病気はある日突然やってきます。 治療法があれば 幸いですが それが聞いた事もないような難病であれば どんなに辛いことでしょう。 お友達が筋痛性脳脊髄炎(ME)という病気と診断されました。 この病気は去年から施行された障害者総合支援法の対象にはなりませんでした。
筋痛性脳脊髄炎(ME)が支援法の対象になるよう 署名運動にご協力頂ければとても嬉しいです。
<送付期限>
2014年5月10日
署名に関するページはこちらです。
こちらもお願い致します。
「福島第一原発で働く皆さんに感謝の気持ちを届けよう」という活動では 作業員の皆様に、機能性インナーとカイロを寄贈する寄付金を集めています。
アメリカ在住の方: 寄付は2014年2月28日で終わりました。
日本在住の方:3月末までです。
福島第一原発で働く皆さんに感謝の気持ちを届けよう
娘夫婦からプレゼント
娘はサンホゼで幼友達に会った後 我が家に寄りました
私達にプレゼントを届ける為です
これが娘夫婦からのプレゼント
そこの貴方様
これが何だかお分かりでしたら凄いです
これね
え〜〜と
え〜〜と
何だっけ もう忘れた!!
早く言うとですね
この中に4,300枚の写真が入っているのですよ
婿のKさんが 4ヶ月?かかって私達夫婦のスライドをスキャンして
デジタル化してくれたのです
それを娘がフォルダー作って整理をしてくれました
超大プロジェクトです
1966年から1993年までのじいさんと私が撮った写真が全部入っているのです
これを今夜は3人で夜中まで見ておりました
何十年も見ていない写真ですから
本当に自分にはこんな過去があったのかと思う程に
記憶のないことばかりです
それにじいさんも私も別人みたいだし…
娘夫婦が感心しておりました
お母さん達が結婚した時は本当にテレビも 何もなかったんだね〜と
何を隠そう
結婚した時に 二人で合わせた所持金が2500ドルでした
私が500ドル
じいさんが2000ドル
カリフォルニアの生活はこれでスタートしたのです
テレビもないからランプを見つめる二人です
可哀想に 卓袱台も無かったんですね
実家から持ってきたやかんが昭和の感じです
ここにも出てきました私の青いトランク!
このトランクは私が18歳の時モンタナ州で買ったトランクです
モンタナ州から太平洋を渡って鹿児島に船で送られて
それから再び鹿児島からカリフォルニアまで船で運ばれたトランク
それが遂この前までここの車庫にあったのですけどね
去年処分しました
ところでね
この写真のアパートは当時月 160ドルでしたよ
3時間前に聞いたプレゼントの名前は忘れるのに
40年前のアパート代を思い出すのです
今日もこんなブログにご訪問有難うございます。
↓を応援をしてくださるととても嬉しいです。
コメント
コメント一覧 (42)
そんな懐かしい写真を、こうしてデジタル化してUSBに収めてくださった娘さん、なんて優しいのでしょう。
小さいものなので無くさないように(笑)!
またお写真、見せてください。
私は最近写真はGoogle Drive、One DriveとかいわゆるFreeのOnline CloudにBackupしています。
ぷっ、その頭のカーラーいいわぁ〜そしてはいてらっしゃるズボンの縞柄がもう何たって「時代」を物語っています、あの頃モンキーズもそんなのはいてたなぁ。ジイ様もオオカミ男風で、いや、ヤンキーな感じで素敵だわぁ、わははは。何で日本から「やかん」を持って来られたのか?ハテ〜ですが・・・これは昭和のラブストーリー「神田川」のモンタナ版ざんすよ。http://www.youtube.com/watch?v=WuZCWjvF8MY
今回の記事とっても胸がじーんとしました。
素敵です!!!
ものが無くてもお二人の暖かいムードが伝わってくるようです。
お写真はカメラをどこかに置いて時間差でシャッターを切るような機能で取られていたのでしょうか?
自然な姿の当時の二人の写真って、観光地などで正面を向いて取る写真とは違う良さがあって感動しました。
私もこれからは意識してこういう写真を残していきたいと思いました。
素敵な記事をありがとうございます。
微笑ましくいい写真!
何を隠そう私達も同じよーな出発点。
な〜んにもない義父母のもつ空き家に辿り着いて私が座るものもないのねー と言ったら、主人がちょっと待ってろと外に出て戻ってきたのは、ワーゲンバスから外してきた3人掛けのシート。 壁を背にして、さーここにどうぞと言ったのです。 あの発想は面白かった!
若かったから、そんなことも平気だった、いい思い出。
私もあの時代には、頭にカーラー巻いて寝てましたね〜。
ところで。
この若いお二人の写真、誰がお撮りになったのでしょう。
あるいは、セルフタイマーですか?
