1年半ぶりで実家の玄関に立ちました。
タクシーのドアを閉める音がしたら、ニコニコして母か父が玄関にでてきたものです。タクシーのドアを閉めても、玄関のブザーを鳴らしても、もう誰も出てくることはありません。父も母も2年前に亡くなりました。誰も居ない実家に帰る事がこんなにも寂しく悲しいとは。
家の中を見回すと、全ての物で両親を思い出してしまいます。
このコンピューターも父を思い出し、テレビを見るとなぜか高校野球を見ている父を思い出し、今母が台所でお皿を洗っている様な錯覚を覚えるかと思えば、包帯をしてあるポータブルテーブルの足を見ると、立てなくなった母を思い出してしまいます。
そして毎日姉と交代で綴った4年間の看病日記。両親にとっても私たちにとってもつらいつらい思い出です。
テレビも同じ音を出しているのに、家の中も同じ匂いがしているのに、後ろを振り返るとテレビを見ている両親がいないのです。
今生きている人を大切にしなくては。
タクシーのドアを閉める音がしたら、ニコニコして母か父が玄関にでてきたものです。タクシーのドアを閉めても、玄関のブザーを鳴らしても、もう誰も出てくることはありません。父も母も2年前に亡くなりました。誰も居ない実家に帰る事がこんなにも寂しく悲しいとは。
家の中を見回すと、全ての物で両親を思い出してしまいます。
このコンピューターも父を思い出し、テレビを見るとなぜか高校野球を見ている父を思い出し、今母が台所でお皿を洗っている様な錯覚を覚えるかと思えば、包帯をしてあるポータブルテーブルの足を見ると、立てなくなった母を思い出してしまいます。
そして毎日姉と交代で綴った4年間の看病日記。両親にとっても私たちにとってもつらいつらい思い出です。
テレビも同じ音を出しているのに、家の中も同じ匂いがしているのに、後ろを振り返るとテレビを見ている両親がいないのです。
今生きている人を大切にしなくては。
コメント
コメント一覧 (40)
長旅お疲れさまでした。
私は一人暮らしを初めて1年と少し経ちますが、やはり実家に帰ると安心します。
なんだかしみじみと、両親を大切になくては、と思いました。
ついさっき、母親と電話で話したばかりだったので、ほんとに、しみじみと思われました。
できるだけ、おうちへ帰ろう!
そしてお帰りなさい〜!!
chiblitsさんが今鹿児島にいるかと思うとなんだか嬉しくなってしまいます♪
ご実家に帰られたのですね。 私も今実家に帰る時は家族が出迎えてくれるのが普通だと思っていて、
でもchiblitsさんの今日の記事を読んで、それがなくなる事がどんなに寂しいのか、少しだけどわかった気がして、すぐ実家に帰りたくなりました。
家族を大切にしようと心から思いました。
ありがとうございます。
あ!あとあと、久しぶりの里帰り、いっぱいいっぱい楽しんで下さいね〜!!
長旅お疲れ様です。ご自愛ください。
ところで、私の両親はまだ健在ですが、あと10年先のことをシミュレーションしてしまいました。
住み主のいなくなった実家の風景。
あまりにもリアル過ぎでした。(^^
昨夜、「退屈」を感じて困ってしまい、思いついてバゲットを焼いてみたんですよ。ある本を読みながら…。で、出来上がったのは…。香りはいいのですが、クーぷが笑っちゃいます。ウインナーみたいなんだもの!で、ネットであらためて作り方を検索したら…chiblitsさんのおいしそうなのが出てきました!な〜んだぁ!chiblitsさんじゃな〜い♪と(笑)。なんだかうれしくなってしまいました。再会。キングアーサーの粉、わが家も使っています。美味しいですよね。次回はぜひ、そのやり方で焼いてみます♪まずは、昨日のを食べてしまわなければね…(^^;
出来るときに親孝行ですね。電話で話をするだけでも親は嬉しいものですね。
私も子供たちから電話があるととても嬉しいです。自分がかけて話すよりも、かかってきたほうがうれしいわね。
お久しぶり!元気がでたようでよかったですね。お大事にね!
