何の話をしていたのか夕べ娘とSkypeで話をしていたら
昔のボーイフレンドの話になりました。
潜在意識で私(母)が好まないようなタイプは
自分も段々嫌いになってふってきたって言うのです。
ふ〜ん
私の言うことなんか聞かない振りしてちゃんと聞いていたのか。
それで何回誰をふった?
NさんとMさんをふって
NさんとAさんとCさんからふられた
それってふられた回数の方が多いんじゃないの
子供は反発をしながら心の底では親を失望させたくないという気持があるのでしょうか。 だから結婚相手も親が認めてくれるような人って思うのでしょうか。
う〜ん 私の場合はどうだろう。 私の場合は親よりも姉の方が煩かったので姉を意識していたかも。 姉は社会的にも職業もいわゆる、姉が言う「立派」な人と結婚したので私にもそういう人と結婚をして欲しいという気持は親以上でした。 残念な事に姉を満足させる事はできなかったのですが両親は最後までじいさんの事をいつも褒めてくれたので私は満足しています。
矢張り親の言葉って大きいんだよな〜。
姉の言うことなんて問題じゃないんだから。
20年前の話ですが
お友達家族と一緒に食事をした時
じいさんが
「父親が亡くなった時、これで自分は落伍者になってもいいんだと思った」っていうんですよ。
英語では「Now I can mess up my life.」と言いました。
私は隣でこの言葉を聞いて
「あんた! なんちゅう事を言うか!」と心の中で叫びましたよ。
そんな事他人に言う事でもないし
第一私からみたらですよ
私や子供の事はどうでもいいのかって言いたいですから。
じいさんの両親は決して煩い事を言ったり期待する人達ではなかったのに それでも両親には自分は立派な大人になったんだと思わせたい願望があったのだと思います。
嬉しいことがあったり悲しいことがあると両親のお墓に行きます。
私にとって親は亡くなっても大きな存在です。
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自分も段々嫌いになってふってきたって言うのです。
ふ〜ん
私の言うことなんか聞かない振りしてちゃんと聞いていたのか。
それで何回誰をふった?
NさんとMさんをふって
NさんとAさんとCさんからふられた
それってふられた回数の方が多いんじゃないの
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20年前の話ですが
お友達家族と一緒に食事をした時
じいさんが
「父親が亡くなった時、これで自分は落伍者になってもいいんだと思った」っていうんですよ。
英語では「Now I can mess up my life.」と言いました。
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そんな事他人に言う事でもないし
第一私からみたらですよ
私や子供の事はどうでもいいのかって言いたいですから。
じいさんの両親は決して煩い事を言ったり期待する人達ではなかったのに それでも両親には自分は立派な大人になったんだと思わせたい願望があったのだと思います。
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コメント
コメント一覧 (60)
自分にはもう親は基本的にいないものと思って生きているつもりです。子供ができて少し態度を軟化させましたが、それでも親が死んで果たして自分が泣くだろうか?と疑問なくらい気持ちが離れています。
こういう風になるまでもちろん紆余曲折あって苦しかったですが、吹っ切れて今は楽です。自分の子供にこんな思いをさせたくないという気持ちだけは強いです。
本当にここに来るとすんなりと言葉が心に入ってきます。
ありがとうございます
鹿児島は最近めっきり暖かくなってきました。
でも喜んでばかりはいられません・・・。
やっとお休みの日に晴れたので洗濯をと思ったら外はなんだか濁っている感じ・・・灰と花粉の天下でした!
ご両親のお墓は鹿児島にあるのですか?
私は祖父母と両親、兄、妹二人しての八人家族の大家族で、母が祖父母と余り考え方が合わず、父は大人しいので母のサポートもしなかったので、母は私に祖父母や父のことを愚痴り、祖母も私に母のことをこぼして平和が保たれてました。私の結婚が遅かったのも、妹二人が未婚者なのには、親をみて結婚に余り期待できない気持ちがあるように感じます。私は、結婚をしたいと親に告げる際、受け入れてもらえるように、よく伝えようと 頑張った記憶がありますね〜。何せ外国人の息子が出来るわけですから(笑)
でも、網走郡の田舎の割には、いろんな外国人を 家に呼んでいたので、免疫は出来ていたようです。
そして母の「結婚しないで生きていけるなら女は結婚しない方がいい」みたいな言葉を鵜呑つつ、母の「だから一人でも生きていけるスキルを身につけなさい」という部分は聞こえない振りして好き勝手に生きてきたので、あまリ立派な大人になってないですね(笑)
母を恨んだ日々もありましたが結局は自分の選んだ道だと気づくのに2年くらいかかった親不孝者です★
結婚とは難しいものですね。
あ、なんか悩み相談みたいになってしまった。
自分の選んだ旦那さんをご両親が褒めてくれるのはとても嬉しいことですよね♪
以前 パンダおばさんの家の会話は英語か日本語かとたずねて頂いた件ですが。。。。。
我家では、彼は私に日本語で、私は彼に出来るだけ英語で話します。
但し喧嘩になると、彼は英語、私は日本語です!!
