
サワークラウトはキャベツと塩を混ぜて野菜から出る水で発酵させてとても酸っぱくなります
この酸っぱさが植物性乳酸菌
体にとても良いと言われています
ヨーグルト等の動物性乳酸菌は胃酸で死んでしまいますが
(でも死骸が善玉菌の餌になるそうです)
植物性乳酸菌は生きたまま腸に達するそうです
白菜で試みたサワークラウトはこちらです

子供達が大学を卒業して家を出てから
2人共親に頼らないでどうにか生活しています
私達が生きている間は お金をあげないで 死後残っていたら
子供達が二人で公平に分ければよいと思っていました
でもそうも行かない時があるのですね
今回の山火事で息子達の家と義父の家 2軒が全焼して
初めてお金をあげました
とても再建に役立つような金額ではなかったのですが
気持ちだけでもと思いました
この時は娘にも同額をあげました
できるだけ公平でいたいからです
でも完全に公平というのは難しいものですね
難しい点は
娘は息子よりは近くに住んで頻繁に来るので
一緒に2人でレストランに行ったり
帰る時は冷蔵庫の食べ物を一杯持たせてやったり
年に2回くらい洋服を買ってあげたりしていますが
これは記録していません
じいさんはじいさんで娘が色々と手伝ってくれると
労働に対する賃金として娘に時間で払っています
これも記録していません
息子に不公平ですね
でも孫達に洋服をかったりプレゼントを贈ったりしているので
それでおあいこかなと思ったりもしています
仕事をしないのは娘の選択ですが
娘婿が親の援助をしていることも
息子家族はその反対であることも
それぞれに色々事情の違いもあり 公平には難しいですが
そういう条件は無視して 公平でないといけないのですよね
3軒先の日系人のご夫婦は 奥様の方が病気になった時点で
独身の末娘さん(私と同じ歳)が同居を始めて20年
お母様を看取り お父様を4年前に家で看取られました
今は一人でご両親の家に住んでいますが 家の価値は2億円です
独身の末娘さんが亡くなったら 他の兄弟のお孫さん達で分けるのでしょうか・・・なんて
よそ様の心配なんて要らぬ事でした
そんな感じで状況が変わってきますから
時々 living trust「生前信託」を取り出して
チェックしないと もう何をどう書いたのか忘れました
どんな仲の良い兄弟でもお金が絡むと
気まずい気持ちにならないように
親としてできるだけ平等にしておかないとと思います
最近お友達とこういう話題がでるようになりましたね

2016年4月 ちびは18歳と3カ月


お手数をおかけしますが
色々とクリックしてくださると嬉しいです
ちびは20歳4ヶ月のトイプードルでした



コメント
コメント一覧 (18)
うちも長女と長男のの2人なので、一緒です。
よくわかります。
カルフォルニアのばあさん
が
しました
でも、こう言うのは考え出したらきりがないし本当に公平にするなんて無理です。いろいろな事情、状況が違うのですから。
愛情が公平ならいいのですよ。仮にその時は公平でなかったと思っても
また将来違った状況になったりします。
その時々で親が決めればいいのです。あまり考えすぎずに。
白菜でとは凄いアイディア!日本の漬物のようになるのでしょうね。
わたしも是非作りたいです。
結果報告を楽しみにしています。
カルフォルニアのばあさん
が
しました
私の母も 父が亡くなった時 父が隠していたお金を見つけ 母が私達 姉妹に平等に分けてくれました。
しかし 母が亡くなって 通帳に残っていたのを姉妹で分けたのですが 私は当然 半分だと思っていたら
「あんたは 母と一緒に住んでいなかったから 7対3でいいよね」と姉に言われ
私は頭の中で「が〜〜ん 何で? あんたは、根性が悪いから結婚できなかっただけやろ」
と、思いました「お母さーん ヤッパリこんなことしはる〜」と、心の中で叫びました(笑)
こんな事もあるので 死ぬ前には 遺言しかないと 友達同士で話しています(笑)
友達は、兄弟でもっとひどいことされて 兄弟間の付き合いもなくなっている人が多いです。
カルフォルニアのばあさん
が
しました
