ベイエリアのお母さん達がブログとメールで拡散をしている
「ヨシダシャノンちゃん 癌治療の為の寄付のお願い」です。
2011年クリスマス前まで元気にプリスクールに通っていたシャノンちゃん(4歳)は、 クリスマス後脳のがんが発見され、Stanford付属の子供病院、Lucile Packard Children’s Hospital にて緊急手術を受けました。 ICUに1か月、その後放射線、抗がん剤治療、代替医療で治療しています。
シャノンちゃんのご家族の闘病ブログです。(英語)
(ブログ上にドネーションでtribute to Shannonとありますが、それはブログの運営に使われるものでシャノンちゃんにはいかないのでご注意ください。)
https://www.caringbridge.org/visit/shannonyoshida
下が募金サイトです。
シャノンちゃんの病状の心配と同時に保険ではカバーしない多額の治療費を前にご両親の苦悩は想像を絶するものと思います。 どうか皆様のご協力を心からお願い申し上げます。
Credit card、もしくは PayPalにて(英語)
http://www.giveforward.com/shannonyoshida
ご両親からのメッセージ






嫁はんの出前とは
マリリンモンローよりも奇麗 !! これが白人の美人というもの!! 先日、70歳過ぎの彼女の若い頃の写真を見せてもらいながら、思わずそう叫んだ。そして今、その元超美女バベットは奇麗に飾られたテーブルの左端に上品な雰囲気を漂わせて座っている。そして他に6人の白人美女が居並ぶ。ここは海抜300メートルの山の砂漠と呼ばれるラックウッドという村。どこまでも続く広い牧場。カーボーイ、カーガールの生き残りの村でもある。カリフォーニアの有名なモントレーカウンティーの山奥にある。
フリムン徳さんの嫁はんの親しい友人のアルビラの家に、もと美女達が集まって、嫁はんの誕生パーテイーをやってくれている。バベットは牧場の真ん中に小さなモービルホームを月200ドルで借りて一人で住んでいる。見渡す限り牧場ばかりの寂しいところにぽつんと置かれたモービルホームに年寄りのバベットは何故一人で住むのか?彼女は馬が好きだからである。元カリフォニあの女性騎手の女王にもなったことがある。独立した子供達は町で生活している。では、.どうして、老人ホームへ行かないのか?どうもこの辺のアメリカの老人は自分で生活できる間は、ひとりで生活して、出来なくなれば、子供と一緒に住むか、老人ホームへ行くような気がする。老人ホームがなかった昔のカウボーイ時代の生き方をしているようである。
馬が好きで、半年前までは、趣味で馬を飼って、乗馬を楽しんでいたが、もう、あまり乗らないので、その馬はパソロブレスの娘にやった。私はその馬の鞍が彼女には重たくて、持てないので、車に積むのを手伝ったことがある。彼女は脳”血で倒れて以来、重たいのがもてない。
バベットの右隣が嫁はんを自分の子供のように可愛がってくれているアルビラである。彼女も旦那を亡くして15年前に今の旦那のバブと再婚して2人で牧場の真中の大きな古いモービルホームに住んでいる。彼等はこのモービルホームとこの土地150エーカー(18万坪)を何年か前にに売ったが、そのまま死ぬまで住まわせてもらえるという。それほどバブとアルビラは人に好かれる夫婦である。彼等ほど人種差別なく、親切で思いやりのある白人にアメ カで会ったことがない。私と嫁はんの出来損ないの英語を辛抱して聞いて、友達として、ずーっと付き合ってくれるのは彼らぐらいだと思う。私達が、日本人のいないアメリカ人の村で生活できるのも彼らのお陰と感謝している。
嫁はんの今日の誕生パーテイーもアルビラがお膳立てしてくれ、彼女の家でやってくれている。そして今日集って祝ってくれている白人の美女達は全部嫁はんのお客さんである。嫁はんに彼女達の家のハウスクリーンの仕事を世話してくれたのもアルビラである。アルビラは注意深くて、親切な人である。私達 と知り合って間もない時、「嫁はんがハウスクリーニングの仕事を探している」と言うと翌日すぐに、自分の家のクリーンをさせて、嫁はんの仕事振りを確かめてから、自分が第1号のお客さんになり、瞬く間にこの5人を紹介してくれた。 私達は助け神に会ったのである。
