狙い続けて8年!!
61歳の時から、毎年、エッセイを投稿し続けて、7年連続不合格!!
今年68歳で8度目の挑戦。
遂にやりました。入賞しました。
これを7転び8起きというのでしょうか。
7転び8起きという言葉は68歳を過ぎた老人にでもまだ通用するようです。
「やりたいネン、諦めたらアカン」。
私が出版した本「フリムン徳さんの波瀾万丈記」の副タイトル名です。
今まで、シアトルの北米報知新聞、サンフランシスコのに日米タイムス、北米毎日新聞、と何回か新年文芸コンテストのエッセイに部門で入賞してきました。
ロスアンジェルスの羅府新報だけは7年間xxxx続きでした。
「羅府新報はお硬い新聞社や、フリムン徳さんのエッセイなんか相手にしない」と思いつつも、負けてたまるか、やりたいネン、諦めたらアカン」と、羅府新報を狙い続けました。
今年、8年目にして、xが○になりました。
感慨無量です。酔っ払いの元大工が、のこぎりをペンに替え、家造りの大工が、物書きの端くれになって、文章の書き方を始めたのが9年前でした。
何事も狙い続けたら、何とかなるようです。
「やりたいネン、諦めたらアカン」です。
今年は佳作入賞ですが、私にはオリンピックの金賞、銀賞よりも値打ちのある銅賞のようです。オリンピックに参加できるだけでも大変なのに、銅賞までももらったのです。元大工の文章が、発行部数4万5千の羅府新報に認められたのが嬉しいです。 扇千景のカメラのコマーシャル ”私にも写せます” じゃなく、”大工にも文章が書けます” と声高らかに叫びたいです。山彦が返ってくるまで叫び続けたいです。来年は銀賞(2位)、再来年は金賞(1位)を狙い続けます。年がなんじゃい、68歳がなんじゃい。
「こんな文章を書いたら、ええ格好していると人に思われるから、反対です」と嫁はんが言うのはわかっています。でもこのフリムン徳さんは、こんな時は人に知らせたくて、、居ても立っても、おれなくなるのです。こういう人を「ええ格好しいの人間」というのかも知れへん。いや、根が正直な人間かも知れまへん。皆さん、苦笑いをしながら、お許しくだされ!!
ここに、今年(2012)羅府新報に入賞したエッセイ「日本語を愛す」を送ります。
「日本語を愛す」
「日本語で話しているだけでもうれしいです」、ある女性が電話の中でこう言った。
日本から1年程前にアメリカに来て、アメリカ人と結婚し、私の隣町に住んでいる年齢40代の日本女性である。完璧な英語を話す。愛嬌の良い、気さくな彼女は、自分から話しかけて、誰とでも打ち解けやすい。彼女の口からこんな言葉が出るとは想像もしていなかった。日本語が恋しくなったのか、少しホームシックになったのかもしれない。
「日本語で話しているだけでもうれしいです」私にはピッタリの言葉だと思った。私はいつも心の中で、これに似たような言葉を捜しているようであったが、この言葉のように、ぴったりの言葉は考え付かなかった。この言葉はアメリカ人ばかりの山の中の村に15年以上も住んでいる私の口から出る言葉のようである。
私は彼女と電話で話していて、日頃、なんとなく使っている日本語の大事さ、ありがたさに感謝しようと思い直した。日本語は日本人の心の中に住んでいる小さい頃からの親しい友達であり、家族であり、故郷のようである。 私は彼女の気持ちが手にとってわかるような気がする。日本人が少ないこの町ではウォールマートかアルバートソンで、1年に2、3回日本人を見かけるぐらいである。日本人らしき顔の人を見かけると、その人から目が離れない。いや、心も離れない。少し、そわそわ、わくわくする。日本語で話したい。でも、不思議と、日本人は目と目が合いそうになると、目をそらす人が多い。「日本人ですか、日本語を話せますか」と言う勇気が出ないのだろうか、それとも日本人同士の関わりが嫌なのだろうか、私にはわからない。
私と嫁はんは、日本人の顔を見たい時は日本食レストランへ行く。この町に4軒の日本食レストランがあるが、日本人経営の日本食レストランは1軒だけである。日本人のすし職人とウェイトレスを見に行くのである。日本食レストランへ日本食を食べに行くのはその次である。本心は日本語が話したいからである。レストランに入った途端に、 日本人の彼らに「日本語」で話したくてウズウズする。家では二人で毎日飽きるほど日本語で話しているのに。日本語は他人と話してはじめて値打ちがあるようである。