そして彼は私の両親・家族とは日本語で話してます。気候や体調などの話くらいしか出来てませんが、彼が日本語を話すことは、私の両親にとって、とても彼を身近に感じられるようです。
なので、あまり思い出は多くありません。
親不幸なことに、私の理想とする母像というのは
一緒に住んでいた祖母にあって、
何故母は祖母の様ではないんだろうと
若いころは思っていました。
でも最近母も年をとって、
だんだんと祖母の様になってきました。
みんな、子どもに、ああなって欲しい、
こうなって欲しいと思う事が裏切られて、
もしくは成就して、最終的には
元気で幸せでいてくれればそれでいい
というところに落ち着くのでしょうね。
初めてコメントさせていただきます。
すごく心にジーンときました。
私は37歳で結婚もし子供もいて、自立していますが、両親は近所に住んでおり、何かといろいろとうるさく言ってくるので、私も今だに反抗しています・・。頭では、親は心配が先に立ってつい言わなくて良いことまで口にしてしまうのもわかるのですが・・・まだ元気もあるし、私ももう大人なのにまだ信用されていない気持ちがして、つい強く言ってしまいます。
でも、こんなこと親には絶対恥ずかしくて言えないけど、私もやっぱり親に喜ばれたくていろいろなことをがんばっているのです。親はそれを誉めてくれることもありますが、それ以上に一言も二言も多いんです!!
親とはうまくやっていきたいのですが、なかなか難しいです。
それでもきっと、両親に何かあったときにはおじいさんのように「Now, I can mess up my life.」もすご〜くよくわかります。でも、私のような反抗者は、やはり「もっと親孝行しておけば良かった。」と思うだろうし、天国から小言がきこえそうです^^
自分はもう人生かなり過ぎてしまっていますからいろいろと楽な方法や生き方を分かっているのでしょうね。
でも子供は子供なりに考えているし別人ですから好みも夢も違います。
私はじいさんさんの気持ちが同じかどうかは分からないけどちょっとわかる気がします。
私も16年前に父が亡くなった時、これで自由に生きられると思いました。
もう親の理想の子供を演じなくても良いと。
元々演じてはいなかったのですが大手を振って自分の好きなように出来ると思ったのです。
今度は自分の子供が大人になって来ました。
これから就職、結婚(出来れば)と大きな人生の岐路に立つのですが、娘は最初に言っていたことと変わり始めています。
段々私が言っていた道を選び始めているような気がします。
私は自分が親のいいなりになりませんでしたから子供に理想を押し付けるのは無駄だといつも思っています。
でもたまにはこういうのはどうか?などとつい言ってしまうので娘は感化されてしまったのでしょうか・・?
こんな親でも子供にとっては親なのだとしたらなんとも恐ろしいことだと強く感じます。
私は親らしいことなど何一つとしてしていないのですよ、娘に申し訳ない気持ちでいっぱいなんです。
あーこれ、よくわかります。
私は娘の立場ですが、親にいろいろうるさく言われながら、反発しながらも潜在意識の中でいろんな言葉が自分の中にしみ込んでいるんだなって思う事、30代になってよくあるんです。
母親には絶対に似たくないなと思いながら大人になったけど、やっぱりこの人に育てられたんだから似てるところ、考える事が一緒だったりします。母は自分の反面教師くらい思ってたんですけど、いい事も悪い事も今は感謝できます。
父親はずっと尊敬していたのでたくさんの教訓な言葉がいっつも頭によぎります。
そうそう、娘は結局親の事よく聞いてますよぉ〜。
親に認めてもらえる相手を選びたい、というか親を安心させてあげられるような人を選びたいとは思ってました。
結局そんなに上手くはいかないもんですけど・・・
書き出したら コメント蘭にはとても 収まりそうにありませんが でも (特に母が歳をとってからは)自分が一生懸命 面倒を見てきたつもりでいたけれど 亡くなったら 本当に親の存在の大きさを感じました。 心のよりどころ ですね。 私は 娘にとって どんな価値があるのか、と思うとまったく自信がなくなってしまいます。
私はチブリッツさんのこういう内容を読んで、親世代の気持ちを覗いた様な気がしてとても安心します。祖母が年をとり今とても難しい家族関係に悩みつつ、毎日母を支えるつもりで気張ってます。たまに折れそうになるので…読んでは納得し、また頑張るぞ!って気持ちになります
ですから、その指針がなくなったら・・・心の何かが
ポッキリ折れたのでしょうね。
ご主人様、その後落伍者にもならず頑張って来れたでしょ。
凄く素直な正直な方なんですね。
お父様が亡くなった時、そう思った・・・。
その時の素直な気持ちを仰っただけだったのね。
女は、父親がなくなってもそこまで思わないと思います。
男は、やはり一家を背負って行かなきゃならないからでしょうね。
反発して親が願うことと全く反対の事をするのも、