そのアルビラの右隣に座っているのはこれも金髪の元美女バーバラ63歳。彼女は300エーカー(36万坪)の土地の真中にポツリと建った、こじんまりした質素な家に住んでいる。ラックウッドの大地主である。彼女はパーキンソン病にかかり、歩くのと手の動きが少しのろい。パーキンソン病の説明をタイプにして知り合いに配っている。私にもくれた。嫁はんを頼りにして、ハウスクリーニングの日を楽しみに待っているようである。私の本が出版されたと言ったら、「もう本が売れて、金が入るから、初美はうちの仕事を止めるんですか、と悲しそうに聞いた女性である。私は病気になった人のはかなさを感じ、 胸がジーとした。
バーバラの右隣はローレン、彼女はばーバラの旦那のお母さん、人を包み込むような包容力を漂わせる、優しい顔の背の高い大きな白人女性。コンピューターも上手である。孫や娘とEメールでやりとりしてコンピューターを楽しんでいる。『先月は車の免許証切り変えの際、筆記テストで満点を取った』と微笑みながら言う。彼女は息子が持っているモービルホーム村で一人で住んでいる。なんと彼女は86歳のおばあさんである。
ローレンの右隣は、70歳は過ぎているルビー。彼女は私達の教会の幹事である。私達も、日曜日にはこの教会にメンバーではないが、英語の勉強と称して行っている。
今では教会のたった一組の東洋人夫婦のメンバーに間違われるほどである。ルビーは教会の牧師さんの世話や、毎年5月にやるバーベキューの責任者でもある。何年か前に、旦那は死んだ。今は、80歳過ぎの背の高い、ジョンウェインに似たボーイフレンドの家に一緒に住んでいる。
この人達が一品ずつ持ってきた料理がテーブルの上に並べられている。油で揚げた薄く丸いジャガイモ、大きなボールに入った野菜、たまねぎを細かく刻んで酢とバターで作ったサラダ、りんごのケーキ、パイナップルのケーキ、小さいロールのパン、薄く切ったハム、初美の作ったコロッケ、心がこもって嬉しいのだが、なんだか寂しい、でもこれがアメリカの田舎の料理のご馳走である。土地の狭い日本人は寿司、天婦羅、刺身と豪華な料理、土地の広いアメリカは質素な料理、なんでこんなに違うのか。もし、今日は狂牛病の問題の肉がなかったからよけいに質素な料理見えたかもしれない。それにしても日本の料理の豪華さ、おいしさにはアメリカ料理はいくら頑んばっても、勝てないような気がする。日本は料理の発達する国、この村は昔にままの料理を続ける村のようである。
この白人の中の一番えらい席に座らされたわが嫁はんは体が小さいのに、嫁はんはえらく黒く見える。紅一点じゃなく黒一点や。白人と比べて背の低いこの54歳の黒一点も皆が座っているのでそう背はそう低くは感じられない。背の高い人間も低い人間も足の長さが違うだけで胴の長さはそう変わらないというのは本当のようである。うちの嫁はんの白人に囲まれて座った姿もまんざらでもない。周りが白ばかりやから黒が目だって別嬪さんに見えるんや。
「徳さん、べっぴんの嫁はんをもらったのう」。
一年前まではろくに英語ができなかった嫁はんが知っているだけの英語の単語を操って、自分の日本人の親友に喋っているみたいに打ち解けて楽しい会話をしている。羨ましいと、誇らしい気持ちが混ざって、少し、甘酸っぱい気持ちがする。でも会話の半分以上は分からんでも分かったふりしているのは手に取るように分かる。私が倒れて、嫁はんが外に出るようになって、たった一年でこんなに英語ができるようになり、白人の社会に堂々と融けけ込めたのかとこの私は自分の頭を疑いたくなる。嫁はんが白人の美女達と会話をしている姿にカメラのシャッターを切るたびに、よくぞここまできたという思いで、カメラが震えよる。
英語を巧く喋れなかった嫁はんが、たった一年の間に白人の社会に融けこめたのには理由がある。人とすぐに友達になれる彼女の性格もあるが、それだけではない。嫁はんは彼女達の家に毎週1回あるいは2週間に1回仕事に行く。2時間、3時間、5時間みなまちまちだ。そして、行く度に、朝早く起きて料理を作って持って行く。