そして、フィルムはコダックだったのでしょうか?
うわ〜、自分でも、書いていて、なつかしいです。
読み逃げのできない素敵な写真に
釘づけです。
やはり思い出って良いですね〜〜
引っ越しの際にアルバムも処分と
思ったのですが処分しなくて良かったです。
チブリッツさん、初心を忘れずですね、あの頃のようにお互いを大切に
していきましょう。
結婚ってこういうことだと思う
日本から持ってこられた やかんは 最近まで 売られていたような きがしますね。
私も 日本から 職場の同僚が買ってくれて 長いこと使っていましたけれど(使えます)玄米には むいてないので 切り替えましたけれど ありますよ。
使ってはいないけれど 10分くらいで 白米が できますからね。
ところで 月 160ドルの家賃のアパートって その当時 どこですか?
私は チブリッツさんより 数年後に来ましたけれど うちも お金がなかったけれど もう少し 支払ったとおもいますけれど。。。
この写真をみて 二人で こんなときもあったんだと おもわれたのではないですか???
ほのぼのー、という言葉がピッタリ!一見、何も無いようで、二人の心は満ち溢れている、という感じが伝わってきます。
で。
この写真は、自動シャッターで撮影したのですか〜?
私は2枚目の写真、若き日のじいさん様のスカーフに!って思いました。若奥様のセーターに合わせたのですか?おしゃれ、だったんですねえ、若き日のじいさま!(ええ、若奥様も素敵ですよ)
しかし、素敵ですね。お二人。
Chibilitsさん、この頃、熱い思いで二人で何を語り合っていたのですか? 思い出せたら、教えてくださーい。
どちらも素敵なお写真ですね。
その当時の音や匂いがしてきそうです。ぐっと引き込まれました("U"♡
当時の様子が走馬灯のように蘇って来るのをお三人で胸を熱くしてご覧になられたことでしょう。
可愛いお二人にウルッときました。
ランプを見つめるお二人の写真、すごく幸せそうで素敵です。
カーラー、なんか懐かしいです。
新婚時代の写真を、娘さんと一緒に見ながら、お話弾んだでしょうね。
私はあんまり、両親とそんな話したことないですね−。
なんでだろう?照れくさいのかも。
スキャンって、一枚一枚スキャナーに載せて・・・凄い!またはなんか隠し技のアプリでもあるのかしら。それにしても嬉しいプレゼントですね。
私も、はらさんと同じ、「神田川」の世界ねぇ〜って、思いました。
若さって、しみじみ素敵ですね。
フイルムの写真は、柔らかくて大好きです。
拝見していたら、胸がジーンと熱くなって、泣けそうになりました。
感動しました
すばらしいプレゼントです。感動です。
思い出を大切にできて チブリッツさん 良かったですね!
私も一度だけ 縞縞パンツをはいていたころがありました。ちぶちっつさんよりも 5歳上ですから なんとなくそのころの時代を思い出します。私は 独身も独身、コミバエという農業害虫研究所でハエの餌を ケージに置いて来る仕事をしていました。その頃縞パンツはいていましたね。アハハ。
私達 性格は全然似ていないのですが物欲がないところは共通しています。 そうですね〜 パソコンやらネットが出来てからですね〜 段々夫婦の距離が離れていったのは。 だってね今だってじいさんはここから一番西の部屋でパソコンしています。 私は一番東の部屋ですからね。 話はSkypeですよ!! ひどいですよね〜。
時々面白い写真があったら載せますね。 それにしても私の髪 年々ひどい格好になっています。 とほほほ
この頃は未だ仲が良かったのですね〜。 はい、がんばりましたよ。 家が欲しかったので 毎日二人ともお弁当持ちで出勤して 安い家具を買ってとても質素な生活をして貯金しましたよ。
うわ〜 じいさんもCloudに保存しています。 写真のような個人情報でないもの以外は。 この何とかというプレゼントは32ギガです。 ギガだっけ? メガの次はギガ?
