1976年 9月 長男が生まれた時
母がお産のお手伝いに来てくれました
お掃除 洗濯 食事の支度・・・だけでなく
日本からわざわざ持ってきた保温弁当箱を使って
毎日 じいさんのお弁当を作り
当時 飼っていた犬の世話をして
産後の体操まで教えてくれました
去年 娘婿が古いスライドをスキャンするまで
押入れの中に片付けられて
38年間も忘れられていた写真です
私は こうして母が体操を教えてくれた事も
みこ(犬)と遊んでいたことも 覚えていないのです
ただ 覚えている事は
母がいたので お産への不安や心配は何一つなく
安心していれたことです
初めてのお産だったのに ブルーになることもなく
無事にこの時期を通れたのは
母が傍にいてくれたからです
この写真は昼間 私が寝ている間に
授乳を代わってくれたのでしょう
そしてそれをじいさんが写真に収めたのだと思います
母は当時51歳
時々 母がもういないことが 不思議に思うことがあります
そうかと思えば
こんな母がいたのは 夢だったようにも思えます
母だけじゃなくて父も 昔の私も みな 夢だったような・・・
でも もう2度と時間は戻らないのですね〜
こんなに書いている間にも時間が過ぎていきます
毎日を大事にして 何か楽しいことをしないと
生きている事が勿体無いですね
今日はPeet'sの無料ラテが最後の日なのです
今日もじいさんとちびと行きたいのに じいさんは忙しいと言います
一人で行っても楽しくないし・・・
こんな日は自分で楽しい事を見つけて何かしないとね
一人でも楽しい一日を過ごしましょうね!
今日もちびちゃんのアイコンで応援してね!
ちびは18歳と3ヶ月のトイプードル
コメント
コメント一覧 (48)
またまた涙腺がゆるんでいます
チビちゃんへの愛情溢れる様子
私は犬ではなくそっくりそのままいつも私の母への反省に繋がるのです
母は亡くなる前、耳は片方聞こえていましたし、目は良く見えていました
でも亡くなる半年ほど前から私のことはもう判りませんでした
毎年2〜3回帰国して介護施設には行っていました
でもChiblitさんがチビちゃんに慈愛溢れる接し方をされていた様に
母に接していたのかって言うと NO です
毎日一緒にいて介護をするわけでもない、
たまに帰って介護施設に行ってそばに座って、
それだけなのにもっと優しくしてあげたらよかった、思い出すと辛くなります
息子が生まれた時、やはり来てくれました、大荷物を持って
同じような写真がありますよ
あと、沐浴の写真とか
私は母の死に目にも会えなかったし、告別式にも行けなくて、
だから現実ではなかったのです
兄が死に化粧の母の写真を送ってくれて始めて涙が出ました
でも49日法要と今年の5月に墓掃除に帰りました
今、色々思い出しています
ありがとうございます
産後体操のChiblitsさんのお母さま、Chiblitsさんと横顔がまったく一緒で、思わず私も笑ってしまいました(^ー^)。
51歳のお母さま、お顔も確かに今の私よりピンとなさって、でもこれが当時の「51歳の女性」なんですよね、ファッションが‥‥やっぱり今どきの方よりお年を召していらっしゃいますもんね。
私が赤ん坊だった当時の写真を実母にもらったことがあるのですが、僅か50歳かそこいらだった祖母が着物を着て肩にタオルを置いて、すっかり「婆様」然として座っている姿に驚いたものです。
ときどき、あの当時の祖母が55歳の私のジーンズ姿を見たら何て言うかなぁ、と思うことがあります。
私は姑に産後を手伝ってもらったら一人で過ごすよりもずっと大変になる‥‥と思って一人で過ごしていましたが、やっぱりそれも大変でした。
娘が出産したら絶対に手伝ってやろう‥‥と思いながら娘を育てていましたが、娘自身は私と夫の夫婦を見ていて、結婚というものがそんなに良いものとは思えないので結婚なんてしないかもしれない‥‥のだそうです。
子どももさほど可愛いとは思えないので、犬がいればいいや、だとか。
私自身が母の温かい愛情というものを知らない、と思って育って来たので、娘には窒息するほどの愛情を示してやりたい、と思って育てて来たつもりだったのですが、何だか子育てに酷く失敗したような気にさせられる娘の発言でした(^_^;)。
体操するお二人の間に入った犬のお尻としっぽがかわいいです!
