横浜国立大学名誉教授 宮脇 昭氏緊急提言 「瓦礫でイオンの森を作ろう」
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両親が亡くなって8年が経ちました
最初の2年程は時々実家の電話を鳴らしていました
誰も出ないのは分かっていますが
呼び鈴が鳴っていると
両親が未だ居るような気持になったのです
暫く鳴らして 切る
生きている時と同じ事をしたいという気持でした
心配な事があれば
母は一緒に心配してくれましたが
父は「そんな事 全く心配ないよ」の一言でした
戦争 結核 経営 何度も辛いことを乗り越えてきた父には
私の心配事など 取るに足らないものだったのでしょう
私はいつもそんな力強い言葉を聞いて
気持が明るくなるのでした
今朝は両親と話したくてお墓参りをしてきました
お墓に行くと
いつも声を出して話しかけてしまいます
小さな墓地で人がいないので話しやすいのです
嬉しい報告で行く時よりも
心配事がある時に行く方が多くなりました
何度も何度も聞いた父の言葉
「大丈夫さ 心配しなくても」
そして本当に父の言うとおりに
ここまで無事に幸せに生きてこれたのですから
きっとこれからも何事もなく過ぎていくと思います
お父さん お母さん
今度も私達をどうか見守っていてください
今日もご訪問有難うございました。

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最初の2年程は時々実家の電話を鳴らしていました
誰も出ないのは分かっていますが
呼び鈴が鳴っていると
両親が未だ居るような気持になったのです
暫く鳴らして 切る
生きている時と同じ事をしたいという気持でした
心配な事があれば
母は一緒に心配してくれましたが
父は「そんな事 全く心配ないよ」の一言でした
戦争 結核 経営 何度も辛いことを乗り越えてきた父には
私の心配事など 取るに足らないものだったのでしょう
私はいつもそんな力強い言葉を聞いて
気持が明るくなるのでした
今朝は両親と話したくてお墓参りをしてきました
お墓に行くと
いつも声を出して話しかけてしまいます
小さな墓地で人がいないので話しやすいのです
嬉しい報告で行く時よりも
心配事がある時に行く方が多くなりました
何度も何度も聞いた父の言葉
「大丈夫さ 心配しなくても」
そして本当に父の言うとおりに
ここまで無事に幸せに生きてこれたのですから
きっとこれからも何事もなく過ぎていくと思います
お父さん お母さん
今度も私達をどうか見守っていてください
今日もご訪問有難うございました。


コメント
コメント一覧 (50)
>実家の電話を鳴らしていました。
遠い異国の地から、お母様を思う優しさがしみじみと伝わってきます。
今日は、90歳になる母が田舎から上京します。
ちょっと、危なくなりかけた頭脳状態に、姉が疲れたようで、
悲しい事ですが、たらい回し的存在?
1ヶ月間、改めて優しく介護しようと心積もりができました。
ありがとうございます!
心に弱さのある時ほど、空を仰ぎ、ご両親を事を思い出し、笑顔でいてくださいね。
心を込めて祈ります。
ありがとうございました。
「大丈夫さ、心配しなくても」
この言葉、ほんとにありがたいです。
両親のこと、よく思い出します。私も。
父、母のおかげで、今もこうして、ここに文章を打ち込める私がおります。
chiblitsさんと、お知合えになれて、ほんとによかったです。
私も日本にひとりいる父を思い、
胸がいっぱいになりました。
お父様の「心配ない」のひとこと、力強いものがあります。
そういわれると、本当に大丈夫なような気持ちになれます。
私は母と死別してすでに17年経ちました。
それでも、無性に母と会いたい、話がしたいと思う時があります。
いつか会える日まで・・・
会った時に母に「よくやってきたね」」とほめてもらえたら、
こんなにうれしいことないなって思っています。
お久しぶりです。日本には母がまだ居ますが、アメリカに住んでいると今でも父や祖母がまだ日本で生きていてくれるような気がするんです。
不安になったり淋しくなると私の体の中を流れる彼らの血で勇気を貰います。
金曜日に新しい家に引っ越しました。家のドイツ人がオレゴンから長男と2匹の犬を連れてきてくれました。次男はまだ大学に行っているので彼は猫とオレゴンの家で2人っきりの生活です。ミシシッピは日本のようで蛍がいるんですよ。庭に出て蛍を見つけてびっくりしました。この家は木々に囲まれてとてもピースフルです。
心配事は沢山ありますが、私は私に出来ることを精一杯するだけ。全てには終りがあるので、一瞬一瞬を生き抜くだけです。…とこれが私の哲学?