どうなんでしょうね〜〜? 私もよくわかりません、2500ドルが今ではどのくらいの価値だったのか。 1972年は確か未だ1ドルが360円だったと思います。 1974年くらいだったかしら 280円になったのは。 そうそう 1974年に買った私の最初の新車が確か2700ドルか3000ドルだったような記憶があります。 当時キャデラックが5000ドルでしたよ。
本当にね〜 Kさんも嬉しいことをしてくれました。 きっかけになったのはKさんが何だか知りませんがスキャンをしないといけないことになって 息子が良いスキャナーを持っていたのでKさんに貸してあげたのですよ。 スキャナーがとても速いし簡単なので 自分の仕事が終わってから ついでだから私たちのスライドもスキャンしてあげようということになったらしいです。 実はね 私は 昔昔の8mmもスキャンして欲しいんですよね〜。 私が小学校の頃に父が撮った動画なんですよ。
あははは 絶対にはらさんこの縞々のズポンにコメントを入れると思ったですよ。
あぁ この歌 紅白で聴いたことがあります! 紅白に出たことありますよね。 あの頃はまだ紅白も毎年みていたんですよね〜。
いつもご訪問有難うございます。
温かいお言葉有難う〜〜。
初めまして。 こんなに若いときってお金なんか関係ないんですね〜。 お金は働いたらいいだけと簡単に考えていました。
当時は写真を撮るのは殆どじいさんだけでした。 写真が趣味だったのですね。 だから日本に行った時は三脚やらカメラや色々なフィルターを買うのが楽しみだったようです。 そしてこんなにして三脚を使ってまで当時の記録を残そうと思ったのはじいさんだけです。 正直私は興味がなかったですけど 今になってこうしてみると 家具のないアパートに住んでいたことも 段々買い揃えていったことも すっかり忘れていて写真をみて自分でもびっくりした次第です。 全くこの写真 記憶にないのですよ。
私もこれから三脚をつかって写真を撮らなくちゃと思いました。 最近は自分の写真が殆どないのですよ。 じいさんはカメラにはもう興味がないようで。
本当に若いって凄いエネルギーですよね。 何でも OKみたいな。 お金なんて 働いて作ればいい〜なんてね。 そうそう 私達の最初の椅子はね 当時流行ったBean bag chairでしたよ。 とうじAcronという安いお店があって そこで緑のBean Bag を二つかってリビングにおいていました。 ワーゲンバスとにたようなものですね〜。
このブログをのぞかせていただくといつもほっこりします。nyで荒んだ生活をしているので(笑)
素敵なご夫婦で、憧れます。私と主人も将来同じように他の人に素敵だなと思われるような夫婦でいたいと思います!
ちなみに、私も同じフラッシュドライブをこの間買いました。小さすぎて失くしてしまいそうです。
またほっこりさせてもらいに伺いますね。
この頃の洋服は全部自分で作っていたんですよ。 このズボンも。 サイケデリックという言葉がはやった時代でしたからね〜。 自分でも今見て恥ずかしい格好です。 よくも頭なんぞにカーラーをして寝ましたよね。 今ならとんでもないですよね。
じいさんはこんな記録を写真に残すのが好きでこの頃は私は写真にはあまり興味がなくて全部じいさんが撮りました。 セルフタイマーで三脚でしょう。 写真を撮ったこともこうして朝ごはんを食べたことも覚えていません。 何となくは記憶になるのですがこのずぼんも自分で作っておきながら(多分)全く記憶にないです。 スライドは多分コダックだったのでしょう。 色が悪いのはカメラのせいでしょう。 昼間撮った写真はまぁまぁの色です。
おはようございます! 今朝は火曜日山歩きの日なのですが相棒さんが用事があるのでただ今待機中です。 「あの頃のようにお互いを大切に」耳が痛いですねぇ〜
でも 本当に 最後まで仲良くせんとなぁ〜と思いましたよ。 写真は大切ですね〜。
この頃は未だ未だ新婚
喧嘩もしないときでしょう。
確か引越し箱を卓袱台にしたのは覚えているんですがこのスーツケースだったとは。 こんなことも覚えていないんですね〜。 多分鹿児島ならこんなやかんを売っているところがありますよ。 昔はどこもこの薄いアルミのやかんでしたよね〜。
ふふふ このアパートはね サンタクララのここですよ!
https://www.google.com/maps/place/Solera+Apartment+Community/@37.357417,-121.960545,3a,75y,166.77h,90t/data=!3m4!1e1!3m2!1s6vk7XOExjY7rqHXPZn3KCQ!2e0!4m5!1m2!2m1!1ssanta+clara+royal+drive+apartment!3m1!1s0x0:0xbd1e78d4f8ce1b6e!6m1!1e1
シリコンバレーは1972ねんから1974年の間に不動産が2倍になったのですよ。 1972年 売り家を見始めた時は一軒が何と! 2万ドルでした。サラトガの家は4万ドルでしたよ。 それが1974年には2倍になっていました。
はい 自動シャッターです。 そういえばじいさんはこの頃 よく三脚を持ち歩いていましたね〜 きっとお出かけのリストにあったのでしょうね。
私は今この返信を管理者画面で書いているので じいさんのスカーフ??って意味がわからなくて今写真をみてへ〜っと思いました。 これはね 首が冷えないようにじいさんは赤い首巻をして寝ていました。 最近はしませんけど。 赤いのは偶然です。
あははは 何を語り合っていたんでしょうね〜 こんなところで朝ごはん(ここは寝室です)を食べたのはきっと食堂がビニールタイルなので寒かったからでしょうね。 この写真のこと 全く記憶がないので何を話したか覚えてもいないのですが不思議に この粉ミルクのことは覚えているんですよ。
はじめまして!
