これはいつも作る豆サラダなのですが今回は冷凍コーン 赤ピーマン セロリ 玉ねぎを加えてみました
サラダの量が増えてしかももっと美味しくなりましたよ
豆はとても体に良いですけど 甘くすると血糖値が上がります
サラダで食べてもとても美味しい金時豆
缶詰めの豆を使うと簡単にできます
豆サラダの作り方はこちらです
安楽死を選べること
クリスチャンのお友達に
「貴方はクリスチャンだから反対すると思うけど 私はカリフォルニア州で「安楽死」が合法になってほっとしています」と言いました
そしたら驚く返事が返ってきました
「私も安楽死合法に一票入れたのですよ」
クリスチャンは絶対に安楽死を認めないと思っていたのでびっくりしました
「アメリカでは何十年も「終末期鎮静」が実践されています
死を早める事が分かっていても薬を使って痛みを取ってあげることです」
そうなんだ・・・
そう言えば あの方も あの方も最後は病院で昏睡状態でした
昏睡状態になったら痛くないのでしょうか
いつもこんな事を考えている訳ではないのですが
手術以来 自分の最後をふと思ったりするようになりました
色々考えている間に 「安楽死」が合法になって良かったと思うのです
そう言いながら 自分には安楽死を選ぶ勇気さえないと思います
でもその選択がある事だけで漠然と安心するのです
命の誕生には痛い後に無上の喜びがあります
どうして神様は終わる時もこの陣痛の痛みと無上の喜びを与えなかったのでしょう
終る時も楽しいことにして欲しかったです
ちびのフォトアルバム
先日仕掛けたモグラ取りは全機とも失敗でした
今日は罠掛けは止めてちびのお墓掃除です
ごめんね ちび
煉瓦の間に雑草がびっしりと詰まっていました
でも大丈夫
隙間を作って引っ張るとすいと抜けます
未だ雨で土が濡れているからですよ
今日はここまで
最後の日 昨日の様に思い出します
お手数をおかけしますが
色々とクリックしてくださると嬉しいです
ちびは20歳4ヶ月のトイプードルでした
コメント
コメント一覧 (27)
父の看取りをしたく
カルフォルニアのばあさん
がしました
ここから続き(笑)
母が四年前に亡くなった時、お葬式はこの世からあの世に送り出すためのお祭りみたいなものだと、とても強く感じたのを思い出します。
自分が死を迎えるときはどんな風なのか、まだ実感はないのですが、日本の5月のゴールデンウィークのような、お花が沢山咲いた新緑の芽吹きの良い季節がいいなあと思っています(笑)
カルフォルニアのばあさん
がしました
どうして神様は終わる時もこの陣痛の痛みと無上の喜びを与えなかったのでしょう>
クリスチャンではなくても、神様は、と書かれていますね。人は宗教に限らず、人間を超越した何か、宇宙を司っている大きな力を感じて、無意識に手を合わせたり、握りしめたりして祈りますね。 人生の終わり、永遠の命に入った時は、肉体は滅び、痛みも苦しみもなくなり魂は自由に解き放たれる、これは無上の喜び、と言えるのでは無いでしょうか。 延命処置はしないで、自然死にして欲しいと誓約書を残した母は、癌でしたが、
痛み止めだけで、苦しまずに眠るようになくなりました。 私はクリスチャン、母は何も信じていませんでしたが、私たちは同じ死後の、魂の世界で再開できると思っています。 神様が用意してくださった人生の終わりには、人間が考え出した、延命処置だけの医療機器にスパゲッテイのように繋がれたり、苦しい化学療法をしなければ、安らかな眠りにつけるのではないでしょうか。 私たちは、延命処置はいりません、の誓約書にサインして、同じ意見の友人カップル(おなじアメリカ市民です)とお互いに保証人のサインをして、遺書と一緒にしてあります。 先回、書きましたように、肺がん、そして他に二つのがんを経験している私、これから癌になっても、延命処置はしないと決めていますので、心穏やかに過ごしています。
庭にはびこる黄色い花、オキザリスの仲間なのだそうで、雑草ではなく名前がついていますが、毎年増え続け、芝生も花畑も占領されて、文句を言いながら、引き抜きに大変な時間を取られ、オキザリスという花と知ってから、花が<すみません、置き去りっす!、で、毎年倍に増えてしまうんっす>と言っているようで、しぶしぶ納得しています。
カルフォルニアのばあさん
がしました
それを聞いた時、安心しました。
安楽死はニュースで知るだけで、クリスチャンの国の出来事と思ってました。
