by フリムン徳さん
散歩しながら、バスに乗ろうと不意に思った時に、私は社長から新米社員になったような気持ちになった。日頃、車で自由自在に、いつでも、どこでも動け回る私は社長のようであったと感じた。今、不意に、20数年前の昔、住んでいたロスアンジェルスの路線バスに乗って、知らないところを探して行こうとしている私は新米社員のようである。おろおろしだした自分が情けなくなって、頭の中で小さな小人がが苦笑いしているようであった。バスの乗り方をまったく知らないからである。どのバスに乗って、どこへ行けるか、切符代はいくらか、さっぱりわからない。
5月のメモリアルデーの連休を利用して、フリムン徳さん応援団(料理とキャンプの達人)の井手尾さんにユタ州のアーチスを見ながらキャンプに連れて行ってもらうことになった。信号機もない山の砂漠と呼ばれるモントレーのブラッドレー住む私の運転技術でロスアンジェルスへ車で行くのは怖い。グレイハンのバスで行った。自分の車では4時間ちょっとで行ける(モントレーパークとサンゲーブルの隣町)ロスアンジェルスまで片道6時間以上もかかる。急ぐ必要はない。たまには、車の運転をしないで、他人とバスの同じ座席に座って旅をするのも何かを感じるに違いない。それが金髪の美人だったら、どないにしよう、難儀やなあ。2週間以上も前にインターネットで予約すると、近くの町パソロブレスからロスアンジェルスまで、片道およそ40%引きの35ドルで買える。
キャンプに出発する前の日1日私は井手尾さんの住むローズミードの町(モントレーパークとサンゲーブルの隣町)を当てもなく散歩することに決めた。エッセイのネタ探しである。私は昔、アーケイディア、サンゲーブルに17年住んでいたことがある。ローズミードもよく知っているつもりであった。通りの名前はいくつか覚えているのがあったが、町並みは昔の面影は何もなかった。白人を見かけない、見かけるのは東洋系の人ばかりである。ニュー・アベニューを15分も歩いていたら、ガービー・ブルバードに出た。通りの店の中国語の看板の氾濫に圧倒された。ここは中国の町なのかと疑いたくなった。ローズミードではなく、チャイネィーズミードである。「将来、カリフォニアは中国人に取られ、ハワイは日本にに取られる」とあるロシア人が何かに書いてあったのを思い出した。
ガービー・ブルバードに出た途端に、昔、大工時代に長年借りていた、サウスエルモンテの工場と、ティトのミラネーサを思い出した。11時半、腹が減ってきた。どうしてもミラネーサが欲しくなった。このガービー・アベニューを東へ真っ直ぐ行けば、あのミラネーサが買える。当時、あまり、おいしいから病み付きになった。リー・アベニューにあった私の工場から車で4、5分で買いに行けた。20年近く経った今でもはっきり覚えている。あの柔らかい肉、経験したことのない唐辛子の変わった辛さ、辛さにほんのりと、こおばしい異国の匂いみたいな香りも好きだった。懐かしいミラネーサ!!
