両親が他界していつの間に5年も経ってしまいました。
遂この前のように思われるのに。
でも人間は幸い何事も段々忘れていくもので、何を見ても涙が出てしまうということはなくなりました。
けど、
家の中に父の書いたメモや母が書き入れた電話番号等をみると、どうしても元気な頃を思い出してしまいます。
引き出しを開けると、母の名前がスコッチテープで貼り付けられたボールペンが出てきました。明らかに母が元気だった頃の字です。父と二人しかいない生活で何故に母はボールペンに名前をつけなくてはならなかったのか、そんな事を考えると、きっと父のせいだろうと思い可笑しくなってしまいました。5年前なら母の字を見て大泣きをしたのに、今は両親の口喧嘩を思い出して可笑しくなるのです。
この母の筆跡は力もあるし、しっかりしている。きっと2000年の頃に書かれたのでしょう。ボールペンって使わなければ8年も持つのか。
そして庭でも驚いた事。
チューリップの花が咲いていました。
母は2000年まで花を植えていましたからきっとこれも8年目。
私が植えるチューリップの球根は年々分割して小さくなっていくのに、母が植えたチューリップは8年経った今でもこうして咲いているのが不思議です。
遂この前のように思われるのに。
でも人間は幸い何事も段々忘れていくもので、何を見ても涙が出てしまうということはなくなりました。
けど、
家の中に父の書いたメモや母が書き入れた電話番号等をみると、どうしても元気な頃を思い出してしまいます。
引き出しを開けると、母の名前がスコッチテープで貼り付けられたボールペンが出てきました。明らかに母が元気だった頃の字です。父と二人しかいない生活で何故に母はボールペンに名前をつけなくてはならなかったのか、そんな事を考えると、きっと父のせいだろうと思い可笑しくなってしまいました。5年前なら母の字を見て大泣きをしたのに、今は両親の口喧嘩を思い出して可笑しくなるのです。
この母の筆跡は力もあるし、しっかりしている。きっと2000年の頃に書かれたのでしょう。ボールペンって使わなければ8年も持つのか。
そして庭でも驚いた事。
チューリップの花が咲いていました。
母は2000年まで花を植えていましたからきっとこれも8年目。
私が植えるチューリップの球根は年々分割して小さくなっていくのに、母が植えたチューリップは8年経った今でもこうして咲いているのが不思議です。

コメント
コメント一覧 (57)
今回はまだお料理の記事が出てこないですね。
出だしが風邪を引いてしまったし、お天気が今ひとつだったようなので、まだ調子がでないんでしょうか? chiblitsさんのノスタルジックな気分をひしひしと感じます。
体調いかがですか?
チューリップは8年たっても元気に育つんですね。
驚きました。きっとお母様の愛情がたっぷり注がれていたんでしょうね。
やっぱりご両親も泣いている顔より笑っていてくれる方が嬉しいと思いますヨ。
特にご実家の中では。
1つ1つにご両親の思い出があるってことはとても仲の良かった家族だったんですよね。
とても心温まります♪
日本滞在中はたくさん温かい思い出と共にお過ごし下さいね〜!!
毎年、お母様を偲んで咲くんですね。
帰ってこられたchiblitsさんを迎えてくれるなんて!!
感動的でうれしい出来事ですね。
見てもらえたチューリップも喜んでいるでしょう(^^)
球根はどんどん小さくなっていくものだと思っていました。
何もしなくてもこんなに大きなチューリップが分割した後に大きな花を咲かせてくれるなんてすごいですね。
まだまだ後悔と毎日自分が生きてていいのかとの葛藤です。やはり去年若くで死んだ母の思い出は看病と苦しさと後悔ばかりです。でもいつかChiblitsさんのように笑って話せる日が来るのかなと漠然に思ってます。チューリップ見て少しそう思えました、ありがとうございます。ステキな写真ですね。
丹誠こめられたお母様のお気持ちがいまだに花を咲かせるのでしょうね。
素敵なチューリップですね。
ポチがなくても、毎日更新されなくても、ポイントをキープされているチブリッツさんの強さ!健康診断もその勢いで無事に終わる事を祈っています。
うちは父が逝って7年ですが、母がそのままにしているので、何も変わらず当人だけが透明人間になった感じです。
廊下の向こうから、笑い声が聞こえたみたいで振り向きませんか?私は良くあります。
チューリップ、株分けして持ち帰られては如何でしょうか?チブリッツさんが帰ってきた時にまだ咲くようにと、最高の種を植えられたような、お母様の強い愛情を感じます。
それにしてもお庭のチューリップ、健気ですね。
命が別の形でも引き継げられているような気がします。
ご実家で、ご両親を偲ばせるいろいろのものに出会って、悲しみより懐かしさとか、愛おしさを経験なさっているようで、よかったナと思います。
そうして次第に癒されてくるのでしょうね。
私も来月日本に仕事を兼ねて出かけます。 後半はカリフォルニアから夫、娘も合流してこの秋99才になる母を老人ホームに訪ねます。 いつも笑顔で迎え、分かれる時も同じように笑顔で手を振る母を、これから何回訪ねるでしょうね。(年に1〜2回ですが・・・)
ところで、Chiblitsさんがご推定の私の年齢が実齢より1回り若かったので、だ〜い感激(^:^)でした!! 気持ちだけはまだ50代ですが、しみ・しわ・しらが の3し に追っかけられています。
今回の日本ご滞在が、健康診断も含めてよいものでありますように!