本当に写真はいいですね〜。 ちゃんと残しておくべきですね〜。 じいさんが写真をやめた1993年くらいまでしかないのですよ。 その後は私がプリントを撮りはじめて。 プリントのネガもスキャンできるそうなのでプリントもデジタル化して1993年後のフォルダーを作って残したいです。
こんなに仲が良かった時期があったのですね〜。 新婚ですものね〜。
当時の気持ちをちょこっと思い出します。
今は散歩に一緒に引っ張り出すのが大変ですよ。
こうして毎晩カーラーをして寝ていたなんてね〜 いまでは考えられないですね〜。
最初はねちょっと心配だったのですよ。 だって娘が最初にみるのではなくて婿が先ずスキャンしたので へんな写真があったら ジャスミ〜ン これ見て これ見てって言ってたらしいですよ。
私も自分の親とは照れくさくて全く両親の新婚時代の話をしたことありません。 私の両親はかたかったから〜。
オレンジがはやりましたね〜 今は囚人の服色ですけどね。 何だか すごくカラフルな洋服が好きだったみたいですね〜。
スキャンは一度に60枚できるそうですよ。 だから一晩に60枚ずつしてくれたそうです。
そうですか 神田川」の世界を思い出されましたか。 あの歌は1970年頃のことをうたっているのでしょうか。 私ももっと素直でしたね〜。 可愛い奥さんが今はすっかり強くなって。
本当に 娘と話をしていたんですよ。 これは婿だからできたって。 娘も息子もやるとなると 一枚一枚のカラー調整を徹底的にしないと気がすまない性格なので あの二人は10年たっても完成できないでしょう。 婿は60枚ずつ カラー調整は最初だけ。 だから終わらせたのですよ。 私は婿の方法で十分 終わらせることのほうが大切と思いました。 へ! 縞のパンツってはやった時期があったのですか! 覚えていません〜。 この写真をみてなんでこんな変なパンツをはいていたのかって思いましたよ。 流行ったことは記憶にないです。
ご訪問有難うございます。 nyで荒んだ生活って分かりますよ〜〜〜今年の冬は大変でしたね。 次から次に押し寄せる吹雪。 これでは気がめいってしまいますよ。 CAに住むじいさんでさえも冬の季節うつ病が出るのでライト治療をしています。
私たちち〜っとも合った夫婦ではないのですが 何とか二人三脚で生活している感じです。 喧嘩は一触即発 状態ですから さわらぬ神にたたりなしにしていますよ。
あははは これ フラッシュドライブっていうんですね!! そう言われて思い出しました! 本当に!小さすぎてなくしてしまいそうですから娘とじいさんが直ぐに私のハードドライブにコピーしなさいと言ったのでコピーしました。 間違ってDeleteしてほしくないからと言っていました。
ほのぼのとした、いい写真がでてきましたね。しかも一枚一枚にちゃんとタイトルまで書かれている。これも娘婿さんの仕事ですか?ナンバーだけより、助かりますね。
我が家もチブリッツさん夫婦と似たような感じで、お互いの距離をとっているので、結婚当時、あるいは、学生の頃のツーショットの写真を見ると そうだったのねぇぇぇ。その時は、と照れてしまいます。
理想の新婚のスタートですよね、無から、というのは。
サイケデリック、わ〜懐かしい、自分で作ったズボンですか?ということはミシンは持っていたのですか?
ほんと、娘婿さんの、仕事に脱帽、です。良かったですね。
本当ですね!! 気に入ったのだけ調整すればいいって思いつきませんでした! はははは でもね きっとそれですらしないでこのままですよ。 凄く色の良いのと悪いのとあるのですが あれはフィルムのメーカーの違いなのでしょうか。 コダックは良い色しています。 1970年くらいだとFujiよりもコダックの方がいいくらいです。 今頃コダックフィルムなんてあるのかしら。
そうそう サイケデリックっていう言葉が流行った1970年でしたよね〜。 ヒッピー時代ですよ。 その後スカートが短くなりましたよね〜。
初めて見た時も胸が打たれましたが、「あの写真がもう一度見たい」とブログ内を探してまた見ているいま、やはり感動して涙が出てしまいます。自分の写真でも家族の写真でもないのですが、保存させていただきます。。。なにかあったときのはげみにします。
そんなに言っていただいてとても嬉しいです。 恥ずかしい写真ですがそんなに思ってくださると載せて良かったと思います。 若いっていいですね〜。 な〜んにも怖いもの知らずというか。(笑)こんな写真が励みになるなんてとても嬉しいです。 有難うございます。