いつ行っても白人の客で繁盛している。寿司カウンターの席が空いている時は少ない。でもカウンターに座って、すし職人と、「日本語」で話がしたい。「待つ、待つ、カウンターの席が空くまで待ちまんがな」、と少し興奮した声で、目を寿司職人に釘付けにしながら、ウェイトレスに言う。寿司職人は「忙しい」に「猛烈」をつけて、忙しい。 「息をする間はあるかいあな」と思うほど、手、目、耳、顔と身体中を忙しく動かしながら寿司を握っている。このタコを3個握って、次に中トロを2個握って、その次はこの伝票、その後はあの伝票とまな板の横には注文伝票がずらりと並べてある。頭の中にも伝票がずらりと並んでいるにちがいない。合間に、「アナゴ2丁、ハマチ2丁」と、声での注文も入る。
そんな忙しい彼らの隙を見つけて話しかけるのは致難の技である。柔道は相手の隙を見て技をかける。私は寿司職人の隙を見て日本語で話しかけるのである。
私は何回か通うちに、隙の見つけ方を発見した。
日本語で話することに飢えている私にはただの発見ではない大発見である。その隙はどこに現れるか? 彼らの口元である。口元が緩む時である。その時に、英語やない、「日本語」で話しかけるのである。忙しいのにすまないという気持ちも込めて話しかける。一瞬の出来事である。それがたったの二言三言だけで、続けて話ができない。途切れる。ひっきりなしに注文の伝票が回ってくるのである。忙しい寿司職人に話しかけるのは勝つか負けるかの真剣勝負のようである。
こんなに有難い日本語の中で、私が好きなのは大阪弁と故郷喜界島の方言である。「見るだけタダ、触ってもタダ、買ってもタダみたいな値段、ワシに手を握らせた人には、タダで上げまっせー、買うとくんなはれ、さあ、買うとくんなはれ、おおきに、おおきに!!」上半身裸になって、赤い鉢巻を締め、赤いビニールを張ったテーブルを棒で叩きながら、大声を張り上げての大阪弁の叩き売りは私の人生の一番の思い出である。また、故郷喜界島の方言は昔の故郷そのものである。日本語とまったく違う喜界島の島ユミタ(方言)には、味がある、うまみがある、懐かしさがある、思い出がある。何十年ぶりに会った友達に喜界島の方言で話さないと、「もう、あんたは仲間でなない」とけなされる。
日本語には方言も沢山あるが、日本人の血というものが流れている。
英語の国アメリカに住んでいても私は日本語を愛す。
by フリムン徳さん
プリムン徳さんはエッセイ本「フリムン徳さんの波瀾万丈記」を出版されています。
フリムン徳さんのエッセイを最後までお読みくださり、 そしていつも沢山の応援を有難うございます。
61歳の時から、毎年、エッセイを投稿し続けて、7年連続不合格!!
今年68歳で8度目の挑戦。
遂にやりました。入賞しました。
これを7転び8起きというのでしょうか。
7転び8起きという言葉は68歳を過ぎた老人にでもまだ通用するようです。
「やりたいネン、諦めたらアカン」。
私が出版した本「フリムン徳さんの波瀾万丈記」の副タイトル名です。
今まで、シアトルの北米報知新聞、サンフランシスコのに日米タイムス、北米毎日新聞、と何回か新年文芸コンテストのエッセイに部門で入賞してきました。
ロスアンジェルスの羅府新報だけは7年間xxxx続きでした。
「羅府新報はお硬い新聞社や、フリムン徳さんのエッセイなんか相手にしない」と思いつつも、負けてたまるか、やりたいネン、諦めたらアカン」と、羅府新報を狙い続けました。
今年、8年目にして、xが○になりました。
感慨無量です。酔っ払いの元大工が、のこぎりをペンに替え、家造りの大工が、物書きの端くれになって、文章の書き方を始めたのが9年前でした。
何事も狙い続けたら、何とかなるようです。
「やりたいネン、諦めたらアカン」です。
今年は佳作入賞ですが、私にはオリンピックの金賞、銀賞よりも値打ちのある銅賞のようです。オリンピックに参加できるだけでも大変なのに、銅賞までももらったのです。元大工の文章が、発行部数4万5千の羅府新報に認められたのが嬉しいです。 扇千景のカメラのコマーシャル ”私にも写せます” じゃなく、”大工にも文章が書けます” と声高らかに叫びたいです。山彦が返ってくるまで叫び続けたいです。来年は銀賞(2位)、再来年は金賞(1位)を狙い続けます。年がなんじゃい、68歳がなんじゃい。
「こんな文章を書いたら、ええ格好していると人に思われるから、反対です」と嫁はんが言うのはわかっています。でもこのフリムン徳さんは、こんな時は人に知らせたくて、、居ても立っても、おれなくなるのです。こういう人を「ええ格好しいの人間」というのかも知れへん。いや、根が正直な人間かも知れまへん。皆さん、苦笑いをしながら、お許しくだされ!!
