時々私がお邪魔している、 85歳で日本からフィリピンに移住して年金生活を送っていらっしゃるYASさんと言う方がおられます。
今日YASさんの記事を読んで考えさせられることがありました。
90歳を過ぎたフィリピン人のおばぁちゃまが転倒して寝ていらっしゃるところに家族が二人、おばぁちゃまのお孫さんなのでしょうか、それともお嫁さんでしょうか、一緒にベッドに寝ているおばぁちゃまと写真に写っています。
「ここフィリピンでは孫や曾孫と一緒に親子3代、4代一緒に暮らすことは珍しくない、写真はまだ生後数ヶ月の赤ちゃん(曾孫)を抱いている孫も一緒に暮らす。」と書かれてあります。
私も幼少の頃は似たような生活をしておりました。 毎日いとこ達と遊び、いたずらをしたら祖父母からしかられ、(屋根の上まで逃げたことがある)叔母達からおやつをもらい、当時大学に通っていた叔父が私達、餓鬼どもを集めて、四谷怪談や耳なし法一を聞かせてくれたり、それはそれは退屈しない生活でした。
そんな大所帯で喧嘩がないわけがありません。 生まれた時からこうでしたから子供達は自然と喧嘩に負ける事を学び、勝つ事を学び、歳とともに処世訓を身につけていくのでした。
そして今じいさんと二人きりの生活になって、この90歳のおばぁちゃまが心から羨ましいのです。 孫、曾孫までに囲まれて、寝込んでいたらこうして二人も家族が一緒に写真に入ってくれるのですから!
今は日本もアメリカも物質的に豊かになりました。 自由も手に入りました。 でもそれと同時に失うものも大きかったように思えるのです。
姑と嫁の問題がなくなる代わりに、子供達は知恵の宝庫と一緒に暮らさなくなったし。 知恵の宝庫とは老人のことです。 昔の話を聞いているだけで先祖の事(ファミリーツリー等)が分かってきます。 話がちょっとずれますが、あのマイクロソフトのビルゲーツさんも小学校の頃は学校が終わるといつもおばあさんと神経衰弱をして遊んだそうです。 こうして子供達の脳が刺激されていくのでしょう。 そして老人も若い世代から刺激を受けながら脳の退化を防げるのです。 これぞ!一石二鳥!
家族が病気になったら介護も皆で分担できる。 分担とまでいかなくても、メイン介護者がかい出しに行く時くらいは、孫達が見てくれるでしょう。 ちょっとの手助けがどんなに助かることか。 介護で沈みがちな気持ちも若い人たちの話を聞くだけで気が晴れます。
あぁ〜夢の3代同居。
いえいえ、まだまだこれからです。
ホームに入る前に頭も体もしっかり鍛えて孫と遊ばなくちゃいけませんから。 同居はできなくても孫達の心に残るようなおばあさんにならなくちゃと思っています。
でも未だ孫はいませんけど…
今日もご訪問ありがとうございました。
今日YASさんの記事を読んで考えさせられることがありました。
90歳を過ぎたフィリピン人のおばぁちゃまが転倒して寝ていらっしゃるところに家族が二人、おばぁちゃまのお孫さんなのでしょうか、それともお嫁さんでしょうか、一緒にベッドに寝ているおばぁちゃまと写真に写っています。
「ここフィリピンでは孫や曾孫と一緒に親子3代、4代一緒に暮らすことは珍しくない、写真はまだ生後数ヶ月の赤ちゃん(曾孫)を抱いている孫も一緒に暮らす。」と書かれてあります。
私も幼少の頃は似たような生活をしておりました。 毎日いとこ達と遊び、いたずらをしたら祖父母からしかられ、(屋根の上まで逃げたことがある)叔母達からおやつをもらい、当時大学に通っていた叔父が私達、餓鬼どもを集めて、四谷怪談や耳なし法一を聞かせてくれたり、それはそれは退屈しない生活でした。
そんな大所帯で喧嘩がないわけがありません。 生まれた時からこうでしたから子供達は自然と喧嘩に負ける事を学び、勝つ事を学び、歳とともに処世訓を身につけていくのでした。
そして今じいさんと二人きりの生活になって、この90歳のおばぁちゃまが心から羨ましいのです。 孫、曾孫までに囲まれて、寝込んでいたらこうして二人も家族が一緒に写真に入ってくれるのですから!