やよいさんのお母様、お孫さんが待ち遠しいわね!初孫になるのかしら。やよいさんは甘え上手できっとお母様はかわいくて仕方がないって感じですよ。ご実家はすぐ近くでいいですね!
家族に息子が居ないと実家が空になるのかしら。でも最近の男性はお仕事の都合で実家に居れない事のほうが多いですよね。私、誰もいないから、こんなにのんびりと1月も居れるんですよね。空き家のお掃除大変です。庭のお掃除もあるし。
ネットが通じるようになったらお掃除が進まないわ!
初めまして。コメントありがとうございます。
本当に元気な時はいなくなるのが考えられなかったですね。私もだんだん年取るし、子供にも言わなくちゃ。(笑)
ははは!よく分かりましたね!
へ〜検索で出てくるなんて。
クープの入れ方は難しいです!特に発酵種パンは。普通のパンなら綺麗に出るんですけど。
私は日本でパンを焼くのが楽しみなのです。湿気が最高にいいんですよ!日本で焼くパンは不思議なほど綺麗に膨らみます。そういえばカスピ海ヨーグルトも早く完成しますね。湿気で本当に違いますね。
そうか〜・・・ご両親をなくしてからの改めての帰省は初めてということになるのですか?色々と思うことが増えてしまいますね。
でも、大変だった思い出と一緒に、家の中の色んなところに楽しい思い出もありますでしょ?寂しさも湧くと思いますが、昔を思って知らず知らずに微笑んでるような瞬間が訪れると良いですね。
私は今でも、家族っていくら一緒にいても足りない存在だって思いますもん。もっともっと一緒に過ごしておかなくちゃ!
こちらに居る間う〜〜〜〜んと満喫してくださいね。ご両親・ご姉妹の沢山の思い出おみやげが出来ますものね。
家族は大切ですよね。
私もだんだん歳をとって、大事にされたい…なんてちょっと早すぎですね。
帰って、叔父、叔母、従兄弟たちが元気なのでそれだけでも慰めです。
ただいまです!
実は両親が亡くなってからは2度目の帰省なのですが、1度目は家族が一緒だったのね。今度はまったく一人です。あとで姉が来ますけど。
実物大の両親の写真を置いておきたい気持ち。これちょっと変かしらね。親が居る間って帰省も楽しいですよね。
いつまでこの家があるかどうか分からないので、あるうちはなるべく帰りたいと思っても、1年に一度が精一杯ですよね。
そうですね。本当に思い出が一杯詰まった家です。古い写真等持って帰りたいものが沢山あります。
そうやって年を追う毎にいろんなものを失って行きますね。でもまた得るものも沢山あります。
いま生きている人を大切にしなければいけませんね。
先日、同級生が亡くなっておまいりに行って来ました。帰りに一緒に野球部で野球をしていたグランドにしばし佇み、小学生時代に思いを馳せました。奴とそこで会うことはもうありません。けれど一緒に野球をやっていた昔の思い出が蘇りました。思い出の中ではいつでも奴がいます。
司馬遼太郎が言っていたように、故人は虚空に満ちて常に共にあるんだという考え方が結構気に入っています。
長旅おつかれさまでした〜!
今、鹿児島にいらっしゃるんですよね?
私は、福岡に住んでますから、同じ九州にいらっしゃるんだと思うとうれしくなりますね〜ニコニコ。
両親のいない実家を想像するだけで悲しくなりますよ。両親が元気なうちに親孝行しなきゃ、って思います。
すると早く孫の顔でも見せてあげないとですね。
・・・がっ、がんばります(笑)
遅くなってしまいました。
私も黒砂糖さんと同じく両親は健在です。だから誰もいない実家へ帰る・・・
まだ想像も出来ませんが、いつかは私もなのですね。
だからこそ一緒に過ごせる時間を大切にしたいなぁ〜と、改めて考えさせられました。
高齢の両親をもつ私にとっても他人事ではありません。
失って初めてわかる親のありがたさ、とはいいますが、老いてゆく親の、だんだん小さくなっていく背中を見るのも辛いもの。
少しでも孝行しなくてはならないのに...