親の価値観と何となく似てくるのも
子どもの事で色々思い悩んでいるのですが、
親をこんなにも心配させているのに 本人は脳天気で過ごしている、って
いらついているのですが、
内心は親が こう思うかもああ思っているのかも と 結構親の考えを意識しているのかも、って
読みながら
そんなこと考えました。
父について、です
父方の祖母が亡くなった時、お葬式の帰り、
父が「これで、いつ死んでもいい」って
言いました。
母親を逆縁で悲しませ亡くてすむから、って言うことのようでした。
祖母が亡くなって3ヶ月後、父は心不全で亡くなってしまいました。まだ、50才でした。
私は結婚していましたが 妹はまだやっと就職したばかり、母は悲しみから立ち直るのに長い歳月を要しました。
お葬式の帰りに 父は死をいつでも受け入れるよ、って 神に公言してしまったのではないかと
思いました。あんな一言を発しなかったら 今も元気で長生きしているのではないかと 時おり思い出しては考えているのです。
今、母と一緒に暮らせることに感謝です。アメリカに来てくれた母の勇気、母を受け入れてくれた夫に感謝。
夫と母の間でのお互い片言の日本語と英語での会話は、なんだかとても空気を和ませてくれます。
(と言っても、それぞれ縁のあった方にはその時期その時期に、私自身はたくさん学ばせていただいたと思っておりますが。)
先月父が入院・手術をしましたが、親自身にも「子供の前でこうありたい姿」があるようで、私がお見舞いに行くことは、父をイライラさせるようでした。今は退院し元気になりましたが、術後は体が思うに任せず、その姿を子供に見られるのは耐えられなかったようです。なので、今年は近くにいるにもかかわらず、病院での父の世話は母に任せ、私は外来の待合で母と時々会う、、、ということをしていました。兄も父にメールはしましたが病室には来ず、それが父にはありがたかったみたいです。親のプライド(面目)も人それぞれだなぁと思います。母や友人達には、病院での姿をさらけ出していましたが・・・。
前からブログを読ませて頂いていましたが、はじめてコメントさせて頂きます。
興味深く読ませて頂きました。
私は独身の頃、親の存在をかなり疎ましく思っておりました。長い間独身だったせいもあり、結婚に関しては顔を見る度、小言をチクチク言われて反発していました。私は自分が納得出来る人(完璧で立派な人ではなくて)と結婚をしたいと思っていました。幸運なことにそういう人と知り合い結婚することが出来ました。もちろん私の両親も会ったその日から夫を気に入ってくれて、今は私達なりに幸せな日々を過ごしています。最近思うことは、親に気に入ってもらえる人というよりは、無意識のうちに親(父)に似ている人を探していたような気がします。どういう所というと分からないのですが、似ているなぁと思います。私の実家へは、私より夫の方が行きたがるので両親も喜んでくれています。二人で笑顔で実家へ帰ることが親孝行だと思っています。(ちなみに夫の親とは同居です)
親子関係(特に男性の場合)ってそうなのかもしれませんね。
夫も今は亡き父親に対してはいつだって認めて欲しくて努力したようですし、多分うちの息子もそうかも。I'm so proud of you!と言われる事がいつも嬉しいみたいです。
私は結婚が早かったのと、相手が外国人という事で(というか私が遠くに行ってしまう事で)両親に打ち明けた時にはかなり反対されましたが 夫の事を知るにつれて、そして孫ができて安心してくれるようになりました。
2人がもうすぐこちらに遊びに来るのだけど 私よりも夫の方が両親を喜ばせたいといろいろ計画してくれていて ありがたいです。
Chiblitsさんの“私にとって親は亡くなっても大きな存在です。”という言葉がずしんと心に響きます。
いっぱい親孝行できたらと思っています。
前の職場でも介護を巡って揉めたという利用者さんの家族がいます。
私自身中学で落ちこぼれたトラウマを引きずって大人になったので自分は愛されていないと感じたこともありました。
しかし、離婚してから親子関係がうまくいくようになりました。
親子関係を良くするのも悪くするのも自分自身じゃないかな。
親に反発して遠くの学校に行ったけど、
やはり好きになる男の子は
親も気に入るだろうな、という人を
知らず知らずのうちに選んでいました。
この人はだめだ・・・・という人は
付き合っていることすら言わなかったのです。
夫は一人っ子ですが、
両親が亡くなったらいわゆる「天涯孤独」になるわけです。(私や子ども達を除いてという意味で。)
あの人、どうするんだろう、と
少し心配しています。
「もうこれで落伍者になってもいい。」
と、やっぱり言い出すのでしょうか。
そして、今の自分が親を越えられるようになれるかと考えると
無理だろうな思えてしまうのです。
決して、諦めているのではありません。精神的にも体力的にも