ここに、今年(2012)羅府新報に入賞したエッセイ「日本語を愛す」を送ります。
「日本語を愛す」
「日本語で話しているだけでもうれしいです」、ある女性が電話の中でこう言った。
日本から1年程前にアメリカに来て、アメリカ人と結婚し、私の隣町に住んでいる年齢40代の日本女性である。完璧な英語を話す。愛嬌の良い、気さくな彼女は、自分から話しかけて、誰とでも打ち解けやすい。彼女の口からこんな言葉が出るとは想像もしていなかった。日本語が恋しくなったのか、少しホームシックになったのかもしれない。
「日本語で話しているだけでもうれしいです」私にはピッタリの言葉だと思った。私はいつも心の中で、これに似たような言葉を捜しているようであったが、この言葉のように、ぴったりの言葉は考え付かなかった。この言葉はアメリカ人ばかりの山の中の村に15年以上も住んでいる私の口から出る言葉のようである。
私は彼女と電話で話していて、日頃、なんとなく使っている日本語の大事さ、ありがたさに感謝しようと思い直した。日本語は日本人の心の中に住んでいる小さい頃からの親しい友達であり、家族であり、故郷のようである。 私は彼女の気持ちが手にとってわかるような気がする。日本人が少ないこの町ではウォールマートかアルバートソンで、1年に2、3回日本人を見かけるぐらいである。日本人らしき顔の人を見かけると、その人から目が離れない。いや、心も離れない。少し、そわそわ、わくわくする。日本語で話したい。でも、不思議と、日本人は目と目が合いそうになると、目をそらす人が多い。「日本人ですか、日本語を話せますか」と言う勇気が出ないのだろうか、それとも日本人同士の関わりが嫌なのだろうか、私にはわからない。
私と嫁はんは、日本人の顔を見たい時は日本食レストランへ行く。この町に4軒の日本食レストランがあるが、日本人経営の日本食レストランは1軒だけである。日本人のすし職人とウェイトレスを見に行くのである。日本食レストランへ日本食を食べに行くのはその次である。本心は日本語が話したいからである。レストランに入った途端に、 日本人の彼らに「日本語」で話したくてウズウズする。家では二人で毎日飽きるほど日本語で話しているのに。日本語は他人と話してはじめて値打ちがあるようである。
いつ行っても白人の客で繁盛している。寿司カウンターの席が空いている時は少ない。でもカウンターに座って、すし職人と、「日本語」で話がしたい。「待つ、待つ、カウンターの席が空くまで待ちまんがな」、と少し興奮した声で、目を寿司職人に釘付けにしながら、ウェイトレスに言う。寿司職人は「忙しい」に「猛烈」をつけて、忙しい。 「息をする間はあるかいあな」と思うほど、手、目、耳、顔と身体中を忙しく動かしながら寿司を握っている。このタコを3個握って、次に中トロを2個握って、その次はこの伝票、その後はあの伝票とまな板の横には注文伝票がずらりと並べてある。頭の中にも伝票がずらりと並んでいるにちがいない。合間に、「アナゴ2丁、ハマチ2丁」と、声での注文も入る。
そんな忙しい彼らの隙を見つけて話しかけるのは致難の技である。柔道は相手の隙を見て技をかける。私は寿司職人の隙を見て日本語で話しかけるのである。
私は何回か通うちに、隙の見つけ方を発見した。
