ポレンタやラザニアの写真を載せていますが
私が毎日食べているのはこんなのです
大根とキュウリは毎日欠かしません
薩摩揚 みつば の酢の物を丼に一杯
大根は皮が薄くて甘いです
お野菜は鹿児島 宮崎 熊本産ですが
キュウリの持ちが良い事!
アメリカより農産物の流通経路が効率的なのでしょうね
直ぐ近くのギルロイはニンニクの産地なのに
こんな新鮮なニンニクを見た事がありません
今庭から取って来たようなニンニクです
(鹿児島産)
普通皮が乾いていますね
でもこれは薄い半透明の膜のようです
新鮮な証拠です
親のこころ
いとこの絹子ちゃんが一足先に東京に帰ります
昼食後 二人で近くの御召覧公園を歩きました
桜の花はすっかり姿を消して
青葉で見違えるような木になっていました
伯母が言っていた言葉...
一番嬉しい時は
遠くに嫁いだ娘が帰ってくると言って
それを待っている時
来たら帰る日を思って寂しくなるだけ
私もよくわかります
娘が帰る前日から何とも言えない寂しい気持ちになります
私の両親はもっと寂しかったでしょうね
遠いアメリカに見送る気持ちはどんなだったでしょう
公園のベンチに腰掛けていとこと話しました
私達は鹿児島を離れなかったら
どんな人生になっていたのでしょうね
私達には夫々健康を心配している子供がいます
娘のこころでもあり
親のこころでもあり
私達が選んだ道です
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ちびは20歳4ヶ月のトイプードルでした
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コメント
コメント一覧 (9)
Chiblitsさんの毎日の食事 ご飯🍚少なめ ( ◠‿◠ )
鹿児島ならではの 薩摩揚げ美味しそう ❗
新鮮なきゅうり 大根はさっぱりして大地のエネルギーを
いただき健康的です。
ニンニクも香ってきそうです。ほんと 新しいですねー。
親子の距離感は
近くても遠くてもいずれも長短ありだと思います。
若い時は自分優先で^_^ 時間が足りずにやりたいことだらけ。
人生は長〜いようで過ぎてしまえばあっと言う間だとつくづく感じます。楽しい事 つらい事 みんな太古の昔から繰り返しなのでしょう。
本当にそうでしょうね。
私も同じように思います。
このまま北海道にいたらどうだったかしらと。
なぜ、東京にきたのだろうとも。
でも、今、ここが私を必要としている
人たちのいる場所なんですものね。
さっき、娘がちょっとだけ来て
夕食のおかずを持って帰りました。
もっと近かったら、毎日、配達して
上げられるのにと思ったけど、黙って
いました。春巻きと筍の煮つけを持って
帰っていきました。
chiblitsさん、十分に故郷を味わって、
そして異論ことに思いを馳せて帰って
下さいね。
「せっかく外国で苦労して育ててくれたのに、こうやって私がまた日本に帰ってきちゃったみたいで、ゴメンね」と。
私の場合はすっかり中年になってからの渡米だったので、いつまでも外国人気分が抜けず、それでも「子供のために」と居心地の悪さを堪えていたことを察していたようです。
娘のところを訪ねて、まぁ私たちももちろん親の義務として仕送りもしていますが、金銭的、時間的にもいろいろ自分で調整して、ルーミーと協力して頑張っているんだなぁ、と思ったら、娘にも感謝してもらって、ありがたいことだ、もったいないことだ、という気がしました。
一所懸命育てた子供が幸せになってくれること、それに勝る親孝行はありませんね。
私もやっと、人の親の気持ちがわかるようになりました。
Chiblitsさんの、娘の気も持ちもあり、親の気持ちもあり、もわかります。
親の近くで結婚した自分と、遠く離れて、だからこそ強く両親を思う自分と、どちらも両方は選べないのですから、ベストな選択をしたと思うしかないのですけど。
何年か前から毎日楽しみに読ませていただいていますが、コメントするのは今日が初めてです。