私ももうすぐ一歳になる娘がいます。お産のときは母が助けに来てくれました。一生懸命に私をサポートしてくれて、ほんとにありがたく思っています。
その頃から母がどんどん小さくなっていくのがさみしくて、以前より優しくするようになりました。
でも今までは言いたい放題!娘って母親に厳しいですよね〜。世界のお母さん方に言いたいです、娘の発言に一喜一憂しないでください。娘は甘えて言い過ぎるのです。ごめんなさい。
昨日のチビちゃんの写真も可愛かったです。
動物は老いてもかわいくて残される方は困りますね。
私もチビちゃんのように毎日を一日一日ままうけ受け入れて生きたいです。
たいてい娘はお産をすると母親とのつながりがそれまで以上に出来ますね。
私もそうでした。私は仕事をしていたので子ども二人を母に預けて働いたことがあります。
そして今年は娘の出産後3カ月娘の家で孫のお世話を手伝いました。
そして、きっと私が死ぬと、孫に「おばあちゃんのこと覚えてる?」よ聞くようになるのだね、って娘と話したりしました。
私も父や母にはもっと優しくしてあげればよかったと思って切なくなります。
今の私の年頃から病状が悪化し始めたこと、私自身が離婚や仕事のことで精神的に弱っていたので、ゆっくり母のそばにいてあげられなかったことなど思い出すたびに心が痛みます。
人生は夢の如しと言いますが、宝物のような写真が出てきて良かったですね。
私もアメリカ人と結婚し地元沖縄を離れてカリフォルニアに来て、もうすぐ2年です。記事を読んで私も将来こんな風に思うのかな、といつも想像しちゃいます。お母様アメリカまで来てくれたなんてスゴイですね!
私も子供が出来たらきてほしいなーと思いますが母はまだ仕事もバリバリで当分来てくれることは無さそうです(ーー;)
今日は偶然にも母の62の誕生日で、さっきプレゼントを送って来ました。後で電話もしようと思います。(^_^)
何ヶ月も寝たきりで痛みでもがき苦しんでいた時に何度もBFにひどい言葉を吐きました。もし私だったら 好きにすればいい。 って投げ出されそうな時でもじっと我慢して聞いてくれてました。 今月になってやっと眠れるようなって普通の顔になったと自分でも思います。それまでは目も活力が無いか、つり上がってました。犬たちも側に寄り付かないような日もありました。
BFに 本当にごめんなさい。と お礼を言いました。
ただ一言 これは俺のJOBだ。 ってそれでおしまい。 この人の大きさを改めて感謝した次第です。
素敵なお母様、Chiblitsさんに似ておられるとか。
私は母が40歳の時の子ですから、4人の兄姉達に比べると母と一緒にいる時間が短く、母も良くそのことをkにしていました。
今生きていたら孝行ができたのに・・・と思います。
今日は一日母のことを思い出しながら過ごすことにします。
じいさん、一緒にpeet's行こうよ。愛しい妻の誘いをちょっと笑顔付きで受けましょうよ。これとっても大事!!
良い写真ですね。
お互い、昔の母、今の自分より若い
母の写真を見ると不思議な気が
しませんか?