仕事に行くのに料理を持って行く。私は、「出前に行くのか」といつも冷やかす。照り焼きチキン、コロッケ、寿司のカリフォニアロール、ジェーローが主なメニューである。一番好まれるのはアメリカ人向きに甘く味付けしたチキン照り焼き。アメリカ人の味付けは甘い。アメリカ人の作った料理の何でもが、甘いお菓子を食べているような気がするほどである。七色の虹を思わせるジェーローも人気がある。冷蔵庫の材料が切れた時は庭に咲いた花を持っていく。嫁はんのこの「出前えが白人社会へ入り込む道具であり、英語が上達する特効薬のよう だ。嫁はんは今日も朝早く起きて、鼻歌を歌いながら、コロッケを作っている。
by フリムン徳さん
プリムン徳さんはエッセイ本「フリムン徳さんの波瀾万丈記」
を出版されています。

フリムン徳さんのエッセイを最後までお読みくださり そして応援を有難うございます。

「ヨシダシャノンちゃん 癌治療の為の寄付のお願い」です。
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シャノンちゃんのご家族の闘病ブログです。(英語)
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シャノンちゃんの病状の心配と同時に保険ではカバーしない多額の治療費を前にご両親の苦悩は想像を絶するものと思います。 どうか皆様のご協力を心からお願い申し上げます。
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ご両親からのメッセージ






嫁はんの出前とは
マリリンモンローよりも奇麗 !! これが白人の美人というもの!! 先日、70歳過ぎの彼女の若い頃の写真を見せてもらいながら、思わずそう叫んだ。そして今、その元超美女バベットは奇麗に飾られたテーブルの左端に上品な雰囲気を漂わせて座っている。そして他に6人の白人美女が居並ぶ。ここは海抜300メートルの山の砂漠と呼ばれるラックウッドという村。どこまでも続く広い牧場。カーボーイ、カーガールの生き残りの村でもある。カリフォーニアの有名なモントレーカウンティーの山奥にある。
フリムン徳さんの嫁はんの親しい友人のアルビラの家に、もと美女達が集まって、嫁はんの誕生パーテイーをやってくれている。バベットは牧場の真ん中に小さなモービルホームを月200ドルで借りて一人で住んでいる。見渡す限り牧場ばかりの寂しいところにぽつんと置かれたモービルホームに年寄りのバベットは何故一人で住むのか?彼女は馬が好きだからである。元カリフォニあの女性騎手の女王にもなったことがある。独立した子供達は町で生活している。では、.どうして、老人ホームへ行かないのか?どうもこの辺のアメリカの老人は自分で生活できる間は、ひとりで生活して、出来なくなれば、子供と一緒に住むか、老人ホームへ行くような気がする。老人ホームがなかった昔のカウボーイ時代の生き方をしているようである。
馬が好きで、半年前までは、趣味で馬を飼って、乗馬を楽しんでいたが、もう、あまり乗らないので、その馬はパソロブレスの娘にやった。私はその馬の鞍が彼女には重たくて、持てないので、車に積むのを手伝ったことがある。彼女は脳”血で倒れて以来、重たいのがもてない。
バベットの右隣が嫁はんを自分の子供のように可愛がってくれているアルビラである。彼女も旦那を亡くして15年前に今の旦那のバブと再婚して2人で牧場の真中の大きな古いモービルホームに住んでいる。彼等はこのモービルホームとこの土地150エーカー(18万坪)を何年か前にに売ったが、そのまま死ぬまで住まわせてもらえるという。それほどバブとアルビラは人に好かれる夫婦である。彼等ほど人種差別なく、親切で思いやりのある白人にアメ カで会ったことがない。私と嫁はんの出来損ないの英語を辛抱して聞いて、友達として、ずーっと付き合ってくれるのは彼らぐらいだと思う。私達が、日本人のいないアメリカ人の村で生活できるのも彼らのお陰と感謝している。
