福島のお母さんたちは、子供たちのために、放射能汚染のない未来を築くことを求めて、経済産業省前で平和的なキャンペーンを行っています。そのお母さんたちに対して、枝野幸男・経済産業大臣が退去命令を出しました。 私たちが今、みんなで支援をしなければ、子供たちの命を守る闘いはつぶされてしまいます。 今すぐ、枝野大臣の受信箱に何千通のメッセージを送り、退去命令の撤回を要請しましょう。
署名サイト
もう一つ。
「みんなで決めよう「原発」国民投票」の 署名締め切りまであと9日。 このサイトで署名場所が分かります。 或いは受任者になってお友達やご近所から署名を集めましょう。 受任者とは。 22万人以上の署名が必要だそうです。 1月30日現在 署名数 166,848筆。 未だ6万筆不足だそうです。 東京都にお住まいのご親戚やお友達に教えてあげましょう。 このままでは政府と電力会社の意のままになってしまいます。






世の中にはこんな「奇跡現象」を体験した人もいる。
これは私がある本で読んだ世にも不思議な、想像もできない、ある日本の男の生死に関わる体験である。
第1回目の体験、彼は小さい頃、海で溺れかかって、ある女性に助けられた。
第2回目の体験は大人になってからハワイへ旅行をした。とある行き止まりの道に二人の人相の悪い男に追い詰められて、強盗される寸前だった。偶然にそこへ身体の大きな日系の男性が現れて、助けてくれた。聞いてみたら、彼はハワイの警察官であった。
第3回目の体験は、彼がゴルフ場のレストランで、食事を終えて、外へ出たら、後ろから、ウェイトレスが「忘れ物ですよ」と、彼を呼び止めた。頭を彼女に振り向けた途端に、ジェット機かと思える速さのゴルフボールの球が彼の目の前をすれすれに飛んでいった。もし、彼女に呼ばれて、頭を振り向けていなかったら、彼の頭はゴルフ球で打ち砕かれていたに違いないという。
長年過ぎてから、「この3つの事件を調べて見よ」と、言葉が頭の中に、しつこく聞こえるようであった。とうとう彼は古い記憶を頼りに自分を助けたこの3人の名前を調べたのである。
どうなったか? なんとこの3人全部の苗字が同じ「山本」さんであったのである。(名前は勝手に山本と仮名にさせてもらいます。)
次に彼はどうしたか?‚ 今度は、そのことを占い師に占ってもらった。占い師の口から出た言葉は「あなたのご祖先が、昔、山本という人を助けた」という事でした。
私に言わせれば、「ウヤフジは義理堅さは鉄のように硬い、3人もの山本さんに恩返しをさせた」
彼は変わっている。なぜ占い師まで行ったのだろう。私の考えでは、助けてもらった人に御礼をしてこの話は終わりだと思う。ところが彼はその事を占い師にまで行って占ってもらった。やはりウヤフジがさせたように思う。
私は25回以上の見合いをした。しまいには見合い疲れして、喜界島の美代ねえ(おばさん)に頼んで、顔も見ないで、近くの坂嶺村の今の嫁はんと結婚してしもうた。ところが美代ねえの旦那さんが言った言葉も気になる。「徳市は、小さい頃、坂嶺村の女性と結婚する」と言っていた。私はそんなことを言ったことはちっとも覚えていなかった。これも偶然の一致だろとうか。
私は誰もが信じがたい映画見たいな経験もした。、これは私に実際に起こった世にも不思議な、誰もが信じがたい話です。1996年、南サンフランシスコに住んでいた頃です。ある朝、車のエンジンがかからないので、トーイングカーを呼びました。私の車(ホンダ、シビック)を大きなトーイングカーの荷台に乗せて、私は運転手の横に乗って、El CaminoをSan Joseの方へ走って近くのホンダのディーラーへ向かいました。右側の大きな墓地を越えて、少し緩やかな下りにに差し掛かりました。私と話をしていたトーイングカーの運転手が後ろの荷台を振り向いたら、乗せたはずの私の車が消えてないのです。しっかりと太いワイヤで縛ったのを私はじっと見ていました。荷台に乗せた私の車はどこへ飛んでいったのか?運転手は真っ青になって慌てふためいて周りを見渡しました。彼は見つけました。私の車は飛んでいませんでした。
走っていました。私達のトーイングカーのすぐ左横の中央車線を他の車と同じように仲良く並んで走っていたのです。運転手もいない、誰も乗っていない無人の車が、他の車と並んで、何もない様に走っていたのです。
