by フリムン徳さん
「霊の社会、あの世の人と話がしたい」、 と言う私の夢がかなえられそうだ。
生きていて、死んだ人と話がしたい私は変わった人間のようである。
だから私の名前はフりムン徳さんになったのだろうか。
とうとう、あの世の人と会える方法を書いた本に出会った。
私の育った喜界島では、朝昼晩の食事を一番先に仏壇の仏様にお供えしてから食べる。3本の線香に火をつけ、杯にお酒を入れ、小さな花瓶に花を活け、おじいさん、おばあさん、お父さん、お母さんが仏壇の前の位牌に向かって、「ウヤフジ(ご先祖)様、子供達、家内中が病気をしないで、いつも元気であるようにお守り下さい」とお願いし、悪い事が起きても、うれしい事が起きてウヤフジに報告し、お願いしていた。姿は見えないけど、ウヤフジはみんなの守り神であった。
病気も治すのも、させるのもウヤフジがさせる。喜界島のウヤフジとは不思議な守り神である。
墓が汚れている時は誰かが病気をする。ウヤフジがさせるのです。家族の誰かの頭痛がなかなか治らない時はお墓へ行き、墓を掘り返して、土葬された先祖代々のウヤフジの頭蓋骨や骨に絡まった木の細い根っこや、土をふき取りきれいにする。この頭蓋骨に絡まった根っこや、ごみがウヤフジを苦しめ、ウヤフジは家内の誰かに頭痛をさせたり病気をさせるという。お婆さん達がウヤフジの頭蓋骨や骨を赤子を抱くように大事に手に載せて、きれいに拭き取るのを今でもはっきり覚えている。オメトお婆さんの影響で、私はずーっとウヤフジが自分を見守っていると信じている。だから、困った時はいつも「タックィティ、タボーリ(助けてください)」と。死んだウヤフジの顔を思い浮かべながら、ウヤフジに祈る。
私は変わった人間である。ほとんど毎晩のように夢をみる。でも、大酒を飲んで酔っ払って寝た夜は夢を見ない。あの世の人はよっぱらいは嫌いのようである。私の夢の中に多くのウヤフジたちが揃ってご馳走を食べる夢を1週間以上続けてみると、たいてい私の身内や知り合いの誰かが死んでしまう。「そんなことはない」と言っていた嫁はんも、この頃は当りが多いから、気味悪がっているようである。どうもウヤフジは私に身内や知り合いの死を知らせたいようである。島の美代ねえに言わせると私は神憑りの人間だそうである。
昔、美代ねえが喜界島からロスの私の家へアメリカ見物にきた。長年ロスに住んでいる遠い親戚のお爺さんも美代ねえに会いに私の家へ来た。私はその前の晩、このお爺さんが雲に乗って私の家の玄関へすーっと入って、消えてなくなった夢を見た。それを美代ねえに言うと「そんな縁起悪い話はするな」と怒られた。ところがその夢は的中した。その日の昼2時10分、そのお爺さんは島の思い出話をいっぱいして、テレビを見ながら脳溢血で倒れてあの世へ行ってしまった。
この私の正夢よりもより具体的に、ウヤフジと会う方法を書いた本を見つけたのです。これはやはりウヤフジが私にこの本と会う様に仕向けたに違いありません。一気に読み上げた。福島大学の教授(飯田史彦著)「生きがいの創造」という本です。死んだあの世の人のことです。その内容が喜界島で小さい頃に聞かされていた年寄りのおじいさん、お婆さんの言っていた事とほとんど同じなのです。
1、あの世はある。
2、死ぬ時には暗いトンネルを潜りぬけてきれいな花畑が見えてくる
3、死ぬ時は、前に死んだ親兄弟、親戚が正装して、並んで迎えにきている。
4、死んだら、すべての苦しみから開放される。
5、死んだ人は生きていた時に受けた仕打ちもすべて許してあげる。
6、死んだら、また誰かの体に入って生まれかえる
7、ウヤフジはいつも私達を見守っている
8、どんな苦しみも、どんなひどいことにあっても、それは自分に与えられた
ものだから、逃げたらいけない。だから、それを克服するために頑張る、
その頑張りが自分を進歩させる。そしたら、必ず、開けてくる。
しかもそれが、アメリカ、イギリスの臨床心理学者、哲学者などが実際に経験した何百人以上の人達の話や、行動を統計してまとめて、作った「あの世の人に会える鏡の部屋」です。ムーデイー博士自身もこの鏡の部屋に入り、鏡の前に座って、実際に自分の死んだお婆さんと会い会話をしているのです。彼は父方のお婆さんに会いたいと念じながら、その鏡のある部屋に入ったのですが、現れてきたのは母方のお婆さんだったのです。自分が会いたい人より、あの世の会いたい人が先に現れるそうです。つまり、これは錯覚の現象ではないと言うことです。私はいつも願っていました。死んだ家族、親戚、友人に会って話をしたかったのです。こんなうれしい、楽しいことがあるかいな。
あの世の人と会える方法も詳しく書いてある。私はそのとうり早速実行してみました。 私の未完成の家の部屋の中の一箇所の壁に幅1メートル、高さ1.2メートルの大きな鏡を床から90センチ上がった位置に掛け、その鏡から95センチメートル離れたところに安楽椅子を置いてある。その安楽椅子に座って、リラックスして座った肩の位置がちょうど鏡の下の部分95センチと同じ線になるようにしている。その安楽椅子の横に15ワットの小さな電球のスタンドを置いてある。これがアメリカであの世を研究している学者が今までの臨死体験者や、霊の世界を経験した人の経験から統計をとって作り出したあの世の人と会う鏡の部屋なのです。私は偶然に、これと同じサイズの大きな鏡があった。死んだ親友の奥さんが、「うちの旦那の形見」と言って私にくれたものである。フリムン徳さんには何かがある?
