメリカで家族を作る。
そしてズットそこで暮らす。。
自然の成り行きのような感じがします♪
へ〜どうやって2重国籍に出来るんでしょう。
なんしーさんがアメリカ市民になってもご主人が日本人国籍がある場合は又日本人に戻れると思うんですけど。昔は、(今は法律が変わったかもですか)男性が日本人であればその妻は日本人になれたのね。でも反対に女性が日本人の場合その夫は日本人になれなかったの。すごい偏見でしょう?今はどうか分かりませんけど。つまりなんしーさんの場合はアメリカ市民になっても又日本人に戻れるかもしれない?
若い時はアメリカ市民にならなくても全く関係なかったのですが、これからは問題ありです。
初めまして、コメント有難うございます。
今まほうのてさんのブログ拝見しました。美味しそうなお料理の写真が大きく出ていて、ちょっと目の弱くなった私にはよく見えました!あれは実物大ですね!(笑)
お気に入りとは有難うございます。どうぞ足跡を残して下さいませ。今後とも宜しく!
まさしく、選択はないのですよね。そうですよね、アメリカ人になるのが自然ですよね。両親もこちらに来てくれて、本当は思い残す事ないはずなんですけど。日本の方がずっとよい国というのが潜在意識にあってすっごく損をするような気持ちなんですよ。
コメント有難うございます。
本当に言われるとおりです。国籍が変わったからといって生活が変わるわけではないです。
最近興味深いお話をお友達から伺いました。40年こちらに住んでいらした日本人ご夫婦なのですが、70近くになって日本に帰られました。子供さんが無かったので、老後は日本の方が良いという理由でした。私はそれが正しいかどうか分かりませんが、確かに日本の方がお年寄りには優しい国のような気がします。
今日のお弁当は素晴らしかったですよ!
私など絶対に30分では出来ないです。
姉と日本のお弁当を作ってお墓参りに行こうと言いながら、お弁当を作る事は実践されませんでした。一人でお弁当っていうのもね。主人と行くんだったら、サンドイッチになるし〜。
国籍の事、自然の成り行きですね。本当に。子供が出来て、孫ができて(期待)考えて見たらしっかりと根を生やしているんだわ。
オーストリア在住の方で、2重国籍を認めるように、一生懸命日本に働きかけていらっしゃる方がいらして、でも、それって私たちの子供のためなんだって、思いでいました。私本人に降りかかる問題だとは思っていなかったので・・・
ただ、ドイツはその辺りどうなのか(外人であり続ける事の不利?)って、まだ調べてみないと分からないんですけどもね。
わたしの姪っ子も大人になったら日本とアルゼンチンのどちらかの国籍を選ぶことになっているようですが、こういう事に疎いわたしは「いいな〜。二つの国から好きなほうを選べるなんて・・・。わたしは選べないもんな〜」なんてお気楽に思っていましたが、chiblitsさんの記事を読んでいろいろメリットやデメリット、生活形態も考えなくちゃならないし、どちらかを選ぶという事はもう片方を選べない(当たり前のことですが)んだな、なんて今さらながら考えさせられました。自分だったら・・・と引き寄せて考える機会を与えてもらいました。
そういえば、妹も将来どちらかを選択することになるのかしら?(本当に私、無知ですね!)
今日はつくりますよ!
でもお友達のバースデーケーキを先ず焼かなくちゃ。
2重国籍が出来たら最高ですけどね!
そうなんですよ。早く日本に帰って健康保険をとめなくちゃ。って事は住民票も移すって事なんですけど。でもとめる前に、色々検査してもらいます。ああ、今度帰ったら病院通いになりそう。
日本はどの国ともだめなのねえ。
私もフロッシュさんの年齢の頃は考えもしなかったけど、将来親の事で長期滞在する必要になって、日本人じゃないとまずいだろうなあとは思っていました。
医療制度、老人医療制度、介護など全てに置いて日本の方が優れていると思いますよ。
妹さんはアルゼンチンですか。妹さんもきっと選択は難しいでしょうね。でも本当に必要が出てくるまで、やはり日本人で居た方が良いでしょうね。私は子供達が生まれた時、選択が出来たはずなのに、全く考えもしないで、生まれた時からアメリカ人です。無知じゃないですよ!本人でも考えない物です。
>医療制度、老人医療制度、介護など全てに置いて日本の方が優れていると思いますよ。
アメリカと比べるとそうかもしれませんね。でもドイツはもしかたしら日本より良いのかもしれません。日本よりもずっと福祉国家ですもの。
わ〜ドイツは日本より制度が優れているんですか!羨ましいお話ですね。
今日は誕生日パーティーに行ってきたのですが、私達の仲間(驚かないでね、76歳の方よ)が今家族のお葬式に日本に帰っているのですが、彼女は子供が居なくて、ご主人は5年前に亡くなって、これから日本に帰りたいって言っているの。でお葬式兼ねて下調べをしているらしいのですが、もう50年アメリカでかなりアメリカ人的日本人なので日本も難しいような気がします。
いよいよ決断の時ですね。
胸中を去来するものは第三者の私などが想像して
余りあるほどに深く重いものでしょうね。
短期滞在の都度に日本の国民健康保険に
加入〜今尚差っぴかれて〜はお気の毒。
日本在住の日本国民で義務を果たさないものが
増加の一方で
chibilitsさんには頭の下がる思いです。
3年くらい長期滞在しましたから、健康保険は大切でしたよ。特に私の場合はポリープ大腸癌等という前科がありまして。日本の国民健康保険は最高です。そして医療費が安いという事も。(アメリカと比べて)検査も簡単に受けられます。私の大腸癌はたまたま母と受けた内視鏡検査で分かりました。日本の医療システム感謝です。アメリカでは40代では検査も受けられません。
それで、なんともならないときは「なんとかなるさ」しかないですね。
難しい問題に結論を出したchiblitsさんに、天晴れ!です。
そろそろ面接のお勉強を始めようかと思ってます。家族が3人、いやこれからはそれ以上に増えるであろうのに、自分だけ日本に帰るのってあり得ないです。もう。選択の無い問題でした。
でも、なんか抵抗感じますねえ。国籍上だけでも私はアメリカ人って言うのは。
お話をいろいろうかがって
今まで自分の中で考え納得していたことが
Chilbitsさんのお話のなかで改めて咀嚼できるような、
そんな安心感を得ながらChilbitsさんのお話拝読しています。
私の父が亡くなって2ヵ月後に母が亡くなりました。
両親が亡くなって日本に残っていた私の根っこが
次第に日本の土の中から離れていったような気がします。
両親が亡くなって4年後に市民権を取得しました。
私は思うのですよ、今住むこの場所が私の最期の住処だと。
生まれ育った国は日本。
日本人の血が私の中には流れています。
それはどんなことがあっても変わりません。
でも最期の地はアメリカ、という思いに迷いはありません。
日本人だけれどアメリカ市民になった。
市民になったからには市民としての義務を果たす。
シンプルに考えています。
でも幸いかな、この土地がとても好きなのです。
いろいろもっとお話聞かせていただこうと思います。
Kinuさんもご両親の死で決心がついたのですね。 私達のような立場の人達は皆通る道ですね。両親は2004年になくなり、もう5年も経ってしまいました。年々実家から遠くなってきています。 当時は絶対に毎年きて両親の家を守ろうと思ったのですが。
今住んでいるところで幸せなKikuさん、本当にそういう気持ちになれてよかったですね。 私達はとても幸せな類なのかもしれません。