横浜国立大学名誉教授 宮脇 昭氏緊急提言 「瓦礫でイオンの森を作ろう」
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どうしてこんな何もない山の中の古びた1軒のレストランへ人は行きたくなるのか?
頭を傾げたくなる私は、又、やはり行きたくなる。何かがひきつけるようだ。「そうや、還暦を過ぎて、昔の恋人に、ふと会いたいなあ」と思う、あの気持ちに似ているようだ。古い昔が恋しいのだろう。日本に住んでいる甥の圭輔はここの地名をEメールのアドレスにしているほどだ。「THE CAPITAL OF EARTH QUAKE」。 3月の大学卒業前の休みを利用して、3回目のカリフォニや旅行に彼女同伴でやってきた。高校2年生の時の第1回目の訪問に、この変な地名のレストランへ連れって行った。今度も連れて行ってくれとせがまれた。
確かにそのレストランは普通の人では探せないところにある。私の周りのアメリカ人でも、知らない人が多い。何年か前に、知り合いのアメリカ人、バブとアルビラを連れて行ったら、「こんなところにレストランがあるのか」と驚いていた。私が元気バリバリの現役の大工の頃、嫁はんと山の中のひなびたレストランを探して歩くのが趣味なようになっていた。街の中で無我夢中で大工仕事をしていると、鋸で切られて、ハンマーで叩かれてばかりいる木が、たまには山に慰労に来いと呼んでいるのかも知れない。週末は二人でよくシアトルの山、カリフォニアの山の中をよくドライヴした。山道をドライブしながら、古臭いレストランを見つけると、うきうきした気分 になり、どうしても入りたくなる。故郷の昔の喜界島のあの古びた萱葺きの家々が瞼にダブってくるからだろうか。
そのレストランは私の住むモントレー・ブラッドレーから車でおよそ50分ぐらいのところにある。二山三山も越えて行くと、古ぼけた家が数えるほど、ポツンポツンと、淋しそうに建っている。念のために私は村にひとつしかない大通りにある郵便箱の数を数えてみた。12あった。エッセイの勉強をするようになってから、私は行く先々の物の数を数える癖がついたようだ。より正確に文章を書くためだ。TVファンの社長さんにそうきつく言われた所為でもある。その癖のついた分だけ、文章がうまくなっているかどうかはわかりまへん。私は元大工の難儀なもの書きの端くれです。
大通りにはそのレストランと向かいに小さな古びた、茶色に錆びたトタンぶきのモーテル、その横に、小さな公園、隣に小さな土産物屋があるだけだ。人間は一人も見えない。でもゴーストタウンではない。これがこの村のメインストリートだ。レストランは古く黒ずんだ丸太で作られたログハウス。このレストランの屋根のトタンも茶色の錆が目立つ。この錆びたトタンが淋しさ、哀れさを誘う。古臭い、臭いのしそうなドアを開けて中へ入った。暗い。4人掛けのテーブルが12、3席並んでいる。テーブルも椅子も丸太を少し削っただけの松の枝の手作り、壁も黒ずんだが丸太が丸出しだ。大きな角のついたシカの顔が掛けてある。大きなイノシシの大の字の皮も掛けてある。入り口のドア付近の壁は所狭しと、1ドル札と重ねて自分の名前を書いた小さな紙をピンで張っている。どうして1ドル札なのか、たまには100ドル札を張っていく人もいたっていいではないかと思ったが、店の人がすぐ取るだろうと思い直す。
変わっているのは天井だ。数え切れないほどの牛の焼印が下げられている。これだけ沢山の牧場がどこにあるのかと思うぐらいだ。長さ1メートルほどの鉄製で重そうである。これがテーブルの上の天井も椅子の上の天井ももびっしり下がっている。ここは地震の震源地だ。落ちたらお客さんの頭に直撃だ。地震がきたら、地震の震源地のレストランの天井が一番危険そうだ。でも、変わっているのはこの店のメニューだ。新聞紙1枚ほどの大きさの紙を2枚折にして、4ページのメミューになっている。紙の材質もまったく新聞と同じで、真っ白でもない。小さな4ページの新聞みたいだ。EARTHQUAKE CAPITOL OF THE WORLDと大きき印刷された1ページと4ページはこの辺の村の記事が書いてあり、2ページ字と3ページがメニューになっている。
小さな新聞紙の4ページのメニュー。変わっている、面白い。ついにもって行きたいと思う。この前来た時、「もらっていいですか」と尋ねたら、「またか」というような顔で「いいですよ」とウェイトレスは言ってくれた。ところが今回は、メニューに15セントと印刷してあった。このレストランは料理だけじゃなくてメニューも売っている。
変な地名の変なレストランで変なメニューでオーダーした、大きなハンバーガーは変な味じゃなく、アメリカで一番おいしいハンバーガーだと甥の圭輔は喜んでいた。 4-15-08
by フリムン徳さん
プリムン徳さんはエッセイ本「フリムン徳さんの波瀾万丈記」
を出版されています。

いつもフリムン徳さんの応援もしてくださりとても嬉しいです。 有難うございます。