実行する医者の心情も様々でしょうね。
職務として、安楽死に携わってた医者も、あることをきっかけに、その後まったく、安楽死はやらなかったそうです。
深いところで思うと、受け入れなかったのでしょう。
一昨日、こんな言葉を目にしました。↓
浄土が本当にあるかどうかなんて考えても意味がない。「ない」と思っていた人が、死の直前に「やっぱあった!」と気づいても遅いけど、逆に「ある」と思っていた人が死の直前に「やっぱりなかった」と気づいても、どうせないんだから別にどうってことない。それなら「ある」と仮定しておいた方がいい。
9:02 - 2019年3月24日 能楽師
明るく生きようと。エネルギーを削がれるより、生きる力が湧く方がいいです。
カルフォルニアのばあさん
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カルフォルニアのばあさん
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ちびちゃんのお墓の、レンガとその隙間の雑草たちに時の流れを感じます。
毎日の繰り返しの先に、時間の経過が確実にある。
人生の終わりに、無上の喜びがあったら、、、、
私のような優柔不断なものは、死にたくないなあって、ますます、往生際が悪くなりそうです。
少しずつ、後先を考える年齢になってきましたが、その時のこと、まだ想像できません。
ただ、ボケないうちに、自分がどうしたいかは書いて残さねばとは思います。
(私の父は、古い人間でしたが、死に関して、どうしたいかを細かくノートに書いてあったので、私たちはそれに沿う形を、粛々と進められ、外野の意見も気にせずすみましたから。)
カルフォルニアのばあさん
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じいじが、緩和ケアを勧められて、私たち二人は以前から考えていた
機械につながれない、最期は二人手をつないで迎えることを希望しました。
終末期医療の診療所の先生に、痛みだけは取ってくださいとお願いして、延命は選びませんでした。緩和ケアの宣告から二週間、穏やかに暮らし、意識がなくなってから12時間で眠るように息を引き取りました。私にとって、その時間は長いようでとても短く、ずっと話しかけ、返事の返ってこない会話に終わりはありませんでした。最期のモルヒネは意味がなかったかもしれませんが、彼の顔は優しく微笑んで、いまにも起きてきそうな顔でした。
じいじは、希望通りの最期を迎えられたと言っているかのようでした。
私も満足しています。これが最後じゃないまたきっといつか会えるしな!何時も傍にいるからなと言ってくれた、言葉が聞けただけでも良かったと思っています。
いい先生に出会え、彼の希望通りの最期を迎えられたことが現世での最後でよかったと思います。私もそうできることを願っています。
カルフォルニアのばあさん
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もうお休みの時間ですね‼
サンタバーバラの従姉妹の最後は穏やかでした。肺癌から脳に転移してました。
無くなる直前迄自分でトイレへ行ったり兄の到着を首を長くして待って居ましたがタッチの差で力尽きました。
兎に角、LosAngeles空港から2時間掛かりますから…
驚いたのがアメリカでは、麻薬のmorfineを沢山くれます。
痛む様だったら好きなだけmorfineを飲ませて下さいと言われました。
白い錠剤で風邪薬と間違えてしまいそうです。
あまり雨が降らない所ですが、その日は土砂降りの雨が降ったのを覚えています。
私も延命措置は望みません。
長々とすみませんでした‼
おやすみなさい😴
カルフォルニアのばあさん
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今日の夕飯は、Beanzsaladに決定♪(*^^)o∀*∀o(^^*)♪
カルフォルニアのばあさん
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命の終わりについて、こうやって人間として生きていることについて、人間以外の生き物達について、どうしてか子供のころから、よく考えています。命の終わりの後、私が過ごした時間や事実はどこに行ってしまうのかなとか…。