元気出してください。
私の亡くなった父母は、御両親とは違って「大丈夫だよ」と言ってくれるタイプではありませんでした。自分の生きづらさをすべて親のせいにするつもりはありませんが、やはり親に肯定されること、大丈夫だよと言ってもらえることは人の成長にとって一番大切なことだと思います。
最近はやっと、父母もそういう風に育てられなかったからわからなかったかもしれない、可哀想だったと思うようになりました。
「二人ともあちらでもう心配することなく過ごしてください。そして見守ってください。」と祈る時やはりいつまでたっても親は親なんだなあと思います。
チブリッツさんの今日の文章を 読んでから、自分は 昨日5月26日の父の命日を 忘れていたことに 気が付きました。 夫の健康のことばかりに 頭がいき、忘れていました。 明日に 夫と二人で
お祈りをすることにします。
チブリッツさんのここにくる皆さんの文章を読んでいると、 私も共感します。
私も 62歳になってから慣れないアメリカに来ての小島に離れているような生活と 夫の健康問題で心配ごとを持っていますが、 チブリッツさんのブログで、 どんなにか、助けられてきています。
空の上で ご両親さまが、見守ってくださっていると思います。
今日は 朝のうちは 曇りでしたが涼しい風と太陽がさんさんとした日でした。 アーリントン墓地の駅では 多くの人々がいましたから
遺族の方々や 軍の同期の人々が集まっていらっしゃるようでしたよ。
チブリッツさん、元気をだしてくださいね。
チブリッツさん、元気出してくださいね。
76歳ではなく、73歳になって、さまざまな生き物や草木とかの創りをいくらか知ることができた。86歳になれば腕は上達、90歳になれば 奥義を窮め、100歳ともなれば、正に神妙のいき、100を越えて画く一点は 命を得たかのように生きたものになる、と述べています。 破天荒な、描くことに没頭した一生涯だったのですね。
ウエブサイトでも いろいろ紹介されていますから、開いてみるだけでも楽しいかもしれませんよ。どんなお顔をされていたのか、声とかも残っていたらなぁと 興味がありました・・・。
晩年に火災にあうとう不運がありましたが、筆一本を持って逃げ出し、最後まで描くことの情熱だけは失わなかった北斎です。 展覧会に出かけるときは自前の拡大鏡を持っていくと 細部が見えて、良いことを知りました。
一緒に悩んでくれたり、心配してくれるような親が理想でした。
そんな親じゃなかったので、その分子供には、悩み事を聞いたり、グチを聞いたりしてあげています。
ず〜と心に残る親でありたいですね。
いつまでも親に頼りたいですよね。
私もです。。。
親は子を思い、子は親を思いながら、その関係は
途切れることは無いのですよね。
お父様の「大丈夫さ、心配しなくても」子供には
心配かけない生き方をしなければと常に親は
思うのですよ、親は両手を広げて何でも聞いてくれる温かい存在でなくてはと感じております。
私は両親が亡くなって50年を過ぎました。
未だ朝晩の挨拶を欠かしたことはありません。
「心配しないで、幸せだから」と伝えます。
チブリッツさん、ご両親は見守って下さっていますよ、元気を出してくださいね。
私も両親を今以上に大事にしたいと思います。
祖母もまだ健在ですが(笑)
祖母も大事にします。
親孝行のチブリッツさん ご両親にたっぷり甘えてたくさん相談して お喋りして 気持を受け止めてもらってください。
ご両親は向こうの世界からチブリッツさんの 良きこと悪しきことの報告を暖かく励まされている事だと、思います。
とても素敵なお父様です。
親に縁のなかったはなにとっては羨ましい話です。
少し体調を崩していろいろ深く考えることがありましたが…いつもなんでも自分で決めてきたはなはやっぱり答えを求めることをしません。ただ今は子供達の役に立てたらな〜と…これから人生の後半戦は子供達の役に立ちたいな〜と思っています。そしてお父様のように心配ないよ〜と言ってあげられる親になりたいです。
「全く心配ないよ!」そして「何とかなるよ」
子供を持った以上、子を思う親の気持ちは果てしなく続きます。健康上の事となればなおさらです。
私の母は現在死の床についております。
95歳、祈るような気持ちで看病していますので感謝の気持ちでいっぱいです。
私もお祈りします
こんにちは!
