Vote YES on Proposition 37
カリフォルニア州では遺伝子組み換え食品に表示を課すかどうかが投票項目になっています。 投票は11月。
消費者は知る権利があることに賛同の方はVote YES on Proposition 37を広めましょう。 ここからFDAに貴方の声を送りましょう。
9月20〜22日 Washington, DCで原発反対のデモが計画されています。 詳細はここをご覧ください。
アメリカのエネルギー源を2030年までに再生可能エネルギーに変える嘆願書を2013年に議会に提出する予定だそうです。 その署名はこちら

フリムン徳さんはほとんど毎晩夢をみる。みない晩は非常に少ない。それはだいぶ酔っ払って寝た晩である。私の嫁はんも酔っ払いを嫌うが、夢も嫌うらしい。
どうしてだろう。酔っ払ったらだらしなくなるからである。それぐらいわからんのか、このフリムン徳さん。 夢でも正夢をよくみる。人が怖がるほど当たる正夢である。特に何日も続けて似たような夢をみると間違いなく正夢になる。2005年4月の初旬、1週間、毎晩続けて義母の夢を見た。何かがあったに違いないと気にしていたら、4月14日夕方に「義母が亡くなった」と、故郷、喜界島から電話が入った。やはり義母は遠いアメリカに住んでいる私達夫婦が気がかりだったに違いない。夢で会いに来てくれていたと思う。私と嫁はんの村は4キロしか離れていない。84歳の義母は嫁はんを産んだ喜界島のその村で墓を守りながら1人で生活していた。
嫁はんを義父の葬式にも行かせてやることが出来なかった。私が病で倒れて、身体障害者になり、蓄えも使い果たし、1000ドルで買ったおんぼろのキャンピングカーで、身体障害者の年金だけで、ぎりぎり生活している時だった。20年近く会ってない義母の葬式だけは行かせてやりたかった。でも私には嫁はんを日本へ返す切符を買う金さえなかった。「俺は親の葬式に嫁はんを返してやれない最低の男だ」、と涙を流しながら、自分の人生を悔やんだ。
その夜、義母の訃報をバーバンクに住んでいる娘のまきこに伝えたら、異変が起きた。「飛行機の切符は私が買ってあげるから葬式に喜界島へ帰りなさい」と夢みたいな事を言うではないか。切符代(往復)だけで、ロスから大阪まで約800ドル、大阪から喜界島まで1000ドルは要る。アメリカと日本より、大阪と喜界島の方が高い。離れ島に住む人達の辛いところである。今まで散々親を泣かし、心配させたあの娘がよ。3時間前の悔し涙は嬉し涙になった。悔しい色の涙、悲しい色の涙、うれしい色の涙と、虹色の涙が私の頬を濡らした。やはり義母(ウヤフジ)が助けてくれたのだ。義母はどうしても自分の長女に会いたかったのだろう。
大急ぎで航空券の手配をした。翌日4月15日午後1時55分ロス発に乗れば葬式に間に合いそうだ。まきこが自分の銀行貯金全部をおろしてくれた。さらに飛行機の切符はビザで買ってくれた。また虹色の涙が出てきた。こんな気持ちのいいこと、嬉しい事がめったにあるかいな。こんないい気持ちは冷凍庫に入れて永久保存しておきたいくらいだ。
これで、お金の謙と切符の件は解決した。
ところがもっと深刻な問題が起きた。嫁はんのパスポートの期限が切れている。いちかばちかや。もう領事館に当って砕けるしかない。嫁はんの旅仕度が終わったのが夜中の1時過ぎ。すぐ夜を徹してバーバンクのまきこの家へ車を飛ばした。まきこの家に着いた時はもう明るくなっていた。
まきこが朝8時に開く写真屋を探してあった。パスポート用の写真を撮り、運良く取り寄せてあった戸籍抄本を持って、ロスの領事館へ駆けこんだ。9時半だった。空港に12時までには着かなければならない。パスポートの再発行に許される時間は1時間半しかない。遠方からきた人には4〜5時間で発行してくれると聞いたことがある。急いだが間に合わんか、やっぱりアカンか。
