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サラトガ図書館で石原裕次郎の映画を見つけた時は驚きました
「黒部の太陽」とか そう言うのじゃなくて 聞いた事もない映画だったのですから
とは言っても裕次郎の映画は一度も観た事がありませんから何がヒットしたのかよく知りません
1962年製作 石原裕次郎が28歳 浅丘ルリ子さんが22歳
映画の始まりからもうビックリする事ばかりでしたよ
出てくる車も 音楽も 映画の撮り方も 全ての場面が 昔のハリウッド映画そのままなんですから
ハリウッド映画を見ているのかと錯覚を起こすくらいに
軽快な音楽とステップですらっと長い足とオレンジ色の靴から写し出されたのは浅丘ルリ子さん
何故かしら「ティファニーで朝食を」を思い出しました
畳が全く出てこない 全然邦画らしくない
未だ戦後17年の日本 高度経済成長期は始まっていたものの マイカー時代の前です
裕次郎が乗り回すジャガーも 九州に届けるジープも何と外国的
今でこそ これが何だでしょうけど
天井のないジャガーに(オープンカー?) ハイカラな女性を乗せてなんて当時の日本の若者の憧れであったのでしょう
ストーリーラインは最後ちょっとずっこけましたが
というか 何が言いたいのかあまり良く分からなかった
最後に純愛を得たのは分かるのですが その定義がよく分からない
でもそんな事はどうでもよいのだと結論
一世を風靡した石原裕次郎と可愛い浅丘ルリ子さんがジャガーに乗るシーンの連続 それだけでもファンを魅了するには充分なんですね
そして若くて可愛い浅丘ルリ子さんの顔から一秒も目が離せませんでした
今日もご訪問有難うございました。 今日も一日楽しく過ごしましょう。
コメント
コメント一覧 (18)
あと10分で、愚息にご飯を食べさせ、着替えさせて送っていかねばなんですが、のんきな母さんしております。
先日の記事ですが、お嬢様がいらして本当にいいなと思います。よいことが急転直下で起こることを信じていくしかないですかね。。。
半熟玉子焼きもおいしそうでした!私が焼くといつもこげこげです。性格がでますね。
関西人にはそれは難しいです。というのはですね、関西人はジョークを言われると、すばやくジョークを返さないといけないからです。笑いを我慢しているなどという頭の余裕はありません。これはどういうボケなのか、どういう突っ込みをすればよいのか、頭は常にフル回転です。このコミュニケーションは、幼少のころから叩き込まれます。なので、就職して東京に行ったとき、まわりの人はなんで突っ込んでくれないんだろうって、最初すごく不思議でした。
いつもその時々の内容に、笑ったり、しんみりしたり、そうなんですよねぇと思ったり・・・そしてそれに対する皆さんのコメントの素敵なこと!どなたかが最近おっしゃっていらっしゃっていたと思いますが、それがまた楽しみでもあるんです。皆さんにもありがとうございます、です。元気や、優しい気持ちや、もうその他いろいろいただいています。そうして心の中でお返事しながら読んでいると、お返事を書いてしまったような気になってしまうこともあるのですね。
そういえば、むべさんが書いていらっしゃったちょうどその頃(むべさんのコメントを読んで偶然を不思議に思ったのでした)、私も自分の初コメントはいつだったか、どうしても見たくなって一生懸命探したのですが、どうしても見つからなくて、この間の森山良子さんの歌みたい?でも過去記事のなかからまたまた素敵なアイデァを見つけたりしてで、感謝!です。
追伸:
「人生の恥はかき捨て」 おばばさんのブログ 私も原発関係のいろいろな記事、情報をよくまとめていらっしゃるといつも感心、感謝でよく読ませていただいています。
裕次郎の奥さん、北原ミキさんは、いつまでも チャーミングですね。 浅丘ルリコさんは 女優ですね。
ジャガーなんて今でこそ良く見ますが当時は見たこともなかったです。
憧れのジャガーを羨望の眼差しで見て夢を膨らましたのでしょうね。
浅丘さんは今でも恋愛事で週刊誌を賑やかにされているようです。
懐かしい〜ですね。
ジャガーに乗っていた大学生が、いましたね〜ジャガーにオーラがありましたね。
原発問題は、関西は動いているようです。
入院患者の方が、停止はやめて欲しいと、訴えてる姿を見ると、自分の知らない環境があり、恥ずかしく思いました。
ちょっとちょっと! 上の写真のルリ子さん、すぐ分かりましたか? 私は直ぐには分からなかったのですよ。 お友達も「浅丘ルリ子?」っていう?がついた言い方でしたよ。凄いですね〜〜矢張り若いって。 そちらでも送迎があるんですね。お母さんはシェフになったり運転手になったり本当に忙しいですよ!
