感謝を込めて
1966年に住んだ家
46周年の結婚記念日でした
でもじいさんと出会ったのは1966年ですから知り合ってからは52年目になります
1966年モンタナ州の人口一万五千人の小さな町(今でも同じ)
カナダの国境から近いアメリカの北の果てでした
じいさんと私は同じ高校を1967年に一緒に卒業しました
それ以来私がその町に行ったのは一回きり 1987年です
卒業20年目の同窓会に家族で出席する為でした
あれから町も変わったでしょうねとじいさんと話していたら
そうだ!! Google Mapで見られる! と言う事になり
私が住んでいた校長先生の家を探しました
住所を思い出せないのです
じいさんも何度か遊びに来た家です
私は車の免許が無かったのでダウンタウンから良く歩きました
家並みを思い出しながら8番街をちょっと上った所と探していたら見つかったのです!
紛れもなくこの家です!
周囲の雰囲気が変わっていますが
煉瓦の花壇 私の部屋だった窓 当時のままでした
1966年に撮った写真です
こんな時代があった事が信じられないような歳になりました
70年は短いようで長かったのですね
じいさんとはもう直ぐ半世紀です
こんなに長く生きてこれて有難いと思わないとです
校長先生ご夫妻はその後カリフォルニアに引っ越しされて
校長先生は1982年に86歳で亡くなられましたが 奥様の方は今年105歳です!
お母様が95歳でしたから長寿の家系で素晴らしいです
ちびのフォトアルバム
2013年ちびは17歳 散歩に行く時疲れるようになったのでバギーを使い始めましたが
ちびは絶対に座らずに立ちっぱなしでした
自分で歩くよりはちょっと良かったのかも
犬のペットロス村に移りました
クリックしてくださると嬉しいです
ちびは20歳4ヶ月のトイプードルでした
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そして今年は70歳になるので何年か振りでシニア村(人間の)に戻ります
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コメント
コメント一覧 (16)
あの家Chiblitsが描いたこともありますよね。
ブログで見たのがこの校長先生の家かな。と思ったりしました。
鹿児島の叔父さん 娘さんも絵を描く。とか連想が浮かびました。
じいさんさん自分の世界に入っててとChiblitsは少し不満かも知れませんが、自立してるので成熟した大人だと尊敬してます。まわりに実家の弟 赤ちゃんとそっくりな大人がいます。
身体だけ大人。夫婦共お互いに相手のことで頭がいっぱいです。
おめでたい時にこんなことを書いてよくないのはわかってるのですが、いつもじいさんさんと対比しています。
Chiblitsとじいさんさんは、自分の感情を自分で修めているのですね。悪い方の感情を。
うっちゃんちのごちそう
うにから目が離せません。
頭の中は数字 金額、まぐろがもっとあったらとかこれを見ながらご飯が食べられそう。とか忙しいです。
野菜もたっぷり、でも最初に頭に浮かんだのは、うっちゃんちは魚屋さんですか。でした。
まるで店から自宅に持って来た感じがしました。
なまつばがでます。
Chiblitsさん 折り返しをとうに過ぎたけど、生きてることを楽しみましょうね。
おめでとう
うっちゃんちのごちそう (╹◡╹)
生うにがあるある(^^)お刺身にご飯🍚にお味噌汁に。
お豆さん煮物もきゅうりも緑の物も 全て和食器に勢揃い。
すごいです〜ご近所のうっちゃん たっちゃん仲良しさんは
Chiblitsさんの大切な財産のひとつですね。
結婚記念日46周年おめでとう㊗ございます。
52年のお付き合い 家族より 誰よりも長く一緒に過ごす 仲良くなければ続きません。大好きでお互いに寝食共に喜びを倍にし悲しみは半分に分かち合い。共に白髪まで灰になるまでご縁が続きますようにです。
1966年のお住まいがグーグルで見れて大感激ですね。
当時のお家🏠がそのまま タイムマシンに乗ってその時代にタイムスリップして…今では緑に囲まれて🏡Chiblitsさんは日本のお姫様だったのだと思います。
じいさん様と一緒になるように決まっていたのです。
だから鹿児島からアメリカ🇺🇸の北の果てまで呼ばれて行ったのです。神様の設定した通りのシナリオで生き生きと毎日を過ごしておいでです。
まだまだシナリオは続きます〜( ◠‿◠ )。
46年目の結婚記念日おめでとうございます。
50年前の自分を思い出すと気持ちもわくなりませんか?(笑)
出会った頃じいじは、建設会社の監督さんでした。
リタイアしたら、自分が関わった建物を見に行こうと言っていましたか、無理でしたのでGoogleで現場廻りをしたことがあります。
その時気持ちは20代だな〜と言いました。たくさん思い出したみたいです。
良い時代になりましたよね。行かなくても見れるなんてね。
じいさんさまと高校の思い出を共有されているのは素敵ですね。
懐かしい話で盛り上がりそう
卒業後、チブリッツさんは日本の大学に進学されて、後にじいさんさまが来日、プロポーズ〜ご結婚! でしたよね