たくさん・・・・・でしょうね。
懐かしい道とか
好きな場所とか
時間の経過と共に、変わってしまうのでしょうが・・・
どうぞ時間があれば、ゆったりした日本の秋を
見て行ってください。
chiblits さんの暮らしていた、鹿児島の風景を
見せて頂けると嬉しいのですが?
↑この書き込みは、私のブログへ書き込んでいただいた
書き込みの返事をそっくりコピーして貼付けました。
ふるさとを楽しんで行ってください。
切なさが伝わってきます。
居るべき人がいない
時間が止まってしまってる〜錯覚。
日は昇り日は沈み
やがて私たちも」この世から
退場して行くんですね。
これからはより一層一日、一日を
大切に生きていかねばという
思いです。
ばぶおさんの同級生が亡くなるなんてちょっと早過ぎはしませんか。私も20代で二人の同級生を病気で亡くしました。一人は大学に入って直ぐでした。もう一人は最初の子供を産んで直ぐでした。
親より先に子が亡くなる事こそ悲しい事はありません。祖母がよく言っていました。順番で死ぬのなら良しとしょうって。
司馬遼太郎の言葉、良いですね。私もしっかりと皆の心に残る人でありたいと思います。悪名ではなくてよ。
あさこさんは福岡ですか!本当に近くなりましたね!今皆さんと時間差が無いのもうれしいです。
私の従姉も両親と住んでいます。そのせいか、叔父叔母達はとても元気です。90歳と83歳。私の両親もずーっと同居していたらきっともっと長生きしてくれただろうなあと考える事があります。あさこさん、大変な親孝行なさってますよ。
アンさんのブログを拝読して、いつも思うんですよ。毎日の様に家族の交流があって、実家にも帰られるし、とても素敵なご家族と思っています。
私の場合はせめて叔父たち、従姉たちがスープも冷めない距離にいるので、帰省を楽しく明るくしてくれます。
本当に私も同じように感じた時期があります。
親はいつも頼れて強いものと思っていたのに、突然病気で弱くなると、なんとも言えない悲しさを覚えました。今度は私が守ってあげなくては…と強く意識した時を覚えています。
70歳の時も、未だ元気だからと思って9年後には居なくなるというのが信じられないのです。でも平均寿命って本当にあるんだと。当たり前の事なのに。
暫くご無沙汰していて、後でゆっくりおじゃましますね。皆さんの過去ログも読ませていただきます。
鹿児島、帰る度に変わっていますね。そう言えば成田も随分変わっていましたね。どんどん緑がなくなっているように思いました。
ゆっくり田舎道を未だ歩いていないんですよ。そのうち田舎の様子を写真に撮りましょう。
このあたりは30年前は4方畑で、水道も下水も通ってなかったのに、今は3方家に囲まれました。前はちょっと怖かったくらいです。
本当に時間が止まったという表現がぴったりです!
imipotopipi さん、ぴったりに表現して下さって有難うございます。そして「退場」という言葉もいいですねえ。悲壮感がなくて。
両親が同じように言っていましたね。人生という舞台の幕を静かに下ろして、おまえと二人で消えたいねと。
そうそう、自分の命も大切に生きなくては。
最近は、母が耳が遠くなったり、父が病気になったり、もうそんな年になったのだとつくづく感じます。親孝行出来るのか分かりませんが、なるべく一緒にいたいと思っているんです。
同居は最高の親孝行ですよ!