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頭を傾げたくなる私は、又、やはり行きたくなる。何かがひきつけるようだ。「そうや、還暦を過ぎて、昔の恋人に、ふと会いたいなあ」と思う、あの気持ちに似ているようだ。古い昔が恋しいのだろう。日本に住んでいる甥の圭輔はここの地名をEメールのアドレスにしているほどだ。「THE CAPITAL OF EARTH QUAKE」。 3月の大学卒業前の休みを利用して、3回目のカリフォニや旅行に彼女同伴でやってきた。高校2年生の時の第1回目の訪問に、この変な地名のレストランへ連れって行った。今度も連れて行ってくれとせがまれた。
確かにそのレストランは普通の人では探せないところにある。私の周りのアメリカ人でも、知らない人が多い。何年か前に、知り合いのアメリカ人、バブとアルビラを連れて行ったら、「こんなところにレストランがあるのか」と驚いていた。私が元気バリバリの現役の大工の頃、嫁はんと山の中のひなびたレストランを探して歩くのが趣味なようになっていた。街の中で無我夢中で大工仕事をしていると、鋸で切られて、ハンマーで叩かれてばかりいる木が、たまには山に慰労に来いと呼んでいるのかも知れない。週末は二人でよくシアトルの山、カリフォニアの山の中をよくドライヴした。山道をドライブしながら、古臭いレストランを見つけると、うきうきした気分 になり、どうしても入りたくなる。故郷の昔の喜界島のあの古びた萱葺きの家々が瞼にダブってくるからだろうか。
そのレストランは私の住むモントレー・ブラッドレーから車でおよそ50分ぐらいのところにある。二山三山も越えて行くと、古ぼけた家が数えるほど、ポツンポツンと、淋しそうに建っている。念のために私は村にひとつしかない大通りにある郵便箱の数を数えてみた。12あった。エッセイの勉強をするようになってから、私は行く先々の物の数を数える癖がついたようだ。より正確に文章を書くためだ。TVファンの社長さんにそうきつく言われた所為でもある。その癖のついた分だけ、文章がうまくなっているかどうかはわかりまへん。私は元大工の難儀なもの書きの端くれです。
大通りにはそのレストランと向かいに小さな古びた、茶色に錆びたトタンぶきのモーテル、その横に、小さな公園、隣に小さな土産物屋があるだけだ。人間は一人も見えない。でもゴーストタウンではない。これがこの村のメインストリートだ。レストランは古く黒ずんだ丸太で作られたログハウス。このレストランの屋根のトタンも茶色の錆が目立つ。この錆びたトタンが淋しさ、哀れさを誘う。古臭い、臭いのしそうなドアを開けて中へ入った。暗い。4人掛けのテーブルが12、3席並んでいる。テーブルも椅子も丸太を少し削っただけの松の枝の手作り、壁も黒ずんだが丸太が丸出しだ。大きな角のついたシカの顔が掛けてある。大きなイノシシの大の字の皮も掛けてある。入り口のドア付近の壁は所狭しと、1ドル札と重ねて自分の名前を書いた小さな紙をピンで張っている。どうして1ドル札なのか、たまには100ドル札を張っていく人もいたっていいではないかと思ったが、店の人がすぐ取るだろうと思い直す。
変わっているのは天井だ。数え切れないほどの牛の焼印が下げられている。これだけ沢山の牧場がどこにあるのかと思うぐらいだ。長さ1メートルほどの鉄製で重そうである。これがテーブルの上の天井も椅子の上の天井ももびっしり下がっている。ここは地震の震源地だ。落ちたらお客さんの頭に直撃だ。地震がきたら、地震の震源地のレストランの天井が一番危険そうだ。でも、変わっているのはこの店のメニューだ。新聞紙1枚ほどの大きさの紙を2枚折にして、4ページのメミューになっている。紙の材質もまったく新聞と同じで、真っ白でもない。小さな4ページの新聞みたいだ。EARTHQUAKE CAPITOL OF THE WORLDと大きき印刷された1ページと4ページはこの辺の村の記事が書いてあり、2ページ字と3ページがメニューになっている。
小さな新聞紙の4ページのメニュー。変わっている、面白い。ついにもって行きたいと思う。この前来た時、「もらっていいですか」と尋ねたら、「またか」というような顔で「いいですよ」とウェイトレスは言ってくれた。ところが今回は、メニューに15セントと印刷してあった。このレストランは料理だけじゃなくてメニューも売っている。
変な地名の変なレストランで変なメニューでオーダーした、大きなハンバーガーは変な味じゃなく、アメリカで一番おいしいハンバーガーだと甥の圭輔は喜んでいた。 4-15-08
by フリムン徳さん
プリムン徳さんはエッセイ本「フリムン徳さんの波瀾万丈記」

いつもフリムン徳さんの応援もしてくださりとても嬉しいです。 有難うございます。


コメント
コメント一覧 (15)
古びた田舎のレストラン素敵な知る人ぞ知る穴場なのでしょうね。行ってみたいです。
テレビでコマーシャルしたり雑誌に載っているお店でも行ってみるとがっかりすることもありますからね。
近かったらメニュー買ってみたいです。
むべさん
私もシーフードレストラン大好きですよ