あの世の人が現れてくるのはだいたい夜中の3時ごろが多いそうです。昔の幽霊話に出てくる丑三つ時あたり。これは日本の昔話の幽霊の出る時間と同じではないか。私は心の中に丑三つ時を刻み込みながら寝た。ぴったり、丑三つ時に起きた。ホンマは丑三つ時まで寝れなかったのである。この部屋で「お婆さん、現れてくれ、現れてくれ」と念じていますが、現れてきまへん。念じるだけだはアカンと思い、声にも出してお願いしているのですが、でもまだ現れてきまへん。お酒と、線香を供えたら現れてくれまんねやろうか。人々は月や火星に行きたい、私の夢はあの世の人と会って話をしたい。「徳さん、お前は毎晩、夢の中で、ウヤフジと宴会をしたり、話をしているではないか」と、どこからかウヤフジの声が聞こえてきそうである。
by フリムン徳さん
プリムン徳さんはエッセイ本「フリムン徳さんの波瀾万丈記」
を出版されています。

最後までフリムン徳さんのエッセイをお読みくださり、そして応援を有難うございます。

「霊の社会、あの世の人と話がしたい」、 と言う私の夢がかなえられそうだ。
生きていて、死んだ人と話がしたい私は変わった人間のようである。
だから私の名前はフりムン徳さんになったのだろうか。
とうとう、あの世の人と会える方法を書いた本に出会った。
私の育った喜界島では、朝昼晩の食事を一番先に仏壇の仏様にお供えしてから食べる。3本の線香に火をつけ、杯にお酒を入れ、小さな花瓶に花を活け、おじいさん、おばあさん、お父さん、お母さんが仏壇の前の位牌に向かって、「ウヤフジ(ご先祖)様、子供達、家内中が病気をしないで、いつも元気であるようにお守り下さい」とお願いし、悪い事が起きても、うれしい事が起きてウヤフジに報告し、お願いしていた。姿は見えないけど、ウヤフジはみんなの守り神であった。
病気も治すのも、させるのもウヤフジがさせる。喜界島のウヤフジとは不思議な守り神である。
墓が汚れている時は誰かが病気をする。ウヤフジがさせるのです。家族の誰かの頭痛がなかなか治らない時はお墓へ行き、墓を掘り返して、土葬された先祖代々のウヤフジの頭蓋骨や骨に絡まった木の細い根っこや、土をふき取りきれいにする。この頭蓋骨に絡まった根っこや、ごみがウヤフジを苦しめ、ウヤフジは家内の誰かに頭痛をさせたり病気をさせるという。お婆さん達がウヤフジの頭蓋骨や骨を赤子を抱くように大事に手に載せて、きれいに拭き取るのを今でもはっきり覚えている。オメトお婆さんの影響で、私はずーっとウヤフジが自分を見守っていると信じている。だから、困った時はいつも「タックィティ、タボーリ(助けてください)」と。死んだウヤフジの顔を思い浮かべながら、ウヤフジに祈る。
私は変わった人間である。ほとんど毎晩のように夢をみる。でも、大酒を飲んで酔っ払って寝た夜は夢を見ない。あの世の人はよっぱらいは嫌いのようである。私の夢の中に多くのウヤフジたちが揃ってご馳走を食べる夢を1週間以上続けてみると、たいてい私の身内や知り合いの誰かが死んでしまう。「そんなことはない」と言っていた嫁はんも、この頃は当りが多いから、気味悪がっているようである。どうもウヤフジは私に身内や知り合いの死を知らせたいようである。島の美代ねえに言わせると私は神憑りの人間だそうである。
昔、美代ねえが喜界島からロスの私の家へアメリカ見物にきた。長年ロスに住んでいる遠い親戚のお爺さんも美代ねえに会いに私の家へ来た。私はその前の晩、このお爺さんが雲に乗って私の家の玄関へすーっと入って、消えてなくなった夢を見た。それを美代ねえに言うと「そんな縁起悪い話はするな」と怒られた。ところがその夢は的中した。その日の昼2時10分、そのお爺さんは島の思い出話をいっぱいして、テレビを見ながら脳溢血で倒れてあの世へ行ってしまった。