これは映画ですか、いや違います、現実です。 不思議なことでした。朝のラッシュアワーなのに車がすいていました。 私と運転手は外側線を走っていた。運転手は慌てて車を道路横に停め、車の合間を縫って、ゆっくり走っている私の無人の車のドアを開け飛び乗り、無事に、道の横につけたのです。ラッシュアワー時だったのに、車の流れが途切れていたのも私のホンダのドアの鍵がかかっていなかったのも幸運だった。この一瞬の出来事に並んで走っていたどのドライバーも気づいてない様子でした。私とトーイングカーの運転手しか見ていない真昼の夢のような映画のようでした。
ホンダのディーラーでこの話をすると、誰も信じがたい様な顔をしていました。もちろんだと思います。車はほとんど無傷な状態でした。私が知りたいのは、あんな高いトーイングカーの荷台からいったいどんな落ち方をしたのか。私の車が落ちたのは大きな墓場を越えて下り坂にさし掛かったところです。墓場には何かかがあるようです。でも、ガソリンタンクが少しだけ凹んでいました。
私は小さい頃、大きくなったら何になるかと考えたのは3つあった。ひとつは大工さんだった。小学生の時工作が上手だったからである。二つ目は商売人になることだった。これは人を「説得する本」に影響されたと思う。三つ目は物書きになることだった。夜間高校生の頃、おもろい文章をよく書いていたからだろか。私は59歳までに商売人、大工さん、物書きの三つの夢にえがいていた職業を全部やってしまった。できるとは思いもしなかった。そして、どれも偶然にその職業についたようである。振り返ってみると、不思議なことでもある。これらのことは心に描いていたのが現実になったケースのようである。何かが私にさせている。私にはウヤフジ(ご先祖様)がそうさせているとしか考えられない。
私がロスアンゼルスで大工を始めたもう27、8年も前の頃の話です。まったく知らないある人から「お骨入れを木で作ってくれ」と注文があった。旦那さのお父さんが死んだので、お骨を入れて日本へもって帰るそうです。私はその人の名前を聞いてびっくりしました。その死んだ人が、私の喜界島のおじいさんの従兄弟だったのです。小さい頃よく聞かされた名前でした。
奇跡現象、偶然の一致を研究した生物学者カメラーや心理学者ユングは、すなわちこの世には、通常の因果律を越えた「超因果律」ともいうべき法則が存在している。たとえばそれは、64のパターンからなる中国の「易」のシステムに見ることができると言っている。分子、光子、量子力学、超因果律、とか私にはわからん難しい言葉ばかりでてきよる。読み進むうちにとうとう意味がわからんようになってきた。
でも、強く心にえがいたり、念じたことが現実になるケース、あるいは夢で危険を予知した正夢、予期しない、想像すら出来ないまったくの奇跡現象、偶然の一致などは超能力が作動した結果ではなかろうか。その超能力を起こす人を私は知っている。それは私の場合は自分の一番身近な喜界島のウヤフジ(ご先祖様)が起していると信じている。見たこともないキリスト様やお釈迦様よりも私達のことをよく知っているのはウヤフジです。ウヤフジがあの世から私達に奇跡を、偶然を起こし、私達クァンキャー(子供たち)を引き合わせ、助け合わせて、見守っているような気がしてならない。私はウヤフジを誰よりも大事にしようと思います。
by フリムン徳さん
プリムン徳さんはエッセイ本「フリムン徳さんの波瀾万丈記」
を出版されています。

フリムン徳さんのエッセイを最後までお読みくださり、そしてフリムン徳さんへの応援も宜しくお願いします。

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「みんなで決めよう「原発」国民投票」の 署名締め切りまであと9日。 このサイトで署名場所が分かります。 或いは受任者になってお友達やご近所から署名を集めましょう。 受任者とは。 22万人以上の署名が必要だそうです。 1月30日現在 署名数 166,848筆。 未だ6万筆不足だそうです。 東京都にお住まいのご親戚やお友達に教えてあげましょう。 このままでは政府と電力会社の意のままになってしまいます。






世の中にはこんな「奇跡現象」を体験した人もいる。
これは私がある本で読んだ世にも不思議な、想像もできない、ある日本の男の生死に関わる体験である。
第1回目の体験、彼は小さい頃、海で溺れかかって、ある女性に助けられた。
第2回目の体験は大人になってからハワイへ旅行をした。とある行き止まりの道に二人の人相の悪い男に追い詰められて、強盗される寸前だった。偶然にそこへ身体の大きな日系の男性が現れて、助けてくれた。聞いてみたら、彼はハワイの警察官であった。