母は本当に有難い存在、特にあの
世代は自分の事はわきに置いて、
子供や夫のために生きていましたね
私もしみじみ思いだしています。
今、生きていたら、こんな話も
あんな話もしたいと思うせいか、
最近、よく夢に出てきます。
chiblitsさんのこの記事のお蔭で
またまた母を偲んでいます。
物忘れがひどくなって頼りなくなってきた母ですが、息子を出産した時、泣き続ける息子を抱いて眠らせてくれて、あなたはちょっと休みなさい、と言ってくれたことを思い出しました。近くに住み、ついついキツイ言葉を浴びせてしまう自分に反省。優しくしないと、ですね。
娘も来年に母親になる、という嬉しい知らせを受けて、私も娘の中で思い出になっていくのだと思うと、嬉しさの中で生きていることの切なさと寂しさも感じてしまうこのごろです。時はこうして流れていくのですね。
>母も良くそのことをkにしていました。
これじゃ何のことか分かりませんね。
↓
母も良くそのことを口にしていました。。。です。ごめんなさい。
父は私が24歳の時に、50で亡くなりました。自分の事だけに一生懸命な時だったので 父に感謝する事さえ出来なかった。
母は 84歳で元気です。それが本当にありがたいです。ありがたいと思っているのに 母の考え方に同意出来ないときもあり 否定して、母を凹ませてしまう事も今だありますねぇ(^^ゞ 元気に生きていてくれて有難う、と、思っているのに、です。
重荷になるほどの母の愛を昔は 嫌だったのですが、最近 素直に受け入れられるようになりました。60越えしてやっと、、、です(^^ゞ
12月の初め娘が第2子を出産予定です。一人目の時も1ヶ月ほどいて母が鹿児島からきてくれました。今度もきてくれる予定です。それが心強く思う、60過ぎの私は甘えすぎですねぇ。
chiblitsさんのお母様 まだ今ほど、気軽に海外へ行く時代でないときに 娘の為とあれば 何処へでも、と言う思いで アメリカへ行かれたのでしょうね
。大丈夫よ、じゃなくて、お願いね、と頼んだchiblitsさんは親孝行されたと、思います。
今日は宝物のようなお写真の公開ありがとうございます。
とても、とても素敵なお母様ですね。 一生懸命産後の体操を教えるお母様とそれを素直に練習する可愛いChiblitsさん 微笑ましく、心が温かくなります。 そして一番下のお母様と長男さんのお写真、目頭が熱くなりました。。。
優しさに溢れたChiblitsさんのブログにいつも教えられ、感動させられ、癒されています。
ありがとうございます。
Be Here Now!アメリカに来て一番最初に買った本です。バークレーのTelegraph Aveにある本屋さんでした。とっても素敵な本ですよ。御存知ですか? とっても勉強になりました。今を大切にしてください。。。と言っても難しいですが。
来年はドイツの両親の結婚60周年になるので、久しぶりにドイツに行く予定です。
お久しぶりです。
元気に母達のお世話に明け暮れております。
自分のブログもお休み中です。
7人目の孫も生まれ、お宮参りも済み
少し落ち着きました。
いつもブログを読んでは、そうそうと思い
同じように考えてはやっぱりね〜とか言ってます。
はなは、神様が与えてくれたいいところが一つあります。
人の死に立ち会うことがないの
大事にしてくれた人も亡くなってから時間が経って何かのきっかけで知るので
はなのなかでは亡くなっていないのですよ
会えないだけです。
これって良いことだと思っています。
いつかじいじ(主人)と別れるときがくるだろうけど
はなの方が先に行くと思います。
お友達に会うときはいつもこれが最後かもと思って会うんですよ
落ち着いて、明るくて、頼り甲斐があって。お写真からお人柄が伝わってきます。
だから、chiblitsさんのような温かい方が育てられたのですね。納得。
私の親友は、今年104歳のお母さんを看とりました。ここまで、しっかり自宅介護で見届けると、後には何の後悔も残らないそうです。
私は、今母と同居中ですが、思う事は、「後悔が無いように」
ただその言葉だけで自分を励ましている事も(^^;)
自分の母親について、又、母親としての自分についても、考えさせられました。
素敵なお写真を見せて頂いて、ありがとう
最初はお料理のレシピ、その後はちびちゃんのかわいらしさに惹かれて、かなり長いこと拝読しております。あ、ご主人に笑わせていただくことも…(笑)
ブログ、しかも私は一方的な一読者ですが、出会いの意味ってあるのかも…と勝手に思ってしまいました。
だって、とっても元気が出たんですよ!
こちらは日本、深夜です。仕事がはかどらず、気晴らしに(失礼しますm(__)m)のぞかせていただきまして、「chiblitsさんが更新してたら、もうちょっと頑張る!」と勝手に願掛けして開いたものですから、なおさら(笑)。
ありがとうございました。
こんにちは!
お母様、素敵な方ですね。
お産のときそばに居てくれて何の心配もなかった、というの、とても分かります!