私も両親のことを書くときはいつも涙が止まりません。亡くなってからの一年は毎日思い出しては泣いていました。
私は人ごみの中で似た姿を見かけることはありませんがもしひょいと二人で現れたらと想像することはあります。 多分二人が元気だった60代の頃を想像しています。でもその60代の両親に自分が追いついてしまった年齢です。 そんな両親に今会うのはちょっと変だなぁって考えてしまいます。本当に親は子供の心の中でいつまでも生きているものですね。同じように感じていらっしゃることがとても嬉しいです。
たらい回しではないですよ。 交代でってすごく大切と私は思いました。 姉と交代で1月おきに実家に帰っていました。 自分の親となると色々な感情が湧きますから精神的にもすごく大変でつぶれそうになりました。本当は自分の家で看られるのが家族の応援ももらえるし一番理想だと思ったのですが何しろアメリカですからね〜。私が帰るしかなかったのです。思い残しがないようにすることは自分の為だとつくづく思いました。
そうですね。 私もそう信じます。
はい、弱くなった時はお墓にいくのが一番落ち着きます。 昨日はスタバのコーヒーとブルーベリスコーンを持って編み物をしてきました。 心が落ち着きました。
有難うございます。
tekuteku2011さんもご両親を亡くされているのですか。
親の言葉って残りますね〜。 私は親から遠く離れて生活をしていたので物理的に頼る事はできませんでしたが、その存在はとてもとても大きなものだったのだぁと感じています。 私も共感できるtekuteku2011さんがいらして嬉しいです。
Akikoさんはお父様が日本にいらっしゃるのですか。 親から遠く離れていると子供として親の事が心配になる時がありますね。でもお父様はAkikoさんが幸せならきっと幸せに感じていらっしゃると思います。 親ってそうですよね。子供さえ幸せなら自分はそれが一番の幸せです。私もいつか両親と再会できることを信じて生きたいです。
お久し振りです!
そのお気持わかります。 私も遠く離れてあまり会えなかったので生きているような気がして電話を鳴らしていたのです。 同じ気持からですね。
家が見つかりましたか!!良かったですね! きっとMakoさんの好みでしょうから自然に囲まれて素敵なところなのでしょう。 オレゴンからそこまで犬を連れて大変な旅でしたね。でも犬は車が好きですから飛行機よりは良かったでしょう。 ふふふ、お料理上手な長男さんが来てくださって一安心ですね! 子供の心配事が一番堪えますね。
私もそう思います。子供はいくら表面で反抗しても親の肯定を一番求めているんですよね。 兄弟からなんと言われても親が認めてくれたら、親が喜んでくれたらそれでいいと思います。 親が言葉を選ぶ事は本当に大切なことだと思います。
私の父は生まれて直ぐに乳母に預けられてとても寂しい子供時代青年時代を過ごしたのでその分家族を大切にしょうという気持が人一倍強かったのだと思います。自分の経験から学ぶ事もありますね。
こんにちは!
バスと地下鉄ですか!!ご主人様頑張りましたね!そしてそれを支えるむべさんも!
え〜〜76歳で開眼ですか! 当時では今の110歳くらいでしょうね! 自分は早死にだろうなんて考えると損ですね。
むべさんは私の年でアメリカに来られたのですか! 自分にはとても出来ないかもです。 むべさん勇気ありますね!
アーリントン墓地、 大きいのでしょうね。 私はこれからちょっとお墓参りに行ってきます。 じいさんは明日の方がいいかもと言い出しています。 きっと賑やかでしょうね。賑やかなお墓も見ていたい感じ。
ここで気持を書くとちょっと気が散ります。 心配な時は気をちらすって効果がありますね。こうして返信している時も心配事から気が散っています。
見守って下さる・支えて下さる(お墓も日本よりこちらの方が、すぐに行きたい時に行けます。)ご両親のChiblitsさんに対する深い愛情を感じました。
いつまでも親に頼りたい気持ちがあってもいいじゃないですか。
思うのは自由ですよ。そして、そんな時に思い出すご両親が教えて下さったことが支えになるのだと思います。
Chiblitsさんの心配事が、一日もはやく軽減されていくようにお祈り
します。
ご心配有難うございます。
元気をだすようにしています。誰かと話していると落ち着くので今日は姉とSkypeで3時間近く話してしまいました。
本当にすごいですね!