領事館は、サービスは悪く、待たせる、怖い所と思っていた。恐る恐る、窓口の女性に義母の葬式に間に合いたい事を言って、パスポートの再発行をお願いした。「なんとかやってみましょう」という神様のお告げみたいな言葉が返ってきた。途端にその女の人が優しい別嬪さんに見えた。不思議なものです。人間諦めたらアカンネンです。またしても、奇跡が起きたんや。ウヤフジのお陰や。この世で一番頼れるのはウヤフジや。
臨時パスポートの再発行の申請書をもらい、ロビーで見本を見ながら書きこんでいた。でも、見本を見てもわからないややこしいところが沢山ある。時間は過ぎる、飛行機に間に合うか、焦ってくる。難渋しているのが見えたのか、ロビーで書類作成の手助けをしてくれる人がやってきて丁寧に教えてくれた。こんなに、ありがたい事はなかった。うれしくてたまらなかった。最後に嫁はんがサインをした。サインの中に私の名前(上園田)を見つけたその男性は私のエッセイをtvファン誌でよく読んでいると言うではないか。世の中悪いことはできまへんなあ。またしても義母(ウヤフジ)は偶然を起こしてくれたのだ。
書いた書類を先ほどの窓口の女性に渡すと、「順序は逆ですけど、審査する間に、この書類を書いてください」ともう1つの書類を先回りして、書かせてくれる。1分でも早くと、頭を360度回転させてのサービスぶりに心が揺さぶられた。ついに40分程でパスポートを再発行をしてくれた。5時間じゃなく40分でした。信じられない早さだった。パスポートを手にして、義母の死の悲しみも忘れて、ルンルン気分でした。
おかげで嫁はんは飛行機に間に合った。3つの飛行機を乗り換えて、喜界島にたどり着いた時には、葬式は終わっていた。ところが、葬式は終わっても、死んだ母親はまだ娘の帰りを待っていた。火葬場で焼かれるのを待ちながら、アメリカからの我が長女を待っていたのである。岸壁の母ではない、火葬場の母である。嫁はんは空港から車で火葬場へ駆けつけ、きれいに死化粧した母親に最後の対面を果たした。「死んでも、アメリカから帰ってくる娘を待っていた母親」と島の人達は特別の涙を流して感激してくれたという。その時の様子を話す、嫁はんも電話の向こうで泣いていた。お金で助けてくれた娘、パスポートの再発行で助けてくれた領事館の人達、特別の涙を流して感激してくれた喜界島の人達、死んでもアメリカの娘を待ちつづけた義母さん。次々と私の脳裏に現れ、私の頬はまたしても大粒の虹色の涙が流れた。
by フリムン徳さん
プリムン徳さんはエッセイ本「フリムン徳さんの波瀾万丈記」

いつもご訪問と応援を有難うございます。 今日も一日安全運転でお過ごしください。


コメント
コメント一覧 (10)
フリムン徳さんのエッセイ、いつも拝読しています。
ぐっときました。
目頭が熱くなりました。
涙が出る日も、笑える日とおなじくらいよい日ですね。
領事館の人たちの親切、普通はありえないことですよね。
旅費をだしてくださったお嬢様、お母さんのお葬式に急いだ奥様、本当に子供はありがたいものですね。泣けてきます。
他界しました母の 認知が進んだのと、主人の脳梗塞後遺症を考えてのことでしたが、実際は私自身のためだったような気がします。
49年生まれなので 毎日楽しく 共感しながら 拝見させていただいております。
フリムン徳さんのエッセイ、御本を買いたいなー、と思っております。
言葉にできません。。。
今の日本は暗いニュースのオンパレードですが、久々に暖かくなれる話が聞けてうれしいです。