第3回目の体験は、彼がゴルフ場のレストランで、食事を終えて、外へ出たら、後ろから、ウェイトレスが「忘れ物ですよ」と、彼を呼び止めた。頭を彼女に振り向けた途端に、ジェット機かと思える速さのゴルフボールの球が彼の目の前をすれすれに飛んでいった。もし、彼女に呼ばれて、頭を振り向けていなかったら、彼の頭はゴルフ球で打ち砕かれていたに違いないという。
長年過ぎてから、「この3つの事件を調べて見よ」と、言葉が頭の中に、しつこく聞こえるようであった。とうとう彼は古い記憶を頼りに自分を助けたこの3人の名前を調べたのである。
どうなったか? なんとこの3人全部の苗字が同じ「山本」さんであったのである。(名前は勝手に山本と仮名にさせてもらいます。)
次に彼はどうしたか?‚ 今度は、そのことを占い師に占ってもらった。占い師の口から出た言葉は「あなたのご祖先が、昔、山本という人を助けた」という事でした。
私に言わせれば、「ウヤフジは義理堅さは鉄のように硬い、3人もの山本さんに恩返しをさせた」
彼は変わっている。なぜ占い師まで行ったのだろう。私の考えでは、助けてもらった人に御礼をしてこの話は終わりだと思う。ところが彼はその事を占い師にまで行って占ってもらった。やはりウヤフジがさせたように思う。
私は25回以上の見合いをした。しまいには見合い疲れして、喜界島の美代ねえ(おばさん)に頼んで、顔も見ないで、近くの坂嶺村の今の嫁はんと結婚してしもうた。ところが美代ねえの旦那さんが言った言葉も気になる。「徳市は、小さい頃、坂嶺村の女性と結婚する」と言っていた。私はそんなことを言ったことはちっとも覚えていなかった。これも偶然の一致だろとうか。
私は誰もが信じがたい映画見たいな経験もした。、これは私に実際に起こった世にも不思議な、誰もが信じがたい話です。1996年、南サンフランシスコに住んでいた頃です。ある朝、車のエンジンがかからないので、トーイングカーを呼びました。私の車(ホンダ、シビック)を大きなトーイングカーの荷台に乗せて、私は運転手の横に乗って、El CaminoをSan Joseの方へ走って近くのホンダのディーラーへ向かいました。右側の大きな墓地を越えて、少し緩やかな下りにに差し掛かりました。私と話をしていたトーイングカーの運転手が後ろの荷台を振り向いたら、乗せたはずの私の車が消えてないのです。しっかりと太いワイヤで縛ったのを私はじっと見ていました。荷台に乗せた私の車はどこへ飛んでいったのか?運転手は真っ青になって慌てふためいて周りを見渡しました。彼は見つけました。私の車は飛んでいませんでした。
走っていました。私達のトーイングカーのすぐ左横の中央車線を他の車と同じように仲良く並んで走っていたのです。運転手もいない、誰も乗っていない無人の車が、他の車と並んで、何もない様に走っていたのです。
これは映画ですか、いや違います、現実です。 不思議なことでした。朝のラッシュアワーなのに車がすいていました。 私と運転手は外側線を走っていた。運転手は慌てて車を道路横に停め、車の合間を縫って、ゆっくり走っている私の無人の車のドアを開け飛び乗り、無事に、道の横につけたのです。ラッシュアワー時だったのに、車の流れが途切れていたのも私のホンダのドアの鍵がかかっていなかったのも幸運だった。この一瞬の出来事に並んで走っていたどのドライバーも気づいてない様子でした。私とトーイングカーの運転手しか見ていない真昼の夢のような映画のようでした。
ホンダのディーラーでこの話をすると、誰も信じがたい様な顔をしていました。もちろんだと思います。車はほとんど無傷な状態でした。私が知りたいのは、あんな高いトーイングカーの荷台からいったいどんな落ち方をしたのか。私の車が落ちたのは大きな墓場を越えて下り坂にさし掛かったところです。墓場には何かかがあるようです。でも、ガソリンタンクが少しだけ凹んでいました。
私は小さい頃、大きくなったら何になるかと考えたのは3つあった。ひとつは大工さんだった。小学生の時工作が上手だったからである。二つ目は商売人になることだった。これは人を「説得する本」に影響されたと思う。三つ目は物書きになることだった。夜間高校生の頃、おもろい文章をよく書いていたからだろか。私は59歳までに商売人、大工さん、物書きの三つの夢にえがいていた職業を全部やってしまった。できるとは思いもしなかった。そして、どれも偶然にその職業についたようである。振り返ってみると、不思議なことでもある。これらのことは心に描いていたのが現実になったケースのようである。何かが私にさせている。私にはウヤフジ(ご先祖様)がそうさせているとしか考えられない。
