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トットゥ ガナシ ウヤフジ ガナシ
フリムン徳さんは60歳を過ぎたら、社長交代して、嫁はんに支配されているが、人間は目に見えない何かに支配されているいるように思う。行動、考え、健康、結婚など、人生のほとんどが、別嬪さんの手を握ることさえも。それは“偶然の一致”に現れるようである。
私はまた、パソロブレスのクエスタ・カレッジの英語クラスに8月18日から週に2日通い始めた。黒髪のヒスパニック女性ばかりだったクラスに今回は金髪の花が一輪咲いた。ブラジルからの金髪女性である。金髪の白人でも英語のしゃべれない女性がいる。挨拶はしたけれど、まだ手を握って握手はしていない。助ベーの私はうきうきした。でももっと私をうきうきさせたのは先生が使った2日目のクラス授業材料(偶然の一致)だった。それは私のウヤフジ(ご先祖)崇拝に大きな、大きな自信を持たせてくれた。
この材料を取り上げてくれた先生に私は感謝せんならん。金を貯めたらですよ。先生をパソロブレスの日本レストラン“剛志”に連れて行きたいと思っている。
先生もこんな話に興味があったから、教材に使ったと思う。私はうれしいなって来た。先生の嫁はんも白人と日本人のハーフだから、これも何かの縁。
その授業材料は世にも稀な偶然の一致だらけの“ジム双子兄弟”の人生物語である。私たちは人生の中で偶然の一致を何度か経験するが、この二人の偶然の一致はひどすぎる、多すぎる。珍しすぎる。
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39歳になって、ジム・ストリンガーは自分が双子兄弟であることを知った。兄弟の名前は ジム、ルイス。二人は生まれて1ヶ月で分かれ、二人はそれぞれ違った家族に養子にされた。それ以来39年間、見ず知らずだった。彼は双子兄弟ルイスが住んでいる町がわかり、兄弟のルイスを探しに彼の住む町へ行った。ついに、彼の住む家を見つけて、感動の再会に驚いた。
再会の感動よりももっと驚いたのは二人の人生の不思議さだった。二人は異常なほどそっくり似ていた。姿形、大きさ、重さ、趣味、妻の名前などなど、何から何まで似ていた。この偶然の一致は誰の仕業か。
1、背の高さが二人とも6フィート(1.8メートル)
2、体重が二人とも180パウンド(82キログラム)
3、顔が同じ顔
4、声が同じ
5、二人とも結婚を2回した。
6、二人とも1回目の相手の名前がリンダ
7,二人とも2回目の結婚相手の名前がべティー
8、二人の息子の名前も同じアレン
9、二人とも犬を飼っていた
10、2匹の飼い犬の名前も同じTOY(おもちゃ)だった
11、学校での好きな科目は二人とも数学だった
12、嫌いな科目はスぺリング(つづり字)だった
13、二人とも同じく爪を噛んだ
14、二人とも毎日同じ時間に頭痛があった
15、二人との同じ型の同じ色の車を運転していた。
それはブルーのシボレー車
16、二人とも野球は嫌いでフットボールが好きだった
17、二人とも同じ職業だった。それはポリスマンだった。
18、趣味も同じだった。それは木で何かを作ることだった
19、二人が毎年行っていた旅行はフロリダの同じビーチだった。
学校の教科書の材料に使うほど有名な話だから、作り話でないと私は確信している。一つや二つは偶然の一致であるが、これほど多くの偶然の一致はない。これは目に見えない何かが偶然の一致をさせている。この偶然の一致をさせているのは、私フリムン徳さんは‘ウヤフジ(ご先祖)と確信する。
顔を見たこともない、会ったこともない、世話になったこともないキリスト様ではない、お釈迦様でもない、私達のウヤフジである。世界中の何億人の世話するキリスト様や、お釈迦様忙しくて、各個人の家庭の問題までは手が届かないと思う。私達を生んでくれた、育ててくれた、世話してくれた、遊んでくれた、生前私達のことをよく知っている、死んだ、お父さん、お母さん、おじいさん、おばあさん、親戚、あるいは死んだ親友たちと思っている。私達のウヤフジ様である。
私はベッドの横に、死んだおじいさん、おばあさん、親父、親友、世話になった人の写真を小さな額に入れて飾っている。
困った時は助けてくれとお願いし、うれしい時は喜んでくれと、報告している。私がウヤフジと話をする時は携帯電話よりもはやい、ダイヤルを回す必要もない。私のウヤフジは頭に思い浮かべた途端にすぐ、飛んできて、話し相手をしてくれる。
私のウヤフジを拝む方法はウヤフジをただ思い浮かべるだけである。
私は、ウヤフジを信じ、敬い(タッテー シ)、崇拝する。
トットゥガナシ(仏様)、ウヤフジ ガナシ(ご先祖様)!!