当時の76歳と言ったらそれだけでも信じられないような年齢だtたでしょうに。
はい、今夜は葛飾北斎について探してみます。本島にね〜どんなお顔をされていたのでしょうね。特に70代のころ。
これほど何かに打ち込む生き方はすごいですね。
私も優しい気持で思い出される人になりたいです。 両親は孫たちの心の中にもしっかりと残りました。 私はそれはちょっと自信ないかな。 息子家族とはあまり会えないし。
私もこれを書く時mikacrystalのことを思いましたよ。mikacrystalさんにメールを出そうと思いながら次々に問題が起こって気分が塞がって今はちょっと落ち着かない状態です。
そうですね。私も子供には心配かけないようにしないと思っていますが、何か弱気になる時は息子に電話をしてしまいます。 心配をかけないようにしょうと思いながら。
50年も前におなくなりになったのですか。まあさんが未だお若い時ですね。 私の周囲にも20代の時にご両親を亡くされた方が何人かいます。 どんなに大変な辛い経験だったでしょうと思うと胸が痛みます。 人間は辛い経験をすると強くなるものなのでしょうか。 私はまだまだ弱い人間なのだと思います。今辛い思いをしている娘は段々強くなるのでしょうか。 何があっても全ての経験が自分の為になるように生きていけたらと思います。
ふみちさん そういうお気持になれればきっと後悔のない人生を送られますよ。
私はもっともっと両親に優しくしてあげれば良かったと思い、それでいつも泣いていました。後悔の涙です。
そうですね。私も両親は私達姉妹の事は安心していたと思います。本当にそのとおりですよね。私もこんなに子供の心配があれば未だ未だ簡単にあちらには逝けません。まだまだしっかりしていないといつも思っています。 でも早くご両親を亡くされたお友達を見ていると、子供は親がいなくてもちゃんと幸せになれるんだなぁと思って安心したりもします。 いなければいないでどうにかなるもんだと思ったりです。
でも少なくとも私達のことで子供達に心配をかけるようにはなりたくなです。でも将来の事なんで誰にも分かりませんよね。
はなさんってお孫さんが3人いらっしゃるはなかーさんですよね? いつも書き出しが「はなです」のはなさん。ブログは今年の5月からしか見られないのですがもし間違えていたらごめんなさい。
もしそうなら本当にお久し振りです。はなさんは子供さんやお孫さん達のお役になっていらっしゃいますよ。 私も役に立ちたいと思いながら娘は子供がいないし息子達は遠いし出番がありません。 娘夫婦は近いので今は出来る限りのことをして手伝ってやりたいです。 そうですね、親が弱気ではいけませんよね。私ももっと強くならなくちゃです。
そうですね!
何とかなるさですね! 今は私が一番明るくしていないと。
アンさん、いつも有難う〜。
子供の人生は子供が幸せと思うならそれが一番と思っています。が健康があっての話です。 私が病気になるのは順番ですから当然ですが子供の病気は一番辛いです。
お母様は95歳ですか。 娘である誓いの言葉さんから看病されてお母様はきっとお幸せでしょう。 母親としてこんなに幸せなことはないでしょう。 私もお母様のような人生になったら良いと祈っています。
有難うございます。
こんな時は誰かと話していると落ち着きます。 今日は姉とSkypeで3時間近くも話してしまいました。
今年お父様をなくされたばかりですか。
お母様をアメリカに連れてこられたのですか。 ゆきさんもお母様も大変な決断をされましたね。私も早くから母が1人になったらアメリカに引き取るつもりでいました。子供達もじいさんも賛成してくれていて母もそのつもりでした。 父が2003年12月に亡くなった時から母の認知症が急激に進み、糖尿病も酷くなりそのうえ背中の骨折をしたりしてとてもとても飛行機は無理な体になり、それから姉と相談して交代で実家に帰り母を看ると決めたのです。もう少し元気でいてくれてアメリカで一緒に暮らせる時期が欲しかったです。
どうせろくなことをいわれると思うと話す気になりませんね。 私は以前姉とそんな関係でした。姉は自分の理想の人生があり私にも同じような人生を歩んで欲しいと思っていて期待にそえなかったのでいつも言葉が冷たく感じていました。 何もいいたくないと言うお気持もよく分かります。 幸い姉の場合は私と大喧嘩をしてから思い切り言いたいことを言い合ってから関係が変わってきました。今は何でも話せます。多分姉も色々辛いことがあって気持ちが優しくなったのではないかと私は思っているのですが。そういえば父は又親の愛に恵まれない人生でした。生まれてすぐに乳母に預けれられ幼年時代、青年時代家族愛に恵まれない生活だったので温かい家庭を持ちたいと思ったそうです。本当に色々な人生がありますね〜。
うわ〜〜スノフキンさんの記憶力すごいですね! はい、確かに書きました!多分もう6年くらい前だったと思います。ブログは始めた頃でしょう。2006年に両親のお墓ができて納骨しましたから。
そうですよね。思うのは自由ですよね。 お金ちょうだい〜じゃないですからね。
ご心配有難うございます。 母は強くなくちゃですね。 朗らかに家族をリードしていかなくちゃですからね。おっしゃるとおりです!先ずは私が元気を出さない事には!