私がロスアンゼルスで大工を始めたもう27、8年も前の頃の話です。まったく知らないある人から「お骨入れを木で作ってくれ」と注文があった。旦那さのお父さんが死んだので、お骨を入れて日本へもって帰るそうです。私はその人の名前を聞いてびっくりしました。その死んだ人が、私の喜界島のおじいさんの従兄弟だったのです。小さい頃よく聞かされた名前でした。
奇跡現象、偶然の一致を研究した生物学者カメラーや心理学者ユングは、すなわちこの世には、通常の因果律を越えた「超因果律」ともいうべき法則が存在している。たとえばそれは、64のパターンからなる中国の「易」のシステムに見ることができると言っている。分子、光子、量子力学、超因果律、とか私にはわからん難しい言葉ばかりでてきよる。読み進むうちにとうとう意味がわからんようになってきた。
でも、強く心にえがいたり、念じたことが現実になるケース、あるいは夢で危険を予知した正夢、予期しない、想像すら出来ないまったくの奇跡現象、偶然の一致などは超能力が作動した結果ではなかろうか。その超能力を起こす人を私は知っている。それは私の場合は自分の一番身近な喜界島のウヤフジ(ご先祖様)が起していると信じている。見たこともないキリスト様やお釈迦様よりも私達のことをよく知っているのはウヤフジです。ウヤフジがあの世から私達に奇跡を、偶然を起こし、私達クァンキャー(子供たち)を引き合わせ、助け合わせて、見守っているような気がしてならない。私はウヤフジを誰よりも大事にしようと思います。
by フリムン徳さん
プリムン徳さんはエッセイ本「フリムン徳さんの波瀾万丈記」

フリムン徳さんのエッセイを最後までお読みくださり、そしてフリムン徳さんへの応援も宜しくお願いします。



コメント
コメント一覧 (22)
私も、不思議なことは普通におこるってことに大共感します。
私たちの頭ではつじつま合わないようなことが、遠くの大きなところから見たら、まさにどんぴしゃなことが起こっているのかもしれません。
私も、結婚については これほど多くのお見合いはできなかったけれど
不思議だなあということはいくらでもあるようですね。みんなありがたく受け止めることにしてます。
こちらでは、インフルエンザはやってきました。今年はA香港型、少し辛そうです。
chiblitsさんもお体に気を付けて。
フリムンさんのお人柄がそうさせるのでしょうね。
彼の著書も購入し、豪快かつ純粋ななお人柄に引き込まれました。
「取り組んだら放すな、死んでも放すな、殺されても放すな」には笑いましたが、ここぞ!の時には大事なフレーズですね。
私は能天気な息子の母でしたが、3.11以降様々考える事がふえました。湧き上る気持ちで、今は地元で脱原発の活動に微力ながら参加するようになりました。
「黙っている事は賛成を意味する」と言う言葉に背中を押されて、今日に至ります。
Chiblitsさんも、脱原発を応援して下さっていると感じています。とても嬉しいです。
私の住む世田谷区では、春休みに福島の子供さん達をこちらに招待するプロジェクトが進んでいます。
HPが完成したら、お知らせしてもいいですか?
今日から2月。春が待ち遠しいです。
桜ヶ丘の母さん、私も原発は反対です。何が何でも反対です。ドイツは偉い。
フリムンさんは守られているのですね。ありがたいことです。私も日本に帰るたびにお墓参りをして掃除をします。でも納骨されているところを開けた事はありません。
私はどちらかと言うと強く心に思うとそれがかなったりしたことは何度となくあります。それと何かが私を引き止めてくれて大きな事故にあわなかったとか…と言うこともありました。運命って不思議ですよね。おばあちゃんが守ってくれていると思っていました。
ブルースが好きな私がBBKing, Muddy Water, Robert Johnsonの生まれ故郷であるミシシッピに引っ越してくるなんて西海岸ばかりで暮らした私には思っても見なかったことでした。オレゴンでは一年間以上失業していたのにここミシシッピの大きな会社で雇ってもらえるなんて夢にも思っていませんでした。素敵な人達にも出会えたし、業でしょうか?