ミラネーサはアルゼンチンの料理で日本でいう串カツみたいなものである。日本のものと比べると、ミラネーサはもっと薄く、よく叩かれているので柔らかい。それは白い油紙に包まれていた。マーケットで肉を包んであるよく見かけるあの少し田舎臭い油紙である。その油紙を開けると、35センチ以上もある長くて大きなパンからはみ出るほどのミラネーサを3枚と、丸ごと薄切りにしたトマト4枚、青いよく煮込んだ柔らかい唐辛子をぎゅうぎゅうに挟んである。この唐辛子は人差し指ほどの太さで、薄切りにしてあるが、メキシカン料理にでてくるチリ、サルサとは辛さと匂いが違う。そんなにきつい辛さでもない。食べやすいように、真中から半分に斜めに切られていた。真っ直ぐじゃなく、斜めに切られた、切り方が、忘れられない。不思議なもので、真っ直ぐ切りと斜め切りでは味も違う気がする。ミラネーサはサウス・エルモンテのガービー・ブルバードのアルゼンチン人の経営するティトという小さなマーケットで売っていた。
ミラネーサをバスに乗って買いに行くことを不意に決めた。何十年もロスアンジェルスのバスに乗ったことのない私が、バスの何の知識もなくバスに乗るのである。ここから私は社長から新米社員になり、悪戦苦闘するのである。バス停でバスに乗って、サウスエルモンテのティトの近くで降りるだけである。バスに乗って降りる、これだけのことを実行するのに私は、どれだけ惨めな思いをし、難儀したか。
バス停を見つけた。中国人と思われるおばあさんが二人座ってバスを待っていた。一人は杖を持っている。二人とも胸にバスの定期券みたいなのを下げていた。私と目が合ったけれど、合わないフリをする。何かを思いつめているような顔をしている。話をしたくないような顔をしている。私はホームレスのようにぼろぼろの服を着て、髪、髭の伸び放題の格好もしてない、普通人の服装と顔もしているのに、これはどうしたことか。
まるで、これは国が違う。私の住む、ブラッドレーのアメリカ人は、人を見ると、にこにこして声をかけてくる、車で運転している人にさえ手をあげて声をかけるのに。これはどうしたことか。これでは「どのバスに乗って、切符代はいくらか」、聞けそうにない。難儀やのう。バスの料金票を探したがない。あるのは、バス路線の地図だけである。思い出すのは昔のバス賃は25セントだったことである。
この二人のおばあさんの誰かを選んで、聞く以外にない。でも、相手が英語が通じるだろうか、これも不安である。いつもはアメリカ人ばかりの村で自分の英語が通じるかと不安になっている私が、今は逆の立場である。やはり私はチャイネィーズミードという外国に来ているんだ。
少しだけ上品そうなおばあさんに声をかけた。上品そうな顔の人が英語を勉強していると思ったからである。「ハウマッチ、バス ティキットゥ」という言葉を何回も、喉から口元まで出しては押し込めして、新米社員が社長に聞くみたいに勇気を出して聞いてみた。「トゥウェンティー ファイブ センツ」とだけ答えて、すぐに知らん振りをした。聞いてすまない気がした。それ以上は聞けなかった。聞く気もしなかった。どうしてこうも白人と東洋人には愛想の差があるのだろうか。色の白い人種ほど愛想がいいのかと私なりに思ったりもした。
“25セント”、違う。1ドル25セントの間違いに違いない。まさか昔のままの値段ではあるまい。バスに乗って、運転手に聞くことにした。70番のバスが来た。私は手間取ると思い、列の一番最後にバスに乗った。フリムン徳さんはこんな時はいつも人に迷惑をかけないように気を配っている。
そないに思われしまへんやろう。人間は外だけで決め付けたら、アカンのであります。黒人の太った女性運転手に「ハウマッチ」と聞いたら、「ハウ、オールド、アーユー」ときた。「アイアム、シックスティー シックス」と答えたら、「トゥウェンティー、ファイブ、センツ」。なんとロスアンジェルスのバスはシニアシチズンには昔のままのまだ25セントである。この25セントでロスアンジェルスが少しだけ好きになった。
前の椅子に座って、後ろの座席を見渡すと、およそ90%が東洋系の顔、あと10%ラテン系。太った丸顔がチャイネィーズ系、痩せた顔がベトナム糸だろうと私の乏しい経験で、見定めていく。一人の小太りの青年がスピーカーみたいな大きな声で隣の青年に中国語で喋っていた。他のほとんどの人は聞かぬ振りして、何かを考え、何かを見つめているようであった。やはり、バスの中もチャイネィーズミードであった。
