幼少の頃、多い時は30人にも及ぶ人間と雑居生活をしていた事は以前書きました。 私の正月といえばその頃の正月しかよく思い出せません。 その後両親は大家族を離れて一軒家に引っ越したのですが、4人家族に縮小してからの正月は何を食べたのか、どんな正月だったのか思い出せないのです。 

大晦日の夜、母や伯母、女中さん達は除夜の鐘がなるまでおせち料理の膳作りをしていました。 25人分の膳ができると店と住宅の間にある小さな押入れのような3畳の部屋に膳を重ねて置いておくのです。 見事に25人分平等に作られていました。 正月3日間は台所仕事が休みになるので、この一人一人に与えられる膳のお節料理は3日間かけて食べるのです。

元旦の朝、各人膳の前に座ると、その膳が自分のもの。 食べ残せば紙に名前を書いて、又3畳の冷たい部屋に膳ごと戻されるのでした。 私はいとこ達と座って食事をしましたから、いとこ達の事しか記憶にありませんが、十人十色で、自分の好きな物を最初に食べてしまういとこ、最後まで好きな物をとっておくいとこ、色々でした。

今思うと丁稚奉公の若者がこの一つの膳で3日間ももったとは考えられないので、2日目からは外食していたのでしょうか。 それともおかわりが出たのでしょうか。 母が自分の伊達巻を私の膳に譲ってくれたところを見ると矢張りおかわりはなかったのかも。

私の大好物は伊達巻と黒豆と鯛でした。 2日目の鯛の食べ残りはいとこ達と火鉢を囲んで焼いて食べるのです。 一度煮付けた鯛は焼くと香ばしくなり、私はわざと一日目はあまり手をつけないでいました。

昆布巻きが大好きになったのは大人になってからです。
それなのに一度も昆布巻きは作ったことがありませんでした。
この歳になって初めて昆布巻きを作ってみました。 残念ながら母の料理帖には記録はなし。 仕方がないのでネットで検索して一番近そうな作り方を選んだのですが、大分違いました。

鯖の代わりに鮭を使ったので、全く同じにできるとは期待していませんでしたが、そんな魚の違いだけではなく、昆布も柔らかくないし、中の鮭もしっかり出汁がしみ込まず、ちょっとぱさついた感じ。 かんぴょうの代わりに綿糸を使った事が味に関係したのかしら。 昆布の種類を間違えたのかしら。

おせち料理も一日にして成らず。
でも初めてお節料理を作った記念に写真を載せます。
kobumaki

遅くなりましたが、新年おめでとうございます。 
去年は沢山の方にカリフォルニアばあさんブログにご訪問いただき有難うございました。 この愚ブログが書籍化などと、虚名を博し恥ずかしくて友人達にも内緒にしておりました。 今はバレバレ。 私如きの本を沢山の方がご購入くださり感謝に耐えません。 今日は新年の抱負でも書こうと夕べ下書きしたのですが、不言実行でまいります。 来年もこんなばあさんを宜しくお願い致します。



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