私の友達に芸能界に対するあこがれを捨てきれないまま大人になった人がいて、その人は上司のパワハラと性格的な問題で鬱になってしまいました。その人の夢はやたらと芸能人が出ると言うんです。
昨年は念願の介護福祉士試験も合格し、弟も結婚し、新しい車も買いましたが、今のほうが幸せです。
フリムンさんの話は前向きになれるから大好きです。父と同い年なので一度でいいからお会いしたいです。
フリムン徳さんは、つじつまの合わないことを起こす霊の社会に旅行に行きたいです。
車でも行けないし、飛行機でもいけないし、いったい何でいけるのでしょうか。
それは乗物では行けないようです。
インターネットで送るEメールではありません。
人間の脳から送る脳波で行けると思います。
霊の社会は英語も、日本語も、喜界島弁も要りません。
言葉は必要ないのです。心と心で通じ合うのです。
そしたら、口の役目が減ります。
口は、ものを食べることと、息をするだけになります。
そうすると、霊の社会の人は口が小さくて、脳波で話するのですから、頭でっかちの火星人みたいな顔かもしれません。
おもろいやおまへんか。
とにかくフリムン徳さんは霊の社会の人に会ってみたいです。
「フリムン徳さんの波瀾万丈記」を読んでいただいて、うれしいです。浮き浮き気分で感謝しています。
「取り組んだら放すな、死んでも放すな、殺されても放すな」、喜界島、大阪、パラグアイ、アメリカと、68歳まで50以上の職業を変えながら、生きてきたフリムン徳さんにはこの言葉が必要でした。
大阪の市岡高校の夜間学生の頃、私は広告代理店の電通で昼間働いていました。
あの当時、電通は大学卒しか採用していませんでした。
ところがその時の電通の社長「吉田秀雄」は情け深いお方でした。私は大好きでした。
夜間高校生を「夜間大学も卒業する条件」で採用してくれました。
その吉田社長が創った社則が「電通の鬼十則」です。「取り組んだら放すな、死んでも放すな、殺されても放すな」が鬼十則の一つです。
私の昔の好きだった彼女と同じ名前のMakoさん
そうです、おばあちゃんが守ってくれているのです。
私は、母方のおばあちゃん「オメトおばあちゃん」{デ}をいれたら「オメデト」おばあちゃんが私を守ってくれています。私のやることなすこと、オメトおばあちゃんと似ているようです。
心の広い、強くて優しいおばあちゃんでした。昔、喜界島に各村々を廻って、食べ物をもらって歩く4、50代の女性達何人かがいました。乞食です。畑もなく、家もなく、防空壕で寝泊りしていました。オメトおばあさんはその人達が来ると、芋焚き小屋にいれて、一緒に火に当たりながら、親身になって、その人たちの話を聞き、励ましていました。本当の親しい友達みたいでした。私が小学校3、4年生の頃です。私はそのオメトおばあちゃんの写真を毎日私のベッドの横で眺めながら、話し掛けながら、エッセイの勉強をしています。
諦めたら、アカンネン、やればできる。
介護福祉試験合格、万歳やなあ、新しい車も買い、弟も結婚し、新しい人生の始まりやなあ。もう、ウヤフジが守ってくれている。心配しなはんな。
こんにちは〜。
今回の記事を、「わかる、わかる!」「そうなの!」と思いながら読みました。何か大きな力に守られている!道を示されていると思うことが何度も私の人生にも起こりました。
とても説明のつかない、私の頭でいくら考えてもここまでのシナリオは書けなかった!と言うような人生の中の展開だったので、ずーと不思議に思ってきました。それは確かに「守られている」としか思えないのです。それが徳さんのおっしゃるウヤフジさんなのですね。ありがたいと思うばかりです。
最近以前に比べてあきらめることが増えて来たようで、徳さんに笑われちゃうな。もう一度ふんどし(女だけど ^m^)締めなおさなくちゃ!!いつも元気を下さってありがとうございます。
フリムン徳さん:
昨日はコメントのお返事を戴き、有難う御座いました。フリムン徳さんから直々にお返事戴けるなんて、夢にも思っていませんでした!感激です。
著書を読んだ後、感激の気持ちを伝えたくて、
本の後ろに書いてあったtue・・で始まる徳さんのメールアドレスにメールを送ったのですが、エラーで戻って来てしまったのです・・。なので、お返事戴き本当に嬉しかったです。
フリムンさんの本には、本当に励まされました。何だか元気がモリモリ沸いてくるんです。
カリフォルニアばあさんのブログで、こんな風にお話し出来た事、感謝いたします。
これからもエッセイ、楽しみにしています。
Chiblitsさん:
お料理の本は、一昨年購入させて戴きました。
ものぐさな私なので、手の込んでいないお料理を中心に真似させて戴いています。(苦笑)
これからも応援しています。
私も20代の時、危機一髪で事故を逃れたことがあります。あと数センチずれてたら死んでいました。その時初めて、普通に生きてることってすごいことなんだなぁと思ったのと、なーんにもしてなくても(車の通っていない広い道を歩いていたのに、突然トラックが突進してきたんです・・・)、ある時突然死ぬってことはあり得るんだな・・・と知りました。それからは、「やりたいことは生きている今やる♪」と決めて、それから人生変わりました(笑)。
自分の考えたり思っていることが実際になるというのもすごーくすごーく実感しています。いいなと思ったことって、本当にすっかり忘れた頃に叶っていたりするんですよね〜。もうそれこそ何年も経ってというタイミングだとしても。
フムリン徳さんはきっと、”伝える”お役目なのですね^^ Chiblitsさんとコンビ☆
お2人とも、ありがとうございます!