その日私はバスを4回も乗り降りした。バスの中の人種構成、顔の表情、話し声、つまりバスに乗っている人の人間観察をしたかった。
4回もバスを乗り降りすると、バスの乗り方に自信がついてきた。新米社員から出世して、普通の平社員になったようであった。2回目バスに乗る時は、もう運転手に何も聞かない。「アイアム、シックスティー、シックス」と言って、25セントを入れて、文句なしだった。
3回目、4回目は頭を使った。バスに乗った途端に、帽子を脱ぎ、運転手に、「ハーイ、ハワユー」と言って、ハゲ頭を見せた。文句なく乗せてくれた。私のハゲ頭は66歳の印であり、25セントの値打ちであった。
25セントのハゲ頭の私はとうとうミラネーサを売っているティとの店を見つけた。あの小さな店が、周りの土地を買い占めて、小さなショッピングセンターを作っていた。私は25セントのハゲ頭を隠すために、今度は店の中へ帽子をかぶって入った。25セントのハゲ頭の私には不似合いの7ドル25セントを払い、昔懐かしいミラネーサを頬ばりながら、ガービー・ブルバードを歩いた。
町並みや人間は変わっていたが、我が懐かしいミラネーさの味は変わっていなかった。
by フリムン徳さん
プリムン徳さんはエッセイ本「フリムン徳さんの波瀾万丈記」を出版されています。
フリムン徳さんのエッセイをお読みくださり有難うございました。
今日も応援を有難うございます。
散歩しながら、バスに乗ろうと不意に思った時に、私は社長から新米社員になったような気持ちになった。日頃、車で自由自在に、いつでも、どこでも動け回る私は社長のようであったと感じた。今、不意に、20数年前の昔、住んでいたロスアンジェルスの路線バスに乗って、知らないところを探して行こうとしている私は新米社員のようである。おろおろしだした自分が情けなくなって、頭の中で小さな小人がが苦笑いしているようであった。バスの乗り方をまったく知らないからである。どのバスに乗って、どこへ行けるか、切符代はいくらか、さっぱりわからない。
5月のメモリアルデーの連休を利用して、フリムン徳さん応援団(料理とキャンプの達人)の井手尾さんにユタ州のアーチスを見ながらキャンプに連れて行ってもらうことになった。信号機もない山の砂漠と呼ばれるモントレーのブラッドレー住む私の運転技術でロスアンジェルスへ車で行くのは怖い。グレイハンのバスで行った。自分の車では4時間ちょっとで行ける(モントレーパークとサンゲーブルの隣町)ロスアンジェルスまで片道6時間以上もかかる。急ぐ必要はない。たまには、車の運転をしないで、他人とバスの同じ座席に座って旅をするのも何かを感じるに違いない。それが金髪の美人だったら、どないにしよう、難儀やなあ。2週間以上も前にインターネットで予約すると、近くの町パソロブレスからロスアンジェルスまで、片道およそ40%引きの35ドルで買える。
キャンプに出発する前の日1日私は井手尾さんの住むローズミードの町(モントレーパークとサンゲーブルの隣町)を当てもなく散歩することに決めた。エッセイのネタ探しである。私は昔、アーケイディア、サンゲーブルに17年住んでいたことがある。ローズミードもよく知っているつもりであった。通りの名前はいくつか覚えているのがあったが、町並みは昔の面影は何もなかった。白人を見かけない、見かけるのは東洋系の人ばかりである。ニュー・アベニューを15分も歩いていたら、ガービー・ブルバードに出た。通りの店の中国語の看板の氾濫に圧倒された。ここは中国の町なのかと疑いたくなった。ローズミードではなく、チャイネィーズミードである。「将来、カリフォニアは中国人に取られ、ハワイは日本にに取られる」とあるロシア人が何かに書いてあったのを思い出した。
ガービー・ブルバードに出た途端に、昔、大工時代に長年借りていた、サウスエルモンテの工場と、ティトのミラネーサを思い出した。11時半、腹が減ってきた。どうしてもミラネーサが欲しくなった。このガービー・アベニューを東へ真っ直ぐ行けば、あのミラネーサが買える。当時、あまり、おいしいから病み付きになった。リー・アベニューにあった私の工場から車で4、5分で買いに行けた。20年近く経った今でもはっきり覚えている。あの柔らかい肉、経験したことのない唐辛子の変わった辛さ、辛さにほんのりと、こおばしい異国の匂いみたいな香りも好きだった。懐かしいミラネーサ!!
