エネルギー省 (DOE)は低放射能汚染されている金属類を一般リサイクル金属と混ぜる計画を提案しています。 そうなると私達生活の身近に入り込んでくるでしょう。 
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病室の1日

 病室は4人一部屋で、廊下から入いって、右側に二つのベッド、左側に二つのベッドが置かれていた。私は入って右側の窓側のベッドである。
飛行機の切符を予約する時に、窓側がよろしいか、通路側よろしいかと聞かれる。私はいつも窓側をとる事にしている。病室も窓側になった。ところが病室のベッド取りは、そう好きなようには出来ない。空いたベッドを順番にあてがわれるだけである。ウヤフジが私の窓側好きを助けてくれたと思っている。

 当てがわれたベッドで、横になったり、起きたりして、病気の回復を待つだけである。「お医者さんは、いつ退院させてくれるだろうか」という重荷のような言葉と手を取り合いながら、1日を過ごすのである。朝6時頃、看護士さんが部屋には入ってきて、大きな窓のカーテンを開けてくれる。世の中は朝日が昇ると1日が始まるのに、病室では、窓のカーテンが開くと1日が始まる。朝だ、朝だ、朝日が昇る、ではない。朝だ、朝だ、カーテンが開く、である。

 看護士さんが窓のカーテンを開ける様子をカーテン越しに伺うと、私のベッドの周りの天井に取り付けられたカーテンレールと、それに吊るされたカーテンをしみじみと眺める。それだけではない、自分が利用しているこの頭を上げ下げするベッドにも思い出がある。これらは私が昔、自分が売っていた商品である。昔の私の商売上の扱い品であった、カーテン、カーテンレールに囲まれ、ベッドに寝て、病院生活をしている。いわば、自分の生んだ子供と一緒に生活をしている。昔の私の商売を懐かしく思い出す。「私は昔大阪で、室内装飾業で儲かったのであります」。

 7時を過ぎると、朝ごはんが配達される。ベッドの足元の立板に立ててあるテーブルを膝の上に組み立てて、今か今か、とベッドの上で待ちかまえる。朝食の後は昼ご飯を待ち、昼ごはんの後は晩御飯待ちである。「松ノ木ばかりが待つじゃない、あなたを待つのも待つの内」ではない。ご飯を待つのも待つの内である。今日10月27日土午後6時11分の晩御飯のメニューはこうである。
茶碗いっぱいのおかゆ、小さな2切れのタラの汁炊き、細かく刻んだジャガイモの汁、カリフラワーの煮物、1杯のご飯、濃い斑鳩牛乳200ML箱入り、です。
日本の食べ物の量の少なさに気づく瞬間でもある。アメリカ人の体格と、日本人の体格の差が食べ物の器にも現れてる。

 見舞い客を待つのも待つの内である。
病院生活で一番楽しいのは見舞い客を待つことである。大和郡山市に住んでいる二人の弟は交代で必ず1日1回以上見舞いに来てくれた。二人が来るたびに「兄弟はありがたい」という言葉が積み重ねられていく。会話は二の次で、顔さえ見ればいいのである。嬉しいのである、ありがたいのである。心強いのである。私の場合は2日間の天国旅行帰りであるので、だいぶ値打ちがあったように思う。東京、静岡、埼玉、大阪、兵庫県、喜界島から、思いもよらぬ知り合い、親戚、同級生が沢山来た。アメリカから嫁はんまで来た。彼女は私を天国へ連れて行くのではなく、アメリカへ連れ戻して行くためである。

 喜界島からの人は、1日1便の鹿児島行きの飛行機の切符はそう簡単に取れない。「徳市、危篤」の知らせを聞いてから病室に着いたのは3日目である。「徳市!!、死んでいない!!生きている!!」と叫び、腰を抜かさんばかりに驚き、ワーワー、泣き出す始末である。私の天国旅行は2日間なのに、喜界島から奈良県大和郡山市のこの病院へ来るのは3日間かかる。喜界島は天国より遠かった。

 見舞い客が来るたびに、仕切りがカーテンだけの同じ部屋の患者さんに気を使うので、部屋を出て、待合室で話をするようにした。病室から待合までの間に、看護士さんの詰めるガラス張りの事務室を1日に何回も通るのが怖かった。「徳さんは、よう部屋を抜け出すなあ」と思われるのが嫌のである。天国帰りの私でも、べっぴんの看護士さんには気を使う。

 私は看護士さん達に、不審な人間に思われているらしいからなお更である。
看護士さんの間での噂を聞いた。「徳さんは違う言葉を使っている」。
病院に担ぎ込まれ、医者に尿道にパイプを入れられる時の痛さがたまらなく、目が覚めたんじゃなく、耳がさめた。まだ天国旅行へ出発する前であった。「ヤミュン チヨー、ヤミュンチヨー、フェ−ク ウックチックリ、フェーク ウックチックリヨー」と医者と看護士達に、大声で、喚き散らしたらしい。昔とった杵柄”たたき売りの大声”でである。この人はxx人に違いない。と看護士さんや医者に思われたのは当たり前である。
日本語で言うと「痛いよー、痛いよー、早く殺してくれ!! 早く殺してくれ!!」になります。元気になってから、あれは、喜界島イングリッシュ、喜界島イングリッシュ、と釈明に難儀した。
「お医者さん、看護士さん、徳さんは上園田徳市という、正真正銘の日本人であります。」  続く

by フリムン徳さん
プリムン徳さんはエッセイ本「フリムン徳さんの波瀾万丈記」を出版されています。

2011_10_07_tokusan
 

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