そして人間の器の大きさ・・・親と同じ年齢を迎えた時、果たして自分はと考えると、沢山の改善点が見つかりました。
最近、体力ないな〜とか物忘れが気になるとか、気になることが日常増えてきていることに心が沈むことがありましたが、こんなことに時間を無駄にしている場合ではないと、沢山の改善点を前にしてchibilitsさんのブログがきっかけになり、思いを改めるきっかけとなりました。ありがとうございました。
と言うか、こういったブログにコメント自体初めてのスーパー初心者です。
でも、毎日拝見させて頂き、今回は皆さんのコメントを拝読し、感じた事を書かせて頂きます。
わたしは28で父を亡くしました。一人っ子です。今は、母一人子一人猫二匹です。今年、40になりますが、独身です。
最近、つくづく思うのは、今、父が生きていたら、今だから話せることが山のようにあるって事です。
若い頃は、父の事は大嫌いでした。うるさい事ばかり言われていました。何度も殴られていました。
でも、考えれば、それは全て理不尽ではありませんでした。自分が約束を守らなかった、人間として基本的な事をやらなかった事実を、父は怒ったのです。
社会人になり、まもなく20年。怒濤の人生で、これからも怒濤の見込みです^ロ^;
何かあると考えるのは、父ならどうするか、どう言うかと言う事で。
好き勝手に生きた父だからこそ、私の人生に於いては、わたしも好き勝手にやらせてもらいました。決して、わたしを縛ることはしませんでした。中学から大学、そして就職、転職時もずっと。
それは、心から感謝しています。いまさら、なんですが。
最後は、何も話せず話さず、逝きました。わたしが少し病室から出て、買い物に出た、ほんの数分の間でした。戻った時には、先生が、父にのって心臓マッサージをしていました。
あっけなかったです。
でも、父らしい最後でした。
「お先に!」って感じで。。
なんか支離滅裂な文章で申し訳ありません。
結局は、やはり子は親を見て生きていくと思います。
良い意味でも、悪い意味でも、親子は親子だと思います。
私は親の望みとは違う方とご縁してきたような!(爆)
なので・・・一時期・・・20代の頃は見合いの話などを持ってきては・・・受け付けない私と
対立は深まり・・・さらに親との関係は悪化・・・
なんて時期もありましたね!(汗)
心配してくれているっていうのは・・・
わかるのですが・・・・
私も自分の道を行くような性格で!(爆)
chiblitsさんと娘さん・・・とても素敵な
関係ですよね!
小豆茶は焙煎しているのでは無いようです!
以前に黒豆茶って頂いた事がありますが・・・
こちらは焙煎してお茶として売られてまして
黒豆茶もおいしいし・・・体にも良いですからね!
私はオーガニックのペットボトル入りの
小豆茶を頂いてますが・・・自分で
作ると・・・小豆を煮れば良いのでしょうが・・・
灰汁は出ますしね・・・
詳しく調べてみたいと思います!
良い結果が判明したら・・・お知らせしますね!
お茶にしろ、茹でていただくにせよ
小豆はお勧めですよ!私もたくさん頂きたい
食材です!
今私は親であり娘でもあります。
子供が大きくなるにつれて親の気持ちも判るようになりました。
子供の頃母に「女の子なんだから○○してはいけません!!」と言われたこと、とっても嫌でした。男女差別だ!!なんて子供心に思ってました(笑)
でも、今全く同じ事を娘に言ってしまってます。
娘には「実は私も母親に言われていてとても嫌だった言葉なんだけどね」と一言添えて言ってます。
私の娘も私の気持ちがわかるときが来るといいな、と思ってます♪
死というものは生の一つの形、死んでしまっても色々な形でこの世に存在を示している、という事を発酵食品と絡めながら物語が進められていました。
私は幼い頃から何故か親の死に対し、異常に恐怖を持っていました。親があの世に行ってしまった時の事を考えると自分がその時どうなるかがとても怖いのです。
ですが、この小説から、「死んでしまっても私の中のあらゆる所で存在しているのだ。」と、ほんのちょっぴり気が楽になったのです。私の人生の全てに親の存在が深く絡み合っている。
Chiblitsさんの今回の記事を読んでも又同じ事を感じたんです。親の存在って本当に大きいですね。いつまでも、いくつになっても生き続けるものなのですね。(まだ亡くなった訳ではないのにそんな事ばかり考えてしまう私なのでした。)
mgさんがそういう気持になっていることからでも親の言葉がいかに子どもに影響を与えるかが分かりますね。 他人ならどうでもいいけど親だから許せないという気持になるのは矢張り親は子供にとっては大きな存在だからでしょう。 すこしずつ軟化しているということはいつか完全にほぐれる時が来るのではないでしょうか。
父はカリフォルニアが大好きだったのでお墓は我が家から近い所にしてという遺言でここから車で5分のところに納骨されました。 自転車でもいける距離です。凄い坂ですが。
Kimiさんは鹿児島のどちら方面でしたっけ?