ミラネーサはアルゼンチンの料理で日本でいう串カツみたいなものである。日本のものと比べると、ミラネーサはもっと薄く、よく叩かれているので柔らかい。それは白い油紙に包まれていた。マーケットで肉を包んであるよく見かけるあの少し田舎臭い油紙である。その油紙を開けると、35センチ以上もある長くて大きなパンからはみ出るほどのミラネーサを3枚と、丸ごと薄切りにしたトマト4枚、青いよく煮込んだ柔らかい唐辛子をぎゅうぎゅうに挟んである。この唐辛子は人差し指ほどの太さで、薄切りにしてあるが、メキシカン料理にでてくるチリ、サルサとは辛さと匂いが違う。そんなにきつい辛さでもない。食べやすいように、真中から半分に斜めに切られていた。真っ直ぐじゃなく、斜めに切られた、切り方が、忘れられない。不思議なもので、真っ直ぐ切りと斜め切りでは味も違う気がする。ミラネーサはサウス・エルモンテのガービー・ブルバードのアルゼンチン人の経営するティトという小さなマーケットで売っていた。
ミラネーサをバスに乗って買いに行くことを不意に決めた。何十年もロスアンジェルスのバスに乗ったことのない私が、バスの何の知識もなくバスに乗るのである。ここから私は社長から新米社員になり、悪戦苦闘するのである。バス停でバスに乗って、サウスエルモンテのティトの近くで降りるだけである。バスに乗って降りる、これだけのことを実行するのに私は、どれだけ惨めな思いをし、難儀したか。
バス停を見つけた。中国人と思われるおばあさんが二人座ってバスを待っていた。一人は杖を持っている。二人とも胸にバスの定期券みたいなのを下げていた。私と目が合ったけれど、合わないフリをする。何かを思いつめているような顔をしている。話をしたくないような顔をしている。私はホームレスのようにぼろぼろの服を着て、髪、髭の伸び放題の格好もしてない、普通人の服装と顔もしているのに、これはどうしたことか。
まるで、これは国が違う。私の住む、ブラッドレーのアメリカ人は、人を見ると、にこにこして声をかけてくる、車で運転している人にさえ手をあげて声をかけるのに。これはどうしたことか。これでは「どのバスに乗って、切符代はいくらか」、聞けそうにない。難儀やのう。バスの料金票を探したがない。あるのは、バス路線の地図だけである。思い出すのは昔のバス賃は25セントだったことである。
この二人のおばあさんの誰かを選んで、聞く以外にない。でも、相手が英語が通じるだろうか、これも不安である。いつもはアメリカ人ばかりの村で自分の英語が通じるかと不安になっている私が、今は逆の立場である。やはり私はチャイネィーズミードという外国に来ているんだ。
少しだけ上品そうなおばあさんに声をかけた。上品そうな顔の人が英語を勉強していると思ったからである。「ハウマッチ、バス ティキットゥ」という言葉を何回も、喉から口元まで出しては押し込めして、新米社員が社長に聞くみたいに勇気を出して聞いてみた。「トゥウェンティー ファイブ センツ」とだけ答えて、すぐに知らん振りをした。聞いてすまない気がした。それ以上は聞けなかった。聞く気もしなかった。どうしてこうも白人と東洋人には愛想の差があるのだろうか。色の白い人種ほど愛想がいいのかと私なりに思ったりもした。
“25セント”、違う。1ドル25セントの間違いに違いない。まさか昔のままの値段ではあるまい。バスに乗って、運転手に聞くことにした。70番のバスが来た。私は手間取ると思い、列の一番最後にバスに乗った。フリムン徳さんはこんな時はいつも人に迷惑をかけないように気を配っている。