嫁はんの今日の誕生パーテイーもアルビラがお膳立てしてくれ、彼女の家でやってくれている。そして今日集って祝ってくれている白人の美女達は全部嫁はんのお客さんである。嫁はんに彼女達の家のハウスクリーンの仕事を世話してくれたのもアルビラである。アルビラは注意深くて、親切な人である。私達 と知り合って間もない時、「嫁はんがハウスクリーニングの仕事を探している」と言うと翌日すぐに、自分の家のクリーンをさせて、嫁はんの仕事振りを確かめてから、自分が第1号のお客さんになり、瞬く間にこの5人を紹介してくれた。 私達は助け神に会ったのである。
そのアルビラの右隣に座っているのはこれも金髪の元美女バーバラ63歳。彼女は300エーカー(36万坪)の土地の真中にポツリと建った、こじんまりした質素な家に住んでいる。ラックウッドの大地主である。彼女はパーキンソン病にかかり、歩くのと手の動きが少しのろい。パーキンソン病の説明をタイプにして知り合いに配っている。私にもくれた。嫁はんを頼りにして、ハウスクリーニングの日を楽しみに待っているようである。私の本が出版されたと言ったら、「もう本が売れて、金が入るから、初美はうちの仕事を止めるんですか、と悲しそうに聞いた女性である。私は病気になった人のはかなさを感じ、 胸がジーとした。
バーバラの右隣はローレン、彼女はばーバラの旦那のお母さん、人を包み込むような包容力を漂わせる、優しい顔の背の高い大きな白人女性。コンピューターも上手である。孫や娘とEメールでやりとりしてコンピューターを楽しんでいる。『先月は車の免許証切り変えの際、筆記テストで満点を取った』と微笑みながら言う。彼女は息子が持っているモービルホーム村で一人で住んでいる。なんと彼女は86歳のおばあさんである。
ローレンの右隣は、70歳は過ぎているルビー。彼女は私達の教会の幹事である。私達も、日曜日にはこの教会にメンバーではないが、英語の勉強と称して行っている。
今では教会のたった一組の東洋人夫婦のメンバーに間違われるほどである。ルビーは教会の牧師さんの世話や、毎年5月にやるバーベキューの責任者でもある。何年か前に、旦那は死んだ。今は、80歳過ぎの背の高い、ジョンウェインに似たボーイフレンドの家に一緒に住んでいる。
この人達が一品ずつ持ってきた料理がテーブルの上に並べられている。油で揚げた薄く丸いジャガイモ、大きなボールに入った野菜、たまねぎを細かく刻んで酢とバターで作ったサラダ、りんごのケーキ、パイナップルのケーキ、小さいロールのパン、薄く切ったハム、初美の作ったコロッケ、心がこもって嬉しいのだが、なんだか寂しい、でもこれがアメリカの田舎の料理のご馳走である。土地の狭い日本人は寿司、天婦羅、刺身と豪華な料理、土地の広いアメリカは質素な料理、なんでこんなに違うのか。もし、今日は狂牛病の問題の肉がなかったからよけいに質素な料理見えたかもしれない。それにしても日本の料理の豪華さ、おいしさにはアメリカ料理はいくら頑んばっても、勝てないような気がする。日本は料理の発達する国、この村は昔にままの料理を続ける村のようである。
この白人の中の一番えらい席に座らされたわが嫁はんは体が小さいのに、嫁はんはえらく黒く見える。紅一点じゃなく黒一点や。白人と比べて背の低いこの54歳の黒一点も皆が座っているのでそう背はそう低くは感じられない。背の高い人間も低い人間も足の長さが違うだけで胴の長さはそう変わらないというのは本当のようである。うちの嫁はんの白人に囲まれて座った姿もまんざらでもない。周りが白ばかりやから黒が目だって別嬪さんに見えるんや。
「徳さん、べっぴんの嫁はんをもらったのう」。
一年前まではろくに英語ができなかった嫁はんが知っているだけの英語の単語を操って、自分の日本人の親友に喋っているみたいに打ち解けて楽しい会話をしている。羨ましいと、誇らしい気持ちが混ざって、少し、甘酸っぱい気持ちがする。でも会話の半分以上は分からんでも分かったふりしているのは手に取るように分かる。私が倒れて、嫁はんが外に出るようになって、たった一年でこんなに英語ができるようになり、白人の社会に堂々と融けけ込めたのかとこの私は自分の頭を疑いたくなる。嫁はんが白人の美女達と会話をしている姿にカメラのシャッターを切るたびに、よくぞここまできたという思いで、カメラが震えよる。
英語を巧く喋れなかった嫁はんが、たった一年の間に白人の社会に融けこめたのには理由がある。人とすぐに友達になれる彼女の性格もあるが、それだけではない。嫁はんは彼女達の家に毎週1回あるいは2週間に1回仕事に行く。2時間、3時間、5時間みなまちまちだ。そして、行く度に、朝早く起きて料理を作って持って行く。