この私の正夢よりもより具体的に、ウヤフジと会う方法を書いた本を見つけたのです。これはやはりウヤフジが私にこの本と会う様に仕向けたに違いありません。一気に読み上げた。福島大学の教授(飯田史彦著)「生きがいの創造」という本です。死んだあの世の人のことです。その内容が喜界島で小さい頃に聞かされていた年寄りのおじいさん、お婆さんの言っていた事とほとんど同じなのです。
1、あの世はある。
2、死ぬ時には暗いトンネルを潜りぬけてきれいな花畑が見えてくる
3、死ぬ時は、前に死んだ親兄弟、親戚が正装して、並んで迎えにきている。
4、死んだら、すべての苦しみから開放される。
5、死んだ人は生きていた時に受けた仕打ちもすべて許してあげる。
6、死んだら、また誰かの体に入って生まれかえる
7、ウヤフジはいつも私達を見守っている
8、どんな苦しみも、どんなひどいことにあっても、それは自分に与えられた
ものだから、逃げたらいけない。だから、それを克服するために頑張る、
その頑張りが自分を進歩させる。そしたら、必ず、開けてくる。
しかもそれが、アメリカ、イギリスの臨床心理学者、哲学者などが実際に経験した何百人以上の人達の話や、行動を統計してまとめて、作った「あの世の人に会える鏡の部屋」です。ムーデイー博士自身もこの鏡の部屋に入り、鏡の前に座って、実際に自分の死んだお婆さんと会い会話をしているのです。彼は父方のお婆さんに会いたいと念じながら、その鏡のある部屋に入ったのですが、現れてきたのは母方のお婆さんだったのです。自分が会いたい人より、あの世の会いたい人が先に現れるそうです。つまり、これは錯覚の現象ではないと言うことです。私はいつも願っていました。死んだ家族、親戚、友人に会って話をしたかったのです。こんなうれしい、楽しいことがあるかいな。
あの世の人と会える方法も詳しく書いてある。私はそのとうり早速実行してみました。 私の未完成の家の部屋の中の一箇所の壁に幅1メートル、高さ1.2メートルの大きな鏡を床から90センチ上がった位置に掛け、その鏡から95センチメートル離れたところに安楽椅子を置いてある。その安楽椅子に座って、リラックスして座った肩の位置がちょうど鏡の下の部分95センチと同じ線になるようにしている。その安楽椅子の横に15ワットの小さな電球のスタンドを置いてある。これがアメリカであの世を研究している学者が今までの臨死体験者や、霊の世界を経験した人の経験から統計をとって作り出したあの世の人と会う鏡の部屋なのです。私は偶然に、これと同じサイズの大きな鏡があった。死んだ親友の奥さんが、「うちの旦那の形見」と言って私にくれたものである。フリムン徳さんには何かがある?
あの世の人が現れてくるのはだいたい夜中の3時ごろが多いそうです。昔の幽霊話に出てくる丑三つ時あたり。これは日本の昔話の幽霊の出る時間と同じではないか。私は心の中に丑三つ時を刻み込みながら寝た。ぴったり、丑三つ時に起きた。ホンマは丑三つ時まで寝れなかったのである。この部屋で「お婆さん、現れてくれ、現れてくれ」と念じていますが、現れてきまへん。念じるだけだはアカンと思い、声にも出してお願いしているのですが、でもまだ現れてきまへん。お酒と、線香を供えたら現れてくれまんねやろうか。人々は月や火星に行きたい、私の夢はあの世の人と会って話をしたい。「徳さん、お前は毎晩、夢の中で、ウヤフジと宴会をしたり、話をしているではないか」と、どこからかウヤフジの声が聞こえてきそうである。
by フリムン徳さん
プリムン徳さんはエッセイ本「フリムン徳さんの波瀾万丈記」

最後までフリムン徳さんのエッセイをお読みくださり、そして応援を有難うございます。


コメント
コメント一覧 (8)
「生きがいの創造」私も持っています。というか、私、飯田先生の授業、大学でとってました。思いがけけず懐かしい名前を拝見してびっくりしました!