そないに思われしまへんやろう。人間は外だけで決め付けたら、アカンのであります。黒人の太った女性運転手に「ハウマッチ」と聞いたら、「ハウ、オールド、アーユー」ときた。「アイアム、シックスティー シックス」と答えたら、「トゥウェンティー、ファイブ、センツ」。なんとロスアンジェルスのバスはシニアシチズンには昔のままのまだ25セントである。この25セントでロスアンジェルスが少しだけ好きになった。
前の椅子に座って、後ろの座席を見渡すと、およそ90%が東洋系の顔、あと10%ラテン系。太った丸顔がチャイネィーズ系、痩せた顔がベトナム糸だろうと私の乏しい経験で、見定めていく。一人の小太りの青年がスピーカーみたいな大きな声で隣の青年に中国語で喋っていた。他のほとんどの人は聞かぬ振りして、何かを考え、何かを見つめているようであった。やはり、バスの中もチャイネィーズミードであった。
その日私はバスを4回も乗り降りした。バスの中の人種構成、顔の表情、話し声、つまりバスに乗っている人の人間観察をしたかった。
4回もバスを乗り降りすると、バスの乗り方に自信がついてきた。新米社員から出世して、普通の平社員になったようであった。2回目バスに乗る時は、もう運転手に何も聞かない。「アイアム、シックスティー、シックス」と言って、25セントを入れて、文句なしだった。
3回目、4回目は頭を使った。バスに乗った途端に、帽子を脱ぎ、運転手に、「ハーイ、ハワユー」と言って、ハゲ頭を見せた。文句なく乗せてくれた。私のハゲ頭は66歳の印であり、25セントの値打ちであった。
25セントのハゲ頭の私はとうとうミラネーサを売っているティとの店を見つけた。あの小さな店が、周りの土地を買い占めて、小さなショッピングセンターを作っていた。私は25セントのハゲ頭を隠すために、今度は店の中へ帽子をかぶって入った。25セントのハゲ頭の私には不似合いの7ドル25セントを払い、昔懐かしいミラネーサを頬ばりながら、ガービー・ブルバードを歩いた。
町並みや人間は変わっていたが、我が懐かしいミラネーさの味は変わっていなかった。
by フリムン徳さん
プリムン徳さんはエッセイ本「フリムン徳さんの波瀾万丈記」を出版されています。
フリムン徳さんのエッセイをお読みくださり有難うございました。
今日も応援を有難うございます。
コメント
コメント一覧 (15)
ミラネーサって初めて聞きました! ビーフやらチキンやらあるんですね。 この辺りでは何処でうっているんでしょう。 食べてみたいです。 グリーンチリがメキシコ料理とは違うんですね。検索したらこの辺りで売られているのはメキシコ流のミラネーサみたいです。 サンフランシスコに一軒あるようですね。
今の中国語の看板だらけの、あの辺りしか知らないので、昔はどんな人たちが住んでいたのか興味深いです。
あの地域に住む中国人はアメリカに来て何十年経つのに、英語が話せなくても済んでいると聞きますので、東洋人顔の徳さんから英語で話しかけられてびっくりしたのかも知れませんね。
さっそくYelpでティトのお店を探してみたら、とっても美味しそうなミラネーサの写真が載っていました。薄いビーフカツのようなものなのですね。
Chiblitzさんだったらきっと上手に再現できそうです。
empanadaも人気のお店のようです。
バスとかトロリー電車とか公共の乗り物に乗るのはどきどきしますよね。こう言ってはいけないのですが、乗用車に乗れない人達の集まりのようでーー。安全とか衛生とか気になります。でもLos Angelsの高速を運転するよりはマシですよね(笑)。
帽子を取ってどうどうと25セント払った、というくだりには笑いましたぁ。顔パスならぬ、頭パスですね!
ミラネーサという料理初めて聞きました。WEB検索しましたが、おいしそうですね!