http://geology.about.com/od/geology_ca/ig/safparkfield/parkfieldcafe.htm
でも、残念ながらもう店を閉じてしまったという記述も、他のページにありました。世界中で地震が多発しているここ数年、訪れる人も減ってきているのでしょうか・・・
↑、誓いの言葉さん もう寝ましたかぁ。霧の乙女号でしたかしら、夫に話したら 絶対にその船に乗るといいます。雨合羽は 供給されるらしいけど、靴はぬれたらどうするのか、お友だちにきいてくれといいますから、 私、そこまでは 恥ずかしくてきけないわと、(といいながら、きいています)・・・靴が濡れたら ドライヤーで乾かせばいいと思うのですけど・・・靴が濡れる心配はないのでしょうか。 換えの靴をもっていくのも かさ張るので 夫は足もとがきになっています。
泊まるホテルは その船付き場のそばらしいです。
そんなにずぶぬれになるほど 水がかかるのですか。 チブリッツさんが ニューヨーク ペンステイツ駅は 真夜中、危険ではと書いてくださったですが、自分たちも そう思います。二人で離れないようにして、ナイアガラホール行きの列車がくるのを待ちます。 夫は顔も洗わないでいるというのですが、私だって・・・でも 夫は敏感肌で足元不安定群ですから、先回りして心配するのです。
貴重品は すられないようにしていかないとですね。
シーフードレストランも 信頼できる店を 選ばないとですね。
誓いの言葉さん、
電話で 船に問い合わせました。 顔と足元が濡れるので タオルを持参、スニーカーがよろしいとのことでした。 足元が濡れるのが気になるらしのですが、なんとか工夫できそうですので、ご休心ください。 私は はじめは 何でいろいろ細かく心配するのだろうかと 思いましが 働いて帰宅した夫が転寝するのを見ていたら、 安心してでかけられるようにしようと、ちょっと 反省しました。
こちらは、 今 午後8時になりました。
そちらも お天気が 良いといいですね。
むべさん
むべさんはなんと良く出来た奥様なんでしょう、抱きしめたくなりましたよ。とっても可愛いです
霧の乙女号は乗られたら自然の偉大さに感動しますよ。世の中のちっぽけな悩みなど吹っ飛びますからね。ご主人様もきっと楽しめますよ。
そして、近辺の風景がとってもロマンチック
=^-^=うふっ♪行ってからのお楽しみですネ。
熊本は今週は晴れです
徳さんは、ユニークなお店の入り方をされますね。
味があって面白い店がたくさんあるものですね。
それに比べて、私のレストラン選びは、とっても無難です。
徳さんは、食べることがお好きですか?
いやいや、飲むことがお好きなのはよく知っていますが。
パークフィールドにあります。
アメリカンフードです。
周りが山や牧場ばかりに囲まれたところですから、
カーボーイの田舎料理です。
まず料理の大盛りに圧倒されます。
肉は炭で焼いて、少し焦げた匂いの肉です。
この少し焦げたフりムン徳さんにはこの焦げた匂いが昔の喜界島を呼び起こすのです。
でも、もう、何年も行っていません。
この夏には行ってみたいと思います。
フリムン徳さん
穴場らしく、結構いろんなところからも来ていると言っていました。
オートバイのグループがよく来るそうです。
辺鄙なところを探すオートバイクラブの人達の穴場でもあるようです。
ヨーロッパ、チャイナなどの観光客もたまに来るらしいです。
私が初めに行った時、「日本人はあなた達が初めてです」と言われました。
不りムン徳さん
パークフィールドです。
今は亡くなりましたが、エンシーノで、日本食レストランをやっていた私の親友も連れて行きました。彼は今の天皇陛下の結婚式の料理を10日間ぶっ通しで作った料理人の一人です。
「徳さん、この肉は炭で焼いている」と驚いていました。
味の事は何も、言わずに、食べていました。
フりムン徳さん
Parkfield Cafeです。
今やっていると思います。
夏ごろに行ってみたいと思います。
フりムン徳さん
Parkfield Cafeです。
今やっていると思います。
夏ごろに行ってみたいと思います。
フりムン徳さん
シアトルの山の中には玄関のドアのガラスのひび割れをマスキングテープで貼ったままのレストランにもよく行きました。各テーブルには昔懐かしい青色のハエ叩きが置いてありました。私達が注文するオムレツは行くたびに大きくなっていきました。
ハエがオムレツに子供を生んで大きくなったのではありません。
私達がよく行くので、コックさんの私達へのおまけです。
サンタマリアの近くの小さな町外れのレストランは変わっていました。
コックのお母さんが、子供を背中に背負って料理を作っていました。
でも、出来上がった料理はだんなさんが運んできてくれました。
フリムン徳さんは飲む事もオナゴはんも好きです。
でもモントレーの山の中はオナゴはんやなくて牛と、ブドウ畑が多いのです。
難儀なところです。
ああ、赤い灯、青い灯、着物姿のホステスさんのざわめく大阪の北新地が恋しい。
フリムン徳さん