わたしは実家に里帰りして子供を産んだんですが、出産・子育てを自分でしてみて、親(特に母親)のありがたさ、偉大さをしみじみ感じています。
自分も、旦那さんも、よくここまで育ててくれたな〜、と節々に思います。
やっぱり、いつまでたっても親にはかないませんね^^
最近はサンノゼも寒くなってきましたよね。かなり秋めいてきて公園の木々もちらほら紅葉しているし。
今赤ちゃんがいるので、あまりカフェに寄ったりはしないのですが、暖かい飲み物が美味しい季節ですね〜
いつかチブリッツさんとカフェでお茶してみたいです!もし叶ったら宜しくお願いします♪
私の母は今92歳ですが、すごく元気です。出産のときに手伝ってもらったことをしみじみ思い出しています。その時の写真を見ると、母は(私も)あまりに若く、別人かと思ってしまいます。いつまでも元気でいてくれるといいなと願っています。
いい母ですが、愛情過多なところがあって、困ることもありました。それで、私は自分をぐっと押さえて(理性的態度と自分では思っていますの、おほほ・・・とほほ・・・)子供たちと接しているつもりです、が、子供たちはどう思っているでしょう。やっぱり何か不満があるでしょうね。
母も子供たちも、少し離れたそれぞれの他県に住んでいるので、年に何回か訪ねたり、訪ねて来たりします。楽しみのひとつです。
私も母や父に対しては後悔していることが沢山あります。 あの時こうしてあげれば良かったとか言ってあげればよかったと後悔することばかりです。 今父のメールを思い出し Skypeの最期の言葉を思い出し 涙が出ます。 でも私の母も最期は私がわからなくなりました。母とはちゃんとお別れができなかったような気がしています。 死後にはじめて涙がでるという気持ちも良くわかります。 私は父の最期の言葉を今思い出すと 涙が止まらないのに その時は 「そんなことはいわなくてもいいのに」と涙は出なかったのです。 それより未だ死ぬなんて思ってもいなかったからでしょう。 皆それぞれに後悔することはあるのでしょうね。
あははは 本当に自分でも母に似てきたと思います。
昔の51歳はこんな感じだったのだなぁって私も思いましたよ。 そうですよね〜。 私が中学高校のときの写真に写っている祖母は着物を着ていて本当に婆様風ですけど年を計算すると65歳なのですよ! びっくりしますね〜。 私の年で毎日着物をきていたなんて。 母は私が大学の頃 冬は温かいと言ってウールの着物を着ていましたけど それ以後は殆ど着物をきることはなかったですね。 ふふふ 子育てに失敗の言ではないですよ。 中学〜大学までは娘は母親に反抗しますからね〜。 それが普通じゃないですか。 娘は犬も育てる自信がないなんて言っています。 確かに犬も大変ですね。
毎日ご訪問有難うございます!
あははは 私もみこが間にいる格好に笑ってしまいました。
親は有難いですね〜。 あははは 世界のお母さん方に発言ですか!! あきぷっちさん そんなに言っても一喜一憂するかも。 でもね 娘って段々変わりますよ〜。私も凄く変わりました。若いときは言いたい放題でしたよ。 でもだんだん弱くなっていく親には自然と言えなくなってきます。
今日は娘がいるので二人でちびのシャンプーです! もう2ヶ月ぶり!!シャンプーも体力を消耗させると思って最近は段々シャンプーの間隔が長くなってきました。
そうですよね。 女性は子供を持つと色々変わりますね〜。
私も働いていたので夏休みに母がいてくれると助かりました。 子供達も家で私の両親と過ごせたこと 凄く良い思いでになっています。
3ヶ月のお嬢さんのお産のお手伝い 楽しかったでしょうね。 もっともっと長生きしてお孫さんとの思い出を作って生きたいですよね! 元気で長生きしましょうね!
65歳 若くして亡くなられたのですね。 helimさんも大変な時期を通り過ぎて今はお幸せなのでしょう。 私は今ひとつの心配は矢張り娘のことです。 でもご両親をなくされた方でも その後とても幸せにしている方を沢山知っているので 親がいなくてもどうにかなっていくものだぁと思うようにしています。 お母様も今のhelimさんがお幸せでいること 天国からみていてご安心でしょう。
おはようございます!