メッセージありがとうございました。
私も、言葉を越えて言葉の世界=霊の世界に行ってみたいです。
でも時々、霊の世界はすぐそこにあるような気がする時があります。ドア一枚で、そこに行けるような気がしていて、そちら側からいつもメッセージが来ているような気がしています。
私の感覚の受容が狭いので きっと感知しきれないのかなあと思います。
ときどき、懐かしいにおいがする気がする時、そんなことも思います。
ハハハ!!!
いつもお話し、楽しく読ませていただいて、本当にありがとうございます。
絶対にウヤフジは子供たちを守ってくれていると思います。
女のフンドシを締めなおして、心も締めなおして、我が道を邁進して下さい。
やればできる、諦めたらアカンねん!! フリムン徳さん
「フリムン徳さんの波瀾万丈記」読んでいただいて、うれしいです。
おおきに、おおきに、ありがとうございます。
Eメール、わざわざ送ってくれたんですか。感激です。
EメールアドレスはChiblitsさんに聞いてください、お願いします。
またEメールでやり取りもしましょう。
おもろいエッセイを頑張って、書きまっせー!!
フリムン徳さん
面白いエッセイと言ってもらってうれしいです。
もっともっと勉強しておもろいエッセイを書きます。
人生短い、いつ死ぬかわからん人生、やりたいことをして、我が道をまい進しようではありませんか。自分の思っていること、考えていることはいつか偶然に実現できると思います。ウヤフジがさせてくれます。 人間とは、その人の考えなりと思います。フリムン徳さんがえらいええ格好してすんまへん。堪忍しとくんなはれ!!フリムン徳さん
いつの日か団体旅行で霊の世界へ行きましょう。
フリムン徳さん
有難うございます。
私も去年の10月に予防注射をしました。でもこの辺りで流行っているニュースは未だないです。
私も脱原発です。 どんどん増えていくといいですね。私は日本に先ず脱原発になってもらってその動きをアメリカは勿論世界中を動かして欲しいと思っています。そのためには何も知らないアメリカ人に事実を見せることと想います。
勿論!!!HPが完成したら教えてください!! 福島の子供達を呼ぶって凄いことですよ! こうして動きが始まればきっと賛同する人達が増えると思います。
アメリカも脱原発になるように何かしないとですね。今のところ署名だけです。
33歳って本厄なのですか! 娘が今年33歳。 厄払いした方がいいのかな。
フリムン徳さんのお話は元気が出ますね。 私より数年上のはずですがじいさんとわたしよりもず〜っとパワーがありそうです。
皆さんへの返信有難うございます。
皆さん、フリムン徳さんとお話したいんですね!
守られているって感じられることが幸せですよね。 私も最近あきらめることが多くなってきました。 病気にならなければいいっていうことだけ。 体調が悪いとやる気もでてきません。でもフリムン徳さんは体調が悪い時でも病院でエッセイの勉強って凄いと思いましたね。
フリムン徳さんとお話ができてよかったですね!
私の本までご購入有難うございました。 はい、簡単なのから始めてください。分からないところがあったらいつでも質問してください。 本がお役に立ちますように。 HPが立ち上がったら又コメントをくださいね。