お母様が植えたチューリップが咲いていて、それを涙なしで眺められるって・・・やはり月日が癒してくれるんでしょうね〜
chiblitsさんのそれまでの年月が前向きで充実した生活を送ってきたから・・・
私は幸いに両親健在なのであまり考えた事なかったけれど、ちょっと自分の未来と重ね合わせてしまいました。
同じ日本に住んでいながらお互い県外に住んでいるとなかなか会えないですから。
鹿屋は大隅半島で、鹿児島とは錦江湾挟んで逆の半島にあります。
金生町。。。う〜ん
何を手にするにも思い出沢山ですね。
忘れていた事も鮮明に思い出すことでしょうね
私の生まれ育った家は今は他人が住んでいますが
何年かに一度行きたくなります・・・中に入る事は出来なくても、嫌な事たのしい事良い思い出です。
元気を貰って帰ってきます。
後何年行けるか分かりませんが^^
篤姫は日曜日 8時からです。
逝ってしまった人の事を、想い出のように笑って話せるようになるのにはとても時間がかかりますね。
うまく言えませんけど、ゆっくりがいいと思います。
私の母の植えた水仙も毎年咲いてますよ!!
もう今年で20年です〜。早いものです(^^)
そうなんですよ。両親はアメリカで、我が家の直ぐ近くの墓地に納骨されたんです。生きている間は墓地は日本でもいいのになんて思っていたのですが、父は20年前から決めていたようでした。今思うとそう決心してくれた父に心から感謝しています。すっかり自分では両親はアメリカにいるような気持ちになっています。
先日帰省したのですが4世代揃って賑やか(煩い? 笑)でしたよ。
チューリップは鉢植えにしているのですが、いつ植えたか覚えのないのが一本
フリージャの中に咲いていました。お母様の植えられたのと言い健気ですね。
お体はもうよろしいでしょうか?お大事になさって下さいね。
ふふふ、お好み焼き、今年は多分行かないと思います。だってね、この一年、アメリカで何度作った事か!もう余り珍しくなくなりました。(笑)
もう6回くらい秋刀魚の塩焼きをしたのですが、余りお魚のおこげは良くないんですよね。なので、このところムニエル的にしています。
微熱が未だに取れないので、今日は胃カメラのついでに気管支炎用に抗生物質を処方していただきました。そしたら今日は泣き面に蜂。病院に行く直前にお風呂場で転倒。胸を強く打ってシップしています。普通にしているとそれほど痛くないので骨折はしていないと思うのですが、明日どうなっているやら。日曜日、折角いとこ達にさつきのお花見に誘われたのに家でおとなしくしていました。
チューリップって球根ですから段々増えるのですが、小さく分裂してお花も段々小さくなっていくのに、母の土はよほど栄養が良いのでしょう。鉢に咲いているチューリップも大きく咲いていました。
おっしゃるとおりですね。
私もあの世に行ったら、家族はいつまでも泣いているよりも楽しく幸せでいてくれる方がずっとうれしいですものね。
楽しい事を思い出して楽しい気持ちになってくれた方がうれしいです。
又嬉しい事には父の兄、弟、二人とも元気なんです。93と73です。叔母達も元気なので、帰国も楽しくなります。
Chiblitsさんのを読んでいると今生きてる両親の姿が過去の思い出の様に見えていつかワタシもそんな思いをするんだろうなぁ..と。人の過去は
良い事が6割りで悪い思い出が3割りでどちらでもないが1割りなんだそうです。辛い事は忘れるように出来ているみたいです。いつかウチの両親も弱ってこの世を去っていくとしても今の元気が姿が思い出せるのなら未来を悲観してもしょうがないですね。それより貴重なものとしてしっかり夫婦喧嘩など見ておこうっと。
でも、今や元気なのをいいことに、悪態つき放題なのです。いやいや、反省しました。もっとちゃんと、両親を大事にしようと思います。
思い出って尽きないものですよね
私の両親は13年前に母、8年前に父。
母のときは こうしてあげればよかったとなにやら、後悔めいたものがありました。だから、父のときは会えるだけ会い、やってきましたが やっぱり、最後には こうしてあげればよかったと・・・。。きっと 何をやっても 思うことなのでしょうね。
最近、母に似てきたと言われ、 嬉しいやら、え〜っ!?と思うことやら。
自分が母になって、もっと母親の気持ちを一緒に語れたら良かったのにと思いますわ。
思い出 大事にしましょうネッ。
私も父が既に他界しているのですけど、母とは何でもない父の話を笑いながらできるようになりました。
でも笑いながら語っていても何だか切ないような寂しい気分はなくならないものなんですよね。
久々のご実家。