日本語で話することに飢えている私にはただの発見ではない大発見である。その隙はどこに現れるか? 彼らの口元である。口元が緩む時である。その時に、英語やない、「日本語」で話しかけるのである。忙しいのにすまないという気持ちも込めて話しかける。一瞬の出来事である。それがたったの二言三言だけで、続けて話ができない。途切れる。ひっきりなしに注文の伝票が回ってくるのである。忙しい寿司職人に話しかけるのは勝つか負けるかの真剣勝負のようである。
こんなに有難い日本語の中で、私が好きなのは大阪弁と故郷喜界島の方言である。「見るだけタダ、触ってもタダ、買ってもタダみたいな値段、ワシに手を握らせた人には、タダで上げまっせー、買うとくんなはれ、さあ、買うとくんなはれ、おおきに、おおきに!!」上半身裸になって、赤い鉢巻を締め、赤いビニールを張ったテーブルを棒で叩きながら、大声を張り上げての大阪弁の叩き売りは私の人生の一番の思い出である。また、故郷喜界島の方言は昔の故郷そのものである。日本語とまったく違う喜界島の島ユミタ(方言)には、味がある、うまみがある、懐かしさがある、思い出がある。何十年ぶりに会った友達に喜界島の方言で話さないと、「もう、あんたは仲間でなない」とけなされる。
日本語には方言も沢山あるが、日本人の血というものが流れている。
英語の国アメリカに住んでいても私は日本語を愛す。
by フリムン徳さん
プリムン徳さんはエッセイ本「フリムン徳さんの波瀾万丈記」を出版されています。
フリムン徳さんのエッセイを最後までお読みくださり、 そしていつも沢山の応援を有難うございます。
コメント
コメント一覧 (24)
入選おめでとうございます!!
何でも諦めちゃいけませんね。 私も悪い事は考えないでもっとポジティブにならないと反省しました。
エッセイ、有難うございました!
あきらめないことですね。ほんとにありがとうございます。いくつになってもあきらめない。
chiblitsさん、ありがとうございます。
言葉の魅力と言葉の力。そして何かを起こす力ですね。
ありがとうございます。
chibilitsさん、初めまして。投稿するのは初めてですが、毎日のお話が私の生活の大きな励みになっています。これからもどうぞよろしくお願いします。もうひとつ、私もじい様の隠れファンです(笑)
すごいです、8回目で 入選したなんて、感動ですね。 題材も 大切なんでしょうかね。 これからも 健康第一で 楽しく文筆に 励まれてくださいね。
このエッセイを 喜界島の言葉に置き換えたら、どのようになるのかなぁと思いましたが、想像がつきません。喜界島や大阪の人々は 格式ばっていないから 目をそらさないで話に華が咲くのではないですか。
海外に住んでいる人ならば、誰もが 日本語、日本人について、経験談や思いを持っているでしょうね。 あたしもですけど・・・。ヒスパニックだと
知らなくても オラッって、いうから 国民性なんでしょうね。 徳さんと 私はちょっと違うのですが、 料理人に話しかけるって、東京でも 気をつかったから、神経疲れするのね、お客でいって、疲れるのもいやだから、私は 行きません。でも 今住んでいるところに 沖縄の人がお店をやっていて、いい人なので、 たま〜にお店に入ってゆっくりとしてきます。 こんにちは〜っていって、やっぱ、ほっとしますよね。
そしてフリムン徳さん、おめでとうございます!