情熱的だった若いお二人に思いを馳せてみました(^^♪
ちびちゃんはバギーで楽にお散歩できて嬉しいのでしょうか?17歳はまだまだ元気そう
あぁ〜ちびちゃん🐶にご挨拶忘れてた❣
17才のちびちゃん バギーに乗っててもきちんと立って
一生懸命 イメージは心の中では歩いているのです。
お利口さんです。( ◠‿◠ )
油絵みたいと、雲や電線 シエード チェムニーなどアメリカの良き時代を思い出させます。
私は家にはこだわりが有ります。
40年前にここの家を作った時は、珍しいことだらけだったらしく、様々な声が聞こえました。
作ったのは大工さんら職人で、私ではないです。
アメリカの生活で知った快適な作りにしました。
窓から見える景色 キッチン重視 広いテラス クローゼット 見かけよりも住んでて快適さなどです。
暖炉も作ろうかと思ったけど、賃貸の東京の家にあったので諦めました。
何かこんな家 大好きです。
人は人に傷つけられ、人によって元気ずけられるを経験した昨日今日です。
自分を出すと、嫌な思いもします。
わかってくれる人もいるので、やって行けるのですね。
段々と自分の周りを、いい人で固めて来たと感じた今日でした。
シングルマザーの、新たな取り組みをしてます。
まだ始まったばかりで、詳しく書けません。
有難うございます。 若いころの事って忘れますね〜。 思い出そうとしないと忘れるものです。けど写真で思い出すので矢張り写真って大切ですね。
有難うございます。そうそう一度あの頃書いた家のスケッチを載せたのを覚えています。あれは校長先生の家ではないです。
でも考えると全く違った国で全く違った生活環境で育って 全く違う性格の二人がよくここまでやって来られたと感心します。 私かなり好きなことを自由にしてきましたから そんなにさせてくれて有難いです。 言いたい事も抑えないで言って来たし。それが原因で喧嘩になりましたけど。 じいさんは我慢強い人なのでしょうね。
うっちゃんは魚やさんではないです。(笑)
本当に毎日をたのしまないと勿体無いですね。
おはようございます。本当にお友達は財産ですね。 なかなか夜気軽にひょいと行ける関係なんてできないです。
有難うございます。 私はかなり気が強くて我儘です。 そんな私に我慢してくれたじいさんは凄いなぁと思います。
でも凄いですね。 Googleで時々実家も見に行きます。 実家の辺りも凄く家が増えて凄く変わりました。 でもこのモンタナの家が変わっていないのにびっくりしました。 大抵改築とかあるのに。 この家は私が住んでいた後 早くに他の方に売られました。 1987年に見に行った時はもう他の方が住んでいました。
私が1975年から1年間過ごしたのはMerce PA。ネットが自由に使えるようになる前はクリスマスカードが精いっぱいでしたが、今はホストファミリーの兄弟たちとFBでやり取りできるようになりました。時々懐かしくなってGoogle Mapで懐かしい家を見ています。3軒のホストファミリーのうち、2つのうちの父さん母さんは天国に行ってしまいました。
2軒目の家の母さんが今闘病中です。近いうちに一度お見舞いに行きたいのですが、なかなか動けません。
でも、来年の春にはお姉さんが遊びに来てくれます。
あの、小さい町での1年何年たっても特別な思い出です。^^
有難うございます。
写真をみて思い出すのですよね。 あぁこんな時期があった。。。それならもうそんなに欲張りしなくてもいいかなとか(寿命)思ったりします。(笑)
うわ〜 ご主人様のお話はいつも心が温かくなります。 優しい方だったのですね。Google地図 本当に便利ですね。 良い時代になりました。 私は時々Googleで実家に帰ります。
何だかもうそんな時が本当にあったのかと思うほど思い出が遠くなりました。 凄いですね。人生・・・矢張り長いですね。 短いようで本当長いです。 いつもはそんな時代があったことを忘れてしまいます。
この頃はちびも元気でず〜っと立っていました。 あの仔は神経質だったのでしょうね。 カフェに行っても私達の膝しか座らない仔でした。
おはようございます! そうだったのですね! ちびは自分で歩いているつもりだったんですね。 座れば楽なのに〜と思っていたのですが。 自分で満足していたのでしょう。
うわ〜凄い!Beckenさんの家はカスタムなのですね! 私達の家は中古でしたから全然自分のりそうな家ではなかったです。 この40年間に何度もリフォームはしましたけど自分の好みも変わってきてちぐはぐになってしまいました。
今日はシニア友から一人がちょっと認知症症状がでたようと話されてショックを受けています。
うわ〜〜1975年ですか! 当時は未だ留学生も少ない時代ですね。
ホストファミリーにご兄弟がいらしたのは良かったですね。 私が滞在したところは成人していませんでした。 PA 素敵歴史のある町にいらしたのですね。 私はモンタナ州より東には行ったことがないのです。 いつか行ってみたいと思いながら・・・。
私ももう一度モンタナ州に行ってみたいです。 でももうじいさんの実家も親戚もいなくなりました。