最後の財産分与以外は、私は記録に残すのは好きでないです。つき合いでお祝いなど、全て書いてる人の話しを聞いた時、その人は自分が上げた手作りのジャムのお返し品まで記録してる、と言ったので不快感を持ちました。昔は粗相のないように、そうしてる家もあったです。香典のやり取り入学祝いとか。
Chiblitsさん じいさんさんの子供だから、後はふたりに任せて大丈夫ですよ。そのために生きてる姿を見せてるのですから。
Chiblitsさん 正真正銘の心配性ですね。こういう事考えたら楽しく無いです。
記事を読みながらこのお宅(樹だけ)知ってる、と思いましたよ。道路に面した大きな樹、紅葉がChiblitsさんの家の銀杏と思ってコメントしたら、(日系人で)娘さんがひとりで住んでると返信にありました。
私の問題は井戸の中だけの世界 井戸の外(だけ)の世界の違いでした。19から外だけだったです。
自分の人生だし、グローバルの時代だからなぜかこれだけは私の根幹なので、譲れないです。
周りの人は、ど田舎と自分でも分かってるんですね。あの女性が言ってました。出来たら都会に憬れてそんな生活もと思っても叶わなかったからかな、と私を見て叩きたくなるのでしょう。違うかな。
ここをもう少し考えたいです。考えるの大好き〜〜
まだ字数 余ってました。今日の記事で会社の創業者 大金持ちのことなど久しぶりに思い出しました。
お金が余る程あっても、それはそれで金額と同じ位問題がありました。生活出来たらそれが一番かな。
西郷隆盛は「子孫に美田を残さず」、って言ってましたから。検索したら鹿児島 故郷の人でした。熊本か迷ったです。そうですよね、西郷さんは鹿児島 犬との銅像の姿が浮かびます。
カルフォルニアのばあさん
が
しました
お母さんが亡くなった時、着物の襟に紙のお札がいっぱい縫い付けてあってそれを貰ったそうです。
実家のお嫁さんに知られたく無いからかな。その人はお母さんの気持ち 思いが切なく嬉しかったようでした。お母さんも、どんな気持ちでお札をひと針ひと針縫い付けたのでしょう。
私は何だかなぁーと、不思議でした。遠慮 慎みが足りません。
他にもその人ごとに様々な思い出があるでしょうね。しかも忘れられない思い出として。
私はどんな思い出を甥 姪 義理の関係 知り合いに残すでしょうか。良い思い出を残したいです。
さて 朝ご飯です。何食べようかな。
カルフォルニアのばあさん
が
しました
財産を親としては平等に してあげたいと思いますね。
昔は長男だから常識でしたが 今の時代 どの子も可愛いですし。
私の実家は姉がお婿さんもらいだから 両親を看取ってくれました。
手伝いには行きましたが同じ屋根の下で生活とはわけが違います。
当然 姉は全てを受け継ぎました。
財産放棄の書類が届いた時 実印を押して正直ちょっと悲しかったです。
が …そんなものなんだと考え直しました。
2人子供がおりますが(40代半ば )
揉めないように少しでもいろんな意味での平らに考えて
配偶者もいる事だから仲良くして欲しい。
生活の差もありますが揉めない程度の金額ですが 難しい問題ですね。
お金で人が変わらないように ありすぎると揉めてしまいます。^_^
カルフォルニアのばあさん
が
しました
Chiblitsさんが今のじいさんさんと生活を初めた頃の、ブログに載ってた写真の事を。
テーブルもなくイスもなく、ふたりで座って食事風景。
Chiblitsさんは赤いセーター 髪も整ってて、 じいさんさんは長い足を前に伸ばして、、、
Chiblitsさんの食事風景を見た時、しっかり育った家庭だったと思いました。
じいさんさんはアメリカ風の印象でした。
今はテーブルにイス での食事 家も立派、その他多くの物を得たり体験したでしょう。
私も自立し、最初の頃から長年を振り返って、今を見ると、美しい物 様々な体験を思うとよくやったと感心します。
それが私の財産かな。
生涯年収 複数人の授業料を払って得た私の人生です。
まだ先のこと決めてません。整理中 または一時休憩中なので目に入るのはゴミ同然の物です。
ゴミと思われる物の後ろ 下 隅 に私の集めた宝が隠れてます。
母の日常品を持って来なかったらこんな事にもならなかったかな。でも長い間寂しさを埋めてくれたようです。