by フリムン徳さん
プリムン徳さんはエッセイ本「フリムン徳さんの波瀾万丈記」

今日もご訪問有難うございました。






















コメント
コメント一覧 (8)
一昨日TVで喜界島が出てきて、思わずフリムン徳さん!と心で叫びました
日本にいても全く喜界島のことは知らなかった。豊かな自然があるところでした。番組では漁師さんが何人か出ましたが、おおらかできっと徳さんもこんな感じ?
そんな徳さんに話しかけられたら、ご先祖さまもきっとうんうんと聞いてくださることでしょうね。ことあるごとに思い出してくれて、ご先祖様もうれしいだろうと思います。ワタシもお仏壇にお線香あげて、いつもありがとうといいますね。
「トットゥ ガナシ ウヤフジ ガナシ」を読んでくれて、おおきに、有難うございます。
ウヤフジ(ご先祖様)のお陰です。
フりムン徳さん
初めまして!!
モントレーの山奥まで、黄色ツバメさんの聞こえました。
心に聞こえましたーーー。
TVに写っていた漁師さん達は
私の村(小野津)の漁師さんたちだと思います。
私の村は喜界島でも漁業の盛んな村ですから。
サワラが良く釣れるところです。
サワラのトロ(ファラグー)の刺身はおいしいですよ。
喜界島を出てもう50年以上もなりますが、まだ、サワラのトロのおいしさは思い出せます。
脂が乗り切っていますが、脂っこく感じないのです。
トットゥ ガナシ ウヤフジガナシ です。
フりムン徳さん
ご先祖様の文章を読んでいたらば、 亡義母が大切に シーダーチェストにしまってあった厚いアルバムを思い出しました。・・・先祖の方々のそれぞれの写真が沢山貼ってあります。昔は 写真を写すことが 貴重だったのでしょうね、 学校の卒業アルバムのように家族 親戚の写真が残っています。かなり古く 電話帳のように分厚いものです。 今度、夫とゆっくり 開いてみたいと思いました。
アメリカでは 祝日を祝いますが、 私は 夫と自分の両親の誕生日には 花を飾ることにします。 ここ3年ほど 家族のことでいそがしい月日で目の前のことに明け暮れていましたが、 ご先祖を振り返る時間や空間があってもいいかと 思うこのごろです。
そして、何か特別に料理を作るとしたら、 義父母、実父母ともに
夏に生まれているので、 ”てんぷら”がいいかなと思うのです。その心は 普段 てんぷらは 作りません、食べません。 でも 最近 心境が変わって たまには油物の料理も家庭でしてあげようと思います。 理由は ボストンに旅行で行ったば 夫が揚げたシーフードを注文し、それをみたらば、 値段は高いけど、てんこもりのフライドポテトの上に シーフードがのっかっているのですよ。 私はもっと 本当のてんぷらというか、揚げ物を食べるには 家庭でたまには 食べさせなくてはと 反省したのです。
先祖を思いながら 英気を養うです。
いいお話をありがとうございます。
今日は私の曾おじいちゃんの命日でした。私の人生で最初に経験した人の死がこの曾おじいちゃん。今から30年前のこと。
徳さんのお話にはよくご先祖様のことが書かれていますが、私も、徳さんに同感です。仏様や神様は忙しいですからね。個人の家庭問題に取り合ってくれるような時間はないでしょう。恐らく、ご先祖様が守ってくれているんだと思います。今でも亡くなった曾おじいちゃんやおじいちゃんに会いたいと思って泣くことがあるんです。いい大人が、恥ずかしいんですがね。
いいお話をありがとうございます。
「誕生日に花を飾る」、ええなあ!!
私もいつか、部屋いっぱい飾ってみたいです。心にも花が咲き誇るような気分になると思います。
うちの嫁はんはが大好きで、便所やダイニングテーブルには飾っています。
嫁はんのお客さんのアメリカ人は花好きの人が多いので、庭の花をしょっちゅう持っていって、又もらってきます。
花の交換にも忙しそうです。
フりムン徳さん
私はウヤフジは目に見えないけど、私たちの周りで一緒に生きていると思っています。
「あんた達の肩に乗って、あんた達を守ってあげる」と死んだおじいさんがよく言っていたと親父が言っていたのを思い出します。 フりムン徳さん