今夜は卵焼きが食べたかったのに用意をしている間にすっかり忘れてしまいました。
ふきだすと負けたような気持になって。
ノンノンさんは関西出身ですか。 へ〜じゃあご夫婦間では関西弁?
ジョークの多い人は好きですね〜一緒にいて楽しいですね。 父が一日中冗談を言う人で母はその正反対だったので母が儲けたんじゃないかって私は思っています。
私もです。 皆さんのコメントから色々な知恵を頂いたり、元気をもらったり、気分転換になったりいいですね。
右の検索がありますね! あそこに「ドイツからこんにちはさん はじめまして」って入れて検索すると出てきますよ。
http://blog.livedoor.jp/chiblits/archives/51880284.html
ありました!! 去年の10月20日でした! あははは あの森山良子さんの歌面白かったですね〜〜。
実は今日ブログお休みしたのは原発関係の皆さんのブログやYoutubeや色々見ていたら1日経ってしまいました! 夕方慌てて畑仕事を済ませましたけど。 自分でブログを書いているとなかなかほかのサイトを読む時間がないのです。 ですから情報をまとめて書いてくださる方に感謝です。
私ねこのビデオを借りている時ちょうど日本からYokoさんがいらして 最近の浅丘さんのニュースを聞いたりしましたよ。今 年下のボーイフレンドがいるそうですよ。 北原ミキさんはお元気なんですね。 石原裕次郎が亡くなったのが52歳。 彼のお父様も52歳で亡くなったそうです。
1962年といえば私が中学2年生かな? あの頃は自家用車なんて普通なかったですよ。鹿児島なんてテレビが普及して未だ数年くらいしか経っていない時ですから。
浅丘さん、そうなんですってね!!! へへへ あとでボーイフレンドの写真を検索しなくちゃ!!そうそう今の彼女も見たいですね。 うわ〜今計算したら今年72歳です!! 私 10歳近くも若いのにきっと彼女より10歳上にみえるでしょうね〜
過去の記事を読ませて頂いているせいか、もう少し前のような気がしていました。これからも楽しみに訪問させて頂きます。
え〜〜〜再放送があったのですか。実家に帰ると必ず夜BS2の古い映画を見るのが楽しみだったのですがいつももっと前の原節子さんの映画が殆どでした。 それをね 夕食が終って母と一緒に見るのが楽しみでしたね。 父がいなくなってからですね〜父がいる時は私には番組の選択はありませんでしたから。
入院患者さんやライフラインが必要な方達が停電にならいないようなとめ方はできると書かれてある意見もあり本当に色々と分かれています。 政府はその実態を正確な数で掴んでいないという非難もあり そしてそれを利用しているところもあると書かれています。 色々な情報が行き交う中で私たちは何が本当なのか知るのは難しいですね。
もっと年をいってからなくなれたのかと思いました。
彼は亡くなってもファンは今でもしたっているようですね。
私一度彼のお墓に行った事があるのですけど大きいですよ。
たくさんの人が訪れていました。
裕次郎ファンの方がいつもお墓にきて手入れをしているとか。
お墓を守っているという感じでした。
熱烈なファンということでした。
いろいろな思い出話をその方はしてくださいました。
そのお墓の前だけが人が多かったです。
たしか観光スポットのように裕次郎のお墓への行き方があったような気がします。
まだ俳優としてこれからというときに亡くなれるとこのようにいつまでもみなの心に残り慕われるのかなと思いました。
私ももっと前かと思いました。
これからも宜しくお願い致します。
未だ若かったという記憶はあるんですけど52歳って本当に若いですよね。 でもWikiで病気の経歴が載っていたのですが事故の怪我やその他の病気等 20代から始まっていたのでびっくりしました。とても健康そうだったので。 特に黒部の太陽を撮影した時はかなり病気だったみたいですよ。 そうですか今でもファンの方がお墓を守っているのですか。 すごいですね。黒部の太陽を見てみたいです。 未だ見ていないのですよ。