今日もフリムン徳さんからアメリカ便りです。
フリムン徳さんのお話を読むと少々な事でへこたれるなと勇気付けられます。 皆さんもフリムン徳さんのエッセイを読んで今日も元気をもらいましょう。


「フリムン柿8年」   

 桃栗3年、柿8年、フリムン徳さんの家の完成8年。
家の工事着工の時に柿の木を植えておけば、完成の時には初柿が食べられたのにと悔やんで仕方がない。世の中そううまいようには行かない。
 人の家ばかりを建ててる大工が一生に一度は自分の手で自分の家を建ててみたい。フリムン徳さんは大阪で商売人をしていた。金儲けに飽きて、南米のパラグアイのジャングルで自給自足の生活を夢見て移民したが、失敗した。アメリカのロスへ来たが、英語がわからん、何でも屋をしながら、見よう見真似で覚えた自分の大工の技術の集大成として、自分の家を自分の好みに合わせて建ててみたかった。
 
 これが26年間アメリカで大工をしたワイの夢やったんや。一方、大工が他人の家を建てるのは当たり前で生き甲斐やけど、大工が自分の家を自分で建てるのは、なんやもの足りんような気持ちもするんや。建ててもお金がもらえんからのー。レストランのクックさんは自分の家ではクックしない人が多いと聞く。ほんま、それと似たようなもんや。

 8年もかかったんはこんな訳がおまんねん、まあ、聞いとくんなはれ。
ここモントレー・ブラッドレーの山の中(ロスとサンフランシスコのほぼ中間)に〈28エーカー〉3万4千坪の土地を7万5千ドルで15年払いの月賦で買ったんが19年前やった。井戸屋さんに井戸を掘ってもらい、見晴らしのええ山の中腹をブルドーザーで削り、整地してもらったんが8年前。それから仕事の合間にこつこつと家造りを始めましたんや。

 電柱を買ってきて自分で穴を掘って電柱を立て、電気のメーターボックスの配線も自分でやりましたんや。フリムン徳さんの人生で、(皆さんの周りで電柱を買った人がいてまっしゃろうか、あんな高い木、電柱を買うことは人生計画に入っていなかった)コンクリートの基礎工事、家の骨組み、電気配線、水道、下水配管工事、内装、外壁のモルタル工事、ペイント、床張り、なんでも自分でやりましたんや。家の建築中は住む家がないさかいに、千ドルで買ったおんぼろのトレーラー(キャンピングカー)で生活しながら8年間頑張りましたんや。このトレーラーには助けられた。何しろ、毎月の家賃がいらんからのー。これは大きかった。

 無理して働いたらアカン。建築開始4年を過ぎたころ足が象の足のように腫れて歩けなくなってしもうた。何日たってもよくならない、ついに決心して医者へ行った。その場で、「働いたら、アカン」とドクターストップがかかった。血圧222、心臓肥大、関節炎、痛風で即強制入院させられた。さっぱりわやや。身体障害者になってもうたんや。今までの収入の1/5か1/4の身体障害者年金をもらうベッドの上での生活が始まった。身体障害者で、有り金ゼロ、家の建築はストップや。ワイの夢の家も未完成のままで、俺の人生も終わりか。人生諦めの心境やった。難儀やのう。

 落ち込んで悶々としていると、「ここらで体を休め、もうこれ以上のどん底はない、これからは這い上がるばかりだ」と、ウヤフジ(ご先祖)が教えているのやと思えてきた。こんな一大事の時には何時も故郷、喜界島のウヤフジがワイを助けてくれるんや。「大工仕事ができ–くてもベッドの上でできることがある」と、一生に一度あるかない“ かの「フリムン徳さんの波瀾万丈記」を書かせたのもウヤフジや。家よりも本が先に完成してもうた。

 「フリムン徳さんの波瀾万丈記」を書いているうちに、発見したことがあった。それは数え切れないほどの職業を変えたのに、ワイは1度も諦めたことがないということや。職業“変える度に、もりもりとファイトが沸いてきた。ワイは諦めるという言葉を知らなかったのや。そうや、ワイの本の副題どおり人生「諦めたらアカンネン」や。よっしゃ、この夢の家も何年かかっ–もええ、どないにか”て完成させたると決心したんや。これはベッドの上で本を書き上げた大きな副産物やった。

 金のない身体障害者は家を建てるのにも人を雇う金がない。二人でやる仕事も一人でやらなければならない。一人でやるにも以前の大工の腕力や足腰の力を失っている。頭を使って、力を使わないようにしなければならない。人を使わず、金を使わず、力を使わず、楽にひとりでできるように深く深く考えた。頭は使ったらいくらでもええ知恵が湧くこともわかった。たとえば、地中を通す電気ワイヤの溝を掘るのでも、地面が硬くてツルハシやスコップが使えなかったので、ホースの水の水圧を利用して掘った。水は自分の井戸から出る水でいくら使ってもただやから助かった。

 一番の自慢は、日本の藁床(わらどこ)の畳よりも重たい、そしてサイズも畳より一回りも大きい防火性の天井板ドライウォール(およそ50枚)を一人でらくらくと高い天井に張り付けたことや。この重たくて大きな天井板を天井に張るには身体の大きい頑強なアメリカ人も一人ではできない。どうしても二人いる。アメリカ人の友人のバブと二人で知恵を出し合って、この天井板を張り付ける機械を作ったんや。蜘蛛みたいに天井にぴったりとくっ付いて作業できるから、名づけて「スパイダーマン」。「この天井板(ドライウォール)を私一人で張ったんや」と言うと誰もが疑いの目で見る。目の前で実–際に「スパイダーマン」を使って張って見せると、目を丸くして「特許をとって儲けたらいい」と言う。身体障害者に‘って頭を使うこと、文章の勉強をして、深く考えることを学んだ。深く考えることで、体を使わない、力を使わない、金を使わない、すばらしい知恵が湧く。

 とうとうフリムン徳さんは皆さんの善意のお陰とウヤフジのお陰で諦めずに8年かけて夢の家を完成しました。8年間でつぎ込んだ材料費が約3万ドル(330万円)、火災保険屋さんに家の値打ちを聞いたら、約29万ドル。無駄使いの多いワイには3万ドルという貯金は何年経ってもできなかったと思う。でも8年間で少しずつ材料を買った金は合計すると3万ドル貯まったことになる。貯金というのは難しいけど、物を買って残すというのはできまんねんなあ。貯金は貯まってもおろして使うからなかなか貯まらん、ところが買ったモンは残る。その買い物 何にするかが人生’変えることにもなりそうでんなあ。これが大事でんなあ。
3万ドルの柿の木を植えて8年後に29万ドルの柿がなりました。少しずつを馬鹿にしてはあきまへんなあ。諦めてもあきまへんなあ。
少しずつ少しずつは8年間で大きな家になりました。
リル、バイ、リル、メイクス、ビッグ(Little by Little makes BIGS)。 
いつの日にかワイは柿ノ木を庭に植えようと思うてます。‚皆さん、ほんまに、アイガトウサマ。  

by フリムン徳さん
プリムン徳さんはエッセイ本「フリムン徳さんの波瀾万丈記」を出版されています。

2011_10_07_tokusan


なかなかめまいが治らないので気分が落ち込んできたところに今日のフリムン徳さんのエッセイとメール。 「自分の経験からも早く病院に行った方が良い」とアドバイスを頂いて今日はドクターにアポのリクエストを送ることにしました。 フリムン徳さんのエッセイを読むと勇気をもらいますね。  
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