ご親戚やご友人と楽しい時を過ごして下さいね。
チューリップきれいです。
花も力強く生きていますね。
転んじゃって、たいへんでしたね。痛みの方は大丈夫ですか? お風呂場はタイルかしら。タイルが濡れていると滑りやすいんですよね。例のクロックス
のような靴を履いて入浴したら滑らないかも。足を洗う時が面倒ですけれども。
今日も検査でしたよね。お疲れ様でした。今回の帰国はそれが目的のひとつでしたものね。
私はこの夏の帰国中に検査を入れるかどうか思案中です。
まもなくですね、楽しみです。
私も誰も手入れをしないのにこんなに何年も咲くなんて意外でした!
余程土が良いのか。そして日本は適当に一年中雨が降ってくれるのもありますね。アメリカならば先ず一夏で球根も枯れ果ててしまうところでしょう。
本当にチューリップにはびっくりしました。2006年は秋に来たのでチューリップは見られなかったんですよね。
そしてつつじも満開です。さつきはどうでしょうか。去年剪定したので今年は咲かないかも。
誰もいないところに花を咲かせて待っていてくれるなんて本当に嬉しい事でした。
去年だったのですか。
まだまだ時間がかかりますね。
親を送って、今度は自分の番かなと思うこの頃です。そうなると、一番切に思う事は残る家族にいつまでも健康で幸せな人生を送って欲しいと思うばかりです。そして今になって初めて、両親もきっとそう思いながら逝ったのだろうと思うようになりました。きっとゆっちゃにぃさんのお母様も同じお気持ちだったでしょう。お若くして亡くなられたのですね。きっとお母様の幸せはゆっちゅにぃさんが幸せな人生を送る事にあると思いますから、ゆっちゃにぃさんは苦しい思い出はなるべく忘れてご自分の幸せを大切にしてください。きっとそれがお母様への供養になると思います。
植物は大好きな母でした。
50代の頃は庭にキーウィの木を取り寄せて、200個のキーウィを生らせた年がありましたよ。その直後に桜島の大噴火が始まって(1980年代でしたでしょうか)ビニールハウスが灰で穴が開いて、キーウィは諦めました。でも勿体無いので近くの園芸店に木は寄付していましたよ。腐葉土の作り方も畑の作り方も私とは正反対。どうも私の性格は父に似たようで。
あははは!ブログ村、すっかり忘れていました。総合ランキングはかなり落ちております。(笑)今日から又頑張らなくちゃ。
7年前だったのですか。お母様がそのままにしておきたいお気持ちがよく分かります。実家も当時のそのままです。最後に父が寝ていたベッドが居間の中心、テレビの前にあり、それもそのままで、私が今テレビの前のベッドに寝ています。はい、本当に未だ二人とも生きているのではないかって錯覚に陥るときがあります。まるでそのままなの。父がトイレから出てきてベッドに戻って来そうな。母は台所でお皿を洗っているような。そしてここから冷蔵庫を開ける母が見えるような。そんな気持ちになります。
チューリップの球根!持ち帰ります!!!でも土の付いたものは没収されるかな。
そうですね。時の経過ですね。
人間って辛い思い出は忘れていくことも大切なのかも。今度はアメリカ家族が全員でここに又集合できたら楽しいだろうなぁって思います。そんな時が来るのでしょうか。
考えると植物って長命ですね。
40年前に植えたさつきやつつじが今も生き生きと咲いています。長命と言えば、叔父のところにおうむがいるのですが、あのオウムは今年で50年!80くらいまで生きるって聞いたのですが、今年も凄い声量でしゃべっていますよ。
そうですね。最初の2年は悲しい思い出ばかりでした。後悔やら。3年目に我が家の近くに納骨してから、だんだんもういなくなったんだという気持ちが強くなってきました。
ナミサンのお母様は99歳!!!わぁ〜長寿ですね!じゃぁ〜ナミサンは60くらい?私と同じ世代ですか?でも未だお仕事で日本に行かれるの?わぁ〜ナミサンは長寿の家系でお元気なんですね。私は今回の帰国で初めて歳を感じました。今までは毎日のように時間を惜しんで行動していたのに、今回はさっぱりです。(笑)
ご両親が健在ですか!羨ましい!ってことはおりひめさまもお若いってことですよ。
私も両親が健在の頃は「いなくなること」なんて考えもしませんでしたよ。でも病気をしてからはいつもあと何回会えるのだろう、それならできるだけ帰国しなくちゃと思うようになりました。でも今度は叔父叔母達。93、85、75、72ですから。矢張り一年に一度は会いたいです。
そうですよ。金生町は山形屋があるところです。今日も病院の帰りに金生町によってバスで帰りました。
自分の住んでいた家を見に行きたくなるお気持ちよ〜く分かりますよ!