私もchiblitsさんと同じように、14年前学生時代に渡米して、そのまま住み着いています。こちらで結婚、出産もしてして現在2人の子育て中です。
子供を産んでからはできるだけ毎年帰省するようにして、帰省するときはできるだけ長く滞在するようにしています。しかし、それも今年で最後。
パートで仕事をし始めたので、来年からは帰省できたとしても長くて1、2週間といったところだと思います。
今年帰った際、母が「まだかまだかと帰ってくるのを首を長くして待っていたよ」と言っていました。アメリカに戻ってくるときには、「なんだか短かったね。長く帰れるのは今年で最後なんだからもっと長く居れば良かったのに」と言っていました。
毎年帰省するたびに、「渡米せずに地元に残っていたら、、地元とは言わずとも日本国内に残っていたら、もっと頻繁に帰ってこれたのにな」と、後悔のような想いを抱いていました。
この気持ちはこれからもずっと抱いていくものなんだなと、この投稿を拝見して思いました。
脈絡のない、長いコメントで申し訳ありませんでした。
chiblitsさんの言葉に強く共感し、なんとも言えない気持ちがして、書かずにはいられませんでした。
祖母の父親が亡くなったのは94歳でした。
曽祖父はある日、看護師をしている娘の働く病院へ行き、「もう3日ばっかぃ生きらるる薬ば射ってくれんやろか。ほんなら年金のおるっけん葬式代になっとなろうけん。」と言ったそうです。(長崎です)「じいちゃん、縁起でもなかこと言わんと」とその日は帰したそうです。
その夕方、曽祖父はひ孫を連れて散歩に行き、ひ孫に菓子パンを自分の肴にアジを2尾買って帰宅し「1尾は刺身に、1尾は煮付けてくれ」と言い、いつもなら炬燵のある居間で晩酌をするのに、その日はキッチンのテーブルで刺身を肴に晩酌を始めたそうです。「じいちゃん、ここは寒かけん、あっちいかんね」そう言われつつ曽祖父は娘達の夕飯の支度する後ろ姿を眺めながら晩酌をしつつ....「コトッ」と物音がして大叔母たちが振り返ったときには曽祖父は、テーブルに頭をつけたような格好で意識を失っていたそうです。
絵に描いたような大往生でした。
その後意識不明のまま3日永らえ、ちゃんと年金も受け取って亡くなりました。 (笑)
私が実家(福岡県久留米市)にいたら、たぶんチブリッツさんが鹿児島にいるなんて居ても立っても居られなず伺ったことでしょう。
私も日本にいながら、もうかれこれ7年ほど福岡に帰っていません。
今年は玄孫を見せに帰ろうと思っています。
先日レストランで食べたチョッピーノが余りに美味しくて自分でも作ってみたくレシピを探していたらChiblitsさんのブログに辿り着きました。美味しそう♡早速作って見ます!
私もChiblitsさんと同じ日本を離れこちらでFamilyが出来ました。まだ息子も小さく主人も良く食べるので、毎日楽しく台所に立っています。Chiblitsさんのレシピもこれから参考にさせて頂きますね。
私はこの記事を読んで涙が出ました。
私にはこの様な温かい家族が日本に居ないからです。幸いとても大事なお友達は居ます。
アメリカの自身のFamilyをより大切にそして息子が旅立った後も何時でも温かく迎えてあげられるようなFamilyにして行こうとより強く思いました。
Chiblitsさんのブログは美味しそう&心がほんわか温かくなります。
これからも楽しみにしていますね。
ありがとうございます。
初めまして! チョピーノ私も暫く作っていません。 材料を揃えるのがついつい面倒で。 そうそう 日本にいる時にチョピーノを作れば良かったです! 日本の魚介類は新鮮ですものね。
Fulaさんはちゃんとアメリカに大切な家族がいらっしゃるのですからそれで十分ですよ。 私は 9年間 両親がいなくなったことを理由に 日本に帰らずでした。 9年間 大切な家族に会いに行かなかったことを凄く後悔しています。 今はいける間に行っておきたいと思いました。