巨大ビーフカツのフットロング・サンドイッチですね?うちはビーフは食べないから豚ヒレ棒を包丁で広げて薄くし、長いままパン粉つけてカツにしてミラネーサを作ってみよう!と今ワクワクしています。チリがどんな味付けで煮てあるのか興味有りますが、そこん処はテキトーに我が家風味付けで行きますワ。
私もね日本でもCAでも車ばかりだったから、此処エゲレスで最初バスに乗る時は新入社員になりましたよ、バスに何気に乗る人達が皆天才に見えました。ブリストルはブラッドレーみたく人がメッチャ親切だからもっともっと聞きたくなります(笑)お客の方が運転手より親切かもです。聞きまくり、乗りまくったお陰で、私もちょっと天才の仲間入りで、この冬は娘達を連れてバスで彼方此方行きましたよ〜。
25セントってホンマ?!此処は片道$2超しますよ。乗り降り自由デイパスが4ポンド($6)。お高いけど駐車場捜す心配もないし間違っても乗り降り自由だし、歩きに飽きたらたまにはバスに乗るのも楽しいですね。
日本ではバスは路線バスが多いからこういう光景って電車のほうが多いのかな。
フリムンさんの話を聞くとかなりでかそうなカツですね。
グリーンチリがメキシコ料理とは、匂いも辛さも違います。
このミラネーサはアルゼンチン人の肉屋で作っています。
買いに来るお客さんはほとんどがメキシカンのようでした。
# daysofWLAさん
昔、私がSOUTH ELMONTEに工場を借りていた24,5年前はほとんどがメキシカンでした。 町のほとんどが工場で、鉄の材料やさん、溶接やさん、がいっぱいありました。ROSEMEADに少しベトナム人が住んでいました。
今は完全にチャイナタウンに変わっているようです。
# Morning Beautyさん
25セントの頭パスです。
はげ頭も役に立つ時があります。
私のおじいさんは昔、クリームのない頃、喜界島で、卵の白身ではげ頭を磨いていました。
私も、はげ頭に磨きをかけて、光らそうと思っています。
歯磨きも変わっていました。
粉ではありません、液体でした。
1升瓶に海の塩水を入れてきて、塩水で歯を磨いていました。
もちろん、歯ブラシでゃなく、人差し指を口に入れて、歯ブラシ代わりです。
塩水は口の中を消毒するからでしょうか。
# はらさん
私は隣町のPASO ROBLESからLAへ行く時はなるべく、グレイハンのバスで行きます。
気分転換とエッセイのネタ探しのためです。
でも、ほとんどの乗客がヒスパニック系と、大学生のようです。
大きな布袋を肩に乗り込んでくる彼らはすぐに農業労働者とわかります。
# スーパーももちゃん
そうでかいカツではないですが、3枚もカツが入っています。
パンもでかくて長いです。
楽しいエッセイですね。
散歩していて、バスに乗ろうと不意に思った時とあり、思ったことを即行動に移す勇気にすごーい方なんだなーとおもいました。
懐かしのミラネーサを求めて、色々な思いで、ようやくそれを見つけ、ほおばったときの喜びが伝わってきます。アルゼンチンのお料理は全然知らないので、聞いたことがない名前なんですけど、そんなに懐かしくなって遠くからバスに乗りわざわざ買いに来られるのを読むと是非食べてみたくなります。
バスに乗る冒険のお話、ありがとうございます。私もサンフランシスコに住んでいた頃はバスに良く乗った物ですが、車を買ってから道楽になってバスは乗っていません。いくらなのかも知らないし、後ろから乗るのか前から乗るのかも判らない。私にとって車は必需品です。特にここミシシッピでは必要です。バスなんてあるのかな?ポートランド(オレゴン)に住んでいた時は息子達はバスに乗っていましたが私は愛車を乗り回していました。冒険するのも楽しそうですね。
みちこさんのコメントに、胸がどきんとしました。
大阪に住む妹からだと思いました。
私の妹も名前が「みちこ」です。
これからも仲良うお願いします。
フリムン徳さんは昔住んでいたロスアンジェルスへ行く時は
昔懐かしい人を探しに行くより、昔懐かしい味のミラネーサを食べに行きます。
こんな人のことを喜界島の方言で「フリムン」といいます。
フリムンは普通の人とは、やること、なすこと、考えることがちょっと違います。
私はフリムンの視線で、物を見、そして、考えて、もっと、もっと、楽しい、おもろいエッセイを書こうと頑張っています。
