今日はサンフランシスコ空港までケニヤから帰るお友達をお迎えに行きました。携帯でどこにいるのか聞くと、どうも税関で時間がかかっているらしい。で、こちらも腰を落ち着けて待とうと思い、カフェで緑茶とシナモンロールを注文。こんな事もあろうかと、本を持ってきて正解でした。

sf空港で
ケニヤは極最近までアフリカでは一番安定して安全な国と言われていたのに、昨年暮れの大統領選以来、部族の衝突が始まり、日に日に情勢は悪化しているそうです。

キクユ人とカレンジン人の土地や利権問題が根になった対立ですが、どんな人種にも命を尊ぶ人間と、それに欠ける人間がいる事を感じます。そしていつも命を尊ぶ人間の声が小さくなり、残忍な人間が勝ってしまうのはどうしてでしょう。教会に避難した30人のキクユ人の大人と子供達。教会に放火しょうとするカレンジン人の中には「罪のない子供まで殺す必要はない。子供は逃がそう。」といった声があったのに無視されてしまいました。アメリカのニュースサイトでは斧で叩き殺しあう恐ろしい殺戮が報道されています。
聞くところによると、この1月で1000人の人間が亡くなったそうです。

イラク戦争でもそうですが、平和を求めている人間の方がはるかに多いはずなのに、何故少数の人間によって間違った方向に行ってしまうのでしょう。これが人間の歴史だと言えばそれまでですが、命を大事にする人間の方が多いはずなのにとても残念な事です。

テロ撲滅の名目で(本当はオイル利権を求めてか)ミサイルを落として罪のない人たちを殺すのも、カレンジン人が斧でキクユ人の喉を切り裂くのも同じ事に思えます。人間はいつになったら戦争で殺人を正当化するのを止めるのでしょうか。

帰りの車の中でお友達の話を聞きながらこんな事を思っていました。