仕事に行くのに料理を持って行く。私は、「出前に行くのか」といつも冷やかす。照り焼きチキン、コロッケ、寿司のカリフォニアロール、ジェーローが主なメニューである。一番好まれるのはアメリカ人向きに甘く味付けしたチキン照り焼き。アメリカ人の味付けは甘い。アメリカ人の作った料理の何でもが、甘いお菓子を食べているような気がするほどである。七色の虹を思わせるジェーローも人気がある。冷蔵庫の材料が切れた時は庭に咲いた花を持っていく。嫁はんのこの「出前えが白人社会へ入り込む道具であり、英語が上達する特効薬のよう だ。嫁はんは今日も朝早く起きて、鼻歌を歌いながら、コロッケを作っている。
by フリムン徳さん
プリムン徳さんはエッセイ本「フリムン徳さんの波瀾万丈記」

フリムン徳さんのエッセイを最後までお読みくださり そして応援を有難うございます。





















コメント
コメント一覧 (11)
読むのが、 より楽しいです。 是非、美人さんたちの許可をとりつけて、載せてください。(笑)
いい題材で、コンクールに応募するのに、文章を練れば かなりいいと思いました。 これは最近の文章ですか。
それと、田舎の自然が豊富なところで 暮らしている人は アルツハイマーになりにくくありませんか。 悪いストレスが少なく 空気がいいからですが、どうでしょうか。 (病気にはなるかもしれませんが、アルツハイマーの率は 少なくないですか。)
私の住んでいるアパートは このあたりで 広い方なのですが、 建物以外の敷地は 12エーカー、
15000坪弱です。 150エーカー、300エーカーといいますと、大きな公園、何ブロックも入りそうですね。 ストームとか、気候での心配は どうですか。 うちのアパートも 同じような一人暮らしの白人女性が けっこう住んでいますよ。
初美さん、すごいですね。
御著書の中でも、天井裏の工事で、下の郵便局などが粉だらけになったとき、初美さんが大活躍されたくだりがありました。
初美さんすごい!
介護福祉士をしている私にとって考えさせられる話です。
バペットおばあちゃんはどんな美女か私も見たいです。
若いころにきれいだった人はおばあちゃんになってもきれいだと思う。
「徳さん、べっぴんの嫁さんをもらったのう」
本当に、お顔も心もべっぴんさんに違いありませんね。
近かったらお願いして私も仲間に入れてもらいたいです。
親切丁寧なコメント、おおきに、ありがとうございます。
むべさんのコメントは、文章を書くのに非常に役立ちます。
もう一度、おおきに、ありがとうございます。
お許しください。
Chiblitsさんにこのエッセイ「嫁はんの出前とは」を送る時、書いた年月日を書くのを忘れていました。2004年に書いたエッセイです。
もっと文章を練って、どこかへ投稿するつもりです。
その当時の写真をコンピュータに入れていたのですが、コンピューターがおかしくなって、写真は消滅して、しまいました。残念です。
そういえば、この辺の山奥の村ではアルツハイマーの人は見かけたことがありません。
人口が少ないからだと思います。それと、広い牧場が多いこの辺では、人間がのんびりしますから、アルツハイマーにもなる人は少ないと思います。でも一人だけ、日本人でアルツハイマーみたいな人がいてます。それはフリムン徳さんです。フリムンと言う言葉はアルツハイマーとも意味が似ているようです。
150エーカーの土地は18万坪ぐらいですから、200坪の家を900軒ぐらい建てられる計算になります。
ストームはありませんが、たまに小さな竜巻(Whirl Wind)がたまに起こります。
一度、庭に置いてあったプラスティックの椅子が屋根より高く持ち上げられて、バラバラになったことがあります。 フリムン徳さん
コメント、おおきに、ありがとうございます。
料理の出前だけではなく、人間の出前、おもろいでしょうねえ。
「今から、すぐに、役立たずのフリムン徳さんを、出前します。10分以内にそちらに着きます。まいど、おおきに!!」
嫁はおおきに、おおきに!!