私もね、この家はず〜っとこのままにしておきたい気持ちでいっぱいなのです。でも維持費がかかるし、どうなることやら。姉達が退職したらここに住みたいとは言っていますが、仕事の本拠が東京なので本当に可能なのか。
私、自分でちょっと変と思うのですが、時々今住んでいるアメリカの家を売ってしまった夢を見るの。で、凄く後悔して、あの家懐かしかった、売らなきゃ良かったって…そんな夢。(笑)実家は売れば多分建物は壊されるでしょうね。
ありがとう〜!
毎週欠かさず見ていますよ!
面白いですね!カルフォルニアでも放送されていて娘も欠かさず見ているようです。
金柑の時期ってもっと早いんですね!もうお店でも全く見ません。
えりいさんのブログも他の方のブログも最近ご無沙汰してます。えりいさんで思い出しました!私、日本のパンの粉を買ってアメリカに持って帰るつもりなんです。早くネットで注文しておかなくちゃ!日本のアマゾンで注文したパン作りの本が届いていました!
水仙は丈夫ですよね!
私もアメリカで水仙を植えています。
実家にも植えてあるのですが、北向きで場所が悪く毎年葉ばかりなの。花は見たことないです。
わ〜もう20年も!水仙ってどんどん増えていきますよね。
本当に幸せな事ですね!
アンさんも長寿の家系ですね!
4世代揃って賑やかにって本当に羨ましいです。私もそうできたらどんなに両親も嬉しかった事でしょう。両親は孫の結婚も待てずに逝ってしまいました。アンさん!今朝私凄く嬉しい事があったんですよ!娘と電話で話した時、いよいよ結婚の話を具体的にしてきました。娘はパニック障害があるので、それを考慮してとても小さな結婚式ですが、式を挙げる気持ちになってくれたこと、涙が出ました。そして又今日嬉しい事。肺のCTはOKでした!段々元気が出てきました!
私も同じような気持ちになった事があったような。最後に一緒に旅行をした時、父はもう病気がありましたから、これが最後ってわかっていました。両親を海岸に並ばせて写真を撮りました。その時、いつかこの写真を見て、この時を懐かしむのだろうと思いました。今その写真はアメリカの居間に飾ってあります。なぜか父はその写真は余り好きじゃなかったの。ちょっと寂しい写真だったからかも。
本当に!仰る通り!今から未来を想像して悲観するのは勿体無いです。でもこれは今の私にも言える事。最近自分の寿命も考えるんですよね。今から考えるのも損よねぇ〜。もう止めなきゃ。(笑)
まぁ〜!火事だなんて、大変な事が続いたのですね!
