狙い続けて8年!!
61歳の時から、毎年、エッセイを投稿し続けて、7年連続不合格!!
今年68歳で8度目の挑戦。
遂にやりました。入賞しました。
これを7転び8起きというのでしょうか。
7転び8起きという言葉は68歳を過ぎた老人にでもまだ通用するようです。

「やりたいネン、諦めたらアカン」。
私が出版した本「フリムン徳さんの波瀾万丈記」の副タイトル名です。
今まで、シアトルの北米報知新聞、サンフランシスコのに日米タイムス、北米毎日新聞、と何回か新年文芸コンテストのエッセイに部門で入賞してきました。
ロスアンジェルスの羅府新報だけは7年間xxxx続きでした。

 「羅府新報はお硬い新聞社や、フリムン徳さんのエッセイなんか相手にしない」と思いつつも、負けてたまるか、やりたいネン、諦めたらアカン」と、羅府新報を狙い続けました。
今年、8年目にして、xが○になりました。
感慨無量です。酔っ払いの元大工が、のこぎりをペンに替え、家造りの大工が、物書きの端くれになって、文章の書き方を始めたのが9年前でした。
何事も狙い続けたら、何とかなるようです。

「やりたいネン、諦めたらアカン」です。
今年は佳作入賞ですが、私にはオリンピックの金賞、銀賞よりも値打ちのある銅賞のようです。オリンピックに参加できるだけでも大変なのに、銅賞までももらったのです。元大工の文章が、発行部数4万5千の羅府新報に認められたのが嬉しいです。 扇千景のカメラのコマーシャル ”私にも写せます” じゃなく、”大工にも文章が書けます” と声高らかに叫びたいです。山彦が返ってくるまで叫び続けたいです。来年は銀賞(2位)、再来年は金賞(1位)を狙い続けます。年がなんじゃい、68歳がなんじゃい。

 「こんな文章を書いたら、ええ格好していると人に思われるから、反対です」と嫁はんが言うのはわかっています。でもこのフリムン徳さんは、こんな時は人に知らせたくて、、居ても立っても、おれなくなるのです。こういう人を「ええ格好しいの人間」というのかも知れへん。いや、根が正直な人間かも知れまへん。皆さん、苦笑いをしながら、お許しくだされ!!

ここに、今年(2012)羅府新報に入賞したエッセイ「日本語を愛す」を送ります。

   「日本語を愛す」

 「日本語で話しているだけでもうれしいです」、ある女性が電話の中でこう言った。
日本から1年程前にアメリカに来て、アメリカ人と結婚し、私の隣町に住んでいる年齢40代の日本女性である。完璧な英語を話す。愛嬌の良い、気さくな彼女は、自分から話しかけて、誰とでも打ち解けやすい。彼女の口からこんな言葉が出るとは想像もしていなかった。日本語が恋しくなったのか、少しホームシックになったのかもしれない。

「日本語で話しているだけでもうれしいです」私にはピッタリの言葉だと思った。私はいつも心の中で、これに似たような言葉を捜しているようであったが、この言葉のように、ぴったりの言葉は考え付かなかった。この言葉はアメリカ人ばかりの山の中の村に15年以上も住んでいる私の口から出る言葉のようである。
 私は彼女と電話で話していて、日頃、なんとなく使っている日本語の大事さ、ありがたさに感謝しようと思い直した。日本語は日本人の心の中に住んでいる小さい頃からの親しい友達であり、家族であり、故郷のようである。 私は彼女の気持ちが手にとってわかるような気がする。日本人が少ないこの町ではウォールマートかアルバートソンで、1年に2、3回日本人を見かけるぐらいである。日本人らしき顔の人を見かけると、その人から目が離れない。いや、心も離れない。少し、そわそわ、わくわくする。日本語で話したい。でも、不思議と、日本人は目と目が合いそうになると、目をそらす人が多い。「日本人ですか、日本語を話せますか」と言う勇気が出ないのだろうか、それとも日本人同士の関わりが嫌なのだろうか、私にはわからない。

 私と嫁はんは、日本人の顔を見たい時は日本食レストランへ行く。この町に4軒の日本食レストランがあるが、日本人経営の日本食レストランは1軒だけである。日本人のすし職人とウェイトレスを見に行くのである。日本食レストランへ日本食を食べに行くのはその次である。本心は日本語が話したいからである。レストランに入った途端に、 日本人の彼らに「日本語」で話したくてウズウズする。家では二人で毎日飽きるほど日本語で話しているのに。日本語は他人と話してはじめて値打ちがあるようである。

 いつ行っても白人の客で繁盛している。寿司カウンターの席が空いている時は少ない。でもカウンターに座って、すし職人と、「日本語」で話がしたい。「待つ、待つ、カウンターの席が空くまで待ちまんがな」、と少し興奮した声で、目を寿司職人に釘付けにしながら、ウェイトレスに言う。寿司職人は「忙しい」に「猛烈」をつけて、忙しい。  「息をする間はあるかいあな」と思うほど、手、目、耳、顔と身体中を忙しく動かしながら寿司を握っている。このタコを3個握って、次に中トロを2個握って、その次はこの伝票、その後はあの伝票とまな板の横には注文伝票がずらりと並べてある。頭の中にも伝票がずらりと並んでいるにちがいない。合間に、「アナゴ2丁、ハマチ2丁」と、声での注文も入る。

 そんな忙しい彼らの隙を見つけて話しかけるのは致難の技である。柔道は相手の隙を見て技をかける。私は寿司職人の隙を見て日本語で話しかけるのである。
 私は何回か通うちに、隙の見つけ方を発見した。
日本語で話することに飢えている私にはただの発見ではない大発見である。その隙はどこに現れるか? 彼らの口元である。口元が緩む時である。その時に、英語やない、「日本語」で話しかけるのである。忙しいのにすまないという気持ちも込めて話しかける。一瞬の出来事である。それがたったの二言三言だけで、続けて話ができない。途切れる。ひっきりなしに注文の伝票が回ってくるのである。忙しい寿司職人に話しかけるのは勝つか負けるかの真剣勝負のようである。

 こんなに有難い日本語の中で、私が好きなのは大阪弁と故郷喜界島の方言である。「見るだけタダ、触ってもタダ、買ってもタダみたいな値段、ワシに手を握らせた人には、タダで上げまっせー、買うとくんなはれ、さあ、買うとくんなはれ、おおきに、おおきに!!」上半身裸になって、赤い鉢巻を締め、赤いビニールを張ったテーブルを棒で叩きながら、大声を張り上げての大阪弁の叩き売りは私の人生の一番の思い出である。また、故郷喜界島の方言は昔の故郷そのものである。日本語とまったく違う喜界島の島ユミタ(方言)には、味がある、うまみがある、懐かしさがある、思い出がある。何十年ぶりに会った友達に喜界島の方言で話さないと、「もう、あんたは仲間でなない」とけなされる。

日本語には方言も沢山あるが、日本人の血というものが流れている。
 英語の国アメリカに住んでいても私は日本語を愛す。

by フリムン徳さん
プリムン徳さんはエッセイ本「フリムン徳さんの波瀾万丈記」を出版されています。

2011_10_07_tokusan


フリムン徳さんのエッセイを最後までお読みくださり、 そしていつも沢山の応援を有難うございます。
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