ご先祖様を敬う気持ち、私の田舎でも同じです。遠く離れていても、いつも感謝を絶やさずにいたいと、改めて思いました。
ご先祖様はこれから起こることについて、提言くれたりするのでしょうか?
骨をきれいにするというのはびっくりしました! でもそういえば15年前だったか実家のお墓大掃除をした時骨壷を開いていましたね。 そしたら水が溜まっていたのできれいにしていました。 じいさんも娘も私も不思議な体験をしています。それぞれに。
はじめまして。
飯田先生の授業も取っていたんですか。
これを偶然というのでしょうか。
懐かしい人には2度めぐり合えるチャンスが多いようです。
去年、45年ぶりに、何かの偶然で、大阪夜間高校生時代の片思いの女性を探し出して、電話で話もしました。やはり、偶然はウヤフジが造っているような気がします。
私はいつも死んだウヤフジ達が私の心の中で生きていると思っています。
私のベッドの横の机の上には小さな額に入った写真を沢山並べています。
眺めては思い出して、心の中で話しかけています。
死んだおじいさん、おばあさん、お父さん、、親友、お世話になった人たちの写真です。
先祖代々の位牌も並べています。
並べられた位牌は粗末な小さな板で出来ていて、私が、ボールペンでウヤフジの名前と行年の月日を書いています。
パラグアイへ移民した時に、日本から位牌は持っていけませんでした。
ノートにウヤフジ達の行年を書きとめてもって行きました。
そして、ジャングルの私の土地の大きな木を切った時に、その木を手のこで板みたいに薄く製材して、手カンナで削り、薄い板を作りました。南米パラグアイの自分の土地から切った木で作った手作りの位牌です。墨もマジックもなかったから、ボールペンでウヤフジの名前と行年を書いたのです。思い出の位牌です。
私は誰よりもウヤフジを大事にしたいです。
フリムン徳さん
「フリムン徳さんの波瀾万丈記」読んでくださってうれしいです。ありがとうございます
元気を出して、好きなことを、思っている、やりたいことを実現してください。
始めるまでの思い切りが、ふんぎりまでに時間がかかりますよね。
他人の噂が気になりますよねえ。
自分の人生です、わが道を行くのです。
またフリムン徳さんがええ格好しました。
許しておくんなはれ。
今、喜界島に住んでいる私のおばさん(89歳)は半年か1年に隣の島奄美大島の占い師(ヌル神様、ユタ神様)に行きます。
ウヤフジを出してもらって、ウヤフジから、自分の健康のことや、家族のこと、気をつけなければいけないこと等を訊いています。そして、東京にいる子供たちや、私のお袋に、いちいち電話で伝えています。 面白いでしょう。
フリムン徳さん
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# Makoさん
正夢ですね。
私はしょっちゅう正夢を見ます。
人が死ぬ頃、死んでから、その家へ小鳥が入ってくるのはよくあるそうです。
私の住んでいるブラッドレーで3年前、親しいアメリカ人のおばあさんが死にました。
死ぬ2,3日前に、やはりメジロが家に入ってきました。私も嫁はんもその家にいていました。その時、アメリカインディアンと白人のハーフのご婦人が、「インディアンは小鳥が家に入ってきたら、誰かが死ぬ印だ」と言っていました。
フリムン徳さん
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# Chiblitsさん
喜界島の昔は、時々、お墓を開けて、ウヤフジの骨を綺麗にするのは当たり前のことでした。ウヤフジもたまにはおめかししたいようです。
フリムン徳さん
・・・というのも、私も時折、夢(予知夢)を見ますし(主に自分に関すること)、親しい方(動物も含む)がお亡くなりになる時にも”おしらせ”を感じたりします。子供の頃からそういうことがあります。聞こえないものが聞こえたり・・・は嫌なんだけどしょっちゅうです。(最近は多少コントロールできるようになりましたが。)
20年前に亡くなった祖母を”感じる”こともあります。子供の頃に理解できなかったことが、それによって大人になってからよく理解できたということがあります。全部「優しさ」からきているんだなぁって。
ウヤフジさまという言葉の響きが素敵です。
私も飯田史彦先生の説に大賛成です。
霊の社会はあると信じています。
予知夢、人が亡くなる前の知らせ(虫の知らせ)、人に聞こえないものが聞こえる、沢山の人が経験しています。私はこれらのことはウヤフジがさせていると思っています。
私の生まれ故郷喜界島では「ウヤフジガナシ」と言います。
助かった時、勝った時、うれしい時、楽しい時は「トットゥガナシ、ウヤフジガナシ」と言って喜びます。ウヤフジとは「不死の親」と私は思っています。親の身体は死んでも、親の心は生きている。ウヤフジ、ウヤフジ、ウヤフジを奉ろう。フリムン徳さん