私は吉野方面ですが、あちらにも灰が来ているのかしら。 鹿児島は空気も綺麗で良いところなのに、灰だけが頭痛の種ですね〜。
パンダおばさんは大切な存在だったのですね。
お二人から信頼されていたのでしょうね。
ご両親に外国人の免疫ができていたことは良かったですよ!! これはかなり違うと思います。私の両親も色んな外国人のお世話をしていました。 オランダ人、オーストラリア人、中国人、アメリカ人、イタリア人。 主に私たち娘二人が結婚した後でしたけど。きっと娘が近くにいないので寂しかったのでしょう。
皆さんご両親には色々な思いがあるのですね。
そうですよね、結婚がうまくいかないと親を恨み、お仲人を恨む人がいますけど、私も間違いと思います。 明治時代ではないのですから20歳を過ぎて大人になって嫌なら断れる時代ですから、勧めた人を恨むのはおかしいですよね。私の知り合いでいつまでもお仲人に騙されたと嘆いていた人がいましたが不幸な人だと思いました。
親は絶対に子供の相手方の悪口は言うべきじゃないですよね。 私も結婚前は色々言いましたが結婚したら絶対に婿の見方をしています。
わ〜〜ご主人様は日本語で話されるのですか。いいですね〜。 お仕事でも日本語ですか?
父もじいさんと色々話がしたかったのですが、言葉が通じないでしょう。 私も面倒くさがらずにちゃんと通訳をしてあげればよかったのですが。 父は片言の英語で話していました。でももっと自由に話したかったようです。 それだけが悪い事をしたなぁと思っています。 それも と言ったほうがいいでした!。 私もin-lawができて今父の気持が分かります。 じいさんが日本語が喋れたらどんなに両親は嬉しかったでしょう。
8つって早かったですね!
私は逆です。 私の祖母は男のように気が強くて全く優しい女性ではありませんで、皆から敬遠されていました。 母や伯母達も随分苦労をしたようです。 でもそういう話はあまり聞かされず、私達孫は怖いという気持はなかったですね。 なので祖母のようにはなりたくなかったです。
「最終的には元気で幸せでいてくれればそれでいい」ってこれは皆思うことですね。 私も子供たちが結婚して最近はもうそれだけです。 元気でいて欲しい。
初めまして。いつもご訪問有難うございます。
ご両親からそんなに近くなのですか! お幸せですね! 私も子供ができてから両親が近くに住んでくれたらどんなに助かるかしらと思いました。 仕事もしていたし。でも近くにいると喧嘩もしますよね。 私と娘は1週間に一度くらい会っていると喧嘩をしませんが、あまり頻繁にあうと両方とも気が強いで喧嘩が始まります。 娘には私の言う事が煩くきこえるみたい。 確かに。
でも何でも好き勝手に言いあえる仲って凄く良い事だと思いますよ。 思ったこともいえないで遠慮をしているとますますストレスが募るばかりだし。 言い合ってあとはさっぱりが好きです。
私は自分の夢を託したいとは思いませんでしたけど、適当に豊かで、家族が仲良くて、元気でいてくれたらそれ以上に望む事はありませんでした。 最近は「元気でいてくれたら」だけになりましたけど。
じいさんと同じ気持の人も多いのですね。私はこの話を娘とした時「お母さんも 理想の子供になりたかったの?」と聞かれました。私は親の為にって考えたことがなかったです。全部、自分の為に頑張ってきたような。 でも結果がよく出た時は親に一番に報告しましたね。 例えば孫達の事も、何か良いことがあったら親に一番に報告していました。 一緒に喜んで欲しいと思いました。
ゆきこさんの何気に言っていることが娘さんを感化してきたのでしょうね。 私はそれは凄く大切な事と思います。おしつけるのではなくて親子の会話の中から子供は学んでいるのだと思います。 それも何も言わなくても子供は親を手本にしているのかもしれませんね。
そうですよね〜親に影響されない子供っていないでしょうね。
父は母親が産後病気で3年間里子に出されました。 帰って来たら母親の愛情は薄くなっていました。 寂しい幼年、青年時代を送ったのですが、反対に自分は大人になったら家族を大切に温かい家庭を築きたいという気持が人一番強かったと言います。 悪いことも良い事も子供に大きく影響を与えるものなんですね。
お父様を尊敬していらしたことは良かったですね。 親を尊敬できるって凄いことと思います。 私もそうなりたいけど、だいぶ人徳が足りません。 娘はちょっと尊敬してくれているみたいだけど、息子の方はどうかな。 いつもからかわれてます。
本当に皆さんご両親に思う気持それぞれだけど思いが大きいのは共通していますね。
mosshavenさんは
又パソコンが凍結寸前になってきました。 一度采kどうして
すみません、書き直しです。
本当に親って子供と一緒に喜んでくれる数少ない人ですよね。 親はそれだけでも大きな役割を果たしてくれているのではないでしょうか。 本心から喜んでくれる人。 私も良い事があったら電話で子供たちの事を聞くのが何よりも楽しみですけど...なかなかね〜〜〜良い話だけでもないですよね〜。 まぁ悪い事があったら一緒に心配してあげるのも大きな役割ですよね〜。
