時々私がお邪魔している、 85歳で日本からフィリピンに移住して年金生活を送っていらっしゃるYASさんと言う方がおられます。

今日YASさんの記事を読んで考えさせられることがありました。
90歳を過ぎたフィリピン人のおばぁちゃまが転倒して寝ていらっしゃるところに家族が二人、おばぁちゃまのお孫さんなのでしょうか、それともお嫁さんでしょうか、一緒にベッドに寝ているおばぁちゃまと写真に写っています。 

「ここフィリピンでは孫や曾孫と一緒に親子3代、4代一緒に暮らすことは珍しくない、写真はまだ生後数ヶ月の赤ちゃん(曾孫)を抱いている孫も一緒に暮らす。」と書かれてあります。

私も幼少の頃は似たような生活をしておりました。 毎日いとこ達と遊び、いたずらをしたら祖父母からしかられ、(屋根の上まで逃げたことがある)叔母達からおやつをもらい、当時大学に通っていた叔父が私達、餓鬼どもを集めて、四谷怪談や耳なし法一を聞かせてくれたり、それはそれは退屈しない生活でした。 

そんな大所帯で喧嘩がないわけがありません。 生まれた時からこうでしたから子供達は自然と喧嘩に負ける事を学び、勝つ事を学び、歳とともに処世訓を身につけていくのでした。

そして今じいさんと二人きりの生活になって、この90歳のおばぁちゃまが心から羨ましいのです。 孫、曾孫までに囲まれて、寝込んでいたらこうして二人も家族が一緒に写真に入ってくれるのですから! 

今は日本もアメリカも物質的に豊かになりました。 自由も手に入りました。 でもそれと同時に失うものも大きかったように思えるのです。
姑と嫁の問題がなくなる代わりに、子供達は知恵の宝庫と一緒に暮らさなくなったし。 知恵の宝庫とは老人のことです。 昔の話を聞いているだけで先祖の事(ファミリーツリー等)が分かってきます。 話がちょっとずれますが、あのマイクロソフトのビルゲーツさんも小学校の頃は学校が終わるといつもおばあさんと神経衰弱をして遊んだそうです。 こうして子供達の脳が刺激されていくのでしょう。 そして老人も若い世代から刺激を受けながら脳の退化を防げるのです。 これぞ!一石二鳥!

家族が病気になったら介護も皆で分担できる。 分担とまでいかなくても、メイン介護者がかい出しに行く時くらいは、孫達が見てくれるでしょう。 ちょっとの手助けがどんなに助かることか。 介護で沈みがちな気持ちも若い人たちの話を聞くだけで気が晴れます。

あぁ〜夢の3代同居。

いえいえ、まだまだこれからです。
ホームに入る前に頭も体もしっかり鍛えて孫と遊ばなくちゃいけませんから。 同居はできなくても孫達の心に残るようなおばあさんにならなくちゃと思っています。
でも未だ孫はいませんけど…

今日もご訪問ありがとうございました。



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