ちょびこさんから経過報告です。
週末から黒ちゃんの体調が悪くなりました。 動物病院で診察を受けたところ2種類の感染症の疑いがあり、治療中です。
こんな結果になって残念ですが、里親の募集は黒ちゃんが再び元気になるまで一時休止になりました。
黒ちゃんが早く元気になりますように。
黒ちゃん(メス)
最後の町
父の希望で両親はここ私が住む町のお墓に納骨されました。
75歳までよく孫に会いに来ていた両親は
私達と家族旅行をしたり
英語のクラスに通い そこでお友達もできて
カリフォルニアでは沢山の楽しい思い出を作りました。
お墓は町の表通りから一画しか離れていないのですが
裏側は山のせいか とても静かで落ち着いた所です。
お墓全体が芝生なので
誰もいない時は寝転がってお喋りをしたり
じいさんは他の墓石を探索したり。。。
ここに来ると公園に来たような気持ちになって
長居してしまうのです。
お墓参りの後は表通りのカフェやブティックを覗いたり
ランチを食べたりして帰るようになりました。
今日は娘とBlue Rock Shootに寄って
私はカプチーノ 娘はマンゴソルベを食べました。
食べながら ふと思ったことです。
私がお墓に入ってしまったら
娘とじいさんはお墓参りの後
こうやってBlue Rock Shootに寄り
二人でソルベを食べるのかなぁ。。。と。
今日 娘と両親の昔話をしたように
私の思い出話をするのでしょうか。
そしてじいさんも居なくなったら
娘は誰とここに来るのでしょう。
ここに一人でくる娘を想像してとても悲しくなりました。
いずれ 娘も息子もいなくなったら
誰も来なくなって
私達のお墓も私達が生きていたことも忘れ去られてしまうのですね。
この町は私達がいなくなった後でも
何一つ変わりなく表通りは町の人で賑わい
Blue Rock Shootは今と同じように続いていくのでしょう。
今 こうして娘と一緒に座っている
お喋りをしている刹那的な幸せが
かけがえのないものに思われてきます。
最後まで拙文をお読み下さりありがとうございました。
どちらでも一つ押してくださるととても嬉しいです。
コメント
コメント一覧 (26)
だってそのお墓はじいさんのご両親のお墓ではなくCibilitsさんのご両親のお墓なのに、ちゃんとじいさんもお参りに来てくれるじゃないですか。
息子さんと娘さんがこの世にいる、このことが自分が生きた証です。忘れ去られることはありません、だって生きた証がそうやってこの世に存在するのですから。
何代かのちにはすべての人は忘れ去られます(えらい人ではない限り)それはそれで自然なことです。
亡くなった後のことに思いを馳せないで、今、娘さんとの時間を思い切り楽しんでくださいね。それは刹那的なしあわせではありません、自分の娘と過ごす時間、血のつながりは永遠なのですから、その時間も永遠のはずです。
私は、多分死んだら速効忘れ去られるでしょう(笑)。
それもよし。覚えていてもらっても、お役に立てないですし(笑)。
でも、自分が生きている間は、先に亡くなった人をちゃんとお参りしてあげたいと言う気持ちは強いです。寂しいかなって。
私は、自分が埋葬されるときには、父と母の骨も一緒に入れてもらうつもりです(本体でなく分骨)。うーん、父はちょっと嫌かなぁ、迷います(笑)。天国で一緒に。
私が骨を埋める土地は、土葬かもしれなく(未確認)、なんとなく自分が腐っていくことを考えてしまったりします。自分の愛する人が腐っていくのは考えたくないですが、自分の姿は興味があります。変かな?!
