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月と音痴  

あなたは人前で、マイクを持って歌った事がありますか?
「68歳の人生で、1度か2度だけかと思います」
「何、カラオケがこの世を風靡している世の中で」?
「お月様が悪いのです、私を音痴にしたのです」。

 私が歌いだすと、聞く人は「もう、歌わないでくれ」、という前に、吐き気をもようすようです。楽しいその場の雰囲気が葬式会場よりも無残な会場になりそうなのです。でも誰よりも歌を聴くのが好きです。みんなの前でマイクを持って、声高らかに、大声を張り上げて歌いたいです、人生を終わるまでに。それも演歌です。王将です。私にとって演歌以外は唄ではないです。「どうして、エッセイまでも書ける私が歌が歌えないか」と、悩む毎日です。

♪月がとっても青いから、遠回りして帰ろう♪♪〜〜が一世を風靡し、世の中を明るくし、希望を持たせてくれた。ところが私に大恥をかかせてくれた。「フリムン徳さんは間違いなく、音痴であります」と証明してくれた歌であった。この歌が故郷喜島で流行ったのは私は小学校6年、1956(昭和31年)年の頃である。

 何の娯楽もない、都会から遠く離れた南の小さな島では、もちろん、テレビもなかった。ラジオも各家庭にあるのではなく、役場にある「ラジオの受信所」で受信して、それを有線で各家庭に流す、親子ラジオ」だった。「月がとっても青いから」は親子ラジオを通して、島に電気がつき始め、裸電球の黄色い明かりと供に、島の人の心にともり、輝いた。彼女もいなかった小学6年生の私でも、腕を組んで歩けないほどの細い畦道をも、恋人と腕を組んで歩きたくさせた。あの時、私が憧れていたのは3年生の時の担任の若い女の先生だった。今では森昌子の「先生、先生」を思い出す。私はませていたのだろうか。

 たった一つの歌が島を明るくし、皆の心を結びつけ、貧しい島の人々に笑顔をくれ、畑仕事の終わった夕暮れ時の疲れを癒してくれた。あの頃、中学生、小学生が流行歌を歌うのは禁止されていたが、「月はとっても青いから」は例外だった。私達小学6年生が「月がとっても青いから」を楽器で演奏することになった。先生がアコーデオンを弾き、生徒はシンバル、小太鼓、大太鼓、トライアングル、がそれぞれ一人一つ、ほかの生徒は縦笛か、カスタネットだった。30何名のクラス全員の音楽団である。私は縦笛だった。何日か、稽古して、私の村から1里半(6キロメートル)離れた阿伝小学校へ「月がとっても青いから」を演奏にしに行くことになった。
 
 その演奏へ行く前の最後の稽古の時に事件は起きた。私にはこの世から消えたいほど恥ずかしい事件だった。先生は、全員に、一人ずつ、自分の楽器を演奏させて、最後の仕上げを確かめた。私の番がきた。先生の「始め」の声で、茶色の縦笛を吹いた。怖さ、恥ずかしさと、逃げ出したいような気持で吹いた。あちこちから、失笑が起こった。悔しくてたまらん。恥ずかしくてたまらん。逃げ出したくて 逃げ出せない。私は自分で、音痴だとわかっていたが、これほど失笑を浴びる音痴だとは想像もしていなかった。
 
 初めから終わりまで、音程が狂いぱなっしだった。これで、皆に、私の音痴が始めて証明されたわけである。こんなに恥ずかしいことがあるかいな。もうこれで、好きな女の子にも声がかけられないと思った。 私を音痴で生んでくれた親が悪いのだ。「月がとっても青いから」ではない、「月がとっても悪いから」だ。お月さんが悪いのだ。責任はお月さんにあるのだ。もう、お月さんに「お」の字を付けて、言う気にもなれない。私はクラスの級長であった。音痴の級長の迫力は月に消されてしまった。級長は算数も国語も、作文も絵も 体操も音楽も全課目で5か4でなければならないのである。月がとっても青いからじゃなく、月がとっても暗いからであった。半世紀以上経った今でも私は 月を見るたびにあの事件を苦々しく思い出す。
この頃、私の音痴がどうも、月と関係しているように思えてならない。琉球新聞のウェブサイトで、あるお方の「月の法則を読んでからである。
健康な人の1分間の呼吸は18回。(人間の呼吸は地球と付の引力に深く関係している)
海の波が寄せては返す回数が1分間に18回。(潮の干満は地球と月の引力によって発生する)
18の2倍は36。これは正常な体温。36の2倍の72は心臓の脈拍数。
72の2倍の144は正常な血圧の範囲。
144の2倍の288は人の誕生までの日数。

呼吸数の18が基数となっている。これは月とは関係ないと思うが、アメリカでは子供と親が一緒に住むのは18歳までといっている。

月と関係するのは多い。海の珊瑚は満月に産卵する。人が息を引き取るのは干潮時が多い。逆に、赤ちゃんは満ち潮に生まれると言われる。そして人間の命をつかさどる脳、心臓、肝臓、肺、胃など、それから、肩、肘、腰など、人間の体の部分の名前は沢山の月の字がつく。やはり、月と人間は関係あるのだなあと納得したが、念のために、日本語大辞典で調べてみたら、これはどうも違っているようである。月という字は肉という字からきた象形文字と書いてある。人間の体の部分の名称は「肉」という字がついて当たり前と、一人で納得した。

ところが納得できないのがある、私の血圧である。海の満潮干潮を発生させる法則からも、18の月の法則からも外れているのである。正常な範囲の血圧 は144なのに、私は生まれつき血圧が200前後だ。ひょっとしたら、私は人間が息を引き取る干潮時に生まれたかもしれない。だから、音痴なのだろう。  4−2012 

by フリムン徳さん
プリムン徳さんはエッセイ本「フリムン徳さんの波瀾万丈記」を出版されています。

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フリムン徳さんのエッセイを読んで下さり有難うございました。 
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