私もそういえば両親が生きている時時々かんげましたね〜。 毎年一回帰国したらあと何回会える?と思うと年に2回は帰らないと思ってなるだけ2回は帰るようにしました。 50歳の時に健康を害して歯科技工ラボをたたんだのですがそれをきっかけに年2回帰る様になって2ヶ月ずつ滞在して年4ヶ月は実家で過ごしましたが今考えると仕事をしていたじいさんには申し訳ないことでした。娘も子供は生まないと言っているので私達がいなくなりその後婿も亡くなることになったらと思うと一人ぽっちになった娘が心配になります。
私は3年間病気です。治療法はありません。フルタイムで社会復帰できるだけの体力が戻る可能性は3割以下。
でも強くなりました。もちろん病気にならなかったほうがよかったとは思いますけど、精神的に深く、穏やかに、強くなれたことは、とてもとてもありがたいことだと思っています。
お母様のお立場としてはご心配でしょう。私は、父は早くに亡くなりましたけど、母は日本にいます。私は母についていえば、元気で楽しそうにしててくれるのが一番です。同窓会に行ってこんなことが楽しかったのよ〜とか話してくれるのが、私には一番うれしいし、元気をもらえます。
私も強くなってきていると思います。3年前に手の痺れが始まった時は編み物もできなくなり絵もかけなくなりマウスも使えないので本当にパニック状態でした。 それから色々な検査を体験して少しは強くなったような気がします。
ノンノンさんもそんなに辛い体験をおもちだったのですか。 今娘は自分のブログのコメントで薦められた本を読んでいます。タイトルを忘れましたけど仏教の本で凄く良いと言っています。
子供は親が楽しい事をしているのをきくと安心しますね。 親と同じ気持なんですね。
最近は心配が始まるとヨガをもっとしたりして、体の方に働きかけています。アタマってなかなか自分の思い通りにいかなくて。どこかで見たのですがおへその下のあたりがしっかりしてると肝が据わるのだそうです。きっと健全なる身体には健全なる(強い)精神が宿るんだって念じてがんばります。チブリッツさんみたいにガーデンで土いじりもとてもしたいですがあいにく今庭を持ってないので。
あたたかくなってきたし、少しでも心穏やかな時間が持てるといいですね。お祈りしています。
本当に心配症って厄介なものです。私も心配症で東京に暫くすんだのですが(40年前)1月に一度は起こる地震に我慢できず絶対に東京は住めないところと思いました。 高層ビルの火事も怖くてデパートでは2階以上は行きたくない気持もありました。だからと言って自分がそこに居る間はあまり怖い事は考えないのに。 心配症って本当に損です。娘は私よりも酷いです。 自分でも損だとわかっている様で色々本を読んだりヨガやメディテーションもしています。最近はセロピーも受けようかと言う気持になっているようです。
「健全なる身体には健全なる(強い)精神が宿る」本当にそのとおりですよね。そして逆に「強い精神には健全なる(強い)身体がある」とも言えますよね。 抵抗力や体を強くする為にも心配やストレスはよくないです。 でも嬉しい事に色々読むと心配症は絶対に治るらしいですよ。 娘を見ていても前より強くなったような気がします。