フリムン徳さんのエッセイ、過去のもの全て読んだわけではないのですが、「入選なさった」と聞いてとても嬉しい気持ちになりました。
いくつになっても頑張ってる人は素敵です。
日本語しか話せない私としては、海外で暮らして英語が話せて、というのは憧れです。
でもフリムン徳さんが、なんとか日本語を話したい、と寿司職人さんの前のカウンター席に座ろうとするエピソードを読んで、日本人として妙に嬉しくなりましたよ〜。
日本語大事にしなきゃ...って思いました。
チブリッツさんも、日本語が恋しくなったりするのでしょうか。
ご入選おめでとうございます。
努力が実り良い新年をお迎えになりましたね。
郷愁をそそる方言や日本語は外国にいらっしゃる多くの日本人の方が望郷の念を抱かれて居られることでしょうね。
フリムン徳さんの読者として、今後の更なるご活躍をお祈り致します。
#Chiblits さん、
新年明けましておめでとうございます。
今年もうれしい、エッセイのネタになりそうなコメントをお待ちしています。
Chiblitsさんのブログを毎日読んでいて、発見しました。
ブログはブログのコメントを書くことに意義があるように思いました。
大事なことだと思います。
フリムン徳さん
---------------------------------------------------
#tekuteku2011 さん
新年明けましておめでとうございます。
人を喜ばすも、泣かすも言葉。
人を生かすも、殺すも言葉。
私はこの言葉を生かせて、皆さんにおもろいエッセイを書き続けようと思います。
フリムン徳さん
-------------------------------------------------------------------
#helim さん、
新年明けましておめでとうございます。
すばらしい言葉を見つけて皆さんをうれしがらそうと思います。
helimさん、、細かいことに、クヨクヨしないで、わが道をまい進してください。
フリムン徳さん
-------------------------------------------------------------------
# むべさん
新年明けましておめでとうございます。
そうです。エッセイはネタがとても大事で す。
魚釣りと同じで、読む人は自分の好きなネタ でないと飛びついてきません。
カリフォニアばあさんのブログのコメントの 中にはエッセイに使えそうなネタがいっぱい あるので助かります。 フリムン徳さん
------------------------------------------------------------------------
# 誓いの言葉さん
新年明けましておめでとうございます。
今年は実りよい年になりそうです。
正月の2日の日は友達と、サンシエメンの磯で、 大きな沢山のポーチを釣りました。
ハーストキャッスルののすぐ下の磯の波打ち際 です。
私のアメリカでの釣り暦では一番の大漁でし た。
家へ持ち帰って、魚をサバクのにしんどい思い をしたのも初めてです。
ポーチという魚は、日本の黒鯛に似ています
甘みがあってとてもおいしい魚です。
今年はネン以上に、マンモスとビッショップで のキャンプ、魚釣り、エッセイの勉強に頑張 ります。
フリムン徳さん
新年明けましておめでとうございます。
私は喜界島の言葉が好きやネン、大好きやネン、
大阪の電車の中で、弟と二人で喜界島弁で話していたら、「この人達は日本人と違う」という声が後ろの方から聞こえてきました。
日本語とまったく言葉が違いますが、文法は同じです。
アメリカに住んでもう36年、いまだに私と嫁はんは喜界島弁で生活しています。
嫁はんも同じ喜界島出身です。
入選おめでとうございます。何でも絶対にあきらめないということですね。
いつもチブリッツさんのブログで、徳さんのエッセイを読ましていただいてますけど、本当に心が伝わってくる温かいエッセイです。これからも沢山書き続けてくださいね。
私も日本語を愛する一人です。この国に40年間住んでいて、25年間アメリカ人とともに働いてきたものですけど、今は家族との交流を除いては殆どが日本語での生活です。日本語を話すとほっとします。
いい年になりそうです。
お年玉ありがとうございます。
私は直ぐに悪い方に悪い方に想像してしまう損な性格です。 今年はこれをどうにかもっとポジティブに変えて行きたいです。その為には矢張りフリムン徳さんのような方の影響を受けないとですね!
helimさん
初めまして!
いつもご訪問有難うございます。 じいさんに伝えておきます。 私が伝えると嬉しそうですよ〜。
むべさん
あははは!! 私もカウンターには座らない人です。 日本でもアメリカでも。 私は日本の回転寿司が好き! あのカウンターだけは例外ね。
クローバーさん
私が住んでいるところはフリムン徳さんの町とは違ってとても日本人が多いです。 従って私のお友達は皆日本人。 日本語もいつでも話せるので特に不便を感じません。 その点言葉のホームシックにはならないのでラッキーです。 でもモンタナ州にいる時は日本語が喋りたかったですね。
私ね、 フリムン徳さんの奥様が同じ喜界島出身と知ってなんか嬉しくなったのですよ。 同じ郷里の言葉で話せるご夫婦っていいなぁ〜って思ったのです。
みちこさん
みちこさんも40年ですか!! 私も40年になりました! 1972年にアメリカに来ました。25年間もアメリカ人とお仕事をしていらしたのですか! 私は18年間は日本人とお仕事でしたから職場はいつも日本語。 自営業になってから英語だけになりました。矢張り日本語が一番いいですね!私の場合はしかも鹿児島弁が一番楽でほっとします。
tekuteku2011さん
良かったですね〜!
入選おめでとうございます!!