初めまして。 いつもご訪問有難うございます。
皆さん、同じような気持でいらっしゃるんですね〜。
ちいさんはきっと従順な娘さんだったのでしょうね。 でも外国まで飛び出したちいさんは矢張り芯の強い方ですよ。 ご両親はそれはそれで安心していらっしゃると思いますよ。 子供は近くにいるから親孝行とも限らないし、近くにいるから心配しないというわけでもないですから。 遠くにいてもちゃんと自分の生活を持ってくれていることは何よりも親孝行と思います。 本当に!!親子でも違うし、姉妹でも全然違いますから、同じようには行きませんよね。 私も姉も同じ親から育てられたのに全然違います。
最近は核家族になって昔のような家族の問題がなくなった代わりに、核家族になったためにまた別の問題が生まれましたよね。 私はお祖母様の問題をお母様と一緒にしていらっしゃるふみちさんはある意味で大変でしょうけど、ある意味は凄く良い体験をしていらっしゃるような気がするのですが。 家族の悲しみや喜びを一緒に体験できるのは情を深くして心の広い人になれるような気がするのです。 私は両親の介護を通してヘルパーさんや色々な方と出会って凄く良い体験ができました。 その時は大変ですけど、とても勉強になりました。
じいさんは親にも反抗せず、喧嘩もせず(私と全然違う)良い子だったのでそいういう風に思ったのかもです。 ず〜っと良い子でいたいと思ったのかも。
でも仕事を解雇されてからちょっと落伍者になりかけましたよ。 私がカツを入れて立ち直らせましたけど。
本当に男の責任って私が想像している以上でしょうね。今でも。 私は何でもじいさん任せて能天気ですけど、じいさんは生活の心配しているのでしょう。 色々と。
親が自分の伴侶を褒めてくれるのはうれしいし、伴侶も親のことをよく思ってくれているのはうれしいですよね。 その代わりその反対だった場合は気持が安泰になれませんよね。
子供はいつも親に褒めてもらいたいという気持があるものなんですね。 幾つになっても。 親になった私は文句ばかり言わないで褒めなくちゃですね〜。
本当にね〜親の事を意識しているんですね〜。
私も親が生きている時は毎日Skypeで話をしていました。 亡くなってからアメリカに帰ってきて、もうSkypeで話せないのかと思ったら凄く寂しかったです。
お父様は何となく自分の死を感じていらしたのでしょうか。 私も同じように思いました。両親が亡くなってこれで私も死んでいいんだと思いました。 でもその後色々子供たちの心配事が絶えないので未だ死ぬわけには行かなくなりましたけど。 でも最近は私がいなくなってもどうにかやっていってくれるだろうと思うことにしています。 じいさんが長く残るとね〜娘夫婦に一番負担がかかりそうだから、矢張りじいさんより先には逝けない気持にもなるし。最近は人間って適当な時に死ぬのが一番いい事なのだと思うようにしています。 それでも50歳って若すぎますね。 でも子供ってちゃんと生きていくものなんですね。
20才の時だったらお父様は若くして亡くなられたのですね。
お母様はお幸せですね。 自分の娘と生活ができるなんて!!日本でも滅多にない事です。 ご主人様も受け入れてくださって本当に良かったですね。 私も父が亡くなって母が一人になったら母をアメリカに連れてくるつもりでした。 子供たちもじいさんもOKしてくれました。 でも父が亡くなってから母はもう生きたくないと決意したようでした。 6ヵ月後に亡くなりました。 こちらに連れてくるチャンスもないまま。
えり〜さん、本当に良い事をなさいましたね。
私、鹿児島のホテルでSanaeさんとご両親4人(でしたよね?)と一緒に旅行していらっしゃるSanaeさんご夫婦をみて「いいなぁ〜〜〜」「珍しいなぁ〜」って思いましたよ。普通両方のご両親と一緒に旅行なんてありえないですよ!!! Sanaeさんお二人が仲良い証拠と思いました。 本当に優しいご主人ですね。
父親ってプライドが高いのだと思います。 父も絶対にお手洗いは家族の手伝いを嫌がって亡くなる12時間前も家族の手を振り切って自分でするといって一人で用を足していました。 Sanaeさんのお父様と似ていますね。
亡くなる半年前に私の息子が会いに行くつもりで飛行機の切符まで取って日本に来る寸前だったのにこんな姿を見せたら孫が可哀想といって飛行機の切符をキャンセルさせたのです。 結局息子は6ヶ月後父の亡骸に会っただけで「どうしてあの時来させてくれなかったのか」って大泣きしました。 父は弱くなった自分を見せたくない、悲しませたくないという気持だったようです。
初めまして。 いつもご訪問有難うございます。