フリムン徳さんんをそんなに、褒めてもうたら、なんや、鼻の先がこそばいですわ。
二十歳代のバベットのカーボーイいや、カーガールがカーボーイハットをかぶって、長い皮のカーボーイブーツを履いて、馬に乗っている姿は、マリリンモンローより綺麗と思いました。
今は歳をとって皺もありますが、上品さと、優しい笑顔は若い時以上だと思います。
フりムン徳さん
嫁はんが別嬪さんだったら、旦那さんは、もっと男前でっしぇー。
フリムン徳さん
とすると、現在2012年、徳さんは 沢山引出しがおありのようですね!
後書きを書いてみて、 整理してみて、再構築して
み 映像が浮かぶように編集できるかどうか、 この題材は おもしろいと思います。
写真でなくても 図でも絵でも 何か 付けてみて
こころみてください。
田舎の方が 創造性が増すというのを研究でデーターをしめしたのを 読んだことがありますが、最近 自分でも感じていることです。
私もヨーロッパで白人に囲まれて暮らしていますので、このお話とても興味を持って読みました。
奥様の誕生日会を開いてくださる優しいお友達に恵まれて、うらやましいです。フリムンさんと、初美さんの人柄によるのでしょうが、
毎回お仕事のときにおみやげを持って行かれる初美さん。べつに何も計算なんてないんでしょうね。そのぐらいの打算のない「ごちそう」を頂いて、お掃除までしていただいて、私なんて英語の下手さを理由にボヤくばかりですが、言葉以外のものの大きさを感じます。日本の人が、得意な料理でもって人の輪を広げていくことにパワーを感じます。さすが大草原に住む開拓日本人ですねえ。
ご飯を作ってあげるって、本当に、人をつなげることですよね。見習いたいです。
コメントありがとうございます。
山奥のアメリカ人ばかりの中に英語の達者でない日本人が二人だけで住むか、日本へ夜逃げするかと悲愴な気持ちで迷いました。
大工の私が、病気で倒れて、大工仕事ができなくなり、家も、蓄えもなくしたからです。
その時にあったのがこの土地です。ここでおんぼろのキャンピンクカーで住むか、日本へ夜逃げするか、二つに一つでした。私は、病身ですから、日本への夜逃げをとりました。嫁はんはこの山奥に住むことをとりました。
こんな山奥に、仕事があるはずがない。
では私達二人はどうしたか。小さな教会へ通わせて貰いました。一人でもアメリカ人の友達が欲しかったからです。
私達も、「ハーイ、ハワユー」だけは言えます。アメリカ人と目があったら、先に、明るい笑顔を作って、(よっしゃこの人と友達になろうと思って)「ハーイ、ハワユー」と挨拶を続けました。その次に、アメリカ人が珍しそうな日本の食べ物を持って行き、友達を作ることに励みました。
「珍しいものができたら、手に入ったら、隣近所分け合う」、これが私達二人の故郷喜界島の昔からの仕来りでした。これが役立ちました。昔のカウボーイの多いこの辺のは、喜界島の仕来りとよく似ているところあります。
特にこの辺のアメリカ人の葬式は、深い付き合いはなくても、助け合います。
ジーパンのまま、カーボーイスタイルのままで、自分が作った料理を鍋に入れて、持って来る人、飲み物を持ってくる人、花を持ってくる人、様々です。必ず何か持参のポットラックで、葬式をしてあげます。葬式の費用は何もかかりません。場所も、村のコミネィティーセンターか、うちの小さな教会です。
どうも英語の達者でない私達がアメリカ人の村に溶け込めたのは、故郷喜界島の結いの島の仕来りが似ていたからのような気がします。