Vote YES on Proposition 37
カリフォルニア州では遺伝子組み換え食品に表示を課すかどうかが投票項目になっています。 投票は11月。

消費者は知る権利があることに賛同の方はVote YES on Proposition 37を広めましょう。 ここからFDAに貴方の声を送りましょう。 

アメリカのエネルギー源を2030年までに再生可能エネルギーに変える嘆願書を2013年に議会に提出する予定だそうです。 その署名はこちら  

devider

娘は我が家で4泊して 今夕一時帰宅しました。
ほっ
明後日28日に又ここに戻って今度は6泊予定だそうです。
来週は又忙しくなりそうです。
主婦になった娘でも 帰ってくる時くらいは美味しい物を作ってあげなくちゃ〜って思うのですよ。

私の母もそうでした。
私が帰国して鹿児島に着く日は
私の好きな手料理を沢山作って待っていてくれる母でした。
1995年の冬 父が胃癌の手術で入院した時も
毎日 付き添いの病院通いで疲れているはずなのに
私が着く日 いつもより一足先に病院を出た母は デパートに寄って買出しをして
夜はご馳走を並べてくれるのでした。
母は当時70歳。

2000年の春 
父が今度は帯状疱疹後神経痛で入院したので
私は急遽 帰国となり 成田に一晩して翌朝鹿児島に飛びました。
11時ごろ実家に着くとお昼ご飯に美味しい散らし寿司が用意してありました。
久し振りのお寿司です。
「わ〜美味しい〜 お寿司なんて久し振り〜」
と言って大喜びをしたら
母は 
「そうよ Chiblitsちゃんが帰ってくるから頑張ったのよ」と嬉しそうに言うのでした。
この時母は75歳。
体力も落ち 膝も悪く 買出しができなくなったので
前年からお掃除 お食事の用意をしてくださる方、 Kさんを週3回お願いしていました。
翌日 Kさんが出勤日でいらした時に
「Chiblitsさん、 散らし寿司はどうでしたか?」
と聞かれて その時 初めてKさんが作った散らし寿司だったと分かったのです。
母から私が帰国すると聞いていたので
出勤日でもないのに家で作ったお寿司をわざわざ届けて下さったのです。
そんなことなら お会いしたら開口一番にお礼を言いたいところだったのにと
嘘をついた母に少し腹が立ちました。

それにしても
こんな嘘をつく母ではなかったのにどうしたのだろう。
Kさんが帰られた後 母にどうして本当の事を言ってくれなかったの聞いたら
とてもばつの悪そうな顔をして
「あのくらいの事 まだお母さんだってできるんだから…」
が返事でした。

その時 初めて 自分はなんて酷い事を母に聞いてしまったのだろうと思いました。
嘘までついて母は遠くから帰ってくる娘の為に美味しい物を作ってあげたかったのに。
それが出来なくなった自分がどんなに歯がゆかったでしょう。
今でもあの時の母の気持ちを思うと可哀想で涙が出てしまいます。
そして自分の無神経さに腹が立つのです。

今思うと その頃から母だけが自分の変化にうすうすと気がついて
できなくなっていく自分がとても不安だったと思うのです。
これが認知症の初期であったことも
当時 私達家族は誰も気がつきませんでした。

できなくなっていった母を見て
私もできる時にしておきたいという気持ちがいつもあるのです。


いつもご訪問と応援をありがとうございます。 今日も美味しいものを召し上がって楽しくお過ごしください。 
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