アメリカでは伴侶が亡くなると残った方が女性ならば、家の改築をする人がとても多いです。何故かな?なんとなくその心境も分かるような気がします。
お父様はずいぶん若くして亡くなられたのですね。
脳出血は怖いですね。
私のお友達のご主人も2年前に心筋梗塞と脳血栓で今リハビリ中です。椿さんのお父様、よく回復なさいましたね!リハビリが良かったのでしょう。リハビリ次第ですものね。
椿さんのご両親は椿さん達と同居で本当にラッキーです。悪態つけるってお元気になられた証拠ですよ。
アメリカの場合は子供が同居しているのは少ないので、相手方、一人の負担になって両方とも病気になってしまうことが多いです。鹿児島で周りを見ると、3世代一緒に住んでいるご家族のお年寄りは明るくて元気な感じがします。3世代近くに住むだけでも心強いですね。
矢張り皆さん後悔することがあるのですね。
私も後悔することばかりです。叔母達はよく看たねぇ〜って言ってくれるけど、まだまだ細かい心使いが足りなかったの。
私もよく母と話をしました。父とも。父はとてもおしゃべりな人でした、けど、最後元気がなくなってからは静かでした。体がきつかったのでしょう。でも時々冗談は言っていました。父が喋らなくなってもこちらからは沢山話しかけるべきだったと後悔しています。アメリカの話も、孫達の話ももっと聞きたかったでしょうに。でも生きているうちに息子がイラクから帰って本当に良かったです。いろんな思い出今度は孫に話して聞かせたい〜。
そうですね。最初帰省した頃は仏壇で泣いてばかりいました。今は両親もアメリカに納骨されて、この家にはいないような気持ちになったりです。アメリカで私の帰りを待っていてくれるような感じもしたりです。
確かに亡くなった家族の思い出は楽しいと同時に矢張り切ないです。
ありがとう〜。
従妹達からゴールデンウィークは阿蘇の旅行に誘われているの。でも丁度その日に東京から父のお客様が〜(泣)こんな事言っちゃお客様に失礼ね!姉と一緒にしっかりと接待します。
メールしょうと思いながら未だに実行してませんけど、今日はやっと病院の永遠とも思える検査が終了して心が軽くなった感じです。
近いうちにメールしますね!
Sanaeさんのメールアドレスは前と(アメリカにいらした時の)と同じですか?
ご心配ありがとう!
今日レントゲン撮りましたよ。骨折は無かったようでした。ひびも入っていないようで、本当にラッキーでした。全く同じ姿勢で転びそうになったのに、2度目で本当に転倒だなんて、心が引き締まっていないんですね。今後は本気で注意しょうと思いました。電球が2箇所だめになって、息子が10年前につけたsmoke alarm の電池がなくなって、踏み台に乗って変えたのですが、あれも危ないですね!もう止めなくちゃ!若い人が遊びに来た時、若い人にさせなくちゃ。
肋骨大丈夫でした。これは冗談抜きで、私の豊かな胸(爆)がクッションになって骨折を免れたと思ってるんですよ。(笑)信じる?
ご心配ありがとうございました!
痛みは大丈夫です!微熱も段々取れてきました。抗生物質を始めて今日で2日目です。
そして今日の検査!嬉しい事に胸部のCTもPETも全てOKでした!PETに関しては今夜か近いうちに書こうと思っていますけど。
実家のお風呂場は所謂、ユニットバースって言うんですか。とても便利なのですが、なんだか滑りやすいですよ。私の失敗は足がぬれない様にと思ってゴムぞうりを履いたのが大失敗でした。これは皆に注意しておかなくちゃ!あの転倒でまともに胸に当たって骨折しなかったのが本当に不思議!理由はカイシャさんにも書きましたけど、これは私の胸がクッションになったのでしょう。
続き:
反対に背中だったらと思うと背筋が寒くなります。
はい、今日で検査が全部終わりましたよ!こんなすっきりした気持ちになるのなら、2週間も待たずに早くすればよかった!(笑)旅行中に病気になるのはこの歳で心配ですね。日本の医療は良いと行っても入院したら夫も子供も遠いし。今度は国民保険がなかったのでかなりの出費になりました!
そちらは食べることもエンジョイしておられるようで何よりですね!ははは!胃薬を飲みながら食べ放題とは!流石に我が愛弟子じゃ!って何の弟子や?
私は風邪も段々良くなって、これから楽しもうとちょっと元気が出てきましたよ。
考えれば美味しいものって鹿児島の豚骨ラーメンしか未だ食べていない!
というか、姉と相談して今回は大きな冷蔵庫の電源を切って帰る事にしたので、冷蔵庫、冷凍庫の中身を食べなくちゃなの。これ、本当につまらない仕事よ!
本当!まもなく!どきどき
すべてOKとのこと安心しました。よかったですね。お返事はお忙しいからご放念下さい。実は私、茗荷を過去3回少し土つきで持ち帰った事あります。ぬれた新聞紙で包んで、もちろんラゲージに入れて。大丈夫でしたが茗荷は育ちませんでした。
今は検査が厳しいようだし、球根は乾かせるので
お花が終わったらすぐ掘り出しておいては如何ですか?
今晩は!
こちらは今夜中です。
へ〜茗荷をですか!茗荷は寒さに弱いですよね!私も去年は生えていた茗荷を今年は見ていません。どうなったのか気になっているところでした。はい、チューリップの球根、掘り出す事にします。でもね、私がチューリップを植えるとどうしても毎年小さくなるんですよね。カイシャさん、チューリップの育て方知ってる?