刹那とは思いませんが、私も母とお茶をする時間、この時間はかけがえのない時間なんだといつも考えます。二度とないこの瞬間の幸福。それでよいし、それが大切です。
ここには父の他に母の両親も眠っています。歳をとって足が悪くなった母とゆっくり歩きながら、小さい頃の事を思い出していました。
この道を母と一緒に何十年歩いてきたのでしょう。。そしてこれから先、あとどれ位、母と一緒に歩けるのでしょう。
私達もお墓参りの後は毎回、Chiblitsさんと同じ様に、青山通りのたくさんの小さなお店に寄ってランチしたり珈琲を飲んだりします^^。
そして私は、こうして母と一緒に過ごせる時間を幸せに思い、いつか母が一緒に歩いてない日が来る事をおぼろげに感じます。
でも、その時には私のそばには息子達や嫁達や孫達が一緒にいる事を想像します。
順番ですね。。こうして長い年月、この道を順番に先祖、自分達、子孫達が歩いていくのですね。
Chiblitsさん。今日もお互い元気に、笑顔の穏やかな楽しい1日をすごしましょう!^^
私は心の底から仏教と輪廻転生を信じているので、例えば我が家のあんずなどもあの人の生まれ変わりかなぁ、などと考えることがあります。
Chiblitsさんがなぜじいさん様よりもご自分を先にお墓に行かせた想像をされたのかはわかりませんが、確かに私も娘が私も夫も亡き後に1人でどう過ごすのか‥‥を考えると、とても心が苦しくなります。
一人っ子で良かったのかな、弟や妹がいた方が良かったのかな、でも必ずしも姉妹仲良いとも限らないしな‥‥など、とりとめもなくいろいろなことを考えますが。
お店は‥‥いつまで続くかわかりませんよ。
この経済状態になって長いですが、我が家のお気に入りのお店がけっこうなくなっています。
お店ばかりでなく、建物そのものもなくなったりしていますね。
更地になってしまうと、「あれ、ここに何があったっけ‥‥?」と、意外に思い出せなかったりするものです。
一番移ろいやすいのはそんな人の心なんでしょうね。
みなさんが 書いているように お幸せですよ。
夫と私も 秋になったら お墓参りに ペンシルバニアに行って、
おいしいりんごを 買ってこようかと 話していました。
夫と私は こどもがいませんから
二人が亡くなってしまったら、両親も私たちの墓も 訪問してもらうのは とても難しい場所です。
まあね、今、生きている間に 両親に挨拶したり、 自分たちの墓にも はい、こんにちは、またねって 手だけ触れてきます。
日本の肉親が 私を淋しく思つたりしないように それだけは 伝えておきます。
墓地へ向かう手前に オーチャードがあって そこに寄るのが楽しみです。そこは 眺めがすごくいいのですよ。
幸せを感じる瞬間をありがたく思う心の余裕を持ちつつ 日常の些細なあるいは鬱陶しい事柄をこなして、日々過ごして行くのが人生なんでしょうか、ね。
もうすぐお盆、です。夫の先祖のお墓参りに行かなければなりません。高速を使って片道2時間半、蚊がぶんぶん飛び回っているので 蚊取り線香と蚊よけのスプレーを持って、掃除をしてお参りします。親戚も誰もいないので、掃除、お参りの後はとんぼ返りです。私たちのお墓は今住んでいる所の近くにしたい、と、思っていますが。、
女の子は、お墓参りなどはちゃんとしますよ。
息子などは、よほど先祖を供養しなくては、と云う気持ちがなければいくらいいお墓でも無縁仏になりますから・・・
私は、息子2人なのでそんなに供養しないと思うので私が死んだら、永代供養をしようと思っています。
母も父も姉も私か、息子達にお墓を頼んでいましたが、姉が死んだらお墓を永代供養に切り替えるように、息子には伝えました。
私はお墓参りより、生きている時に心に残る親でありたいです。
chiblitsさんもそうじゃありませんか?
皆さんがフォローしてくださってますねー
もしかして、chiblitsさんのご先祖さまも同じように心配してくださってるかもしれませんね。そうだとしたら、そのお気持ちがとてもありがたいなーって思えてきませんか?
生きている時には感じなかったことも、あの世では全て見えるかもしれませんね。(そろそろこちらもお盆ですから)
そうしたら、ご先祖さまにchiblitsさんはどう自分の気持ちを伝えますか?
ご先祖様はきっとこの世で笑ったり泣いたり、心配したりしてるchiblitsさんを微笑んであの世から見守ってくださってると思います。
何も心配はいりません!