今は日本もアメリカも物質的に豊かになりました。 自由も手に入りました。 でもそれと同時に失うものも大きかったように思えるのです。
姑と嫁の問題がなくなる代わりに、子供達は知恵の宝庫と一緒に暮らさなくなったし。 知恵の宝庫とは老人のことです。 昔の話を聞いているだけで先祖の事(ファミリーツリー等)が分かってきます。 話がちょっとずれますが、あのマイクロソフトのビルゲーツさんも小学校の頃は学校が終わるといつもおばあさんと神経衰弱をして遊んだそうです。 こうして子供達の脳が刺激されていくのでしょう。 そして老人も若い世代から刺激を受けながら脳の退化を防げるのです。 これぞ!一石二鳥!
家族が病気になったら介護も皆で分担できる。 分担とまでいかなくても、メイン介護者がかい出しに行く時くらいは、孫達が見てくれるでしょう。 ちょっとの手助けがどんなに助かることか。 介護で沈みがちな気持ちも若い人たちの話を聞くだけで気が晴れます。
あぁ〜夢の3代同居。
いえいえ、まだまだこれからです。
ホームに入る前に頭も体もしっかり鍛えて孫と遊ばなくちゃいけませんから。 同居はできなくても孫達の心に残るようなおばあさんにならなくちゃと思っています。
でも未だ孫はいませんけど…
今日もご訪問ありがとうございました。
コメント
コメント一覧 (42)
ドイツでは主人の両親の家で2年暮らしました。姑と嫁の関係は大変ですが 私としては彼女の家に厄介になっていたので 彼女のやり方とかを尊びの生活でした。でも辛いと思わなきゃ結構気楽に住めたし息子たちもドイツのオパとオマと暮らせて良かったと思います。もちろんいまだにワルがきの私はドイツの両親とも喧嘩をしましたが...喧嘩をして初めて仲良くなれるのだと思うのですが。
25年程前にフロリダに結婚前でしたがうちのと行った時に老人が多いのにびっくり。ぼやーっと海をみていたり老後を彼らなりに楽しんでいるのかもしれませんが Zombieのようで悲しい老後のように見えました。家のおばあちゃんのほうがもっと生き生きしていたと思います。
昔は近所の子供たちがいつも寄って色んな遊びをしました。年も色々いてその中でかばい合って喧嘩しあってつながりを学んでいったのではないでしょうか?
知恵の宝庫という表現は、本当ですね。実際の経験から得た知恵を受け継いでそこから始めれば、若くても無駄な失敗をせずにより深く人生を歩めますものね。それをしているファミリーは実際にいるし、人間にとってはそれこそが理想的な生活だと思います。
わたし自身も気難しい性格 だからこそ、できるだけ大勢で暮らしたいという夢を持っています。迷惑かしら、、、、
故河合隼雄さんが老人と子供は魂が近いところにあり、魂の交流は両者にとって必要なものだと書いておられました。
私も20代で初めてデートをしていた頃は、「親と同居なんて嫌だなぁ」と思ったりしましたが、今はいろいろな意味でとても大切なことだと思います。
彼のチェコの両親は2世帯住宅で暮しています。本当に幸せそうです。子供の育ち方が違うのが見ていて分かるような気がします。
我が家は代々軍人の家系で、しかも義父も3人の息子も義母のしたいようにさせていましたが、それでも口から出る言葉は不平と不満だけ、私にはとても理解出来ませんでした。こちらでは夫婦単位の生活が普通のため、義父が亡くなったあともシニアアパートの支払いのチェックですら自分で書きかたも分からず、知ろうともせず、一番近くにいた私達が些細なことでいつも呼び出され、私はいつも疲れきっているおっさんの体がとても心配でしたが、昨年義母の亡くなった後、出来ることは全部やったので後悔はない と言い切るおっさんをみてさすがだと感心しました。私も娘はいますが、私の性格上、誰かと同居してお互いに気を使うことは、今さら無理なので、せめて健康で楽しく老後はできるだけ自分の力で暮らせるようにと願っています。そのためにもおっさんの健康が一番心配です。