息をひきとった後、どうなるのかわかりませんが、人生の最終章の頃になったら、痛みとか辛さなんて無縁だったらいいですね。
ふんわりとやさしい世界に包まれたまま、もしくは爽やかな清々しい朝みたいな空気の中にいたままで…なんて、どうなんでしょうねぇ。
その人なりの最終章を迎えられたら、いいな。
カルフォルニアのばあさん
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数年前から認知症が始まり施設に入り、1週間ほど前に肺炎になり病院におります。
もう何年もやせ細った身体があちこちに擦れて起きていても寝ていても「痛い痛い」と苦しみ
認知症によって見える幻覚、幻聴は祖母に恐ろしいものを見せ、ひどい言葉を聞かせるようでいつも不安や恐怖と戦っております。
そんな祖母を見て私は20年以上前に亡くなった祖父に「こんなに苦しんでいるのだから早く迎えに来てあげてほしい」と頼んでしまいます。
ひどい孫だと思います。
安楽死が選べるとしてもきっと選ぶ勇気はないけれど選択肢があるというのは良いことだと思います。
カルフォルニアのばあさん
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姉にとって「3番目の子」だったモカ。ペット禁止の住宅に住む私にとっても大切な犬でした。モカを溺愛した姉は64歳でがんで逝きました。姉の最期の3か月は誰にもモカを思いやる余裕がなく、彼女はペットホテルで過ごしました。それからしばらくはお義兄さんと静かな暮らし、その後姪一家が同居してくれ、幼児2人がいる賑やかな日々となりました。そのモカ、先週お義兄さんの目の前で車にひかれて死んでしまいました。11歳でした。私は(姉もです)カトリックなので、3月初めの灰の水曜日には「いつか灰になる印」として額に灰を塗られ、死について考えていたところでした。緩和ケア病棟で、苦しい、苦しいと言い続けて逝った姉。体に激しい衝撃を受けて死んだモカ。ぐっと老け込んだお義兄さん。悲しいです。神様は甘やかしてはくださらないなあ、とつくづく思います。陣痛のあとの喜びのように、死を過ぎ越せば平安が得られると信じたいです。
カルフォルニアのばあさん
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死刑立会人も辛い経験をするそうです。
戦争も多くの犠牲者を出します。双方に。
アメリカはまだ、ベトナム戦争で苦しんでる人が多いでしょうね。
婚約者の従兄弟も、ベトナム戦争帰還後、エネルギーが無くボーーッとしてました。
今になってみると、私の父も戦争の影響だったかなと、母と同じ意見に近づいてます。
私の父母 ふたりとも自宅で亡くなりました。
主治医が来ました。
親からの最後の送りもののような気がします。ぼんやりとですが。
あとはどう自分で解釈するかなので、答えはすぐには出しません。
生き方が死に方だって言われてるので、今を丁寧に生きれば、死ぬ時も大丈夫です。と自分に説いてます。
敬意とか憐れむ 意地悪をされた人に思う事が無理でした。
嘘っぽくて。
段々と自分もその人と同じことを他人にしてたのを、次々に思い出しました。
数日前から、慈悲とかに足がかかったようで、昨日は意地悪をした人の優しい気持ちに、心の中で接触しました。
久しぶりにビールを飲んだけど、アルコールのせいでは無さそうです。
6件の買い物 銀行 学校も春休みで、店も春の商品になっていて、賑やかで楽しかったです。
カルフォルニアのばあさん
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それをちゃんと意識して、大人になって社会に貢献してる多くの人達がいます。
犯罪も、本を手繰ると意識してなかったり、してても自分ではどうしようもないことなどが有った時にしてしまうそうです。
万引きや性犯罪など。重い犯罪は、理由も分からないこともありそうです。
優しい気持ちを投げると、ブーメランで優しい温かい気持ちが返ってきます。
それには、自分がそういう気持ちでいなくては、です。
出勤時間に縛られることもないので、何時でも遅刻しませんよ。
私は眠かったら、昼寝をします。
フロリダの2人 日本でも記事になりました。
その後コネチカットで子供を失った父親の自死も。
負の連鎖を断ち切りたいです。ひとりひとりが、しあわせにならなくては。
カルフォルニアのばあさん
がしました