苦笑いしながら、応援をお願いします。
# Makoさん
Makoさんのコメントにも胸をときめかせました。
大昔の私の彼女がMakoさんでした。
懐かしい食べ物は懐かしい人を呼ぶようです。
懐かしいミラネーサのことを書いたら、妹の「みちこ」、昔の彼女の 「 マコ」さんの名前が続けて出てきました。
こういうことを偶然というのでしょうか
シアトルで大工をしていた頃、オレゴンのセーラムにある東京国際大学に茶室も造ったことがあります。雪の降る寒いシーズンでした。これも懐かしい、白い思い出です。
フリムン徳さん
http://www3.synapse.ne.jp/daiichi-jh/hougen.htm
これからも素敵なエッセイ楽しみにしています。
妹のみちこさんと大昔の彼女Makoさんと名前が続くというのも面白い偶然ですネ。フリムンさんの昔の彼女のMakoさんってどんな人だったのかな?興味あります。私はおっちょこちょいの頑固者なのですが、きっと素敵なMakoさんだったのでしょうね。
でもいつかその妹さんもコメントしてきてくれたら良いですね。
これからも、フリムンさんの名前のごとく頑張って楽しく、おもしろいエッセイを書いてくださいね。
応援しています。
milanesaとは、 食べたことも聞いたこともないのですが、 検索してみたら、 アルゼンチンの食べ物で ビーフカツ(a beef cutlet)なのですね。
私は 高校時代に ハムカツ(ハムにパン粉をつけて揚げたもの)パンを お昼に食べました。家庭では 肉はまだ、ほどんんど食卓になかったので、中学のころか、開店したばかりの肉屋さんで ハムカツやコロッケを 買ってきた記憶があります。
懐かしい食べ物の話は 心がほぐれますね。
アメリカで普段乗っているバスは 分かっているのですが、旅行に行った時に乗ったバスは 日中ではあっても バス停でバスを待っている間が 安全であるかどうか、 神経を使うことがありました。
日本でバスに乗っていた時の感覚が 懐かしくなるのですよ。 成田から東京に向かうバスに乗ると、なんだか、しみじみと、ほっとする空気ではあります。 今 私が使っているバスは スマートパスを購入しておけば、シニア料金で半額の75セントです。 2年前の25セントは かなり安い料金ですね。 日本人は バスに乗る前に 小銭を用意しておくけども、 他の人種の人々は 乗ってからポケットをまわぐるので、 払うまで時間がかかりますね。 運転手さんも ストレスのかかる仕事です。 たまに 払わないで乗っている人がいて、あとから注意されていたりします。 歳のいった御母さんドライバーは 親切ですね。 安全には 注意しないとですが、 バスの中でのヒスパニック系移民の人々の人情味は アメリカでは ほろりとさせられます。
アジア系は ちょっとつれないですね。
「フリムン」の意味がやっと解けましたか。
これにて一件落着。
どうして、私がフリムンになったのか、
私の出版した本の名付け親が悪いのです。
生みの親は上園田徳市と立派な名前を付けてくれました。
でも、「フリムン徳さんの波瀾万丈記」の編集担当者が、私の本の中に、沢山のフリムンと言う言葉が出てくるので「フリムン徳さんの波瀾万丈記」と命名したのであります。
でも、子供たちは困ると思います。「あんたのオヤジはフリムン」と馬鹿にされるに違いないと思います。
ところが、幸いに私の子供は二人ともアメリカ生まれ育ちですから、私の本も読めません。だから、私は安心しておれるのです。
#Mako さん
日本を出てもう37年近く、あれ以来、彼女の「マコ」さんとは音信普通です。
あの頃のマコさんはつるつるした肌の女性でした。
あの頃のマコさんしか思い出せません。
昔のままのマコさんにしておきます。
# みちこさん
妹のみちこからコメントが入ったら、すぐに日本に電話します。
でもあまり可能性がないのです。
妹はコンピューターは年に何回かEメールに使うだけのようです。
あまりコンピューターが得意ではないようです。
# むべさん
私の住む山の中のブラッドレーのアメリカ人は愛想がよすぎます。
難儀な時もあるくらいです。
それに比べると、アジア系にもっと笑顔をですね。
「人間に咲く花」と言うタイトルで、笑顔のエッセイを書いてあります。
そのうち、Chiblitsさんに 掲載お願いしようと思います。