by フリムン徳さん

 散歩しながら、バスに乗ろうと不意に思った時に、私は社長から新米社員になったような気持ちになった。日頃、車で自由自在に、いつでも、どこでも動け回る私は社長のようであったと感じた。今、不意に、20数年前の昔、住んでいたロスアンジェルスの路線バスに乗って、知らないところを探して行こうとしている私は新米社員のようである。おろおろしだした自分が情けなくなって、頭の中で小さな小人がが苦笑いしているようであった。バスの乗り方をまったく知らないからである。どのバスに乗って、どこへ行けるか、切符代はいくらか、さっぱりわからない。

 5月のメモリアルデーの連休を利用して、フリムン徳さん応援団(料理とキャンプの達人)の井手尾さんにユタ州のアーチスを見ながらキャンプに連れて行ってもらうことになった。信号機もない山の砂漠と呼ばれるモントレーのブラッドレー住む私の運転技術でロスアンジェルスへ車で行くのは怖い。グレイハンのバスで行った。自分の車では4時間ちょっとで行ける(モントレーパークとサンゲーブルの隣町)ロスアンジェルスまで片道6時間以上もかかる。急ぐ必要はない。たまには、車の運転をしないで、他人とバスの同じ座席に座って旅をするのも何かを感じるに違いない。それが金髪の美人だったら、どないにしよう、難儀やなあ。2週間以上も前にインターネットで予約すると、近くの町パソロブレスからロスアンジェルスまで、片道およそ40%引きの35ドルで買える。

 キャンプに出発する前の日1日私は井手尾さんの住むローズミードの町(モントレーパークとサンゲーブルの隣町)を当てもなく散歩することに決めた。エッセイのネタ探しである。私は昔、アーケイディア、サンゲーブルに17年住んでいたことがある。ローズミードもよく知っているつもりであった。通りの名前はいくつか覚えているのがあったが、町並みは昔の面影は何もなかった。白人を見かけない、見かけるのは東洋系の人ばかりである。ニュー・アベニューを15分も歩いていたら、ガービー・ブルバードに出た。通りの店の中国語の看板の氾濫に圧倒された。ここは中国の町なのかと疑いたくなった。ローズミードではなく、チャイネィーズミードである。「将来、カリフォニアは中国人に取られ、ハワイは日本にに取られる」とあるロシア人が何かに書いてあったのを思い出した。

 ガービー・ブルバードに出た途端に、昔、大工時代に長年借りていた、サウスエルモンテの工場と、ティトのミラネーサを思い出した。11時半、腹が減ってきた。どうしてもミラネーサが欲しくなった。このガービー・アベニューを東へ真っ直ぐ行けば、あのミラネーサが買える。当時、あまり、おいしいから病み付きになった。リー・アベニューにあった私の工場から車で4、5分で買いに行けた。20年近く経った今でもはっきり覚えている。あの柔らかい肉、経験したことのない唐辛子の変わった辛さ、辛さにほんのりと、こおばしい異国の匂いみたいな香りも好きだった。懐かしいミラネーサ!!

 ミラネーサはアルゼンチンの料理で日本でいう串カツみたいなものである。日本のものと比べると、ミラネーサはもっと薄く、よく叩かれているので柔らかい。それは白い油紙に包まれていた。マーケットで肉を包んであるよく見かけるあの少し田舎臭い油紙である。その油紙を開けると、35センチ以上もある長くて大きなパンからはみ出るほどのミラネーサを3枚と、丸ごと薄切りにしたトマト4枚、青いよく煮込んだ柔らかい唐辛子をぎゅうぎゅうに挟んである。この唐辛子は人差し指ほどの太さで、薄切りにしてあるが、メキシカン料理にでてくるチリ、サルサとは辛さと匂いが違う。そんなにきつい辛さでもない。食べやすいように、真中から半分に斜めに切られていた。真っ直ぐじゃなく、斜めに切られた、切り方が、忘れられない。不思議なもので、真っ直ぐ切りと斜め切りでは味も違う気がする。ミラネーサはサウス・エルモンテのガービー・ブルバードのアルゼンチン人の経営するティトという小さなマーケットで売っていた。
 
 ミラネーサをバスに乗って買いに行くことを不意に決めた。何十年もロスアンジェルスのバスに乗ったことのない私が、バスの何の知識もなくバスに乗るのである。ここから私は社長から新米社員になり、悪戦苦闘するのである。バス停でバスに乗って、サウスエルモンテのティトの近くで降りるだけである。バスに乗って降りる、これだけのことを実行するのに私は、どれだけ惨めな思いをし、難儀したか。

