
鹿児島を出発の朝 叔母宅へ鍵を返しに行きました
叔父夫婦に実家の鍵を預けています
実家から歩いて7分
姉と食べ切れなかった卵やお野菜を持って行きました
リモジンバスの時間が迫って 私達は急いでいたので
玄関から出てきた叔母は「甘過ぎるかもしれないけど二人で食べて…」
と洒落た黒い紙箱に入ったお弁当を姉に手渡しました
私達は急いでタクシーに戻り リモジンバス停に向かって走り始めると
ステテコとランニングシャツを着た叔父が 玄関から出て来て
タクシーに追いつこうと走り始めました
何か言い忘れたのかなと思って車を止めてもらうと
叔父は車の窓をパン パン パンと手で叩いて
「気を付けて帰りなさい」と言いました
たった2週間の帰省でした
その間家の売却を決めて 複数の不動産屋と話し
家も大分片付きました



バスの中で姉も私もこのまま鹿児島で住みたいねと
と言いました
鹿児島は空気も綺麗でのんびりして人も親切です
空港に着くと1時半でした
叔母が作ってくれた サンドイッチを見ると
ベーコンと卵焼きのサンドイッチ
洋辛しが塗ってある日本のサンドイッチでした
ミルクコーヒーを一本買って 姉と半分ずつして飲みました
又帰って来なくては
鹿児島の家族に会いに 来年
絶対に又 会いたいと思いました

