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スイカを見るといつも色々な昔の出来事を思い出します。 私が小学校3年、姉が6年生の夏休みの時です。 私達二人は鹿児島から汽車に乗って名古屋の伯母の家に送られたことがありました。 この頃父は胃潰瘍で入院していたので母が看病に専念できるように取り計らわれたのでしょう。
 
初めての姉と二人きりの旅。 昭和32年の夏です。 伯母は戦争未亡人で子供3人を一人で畑をしながら、お花を売って生計を立てておりました。 鹿児島の方が田舎のような気がしますが、実家は商売をしていたので一応町生活でしたから、農業をしている伯母の広い畑や池に囲まれている生活の方が田舎に見えて私には全てが珍しい経験でした。  

当時20歳で会社勤めをしていた従姉が、夕方畑のスイカを取りに行こうと言い出しました。 八百屋さんでしか見たことがない大好きなスイカがそこら中に転がっているなんてどんな光景だろうと胸をわくわくしながらスイカ畑までついて行きましたら、本当に雑草の中に隠れて大きなスイカがあちらこちらに横たわっているではないですか。 従姉は上手にぽんぽんと叩いて一番美味しそうなスイカを選びました。 私はその場でぱっくりと割って直ぐに食べられるものと思っていたら、井戸水につけて冷やすのだそうな。 大きなスイカを持ち帰り従姉はスイカを上手にバケツに入れて井戸に浸しておりました。 その待ち時間が長いこと。 当時は冷蔵庫ではなくてアイスボックスというのが普及していましたが伯母の家にはありませんでした。 延々と待ったような記憶ですが、やっと食べられたスイカは最高に真っ赤で甘く、 母が畑で食べるスイカは最高に美味しいよと鹿児島で話していたのはこのスイカだったのかと思ったものでした。

ここから急に話は鹿児島に戻りまして、スイカといえば祖母も思い出します。 私が幼少の頃はスイカは簡単に食卓に上がるものではありませんでした。 特に実家のように25人以上の人間が雑居生活をしておりましたから、スイカは特別な行事でもない限り食べることはありませんでした。 それでも珍しくスイカが出ると、祖母は食べ残りのスイカ、つまり硬い皮と赤い実の間の白い部分を切り取ってお漬物にしていたのです。 今から考えると25人の食べ残しであんな不衛生なことをよくしたものだと思うのですが、スイカを食べた翌日には必ずこのお漬物が出たものです。 

スイカを見て思い出した昔話でした。 

スイカスムージーの作り方はこちら





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