家族達との同居って難しいけど、核家族は寂しいです。(もしも旦那さんが居ても、まだ人数が足りないと思います。)
姑と嫁の問題がなくなる代わりに、子供達は知恵の宝庫と一緒に暮らさなくなったし。』
これは私も同意です。
私はおじいちゃんとおばあちゃんとは少し距離があったので、(遠くに住んでたのではなく、心のです。)そういう機会が全くなかったといっていいでしょうか。 だから憧れる部分もあるんですが、御歳をめしていらっしゃる方には人生の経験があるんですよね。そこから来る知恵を学ぶの、大好きです。 日本では同居多いけど、アメリカは家族同士が歳おった両親の面倒をみるのって、あんまりないですよね。でも私も同居できる、同居したい家族になりたいです。
PS。 私のブログへの訪問、ありがとうございました。 ユーカリオイルは飲んじゃダメですよ!!!数滴、濡れた布に落として、布を鼻に当てるといいそうです。後は、スプレーボトルに水を入れ、オイルを2,3滴加える。そして部屋の中を霧吹きするといいそうです。興味があれば、ユーカリオイルの使用法、他にもネットで調べてみてください☆
老後は子供達の近くでおやつはばあばのところでもらっておいでと言われたいですね〜(笑)
私は自分の母に「将来孫の世話はしたくないから、遠くに嫁いでちょうだい!」っていわれていたら、こんなに遠くになっちゃった。息子は飛行機恐怖症なので会いにもいけやしません。
なんとも親不孝ものになってしまいました。
かわりに母は近くにいる妹の子供の面倒をみているようですが。(笑)
最近エスニック料理教室のレシピも上げてます。過去ログは料理レシピの欄でご覧になれます。よろしかったらどうぞ。
身につまされるお話です。
私は結婚に興味のないまま独身で40代を迎えてしまったからです。
母ももう75歳。
ちゃんと「おばあちゃん」にしてあげられてないなと思うと泣けてきます。
母は兄と二人住まい。
私は仕事の関係で一人暮らしなんですけどね。
兄も結婚してないんですよ〜。
お恥ずかしい。
それでも幼少の頃は父も祖母も生きてたし5人家族でした。
祖母は母の実の母ではないのですが(戦時中にはよくあった事だそうで母は里子に出されたそうで・・・)私はおばあちゃんっ子だったと思います。
私が今、人よりもちょっとお裁縫が得意なのは、おばあちゃんと小さい頃リカちゃん人形にお洋服ぬってあげたりして遊んでもらってたからだと思います。
とてもありがたいです。
今までに、幾つか試練を乗り越えてきましたが
そんな中で、自分自身が人間的に成長したと、
そう思えるようになりました。
同居が上手くいくには
誰か一人が努力してもダメ。
大人がちゃんと大人であらねばいけないと
痛感しています。
だからといって、
うちのちび姫を親と同居のところにお嫁にやるのは
「話は別だ〜!」
と、まだ大人になりきれない私です。
娘(5歳)と真剣に神経衰弱で勝負しています。記憶力が弱くなったなあと思い知らされるゲームです。孫と遊ぶ日を楽しみに、脳を活性化する生活を心がけようと思います。ベーグル、つくりました〜。
早く名実ともにばあさんになるといいですね〜!