お手数をおかけしますが
色々とクリックしてくださると嬉しいです
ちびは20歳4ヶ月のトイプードルでした




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いつも楽しく読まさせていただいています。ありがとうございます。
コメント
コメント一覧 (19)
涙が出ます。
叔父さん、叔母さん、いつまでも姪っ子なんですね。
カルフォルニアのばあさん
が
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常に 重きをおき、話は全身で聞く と云う 得も云えぬ君子の
風があった、といわれています。 偉い人だね...
素晴らしい故郷を堪能された様子、何だか ハッピー な気分に
なりました。
カルフォルニアのばあさん
が
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カルフォルニアのばあさん
が
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濃い緑の中、いい夏休みでしたね。
カルフォルニアのばあさん
が
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鹿児島の風景を見せてくださってありがとうございます。
きれいな緑と空の水色、懐かしいです。
お姉さんとの時間、楽しんでください。
カルフォルニアのばあさん
が
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カルフォルニアのばあさん
が
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叔父さんのステテコとランニングシャツ いいですねぇ。日本の夏にはモッテコイで快適です。
私たちが青年時代だった頃、駅の別れや家での別れで、しばしばこんな光景の話しを聞きました。多くが都会へ、東京などです。
タクシーを追いかける体力とエネルギーがいっぱいの叔父さん、映像を見てるようになりました。
愛情が濃いです。
最近は全てが、便利になって、人との接し方も昔と大分違ってきたようになったと、寂しく感じてたのですが、今でもChiblitsさんはこんな光景を持てて、本当に仕合わせです。
お姉さんにサンドイッチを渡して、とか私が忘れてた日本の仕来りも思い出しました。
昨日まで、私はカリフォルニアをカルフォルニアと、頭の中で言ってました。イーグルスのホテルカリフォルニアが好きでよく聞いてたんですけど。
昔はカルフォルニアワインとか平気で言ってました。英語だと違った発音で言ってたような。
単語、かってに間違って覚えてるの、他にもありそうです。
思い出多い鹿児島滞在でしたね。東京でも楽しんでね。
カルフォルニアのばあさん
が
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私もチブリッツサンとほぼ年齢が一緒なので、もし一人になったら、故郷に戻って、姉と暮らそうかなとか、先を考える事があります。 どうぞ、来年もきっとお姉さまと鹿児島に行かれますように! ♡
カルフォルニアのばあさん
が
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お年の方は、言葉で色々言わなくても温かに伝えてくれますよね。あ、でも、お年の方…というのは語弊がありますね。年齢に関係ないです。
ご親戚に優しい、人の事を思いやる気持ちのある方がいらして素晴らしいと思います。やはり、場所ってそこにいる人ですね。
風景も負けないくらいに美しい。
ふるさとはいいですね。
カルフォルニアのばあさん
が
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ジーンときました、切ないです。
来年も、その次も、帰る場所があるうちは、絶対帰ってください!
でも、それって、戻るところ、旅立てるいえがあるからこそですね。
お体、ご自愛ください、ちぶりっつさん。
カルフォルニアのばあさん
が
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私もベイエリア在住で、同じタイミングで一時帰国中です。今回の帰国で10年振りに入院している叔母に会いに行きました。帰り際「身体に気をつけてね」と言って、ぎゅっと握ってくれた手の温もりを忘れられません。
カルフォルニアのばあさん
が
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私は子供の頃の夏の入道雲や、両側に胡麻の花が咲いた細い道を、駆け足で通るのが大好きでした。
大好きな道も時には(思春期)、父に叱られた時の、逃げ道にもなりました。
家を離れ、また実家近くになり、私のドイツ人や母も居なくなり、嫌な気持ちも思い出したりでした。
はっきり思い出せないけど、2年前位に窓から見える景色を見て、急にこの景色が好き。ってなった時、自分の中で変化がありました。
それから段々と、自分を取り戻して、生きてて良かった〜〜の毎日です。
自分が変わるには、周りの環境も影響し、関わる人たちも大切です。
今日家を管理してくれる会社の人が来てくれて、つくづくそうだな。って思いました。
Chiblitsさんにとっては、それがジャックさん うっちゃん たっちゃんなのかな。と 家族以外でも安心な人達がいる事が、そうかな。って自分と照らし合わせて思いました。
カルフォルニアのばあさん
が
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胸が熱くジーンときました
叔父様も叔母様もお人柄が最高です
年老いた母が昨夏体調を崩し、介護を受け始めました
「ありがとう」以外にふと母が漏らすこんな言葉が増えてきました
「もしこのまま(会えずに)逝っても泣かないで」
何言ってんのと思う反面
切ないですが、お互いに少しずつ覚悟というか準備というか
人災天災そして天寿・・明日はわからないのも事実
今を大切に生きろということなんだって思っています
カルフォルニアのばあさん
が
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、親戚との涙がでる優しさなんともいえません。お姉さまとの、お時間大切におすごしください。ありがとうございました! (T_T)
カルフォルニアのばあさん
が
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最近は、里帰りして空港で見送られると涙が出そうになります。
多分、後何回会えるだろうか?と無意識に思ってしまうんでしょうね。
空港までの高速道路、所々住宅地が増えたとは言え、景色あまり変わってませんよね。山山山です。ホントに。(笑)
残りの日本滞在楽しんで下さい。
カルフォルニアのばあさん
が
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カルフォルニアのばあさん
が
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老いてもやはり可愛い姪ごさんなんですよね。ひもじい思いをしないように、食べ物を持たせてくれる。いつの時代もこういう愛情は消えませんね。
チブリッツさんも大切な人が来られた時など、手をかけた料理をふるまいますよね。
生きていると切ないときも嬉しいときもありますね。また来年もかごっまにこんなね!
カルフォルニアのばあさん
が
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心が温かくなりますね。
私にも鹿児島に伯母がいました。
母の姉なのですが、母と私は折り合いが悪く、母から私の悪口を聞かされていたのだと思います。
最後に話した電話では伯母からきつく責められました。
伯母が亡くなったことも母から私には知らされませんでしたが、おっとりして優しくて、伯母の家に産まれたかったと思っていましたよ。
Chiblitsさんは優しい人に恵まれていますね。
また顔を見に帰って下さいね。
カルフォルニアのばあさん
が
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私も帰省したら父、母、兄だけでなく、会いに行けるおじ、おば達がいる事はとっても幸せな事なのだと改めて思いました。
美味しそうなサンドイッチです。
カルフォルニアのばあさん
が
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