若い頃って誰でもそうですよね。 私も自分だけ勝手に好きな事をしてアメリカに来てしまって当時は両親の悲しみとか全然考えたこともありませんでした。 両親も未だ40代後半で若かったし。確かに無意識で父のような人っていうのは分かるような気がします。 私の場合もじいさんは父とは性格が全然違うのですが、共通点があります。 誠実で家族を大事にする...父も全く浮かれた話もなくそんなところはじいさんに似ているので矢張り私も無意識にそういう人を選んでいたのかなぁと思います。 夫と自分の親が仲良いって本当に嬉しいことですよね。 私は一つだけ父にすまなかったと思うのは父はもっともっとじいさんと話したかったのに言葉が通じないのがとても残念のようでした。
わ〜〜〜同居ですか! 偉い〜〜〜今時珍しいですね。
子供は親が喜んでくれるのが一番嬉しいですよね。 私は40から自分の歯科技工ラボをしていましたがケースが上手くいって先生や患者さんから褒められると直ぐ両親に報告していました。 40を過ぎてもですよ。 今考えるとおかしいですけど、子供は50になっても60になっても子供なんですよね〜。
I'm so proud of you!っていい言葉ですね〜〜〜。 私も何度でも言ってあげたいです。 最近言ってないなぁ〜。
Ziggyさんのご両親も反対されたのですか。 私も反対されました。 でも両親は自分たちが恋愛結婚だったのでどうにも仕方がないと姉よりは早く諦めてくれましたが。 母は結婚が決まった時に私の隣で泣いていました。 そんな母の気持も考えず私は凄くハッピーだったのですが、今泣いている母を思い出すと涙がとまりません。 私が両親の看病でできるだけの事をしたいと思ったのはそういう罪悪感からだったと思います。 罪滅ぼしとういうか。 私は一週間に一度娘に会えるので幸せです。
無縁社会ってどうしたらそんな無縁になってしまうのでしょうね。 親はきっと子供の事を思って大事に育てたでしょうにね。
理解できないですね〜。
「親子関係を良くするのも悪くするのも自分自身」その通りだと思います。 親の言葉が冷たく突き刺さることがあったらぶっちゃげたらいいのですよ。 泣いて、そんな事を言われると悲しいって。 正直な気持を表したら親だって子供の気持が通じるはずですよね。
たまたまChiblitsさんのご本を愛読するようになって、それからずっとこちらを拝見していました。ご挨拶するのは初めてですが…
ちいさんへのお返事を読んで、『遠くにいてもちゃんと自分の生活を持ってくれていることは何よりも親孝行と思います』という部分で泣きそうになりました。
みなさんのように外国ではないですが、私も実家のある九州から離れた関東に出て来て五年になります。三人きょうだいで歳の離れた上の二人はそれぞれ大学を出、地元では一流の企業に就職、姉は結婚し子供もいます。
母親が子供に求めてきた そのいずれも出来ていない私はそれをコンプレックスに思っていて、親不孝のダメ人間なんだろうな、なんて思ってきましたが、Chiblitsさんの言葉(みなさんのコメントからも)を読んで、私は私なりに頑張って生きてるんだからそれでいいんだ、と励みになりました。
ありがとうございます。
私ももし将来子供を持つことが出来たら、自分の子供には、“人格を否定された”と感じさせてしまうような言葉だけは決してかけたくないな、と思います。
長々とごめんなさい、お返事は結構です。また次回、コメントさせて頂く際にお話させて下さいね。
tenchanさんのご主人様は落伍者になってもいいなんて思うタイプではないでしょう。 ベトナムにいらっしゃる前にご主人様が言われた言葉、未だ覚えていますよ。
私ね、正直、じいさんがあんなに言った時は「そんなにハードルが低かったのか」って思う気持もありましたよ。
でも女は楽でいいですけど、矢張り男の一家の柱になる責任は結構ストレスになるんでしょうね〜。 私も感謝しないと。
私も親を超えられないでいる一人です。 第一、両親は孫達にとっていなくてはならない存在になったけど、私には未だそんなチャンスがありません。 娘は子供ができないかもしれないし。 息子の孫は遠いし。 でも思うんですよ。 太平洋を越える距離だったのに両親は孫たちのハートをしっかりとつかんだ。 2時間の距離が何だと。 私も頑張るぞ〜!
スノフキンさんも改善点を見つけられて良かったですね!
私も皆さんのコメントやもっと頑張っている方達のブログを読むと私も頑張らなくちゃと思います。
私も最近体力がなくなって凹んでいます。 1月から歩き始めたら膝が痛くなって!! 太陽を一杯浴びながら歩くのは凄いセロピーだったのに。
マイブログでこの記事をリンクさせていただきました。事後報告になってしまいましたがお許しください。何か問題ありましたら削除いたします。
初めまして。 分かります分かります。私も最初のコメントを入れた時はどきどきでした。 私のお菓子を作ってくださった方のブログだったのですが、私のコメントその後消されちゃってショックでした!!