(>。<)
以前より、ちょくちょくお邪魔していましたが、今回、初めてコメントさせていただきます。
私の住んでいる国も基本的に「3世代同居」が少ない国です。
勿論、保守的な田舎の村だと、一軒の家の1階に親が住み、2階に子供家族が住むなどという、2世帯住宅もありますが・・・。
私は、「老年学」(Gerontology)という学問を専攻していますが、統計やら難しい理論で人間(お年寄り)を理解したつもりになっている教授たちに、いささか閉口気味です。
このフィリピンのお話を読むと、大家族ながらのストレスもあるかもしれませんが、家族が助け合いながら生きていくことの素晴らしさも大きいのではないかとつくづく感じます。そんな私も、義父母と一緒に暮らしていくのかと聞かれれば、できるなら別々に暮らしたいと願います。矛盾していますね。
ただ、義理両親のどちらか一人に万が一のことが起こったら、介護施設ではなく、なるべく自宅で面倒を見てあげたいと思っています。
みな意味がある事が今になって判ります。有り難かったと・・・私も祖母や母が言っていた事が判る歳になってみて、出来たら、子供達と同居を願う時が有るけれど、核家族できた吾ら世代、子供達も私らもスープの冷めぬ距離に住めたら良しと思います。
既婚の娘も未婚の息子も2時間程の離れた所に住んでいるのが私の不満。子供達から言わせると同じ
大阪府内だからと言いますが!
上手くいく同居ならシニアになった今、本当は望みますよ。でも夢でしょうね。
そしてあたしの息子も4歳くらいまでにぎやかだった家族の多い生活を経験していますが、今はばぁばとあたしと息子2人の4人暮らし、おばあちゃん(ひぃおばあちゃん)がホームから泊まりに来ている日は一緒に風呂に入ったり入れ歯を洗ったり大サービスをしています。
年寄りを嫌う子にはなってほしくないからよかったなと思います。
週に何回か往診も一緒にしました。
アパート住まいで、まともな家具もなく、型の古いテレビを見て一人で過ごす老人を何人も目にしました。
往診に来てもらうくらいだから、当然外出もできません。ヘルパーの人と、往診に来る医者くらいしか会話を交わす人もなく、帰そうとしないのだそうです。
医者の仕事というより、そういう状態に置かれた老人のことについて考えた事を、職業体験のレポートに書いて提出しました。
ショックがとても大きかったのですよ。
楽しそうなことは何もなく、お金もなく、訪れる人もなくそれでも生きていくという事が。
確かに年金も出て健康保険もあって国から最低限は保障されています(最近はその最低現もどんどん下がってぎりぎりの生活の老人が増えていますけど)
日本もそうでしょうが、ドイツは結婚すると家を出て行きます。
時々、2世代住宅でそのまま残る事もあるのですが、その場合、結婚した娘の家族が2階に住む事が多いです。
私の周りを見てもせいぜい3人家族で、独居老人もとても多いです。私はやはり、迷惑にならないように夫と2人で暮らすと思います。寂しいですけど。
回りに3代、4代同居という例がないから考えられないのです。
私のおばあちゃんは怖かったです〜〜!私だけじゃなくて皆怖がっていました。 普通の優しいおばあさんって感じじゃありませんでしたから。 でも70を過ぎた頃から凄く変わりましたけどね。
フロリダのお年寄りがZombieって想像がつきます。若い人がいないところって本当にZombieになっちゃう!。私もそろそろそんな感じ。 娘が帰ると顔の筋肉が活発になるもの。 笑うにしても怒るにしても。
本当に!昔の子供達は遊び方も違いましたよね。 色々な恩恵もあるけど土遊びをして駆け回っている子供達を見なくなったのはちょっと可哀想ですね。
スエーデンは昔から社会福祉が徹底している国で有名ですよね。でも福祉が徹底しているからといって子供達とお年寄りのinteractionがないわけではないのでしょう? 同居はありえないのですか?
私は子供ができるまで絶対に親から離れたいと思っていましたよ。でも子供ができてから考えが変わりました。子供は矢張り祖父母が近くにいるって大切だと思いました。私の子供達も子供ができたら親のそばが良かったって思うでしょうね〜。だって便利だもの!