沖縄! いいところですね! ベンジーさんもお母様もまだお若いのですね。 私も若い時はそうでしたよ。 私も仕事をしていたのでなかなか帰国できなかったし。 両親も孫が生まれるまで来ませんでした。 両親も若くて父は仕事があったし 母も自分の趣味で忙しかったし。 元気なときはお互いにそれでいいですよね。 お母様 62歳ですか! ベンジーさん 優しい〜〜。私母にお誕生日のプレゼントを送ったことなかったです。
そうなんですよね。 生きている時は有り難味を感じないし いなくなることがぴんと来ないのです。 特に親はいつまでも生きてくれるものと思っていました。 父がなくなってからやっと人間は死ぬんだと感じました。 娘が焼いてくれるアンパン そりあ〜 お母様嬉しかったでしょう。 私も娘が焼いてくるパンを一度はたべてみたい。 でも死ぬまでないかもね〜。
そんなに痛い思いをされていたのですか。 私はね元気なときは憎たらしい口をたたきますが 自分が病気になると突然優しくなります。 怒る元気がないのね。 そして一人じゃないということだけでも有難くなってしおらしくなります。 私の口調が変わってくるとじいさんは あぁ 良くなってきたってわかるみたいですよ。
娘にとって母親の存在は本当に大きいです。 知らないうちに影響もされてきたのでしょうね。 でも最近は 娘が帰ると元気が出てくる自分です。
4人兄姉だったのですか! 野いちごさんのブログではよくお姉さまのことを書かれていらっしゃいますね。 とても素敵な関係だなぁと思っています。 嫁ちゃんも40歳を過ぎて生まれた末っ子なので まだ36歳なのにお母様を今年亡くしました。 36歳 早すぎますね。 でも嫁ちゃんは11歳上に姉がいるので母親のように頼りにしています。 とても仲の良い姉妹です。
親子でも兄弟でも性格が合わない・・・ ありますね〜。 私も姉とは性格が全然違うので理解に苦しむときがあります。 何度も喧嘩をしましたがそこは姉妹で あとはないです。 でももうこの年になるとお互いに変わることはないので 諦めなくちゃと思っています。 実家に2週間居て帰ったのですが(姉が) 家をひっくりかえしたまま帰ったみたいです。 自分では整理整頓の途中だと思っているのですよ。 今度私が帰るときは 整頓からしないとです。(笑) そうそう 毎回 整頓が終わった1週間くらい後で姉が実家に帰ってきます。 家がきれいになったころですよ。
母と似てきました〜と思ったらこの写真をみると昔から似ていたんですね〜(笑)
はい 本当に不思議な気がします。 今の私より若い母なんてね〜。
母の時代はほとんどの人が仕事をしていなかったので セーターを編んだり洋服を縫ったりしている時代でしたよね。 最近は働く女性が増えましたけど どうなんでしょうね。 昔の女性より幸せなのかな。 私は両方したので大変でした。
そうなんですよね〜。 近くにいていつも会っているとついつい言いたい放題になってしまいますよね〜。 私と娘がそんななので気をつけるようにしています。
娘さん おめでとうございます! 一安心ですね〜。 ひろはさん 未だ未だこれから楽しみが増えていきますよ! 良かったですね。
口でしたか。 気かと思いました!
口でしたか。 気かと思いました!
みいぼさんもありますか!!
10年たったら 昔の思い出が夢だったような気がするのです。 両親が小さな孫たちと遊んでいたとき・・・・ 25年前がもう夢になりました。
24歳でしたか。 本当に夢のように遠い思い出でしょうね。
お母様はお亡くなりになったお父様の分まで長生きされているのですね。 でも84歳でお元気ならまだまだですよ! 私の鹿児島の伯母叔父は 93歳と98歳くらいです。 もうすぐ100歳だなんて! 父が生きていたら94歳です。
うわ〜〜〜素晴らしいですね〜 それは曾孫さんのお手伝いになるわけですよね。 凄い凄い! 甘えすぎってことないですよ。きっとお母様の生きがいでしょう。 頼まれること 嬉しいでしょうね〜。
それは残念でしたね。 でも笑い話になってよかったです。
年を取ると長いフライトは体に堪えますよね。 父は75歳が最期。 母は68歳が最期のカリフォルニア訪問になりました。 私もそろそろ母の年齢になるのでいまのうちに帰国をしておかなくちゃね〜。
昔の写真を見てくださり有難うございました。
私もこうして母が息子に授乳のお手伝いをしてくれたこと 写真を見るまで完全に忘れていました。 私は全部自分でしたと思っていました。 私もこの写真は好きです。 息子にも送ってあげなくちゃね。 デジタル化したアルバムは息子にもコピーを上げたのですがきっと忙しくて見ていないのでしょう。 こちらこそ皆さんの優しいコメントに ブログ書きを励まされて続いています。
そうですか。 ドイツのお母さんが。 だからMakoさんはドイツのご両親とも仲が良いのですね。 Be here now. それにそっくりの本を読みました。Power of Now という本。 今という瞬間を大事にしないさいと書いてあります。 例えばお皿洗いをしているときは お皿洗いを楽しむとか。 とても良い本でした。 私が先のことばかり不安がるので’娘がこれを読みなさいといわれた本です。 来年ドイツですか! いいですね!