皆さんのコメントを読むと早くにご両親を失くした方が多いですね。
両親のありがたみは若い時にはわかりませんよね。 皆同じじゃないでしょうか。 私もそうでした。 「父ならどうするか、どう言うか」って私も考える事があります。 縛らない親って子供から見たら本当にあり難いです。 自分が親になって矢張り子供を縛るってできませんね。
私は父に話しておけば良かったと思う事が沢山あります。 あの時こういえば良かったとか後悔しています。 そんなことを思い始めるときりがなくて悲しくなります。今は感謝の気持があるときは素直にいうようにしていますけど、何だかね〜英語の方が言いやすいところもありますね〜。
私もそういえば色々悩んだ事を今思い出しました。みえさんのコメントで!そういえば私もお見合いをしたことがありました!! それはじいさんに再会する前で私もできるなら両親を安心させる為に鹿児島の人と結婚してもいいなぁと思ったのです。 だから絶対にじいさんじゃなくちゃという気持はそれ程なかったのですよね。 ごめん、じいさん。 お見合いでも自分の好むタイプならそれは良い巡りあいじゃないかって思ったのです。
結局断られましたけど。 はははは
小豆茶は美味しそうですね。 煮てつくるのですか!!焼くものとばかり思っていました!
私mikacrystalさんの猛獣息子さんに似ていました。 私の反抗期は17歳まででした。 良い時は凄く機嫌がよいのですが悪い時は非常に悪くて母を泣かせたことが何度もあります。 今思い出すと何が原因だったのかも分からないくらいな些細な事だったと思います。 でも17歳から自分が悪かったぶんだけ罪滅ぼしをしなくちゃと思い優しくなりました。 私は子供って悪い分だけ後でよくなるような気がするんですよ。自分がそうでしたから。 リンク有難うございました。 勿論OKです。mikacrystalさんも後悔していらっしゃることがあるように、息子さんも同じくらい後悔していらっしゃるでしょう。 大人になったら全部忘れちゃいますけど。
発酵食品と絡めるって面白い発想ですね。
キリスト教では(私はよく知りませんが聞くところによると)死んだ後の魂を信じませんよね。 日本人のように先祖供養もしないし、自分の灰は海にまいてとか川に流してとか「死」に対して仏教と違うんだなぁといつも思います。 先日じいさんとそんな話をしていたら「自分は死んだ家族は魂として生きている」と思うっていうんです。 アメリカ人らしくない考え方だなぁと思いました。 私も同じように感じます。 実際に話はできないけど、近くにいて見守ってくれていると信じているんです。だから私はお墓には一人で行くのが好きです。 声を出して話しかけられるから。 じいさんと一緒じゃね〜気軽に話せないんですよね。
初めまして。 いつもご訪問有難うございました。 本屋さんで見つけてくださったのですか。嬉しいです。
佳子さんは末っ子さんなんですね。 私も末っ子です。 末っ子って強いですよね。 と私は思っているのですがどうも娘は例外みたいですけど。
私は佳子さんはきっと芯の強い方ではないかと思います。 家から離れて関東で一人で5年も頑張っていらっしゃるのはしっかりしているからでしょう。 きっとお母様は心配ながらもそんな弱音をはかない佳子さんを頼もしく思っていらっしゃると思いますよ。 私も娘にもっと強くなって欲しいと思うのです。 少々遠くに行ってもいいから一人でちゃんとやっていけるような強い女性になって欲しいと思うけど、自分の子供でも性格色々ですね。 本当に親は(私も含めて)子供に言う言葉はちゃんと選択しないといけませんよね。 私もじいさんよりも子供に話す時の言葉の方が気を使います〜〜。
夕べmikacrystalさんにコメント返信をしてから思いついたことです。
私が変わったきっかけを考えていました。家を離れたからです。 そういえば、息子も娘も家を出てから凄く変わったように思います。 きっと息子さんも家を離れて初めて親のありがたみが分かり、家を恋しく思うでしょう。
両親との付き合い方、20になってしばらくするまでは判りませんでした。多分、親を人って言うよりも親だと思っていたんですよ。自分で生活したり結婚・出産をする毎に色々見えてきたり距離感が分かった気がします。
家族って子どもの頃は大した事には思えなかった。けれど今はどれほど家族のつながりが私を強くすることか!
本当に親の存在の大きさって離れてみないと分からないものですよね。 自分に影響をあたえていたのかどうかも大人になってから気がつきます。本当に若いときは自分が中心で親の事は考えていませんでした。 責任とか。 だから平気でアメリカにも来れたのでしょうね。 私も子供を持ってからでしょうか。 アメリカに来てしまったことを申し訳ないと思ったのは。 本当に家族は喜びも悲しみも共にしてくれるあり難い存在ですよね。