ゆきうさぎさんはアメリカの老人ホームで働いていらっしゃるのですか?それとも日本ですか?
私は日本の老人ホームにいってアメリカのホームとはどうしてこんなに雰囲気が違うのかしらって思います。実家から歩いて2分のところに老人ディケアーセンターがあるのですが、20人弱くらいしか集まりませんが皆さん笑顔がたえなくて和気藹々。時々お友達のリハビリのクラスでお手伝いをしますが(これはアメリカで)、凄く良い先生、これでよくお給料をもらっていると腹が立つ先生、色々です。ゆきうさぎさん、そんな気持ちでお仕事をされていて素晴らしいですね。 でも本当に!実家でお世話になったヘルパーさん、それはそれは皆さん素晴らしい方たちでした。
へ〜子供と老人の魂は近いところにあるのですか。 何だかそれを聞いて謎が解けたような気がします。チェコでも2世代が一緒に住むことがあるのですね。 アメリカも日本も一昔はそれが普通だったのにね〜。 アメリカはもっと昔かしら。 私も子供達が違ってくると思うのですよ。 おじいさん、おばあさん達と接触が多い子供達とそうでない子供達と。子供達の情操教育には凄く大切な存在のような気がします。
義理母様は何が不満だったのでしょうね。 不満がないところが不満だったみたいですね。 考えると女性の方が男性よりたちが悪いのかな。いじわるばあさんはよく聞くけど。
私は同居はあまり気になりません。といってもこれは自分サイドの家族のことばかり考えてのことですが。というのは夫側は母親はもう45年前に父親は20年前になくなっているし他州だったので私は殆ど知らないのです。でも同居したいと思うのは自分サイドの親の事でした。 夏休みの間は私が仕事をしていたので母が子供達を見てくれました。本当にラッキーでした。 子供達も私の両親もとても楽しい時期だったと思います。息子は家に帰ると自分からお墓参りに行こうと言います。 私も孫達とはそんな関係になりたいです。
核家族は寂しいですよ〜。
人間っていつも楽しい気分ではないでしょう。私もず〜っと仕事をしていましたから仕事で嫌な事があったりつかれていたりしたら子供の相手も億劫になったりします。そんな時に家族が多かったら誰かが気分の良い人もいるわけですから特におじいちゃま、おばあちゃまは孫には何時でも優しいでしょう。子供の行き場が多いって本当に良いことだと思います。 若いときは子供の事で夫婦喧嘩もしたけど、祖父母がいたら喧嘩もなかったでしょうね。 子供の悩みで(はい、色々ありましたよ)両親に電話をすると、いつも「子供を信じなさい。あの子は絶対に心配ないから」と言ってくれるのはいつも私の父でした。本当に!子供にとって祖父母の存在って大きいと思うのですよ。
私も凄く封建的な家族で祖父母はしかられる存在、二人とも孫を可愛がるというようなタイプではありませんでしたね。 70歳を過ぎて私達も大人になったので大人の会話は楽しんだようですが、二人とも小さい子供達を可愛がるようなところはありませんで、しかられた記憶ばかりがあります。 ちょっと変わった家族でした。
娘は小さい時、私の母がよく人形の洋服をつくっていましたね。セーターとか。今娘が編み物が好きになったのでもっと習っておけばよかったといいます。
ユーカリオイルは飲んじゃだめですか!!今日はこれからWholeFoodsに行く予定。あそこにあるかもですね。
わ〜〜〜凄い〜〜!今度は確か3人目ですよね? はなさん、段々にぎやかになりますねぇ〜。羨ましいですね!
