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人間に咲く花  

 “いつも、ニコニコ、楽しく、笑顔で頑張ろう” 何かのコマーシャルみたいである、でも違う。その人の身体全体から発信されている言葉である。フリムン徳さんは彼をよく知っている。その人に初めて会った時に、思わず言葉が口に出た。「あんたはどうしてそんなにニコニコ楽しそうにしているのですか」。あまりにも楽しそうにしている笑顔がその理由を聞けと言っているみたいであった。「あんたはどうして、いつもそんなに綺麗なのですか」と、男のフリムン徳さんが美人女性に聞くのは、ちょっと難儀なことだが、笑顔の人には男女関係なく、その理由を簡単に聞ける。笑顔は人間の心をくつろがせる花のようである。

 「ジーザス様、ジー—ス様ですよ」[と彼は笑顔で言った。
「私はジーザス様が大好きです。ジーザス様が、いつも笑顔でニコニコしていなさいと教えてくれているんですよ」、とさらに大きな笑顔を作って言う。
それ以来、フリムン徳さんは彼のことをミスター・ジーザスと、呼んでいる。
「あんたは日本人だからブーディスト(仏教徒)に違いない。ブーダは、そう教えないのか」と、今度は私に聞き返してきた。フリムン徳さんは、ジーザス様や仏陀様が笑った顔を見たことがない。どこで見るジーザス様の顔も仏様の顔もしんみりした顔をしている。嬉しい顔、楽しい顔の人の周りには人が集まるが、ジーザス様ヤ仏様は悲しい顔で信者を集めているようである。

 笑顔の次に目に飛び込んでくるのは、ミスター・ジーザスの手である。両方の掌とも真っ黒い細い線で覆われている。クモの巣が張られているみたいである。十本の指の爪までも真っ黒である。まるで黒い入れ墨をいれているようである。すっかり皮膚に染み込んで永久に洗い落とせそうにない。ミスター・ジーザスにとって、それは長年まじめに続けてきた仕事の誇りであり、証しなのだ。

ところがこのフリムン徳さんは、ミスター・ジーザスの誇りの手が恥ずかしい手になる時のことも想像してしまった。ミスター・ジーザスが高級レストランで食事をする風景を思い描いてしまったのである。
まず、注文を取りに来たウェイトレスは、メニューの上をうごめく真っ黒の“針ネズミ”にびっくり仰天。大切なお客さんだから、叫声をあげるのは辛うじてこらえたものの、注文カードを両手で口に押し当て、大きく目を見開き立ちすくむに違いない。その次に、ミスター・ジーザスの真っ黒い手と一緒に料理を食べるワイフや子供達は、どんな気持ちだろうか。綾小路きみまろ、じゃないけれど、“あなた達の気持ちが知りたい”。でも、きっとミスター・ジーザスのワイフもニコニコしながら言ってくれるはずである。「きみまろさん、心配ご無用よ。うち”パパの笑顔が真っ黒い手をカバーしてくれているのよ」。

 ミスター・ジーザスと話していると、フリムン徳さんの持っているアメリカ白人に対する劣等感がすっ飛んでいく。 アメリカ白人には大きな体格に、えびすさんのようなお腹をした肥満体が多い。それに比べ、ミスター・ジーザスは小柄•痩せっぽちである。身体つきは丸ではなく平べったい板。シャツの下から見えるミスター・ジーザスの胴回りは、ベルトをした寿司屋のまな板のように薄っぺらでみすぼらしい。その点ではミスター・ジーザスは劣等感にとらわれ落ち込んでしまいそうだが、いつもニコニコなのである。劣等感などとは全く縁がない顔をしている。フリムン徳さんは山の砂漠と呼ばれるアメリカ白人ばかりの村に住んでいる。日本人の中にいるのと違い、周りがアメリカ白人ばかりだと、劣等感が常にフリムン徳さんの心にも身体にもまつわり付いてうろうろしている。その劣等感は、アメリカ白人に会うと、すぐに遠慮なく出てくる。

その劣等感は何からくるか、フリムン徳さんは気付いている。第一は、英語。フリムン徳さんの英語では難しい単語はわからん、そしてしゃべれんのである。第二は、体格の大きさからくる体格格差である。背の低いフリムン徳さんはそびえ立つアメリカ白人と向かい合うと、圧倒され卑屈な気持ちになってしまう。でも、人種差別は感じていない。フリムン徳さんの周りのアメリカ白人はみんな親切である。フリムン徳さんが感じている劣等感とは、英語が十分にできないことと、フリムン徳さんが自分勝手に感じている体格格差のようだ。

 ミスター・ジーザスはアメリカ白人だけど、その笑顔、真っ黒に汚れた手、痩せた体格は、フリムン徳さんを劣等感から解放し、特に笑顔はフリムン徳さんを楽しい気持ちにさせてくれる。
「1日に最低一回は笑顔を作ろう」としゃべっているテレビをフリムン徳さんはいつか見たことがある。“山の砂漠“と呼ばれる所では人に会うのは少ない。だから、フリムン徳さんが笑顔をつくる日も少なくなる。庭に来る野ウサギや、ウズラの集団に向かって笑顔を作ってみても、すぐに逃げ散ってしまうだである。警戒心の強い彼らは、フリムン徳さんの目と口の動きを、危険信号と見なしているに違いない。たまに来るカヨーテ(オオカミの一種)なんかには、いかにフリムン徳さんでも笑顔を作れるはずはない。フリムン徳さんが必ず笑顔をつくるのはミスター・ジーザスの店の前を車で通る時ということになる。ミスター・ジーザスが店におる、おらんにかかわらず、ミスター・ジーザスの笑顔を思い出して、フリムン徳さんも笑顔になる。

 ここまで話が進んだところで、皆さん、真っ黒い手をしたミスター・ジーザスの職業はいったい何だろうか知りたくなりませんか。プラマー(水道屋さん)か、百姓か、ペンキ塗りか、煙突の掃除屋か?
ミスター・ジーザスは車の修理屋である。フリムン徳さんはミスター・ジーザスと知り合って、もうかれこれ5年以上になるが、フリムン徳さんは、まだミスター・ジーザスのほんとうの名前を知らない。聞く必要はない•ミスター・ジーザスの名はミスター・ジーザスで十分である。笑顔は見るのも、作るのもいいものである。笑顔はうれしい時にも、楽しい時にも咲くが、人を褒める時にも笑顔が咲くことを、67歳の今になってフリムン徳さんは発見した。 「笑顔は健康の元、長生きの元」
とNHKの番組で言っていた。
「笑顔の花を人間に咲かそう」!!「笑顔は人間に咲く綺麗な花」
ええ言葉やないですか。 11-20-10

by フリムン徳さん
プリムン徳さんはエッセイ本「フリムン徳さんの波瀾万丈記」を出版されています。

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フリムン徳さんのエッセイを読んで下さり有難うございました。 
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