 バス停を見つけた。中国人と思われるおばあさんが二人座ってバスを待っていた。一人は杖を持っている。二人とも胸にバスの定期券みたいなのを下げていた。私と目が合ったけれど、合わないフリをする。何かを思いつめているような顔をしている。話をしたくないような顔をしている。私はホームレスのようにぼろぼろの服を着て、髪、髭の伸び放題の格好もしてない、普通人の服装と顔もしているのに、これはどうしたことか。

まるで、これは国が違う。私の住む、ブラッドレーのアメリカ人は、人を見ると、にこにこして声をかけてくる、車で運転している人にさえ手をあげて声をかけるのに。これはどうしたことか。これでは「どのバスに乗って、切符代はいくらか」、聞けそうにない。難儀やのう。バスの料金票を探したがない。あるのは、バス路線の地図だけである。思い出すのは昔のバス賃は25セントだったことである。
 
 この二人のおばあさんの誰かを選んで、聞く以外にない。でも、相手が英語が通じるだろうか、これも不安である。いつもはアメリカ人ばかりの村で自分の英語が通じるかと不安になっている私が、今は逆の立場である。やはり私はチャイネィーズミードという外国に来ているんだ。

 少しだけ上品そうなおばあさんに声をかけた。上品そうな顔の人が英語を勉強していると思ったからである。「ハウマッチ、バス ティキットゥ」という言葉を何回も、喉から口元まで出しては押し込めして、新米社員が社長に聞くみたいに勇気を出して聞いてみた。「トゥウェンティー ファイブ センツ」とだけ答えて、すぐに知らん振りをした。聞いてすまない気がした。それ以上は聞けなかった。聞く気もしなかった。どうしてこうも白人と東洋人には愛想の差があるのだろうか。色の白い人種ほど愛想がいいのかと私なりに思ったりもした。

 “25セント”、違う。1ドル25セントの間違いに違いない。まさか昔のままの値段ではあるまい。バスに乗って、運転手に聞くことにした。70番のバスが来た。私は手間取ると思い、列の一番最後にバスに乗った。フリムン徳さんはこんな時はいつも人に迷惑をかけないように気を配っている。
そないに思われしまへんやろう。人間は外だけで決め付けたら、アカンのであります。黒人の太った女性運転手に「ハウマッチ」と聞いたら、「ハウ、オールド、アーユー」ときた。「アイアム、シックスティー シックス」と答えたら、「トゥウェンティー、ファイブ、センツ」。なんとロスアンジェルスのバスはシニアシチズンには昔のままのまだ25セントである。この25セントでロスアンジェルスが少しだけ好きになった。

 前の椅子に座って、後ろの座席を見渡すと、およそ90%が東洋系の顔、あと10%ラテン系。太った丸顔がチャイネィーズ系、痩せた顔がベトナム糸だろうと私の乏しい経験で、見定めていく。一人の小太りの青年がスピーカーみたいな大きな声で隣の青年に中国語で喋っていた。他のほとんどの人は聞かぬ振りして、何かを考え、何かを見つめているようであった。やはり、バスの中もチャイネィーズミードであった。

 その日私はバスを4回も乗り降りした。バスの中の人種構成、顔の表情、話し声、つまりバスに乗っている人の人間観察をしたかった。
4回もバスを乗り降りすると、バスの乗り方に自信がついてきた。新米社員から出世して、普通の平社員になったようであった。2回目バスに乗る時は、もう運転手に何も聞かない。「アイアム、シックスティー、シックス」と言って、25セントを入れて、文句なしだった。
3回目、4回目は頭を使った。バスに乗った途端に、帽子を脱ぎ、運転手に、「ハーイ、ハワユー」と言って、ハゲ頭を見せた。文句なく乗せてくれた。私のハゲ頭は66歳の印であり、25セントの値打ちであった。

 25セントのハゲ頭の私はとうとうミラネーサを売っているティとの店を見つけた。あの小さな店が、周りの土地を買い占めて、小さなショッピングセンターを作っていた。私は25セントのハゲ頭を隠すために、今度は店の中へ帽子をかぶって入った。25セントのハゲ頭の私には不似合いの7ドル25セントを払い、昔懐かしいミラネーサを頬ばりながら、ガービー・ブルバードを歩いた。
町並みや人間は変わっていたが、我が懐かしいミラネーさの味は変わっていなかった。

by フリムン徳さん
プリムン徳さんはエッセイ本「フリムン徳さんの波瀾万丈記」を出版されています。

2011_10_07_tokusan


フリムン徳さんのエッセイをお読みくださり有難うございました。
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