Chiblitsさんはブログからとても素敵な方だと思っています。読みたくなるブログです。考え方 なさっている事 美味しい料理 可愛いいワンちゃんなど ついついクリックしてしまいます。
今お元気で恵まれたご家族との晴らしい日々があるのですから、自分の死後の事を想って悲しまれるのは勿体無いですよ。
所で、そのお嬢さんの着てらっしゃるのは以前チブリッツさんがお友達とお出かけされた時買われたセーターじゃないですか?肩の形と色がそうかな〜?って・・・。
黒ちゃんは取り敢えず入院になりました。しばらくはお医者さん任せです。あんなに小さいのに病気になって可哀想です。イロイロ考えると、自分の子供達も絶対に大人になれるとは限らないんだな。。。 なんて考えてしまいましたお盆が近くなると、亡くなった人たちを偲んだり、死について考えてしまいますね。私も今の時間を大切にしたいと思いました。
今こうして、娘さんとこんな良い時間が持てることが幸せですよ。お父様やお母様といつでも心の中でお話し出来ることも。はなは両親のことも何も判りません・・・でも、はなから始まった血は孫まで広がりました。家族が持てたことだけで幸せです。はなはじいじと決めていることがあります私達が今、お世話しているお墓には入らない、私達はお寺の供養塔で良いと、お墓を持つつもりはありません。子供達にお参りしてもらわなくてもいい・・・何かの時にお母さんはこうしてたなあ〜お父さんだったらきっとこう言うよよ、思ってくれたらいいなと、はなのクリームコロッケが、ワッフルが子々孫々までつながることかはなには、はなの生きていた証として残れば最高ですよ・・・そんな考え方もアリだと思ってます。
どうでしょうね〜。婿ちゃんが来てくれるのかなぁ〜。婿ちゃんはこのお墓には一度も来たことがないです。 もっとも誘ったこともないのですが。 そうですね〜。私が寂しいと思うのは自分がいなくなることよりも 子供のいない娘が一人残された時にどんな気持ちでここにくるのかなぁと思うと寂しくなるんですね。 息子達のことは心配しませんが色々と健康ではない娘のことを考えると夫婦仲良く元気でいて欲しいと思いますね〜。
そうです。私は自分でとても幸せだと思います。 でも色々と健康問題を抱えている娘を残していくのは心配で悲しいです。 私も両親と同じお墓に入れることはかなり「死」に対して安心感ができてきたような気がします。自分のいくところが分かっているのはちょっと安心です。 でもその過程と残された人のことを考えると。。。今までず〜っと世話役だったので私がいなくなったら誰が世話をしてあげられるのか。。。そんな心配をしています。
私も土葬をそのように考えたことがあります。その点火葬の方が好きかなって。(笑)変じゃないですよ。皆さんそう思う時があるでしょう。本当に今 生きているというのは有難いことですね。
そういえばもう直ぐお盆ですね。 びよんせさんもそうしてふと将来のことを思うことがあるのですね。 私もよくふと思うことがよくあります。
父は亡くなる前に母が認知症になって一人母が残して逝くことがとてもとても心配であったでしょう。 それから母は半年後に父の所にいきました。 父が呼んでいたのだと思います。それから息子が結婚したり父にとっては曾孫が生まれたり嬉しいことが沢山起こりました。 両親が生きていたら喜んでくれただろうと思う事が沢山。 ですからきっと私の死後も 家族に沢山幸せなことが起こると信じていたいです。私の死後の心配事よりも楽しいことが起こるかもって想像したほうがいいですね。ついつい暗いことを考えてしまいます。
そうですか〜!
私の友達が仏教徒ですが私に「去る準備をするとよい」と言います。 私は信仰心がないので何のことやらですが、よい輪廻転生ができる準備のことらしいです。
私は娘と一緒に楽しい時間をすごす時に娘にも同じような幸せな時を持って欲しいと思うのですがこればかりはそうなるとは限りません。もしこのままだったら年をとってから一人になってしまうとかいろいろマイナス思考になってしまうのです。 うちは兄妹でとても仲がよかったのですが息子は結婚したら大切な家庭が一番になるのが自然ですからね〜。それは姉妹でも同じです。仲が良くても私と姉のように離れてしまえばいないのと同じようになりますから。 特にこの年になるとあと何回会えるだろうって思うようになりました。
はい、素敵なお店でこの表通りの看板お店みたいな存在になっています。
ペンシルバニアのりんごを食べてみたいです!CAに入ってくるのはワシントン州からのものですね。