本当に!はなさんが仰るとおり!!一緒にすごせる時間は長いほどいいです!特に早い方がいいです。私だっていつまで元気でいれるのか分からないのですから。確か私の母は50代でもうおばぁちゃまになっていました。 元気だからまだまだ孫の相手ができる歳でした。 私もそれが一番心配。 あまり遅いと時間がなくなるのではないかと思って。 私の両親、息子が結婚する前に亡くなりました。ず〜っと結婚するのを見届けたいと言っていたのに。私も早く娘が結婚するのを見届けて息子も娘も子供が生まれるのを見届けたい...けどこれだけはわかりませんわね〜。天に任すしか。その点、はなさんはお幸せですよ〜! 私もスープの冷めない距離にすみたい!学校から帰った孫が遊びに来れるくらい。
え〜孫の世話をしたくないのですか!でもそれはそれで気が楽ですね。私は両親がその反対だったので、ず〜〜〜〜っと良心の呵責がありました。今でも親に可哀想な事をしてしまったと考えると悲しくなります。 父は子供好きで、近くの兄弟の孫達は直ぐ近くにいるのに、両親の所は一年に一度だけ。お母様は妹さんのお孫さんがいらっしゃるのならいいですね。うちの場合は姉は東京だったのでこちらも一年に一度だけでした。 その点、私は2時間運転したら会える距離なので未だ幸せな方かも。
Sandieさんのところはご夫婦揃ってお料理をされるのですね!羨ましい〜! 一度だけでいいからそんな結婚生活してみたい!
アメリカでは40代で結婚する方沢山いますよ〜! 先日お友達が結婚式に呼ばれて写真をメールで送ってきましたが、とっくに40を過ぎたカップルでしたよ。子供二人。
戦時中よくありましたね。 私の父も母親(つまり私の祖母)が産後病気になったので里子に出されたというか、子供を亡くしたばかりの乳母さんがいました。身寄りのない方でこの方もず〜っとなくなるまで私達家族と一緒に住みました。 父には二人母親がいたような感じでした。 身寄りがないので両親のお墓をアメリカに作った時この乳母さんも連れて来て、今アメリカの墓地に入っています。 娘もよくいっていますよ。母が編み物が上手で、元気なときにもっと習っておけばよかったって。
スープの冷めない距離が一番良い関係かも。同居ってちょっと疲れそうな気もするから。 慣れちゃうとお互いに順応するのかもしれないけど。
子供さん方は将来アメリカの学校予定ですか!!!大学からとか? じゃぁ!ブルーグラスさんもカルフォルニアに住む可能性ありますね! カルフォルニア、いいですよ〜!アジア人が多いので。 ブルーグラスさんは徹底してお孫さんに日本語を教えたらいいですよ! ブルーグラスさんの息子さん達は家では日本語ですか?
ふふふ、皆さん同じですね!
私も同じです。 子供が生まれてから両親が近くなら〜って思いましたよ。
両親には可哀想なことをしてしまいました。若い時って自分の事しか考えない時期があるのですね。 私は未だ分からないけど、自分の孫って可愛いのでしょうね。
経験者のお言葉、はたから見ている程、夢のようなだけでは決してないのでしょうね。 私は自分で経験がないから簡単に言えるけど、考えているみると私の母が一番喜んでいました。別居が始まった時。嬉しいのは子供だけですかねえ〜。お年寄りと。
でもTechanさんのご苦労はきっと子供さん方の情操教育にプラスになったでしょう。 子供のためだったと思えば大変さも和らぎますね。父がよく言っていました。 祖父母が病気で最後をとげる事、子供は近くでちゃんと見届けることが子供のためになることだと。私の娘、親の介護もできないかも。 未だいない孫に期待してもしかたがないですかね。
私、神経衰弱、もう10年以上していないかも。父が最後にここに来たのは娘が高校一年のときでした。未だにはっきりと思い出します。学校が終わったら、父と必ず神経衰弱をしていました。父は凄く強かったのに、流石にあの時は負けていましたね。
ところでフランスにもベーグルあるのですか?フランスのベーグル食べてみたいです。 ところで12分の発酵、どうでしたか?硬すぎましたか?