姉も私も親から遠くに離れたでしょう。叔父たちを見ると子供と同居、あるいは同じ町、だから皆元気です。子供が近くに居ると、話も若返るし、長生きの秘訣だとつくづく思います。孫も見てくれるだろうし。私も子供の近くに住みたい!ってこれは一方的願望かも。
初めまして。コメントありがとうございます。
ペコさんのご両親は未だお若いのですね。私の両親も10回位引越しをしています。今の実家には私もペコさんと同じように、住んだ事はないのです。夢のマイホームは私が結婚した後にできましたから。でもこの家には子供達を連れて帰ったり、結婚してからも何度も来ていますから沢山の思い出があります。最近は自分の寿命を考えるようになりました。私の子供たちもぺこさんの様に思ってくれたらいいなあ。
ほんとにいつ何が起こるか分からないということをつい最近特に実感しました。
遠く離れて何も出来なくとも、Skypeなどでも今話せる幸せをちゃんと大事にしなければと。そう考えるともったいなくてひと言も聞き逃せないですね。
わたしの母は体調をずっと長いことくずしたままです。その母を看ている父も若くはないので、たまに実家に帰ると、薄汚れてしまったような家に悲しくなります。OKをとらないと、家へ行くこともできず、長くいると気を使って、疲れてしまうようなので、わたしにできることといったら、父の自尊心を傷つけないよう、こっそりと薄汚れてしまったお皿やグラスを時間の許す限り磨いたりする事ぐらいです。今までは、何かと言うと薬剤師でもあった楽天的な母に相談できましたが、頼ることもできず、しっかりなくては、余計な心配はかけないようにしなくてはと思うと正直辛いです。(精神的に自立していない自分を思い知らされます)
母は私達にとって太陽のような存在だったんだな・・・なんて今さらながら感じています。
きららノートさんの「一言一言を大事に」は本当に身にしむ言葉です。
今はSkypeなんですか。1997年の頃はNetmeetingというのがWindowsにあって、お互いに同じチャンネルに繋いで会話をするのですが、チャンネルが満員の時は、会話は出来ないの。このチャンネルではだめだからじゃあこのチャンネルでって感じで通じるまで20分くらいかかるの。それでも両親、私も話したい一心で、繋ぐんですよ!その後、MSNメッセンジャーが出来て、接続はとても簡単になりました。そしてビデオチャット。父の日課はおきて直ぐ私とMSNmessengerを繋ぐ事。一日鹿児島とアメリカは繋ぎっぱなしでしたよ。お客様があると直ぐ誰だか分かるんです。叔父だったら、急にこちらから声をかけて驚かしたりとか…懐かしい!
コメントを読んで涙が出ました。私もMusicaさんと同じような時期があったのですよ。私の母も強くて何でも出来る頼れる人で父は家族の大きな柱で何でも父に相談できる…だったのですが、父も病気で、母はアルツハイマーを発病して、胸が苦しくなるほど悲しい時期がありました。
そして、自分が今度はしっかりして、親を見なければとだんだん強くなって現実を受け入れる事が出来るようになりました。
それでももう親は居ないという思いが戻って無性に悲しくなる時があります。
chiblitsさん、時差ぼけは大丈夫ですか?
日本到着早々にブログ再開とは、流石chiblitsさん!まだブログ始まってないと勝手に思ってお邪魔してなかったのですが、来て見てビックリでした(笑)。
時差ぼけはすっかり大丈夫です。朝4時起きだったのが今では7時半。これ以上変えないようにしなくちゃ。本当は6時起きが良かったのに。
へへへ、それでも4日間休みましたよん!
ネットが無いと禁断症状起こします。禁断症状はお菓子作り。今は従兄達が近くにいるので、電話一本で取りに来てくれるけど。
こちらの記事、何度読んでも泣きました。
少し前に読ませてもらって、また今日読んで泣きました。
私もアメリカに住んでいます。
25歳、学生です。
おそらくこの先も、ずっとアメリカに住むと思います。
最近、日本に住む家族の事を想う機会がたくさんあり、いかに自分が大切にしてもらってきたか、を知りました。
こちらの記事を読んで、自分の将来・両親・兄弟・・・と様々なことが電光石火のように頭を巡りました。
ありがとうございました。
一言お伝えしたくて・・・
初めまして。コメント有難うございます。
かなさんのコメントを読んでかなさんはとても優しい方だと思いました。私が25歳の時は自分の事しか頭になく両親の悲しみはあまり考えませんでした。
でも時が経つにつれ、親から離れた事を後悔し、絶対に寂しい思いはさせたくないと思いましたけど、これだけ離れていたら無理ですよね。
でも両親は良くアメリカに長期滞在してアメリカの生活をとても楽しんでいました。元気な時に出来るだけ一緒に時間を過ごしただけでも良かったと思います。