私はね 自分のお墓にお参りして欲しいとは思わないのですよ。死んだらそれまでと思っています。でも残される人の気持ちを考えて寂しくなるのです。 残された人がどんな気持ちでここにくるのかと思うと悲しくなるのです。もし自分に全く家族がいなかったらこんなに思うこともなく凄く気軽にあちらに行けるような気がするんですよ。 私の書き方(今日のエントリー)はちょっと曖昧でしたね。 そこからペンシルバニアまで一日でいけるのですか。
本当に!考えてもしょうがないって同感ですけど、つい考えてしまうんですね。長いようで短いですよ! 戦争が終わって3年しか経っていない時に生まれて、幼少の生活は家も食べ物も今とは全然違うものでしたね。あの頃はもっと地球も違ったといってもいいくらいに別世界でしたよね。
うわ〜〜来週がお盆ですね! 私はなんと!来週は陪審員の呼び出しがかかってきました。ゆっくりしたお盆は無理な感じです。 本当に! 蚊が困ったものですね〜。 高速で2時間半って遠いですよね〜。日帰りができるぎりぎりの距離ですね。
婿ちゃんが一緒に来てくれるのでしょうかね〜。娘が頼んだら来てくれるでしょうね〜。
私は自分のお墓参りに来て欲しいとは思わないのです。死んだらそれまでと思っています。でも娘はきっと来るでしょう。その時の娘の気持ちを思うと悲しくなってしまうんですね。 残された人の気持ちを思うと悲しくなってしまうのです。逆に仲が悪くて死んでせいせいしたとか思ってくれると私も気が楽になると思うのですが。ちょっと変な言い方ですけど。 何だか書き方(エントリーのが)曖昧だったようです。私のお墓参りをしてくれる娘が可哀想な気持ちになるんですね。 娘は体も弱いので私がいなくなったら。。。心配なことが沢山あります。
何も心配いりませんか!!
どうにかなっていくものですよね。 私の一番心配な事はお墓や先祖供養のことではないのです。 残された人が幸せになって欲しいと願うのみです。 考えると父も最期まで家族の事を心配してまだ死ねないとよく言っていました。 でも父が亡くなってからも幸せな事が沢山起こって両親が生きていたら喜んでくれたのにと思う時が何度もありました。 私も先のことは心配しないで幸せな事が沢山起こって何も心配することはないと信じているほうがいいですね。 私もあちらに行ったら家族を見守ってあげたいです。
子供達は先祖に私達夫婦の健康を祈り、私達夫婦は子供や孫の幸せや健康を祈っていますから何とかなるでしょう。
娘はいいですね〜。 買い物にいったり食べに行ったり結婚しても頻繁に帰ってくるし。 帰ってくる前から私も気分が明るくなります。帰ってくることが分かっている時は私のお友達とは予定を入れません。家族優先です。
ひえ〜〜〜素敵な方だなんて〜〜〜 そんなに言われた会えなくなっちゃいますね。 ご訪問ありがとうございます。 クリック も有難うございます!とても嬉しいです。
特にキリスト教はそうですよね。
あはははは! あの私が買ったシャツは娘から「これは着ないから返す」といって返されて以来誰も着ていないのですよ。私も一度も着て外出したことないです。 娘には似合うと思ったのだけど結局は却下されましたよ。
色々と制限があって私の悩みは全部ここに書けないのです。 私の悩みを書かないではこのエントリーは無意味なのですが、私の独り言、戯言です。
私のお墓参りに来て欲しいという気持ちは全くないのですよ。お墓は生きている人の為と思っていますから用が終われはそれで良いと思っています。 でも何というのか、 一生は短いのであまりくよくよしていたくないという気持ちですかね〜。それが娘に通じるといいのですが。
黒ちゃん 入院ですか。本当に私もそう思います。順番通りが一番自然でよいことですがそうでない時もありますから今を大切にしなくちゃですよね〜。
はなさ〜ん お久しぶりです〜〜
はなさんは大勢のお孫さんに囲まれて本当にお幸せですね。 ご両親ははなさんがこんなに幸せな人生を送っていることが分かったら嬉しいでしょうね。 子供の心配は親が思うほどではないのかも。 時々想像するんですよ。 私が死んでから娘が超健康になって今ではかんがえられないような生活を元気にしている。。。そんなことを娘に話すんですよ。 笑って何も言いませんけどね。お墓参りをして欲しいという気持ちではないのですよ。 親がいなくなっても強く生きていって欲しいなぁと思うだけです。できたら親の事なんて忘れるくらい(つまりめそめそしないで)楽しく暮らしてくれたほうが私は嬉しいです。
日本はそういう風習がいいですよね。 子供たちが夏休み実家に帰ったら毎朝父が孫達に仏壇でお線香を上げさせていました。 3つくらいだった娘が正座して手を合わせている写真があります。 ああして自然に覚えていくんですね〜。