お久しぶりです。
宇和〜7人目ですか! それは賑やかですね! 私も7人の孫の一人で同じ屋根の下で幼少時代を過ごしました。 いとこ同士でも兄弟のようになりますね〜。
父と似たことを仰いますね。 父は太平洋戦争で何度も死に近くいたのに 一人も死んだ人を見ていないのは凄く幸せなことだったと言っていました。
私も じいさんより先に逝くような気がしています。 困るんだけど仕方ないですね。
でもね 祖母がよく言っていました。 病気と寿命は関係ないって。 ず〜っと病気をしていたひとが意外と長生きをしたりするって。 だから まだ諦めないでいます。(笑)
私は母と違って父に似てしまって短気でした! でも気のなが〜いじいさんと結婚してかなり影響されて普通になったのかもです。
うわ〜104歳ですか! お母様もお友達もお幸せでしたね。 私も姉も母はホームでは絶対に無理と思いました。 最初の計画では母が残ったらアメリカに連れてアメリカで一緒に暮らそうといっていました。 家族もそのつもりだったのですが 父がなくなってからは急速に体力もなくなり 脳梗塞を起こしたりで移動が無理になりました。 でもそうなってから亡くなるまで本当に早かったです。 父が呼んでいたのでしょうね〜。 私もいつも「後悔のないように」と思っていました。 結局自分のためなんですよね〜。 今楽ををしても後で自分の心が平穏でいられなかったら自分が辛いですものね〜。
こんな昔の写真を見てくださって有難うございました。
そうですか! 元気を出してくださってこちらも嬉しくなりますし ブログを続ける励みにもあります。 有難うございます。
あははは 私の更新はいつも日本の夜中ですね。 こちらの朝なんですけどね。(笑)私のブログは70%の方が日本からなんですよ。 あははは 願掛けでしたか! さぼらなくて良かった!
Yukaさんはご実家でお産だったのですか! 姉もそうでした。
親はいくつになっても親ですね。 なくなってからも親です。
本当に公園が秋らしくなってきましたね。 夏も乾燥して茶色でしたけど 矢張り秋の茶色は夏とは全然違いますね。 ちょっと雨が降っただけなのに。 そうですね〜 温かい飲み物の季節ですね〜。 Yukaさんベイエリアなのですか! それならいつかチャンスがあるかもしれませんね。
Yukaさんはご実家でお産だったのですか! 姉もそうでした。
親はいくつになっても親ですね。 なくなってからも親です。
本当に公園が秋らしくなってきましたね。 夏も乾燥して茶色でしたけど 矢張り秋の茶色は夏とは全然違いますね。 ちょっと雨が降っただけなのに。 そうですね〜 温かい飲み物の季節ですね〜。 Yukaさんベイエリアなのですか! それならいつかチャンスがあるかもしれませんね。
こんなふるい写真を見てくださって有難うございます。
あの時じいさんが撮った写真がこうして私のブログに出てくるなんてねぇ〜 想像もできないことでしたね〜。 本当に 今の自分よりも若い親を見るのは不思議な気がしますね〜。
私の母は本当にこうしなさい ああしなさいと言わない人でしたね〜。 私は全く反対です。 子供たちからよくおばあちゃまに似なかったなんて言われます。
子供たちが遊びにきてくれると親は嬉しいものですね・
ご無沙汰です。
先月大好きな祖母の命日で17年前です、、いま自分が34なのでちょうど一緒に生きた時間分、亡くなってからの時間がたっていて切なくなりました。
慣れない海外暮らしで旦那とは喧嘩ばっかり、、
毎日幸せにって思うんですがね!
私の息子が5歳なので、一緒ですよね?
勝手に親近感もってこれからも拝見します!
ちなみに犬(実家)も同じくらいんl月齢です!
私も心配なことがあるとよく母に電話をしました。 心配なことっていつも子供の事でしたけどね。 でも今考えると 若い親って必要のないことも心配になるものですね〜。
それでも今でも心配しています。 今だって必要なのでしょうね。
17年ですか! 本当に時間は早く過ぎていきますね〜。
私の孫チンが今5歳です。 よくしゃべるし 可愛い年ですよね。
私も鹿児島には18年住んで 今ははるかに アメリカ生活の方が長いのですが 鹿児島の生活がたったの18年だったとは思えないくらい私の人生ではインパクトが大きいです。それはそうですよね〜。 一番感受性のある時代をすごしたのですから。
最近 犬猫も長生きをするようになりましたね〜。