他の人とそれぞれ生活が違うから、個人としてそう言う話しはしないです。遺産相続など。
私だったら、じいさんさんと話し合って、その後は自分の気持ちに従うかな。
親がしっかり決めるのも、またそれなりに子供にとっての親への複雑な思いもあるでしょう。平等でも。
それは人間だからしかたないかな。
生きてる人たちの宿題ととらえる人がいて、私はその考えに大賛成でした。何でも自分の課題になりますね。
その人の父が亡くなった時、自分の子供に祖父の葬儀の役割の一部を与えて、どうするかを宿題としたようです。
孫も祖父と自分らしく向き合えて、父親もその姿を見て家族を送る儀式が豊でした。
宿題は祖父を飾る仏壇の設えでした。手作りの。芸術一家です。
これも財産です。
カルフォルニアのばあさん
が
しました
を読んで、養老先生が講演で言ってた、生き方に正解はない、を思い出しました。
Chiblitsさん こんなにも子供さんたちのこと思ってるのだから、どんな風になっても通じますよ。
そして深い愛情に再び気づくでしょう。
21日 今日の記事 優しさいっぱいの文章表現でした。
〈ちょっとかぶってみますね〉が何とも言えず よかったです。話しかけられてるみたいで。
疲れちゃって、まだ眠いです。私の問題は異文化でした。昔夏目漱石が悩んだのと同じかな。
有り難い事に、ヒントの答えの記事に巡り会いました。
東京と田舎 しかもまだ農村社会の閉鎖性たっぷりです。特に行政関係では。
東京の都心でも、学校の親 父母会などが絡むと、現代でも日本の村社会の構図にもなるそうです。
それぞれの文化に良い面 そうでない面があるでしょう。私は使い分けが出来ないのが問題です。
だからドイツ人とはとっても上手く行きました。
私に、日本人なのに違和感がなかったそうです。初めてそんな人に合ったと言われました。
どんな意味だったのでしょう。恋人関係もかな、ともその時思いを持ちました。
日本人の良い所も少ないのでしょうね。私は。
戦い 挑戦とも。先がわからないからいいです。本当です。心配無用も付け加えてしまいましょう。
カルフォルニアのばあさん
が
しました
Chiblitsさん ありがとう
こんなコメントの返答思いも寄らずです。
この窓からの景色に数回 決心をしました。
最初は風景がいつもと違って見えたので、やって行けそう。二度目は景色を見ながら何か自分が間違ってると感じました。
三度目は最近で、この景色の美しさを糧に不快なことを言われても、自信を持とうと決心しました。
一度目はまだ且つての生活に未練があった。二度目は姉の危篤があった頃。三度目は弟のことで、2才の坊ちゃんに慰められた頃です。ミカちゃんにも。
キッチンの窓を私の世界の扉としました。だって社会の窓は私の年代では、別な意味にもなっちゃうから。
キッチンもカウンターも居間もオープンなので、PCを見てる場所からも外の景色が見えます。
大好きな甥は寝室からの景色もいい、と即座に付け加えました。記憶にあるのですね。
今朝早く起きてしまって、考えてたら窓から見える神社 私が高校生の時に隠れた場所です。
父に家を出てもいいから、ご飯を食べてからにしろ、と言われ食べたらお腹満腹で家がやっぱりいいとなり、親に逆らう気力がすっかり無くなりました。その後はまた沈黙 大食いで逆らったです。
だからホームレスの人や不憫と思われる人たちを目にしたら、食べ物と飲み物を上げたくなっちゃいます。
これが父からのプレゼントだったかな。
Chiblitsさんももう既に何回も私の田舎 空想の中で散歩してますよ。
まだ嫌な気持ちを少し引きずってるので、もう少ししたら明るくなります。
https://blogos.com/article/411986/不親切大国ニッポンの素顔――台風19号ホームレス排除の論理の非人道性 違うものに冷淡な国
日本もここを、これからは修正したら住み易いと実感してます。
311の時も差別がいっぱいでした。罪人みたいに扱われた光景を、私は目にしました。
家族のテーマは永遠です。
うっちゃんみたいに、明るく食事をあげたいです。歌いながら〜〜(心の中で)
カルフォルニアのばあさん
が
しました