孫と遊ぶってどんな気持ちなのでしょうね〜。
親になる時も親になるってどんな気持ちだろうって思ったものだけど、なったらちゃんと親らしくなったような。 だからお祖母さんになるのもそんなものなのかしら。
初めまして!コメントありがとうございます。
田舎だと二世帯住宅がありえるのですね。ヨーロッパもアメリカも似たような感じですね。「老年学」!!そんな学科があるのですか!初めて聞きました!
矛盾していませんよ!私もそうです。だから本当は二世帯住宅或いはスープも冷めない距離くらいが一番良いでしょうね。矢張り人間は静かになりたい時もありますから。 隣の家に娘達が引っ越してきたら私は天国にも上る気持ちです。ふふふ、息子が遂に言いましたよ。子供ができたら親が近い方がいいねぇ〜。近かったらいいのにねぇ〜って。子供をもって初めて分かるのでしょう。親が近くにいる便利さが! 私もそう思うのですが、ホームにいかせるかどうかの決断を子供にさせるのは酷ですね。 私は自分で決めなくちゃいけないと思っています。でも頭がしっかりしていないと自分で決断ができなくなる〜!
私の祖母も厳しかったです〜。どちらかというと子供嫌いでしたね。 でも曾孫になったらちょっと変わったような。孫どもはしかられてばかりいましたよ。そんなに悪がきだったのか。理想ですよね。近くに住むのが。 私の叔母達は鹿児島でそうなんです。 子供達は歩いていける距離にすんでいます。本当に羨ましい。だからながいきしているのだと思いますよ。父の兄は95歳?叔母は87だっけ。私の両親は83歳と79歳でした。私達が一緒に住んでいたらきっともっと長生きしたでしょう。
カサブランカさんも2時間ですか!私も2時間です。娘は30分。 2時間は遠すぎますよ!あそこまで電車はないし、2時間の運転が段々きつくなります。せめて20分じゃないと。
あやこさんのところは3世代、おばあちゃまがいらっしゃるのいいですね! でもあやこさんのお母様はまだまだおばあちゃまという感じじゃないですよね。 矢張りお仕事を続けていらっしゃる方は全然違う。 そんなおばあちゃまと同居は刺激も大きいでしょうね。
お年寄りに優しい子、大好き!!
私は小さい時はあれだけしかられたのに最後はお気に入りの孫だったのですよ!一緒にデパートにお供するのが楽しみでした。買い物の後には必ずデパートの上でお食事。ふふふ、それが楽しみで。私は当時中学生、高校生でしたね。
ドイツの高齢者事情もあまり明るくないのですね。アメリカでは訪問のドクターなんてありえません。看護婦だけです。
アメリカでは一人住まいができなくなると、ホームに入ります。 貯金がある程度あって、自分の家を所有していたら、公立のホームには入れませんから私立のホームに入ります。1月安いところが月に27万、高いところは45万です。月にですよ!!それでお金がなくなるまで私立のホームにいて、お金がなくなると公立に移ります。 お友達に私立にいれるのは数年だけねと話したら、お友達が5年でたいてい寿命が切れるそうです。 なんて寂しい話なのでしょう! 最後まで自宅で頑張りたいと思ったけど、そうして家で一人きりでいるのも寂しいですね。どちらに転んでも寂しい〜。だから孫は絶対に手なずけないと!
子供が結婚しないっていうのは全然あてになりません。娘も結婚しないはずだったのに婚約してるもの。 今は絶対に子供は欲しくないといっているけど、これもどうなるのかな。でもわが娘は本当に母親になれるんかしらって真剣に心配します。子供の方がしっかりするでしょうねぇ〜。
アメリカのホームでですか!!
ゆきうさぎさん、本当にラッキーですよ!ご両親が共稼ぎでお祖母様がシッターだなんて! 普通は託児所です。良かったですね!! 本当に良かった!!
私、ゆきうさぎさんが働いていらっしゃるホームに入りたいです。そういえばLAにぬぬさんもホームでボランティアをしていらっしゃる。 私、日本人が働いているところなら入りたいです。だって日本人の方が優しいんだもの。