徳さんの喜びもさることながら、私が嬉しかったのは
徳さんが「大阪弁が好き」と言うて(書いて)くれはった事です。
大阪生まれの大阪育ちがヒョンな事からこちら(CA)で住むように
なりました。
まだ、1年と半年ほどの新米です。(年だけは案外いってます)
幸い、旦那は(日系3世)大阪に16年程住んでましたんで
日本語(標準語)ちゅうよりか、大阪弁のほうが達者です。
私も、二人で居る時は大阪弁ばっかりです。
せやさかいに、いっこも英語が上達しません。
海外に居てて、自国のしかも自分が住んでた地方の言葉を使える
ちゅうのはほんまにありがたいことです。
徳さんも、奥さんと仲良う喜界島弁を話されてるのが目に浮かびます。
これからも、増々「お気張りやす!!」
新年明けましておめでとうございます。
大阪弁を愛するフりムン徳さんです。
大阪弁というだけで、よだれが出そうになります。
大阪弁でのワシの叩き売り聞いて欲しかったねえ。
人が集まりすぎて、道にまではみ出したほどです。
警察が来ないか怖くなった事を覚えています。
集まった人だかりを逃がさんように、鉄瓶に入れた水で円を書いて、「この円の中から出て行った人はどろぼうでっしぇー」と笑わせて叩き売りをしていました。
英語の国アメリカで、使う大阪弁は格別です。
アメリカで大阪弁を流行らそう。
フりムン徳さん
それ、オモロい!! 「アメリカで大阪弁を流行らそう」。
まずは何からいきましょか?
私はね、「まいど」ちゅう言葉が好きですねん。
なんかこの一言で、全ての挨拶がカバー出来る気がしませんか?
うちの旦那も大阪居てた頃、会う人にはまずは「まいど」。
そうそう、徳さん。
おっちゃんのいつもオモロうて、ちょっとホロッとする話しに
「毎度おおきに!!」です。
7転び8起きではなく、七転び八起きです。
これは言うなれば、
「ある状況が1転して別の展開になった」
とは書かず、「一転して」と書くのと同様です。
書くという作業にますます精進していただきたく、
敢えて申し上げました。
本当にありがとうございます。
もっともっと、言葉を、字を勉強します。
フりムン徳さん
いくつになっても人生を楽しく可笑しく生きていく。。。良いですね。
私は仕事で日本人と話す機会があるので日本語を話せる機会を大切にしていないように思います。でも昔2年程ドイツの田舎で暮らした時は2時間もかけて大きな街の日本食レストランに行ったのを思い出しました。もちろん日本食が食べたかったのもありますが、日本語を話したかったのでしょうね。私も日本を出てもう30年になります。おかしな日本語で話したりもしますが故郷に帰るとやっぱり地方の言葉で話すのが最高です。日本語が可笑しくなりつつありますが、私の体には日本人の血がどくどくと流れています。
頑張れ、フリムン徳さん。
Chiblitsさん南に来られる機会があったら寄って下さい。そしてお料理教えて!
Mako
頑張ります。
短い人生、おもろうに、楽しく、くよくよせず、他人のうわさを気にせず、鼻歌を唄いながら、我が道を邁進しようと思っております。
フりムン徳さん
「商売〜繁盛で〜笹持って来〜〜い!!」
覚えたはりますか?
大阪は(日本では本日9日ですね)今日から「えべっさん」でっせ〜。
今日は10日えべっさんでっせー。
日本を出てもう、38年過ぎました。
ほんまのえべっさんは、アメリカでは拝めまへん。
アメリカにはえべっさんはいてはらへん。
えべっさんに似たアメリカ人の太った人は年中見かけマンねけど。
でもささもってはれへん、さびしいですわ。
フりムン徳さん
今回成田で発つ前にちょっと時間があり、もし有ればと思って「フリムン徳さんの波乱万丈記」を買おうと本屋さんに立ち寄ったんですが、売り切れでしたよ!本屋のお兄さんが在庫確認してくれました。あんな場所が限られた本屋さんにも置いてあるなんて吃驚。きっと海外に帰られる方が購入なさって、徳さんの生き方に励まされていらっしゃることでしょう。
新年明けましておめでとうございます。
成田空港の本屋さんにも「フりムン徳さんの波瀾万丈記」が置いてあったんですか。
これは驚きです。
新年早々、こんな嬉しい事を聞くなんて、今年はエエ年になりそうです。
今年も、おもろいエッセイを書くことに頭を集中します。不思議なもので、68歳になった今が10年前よりも頭が冴えているような気がします。
頭の中の澄み切った青空の部分が大きくなったように感じています。
「徳さん、ヨーク考えてみなはれ!!、それは頭の禿の部分がが広くなったからとチャイまっか?」