ブルーベリーを見分ける
クリーブランド号の日本人達
ここからの続きです
覚悟の旅 サンフランシスコへ
声が出ない!
ハワイに近づくにつれて 声が出るようになりました
元気になってきたら食欲も出てきました
皆船酔いにも慣れてきて
夜中にデッキに並べられる スナックバーが楽しみになりました
小さなサンドイッチやデザートが並び
若かったのでいくらでも食べられました
違う部屋の人達とも交流が始まり
女の子達が狭い4人部屋に集まり 床に座って遅くまでお喋りしたり
皆気さくで開放的な人ばかりで本当に本当に楽しい時間でした
毎晩イベントがあり キャプテンナイトには
加山雄三さんが歌を歌ったり 仮装パーティーがあったり
これから先の不安は忘れてしまいました・・・
が・・・・
私がフィアンセビザで アメリカに行く・・・ことが
日本人の間に知れると 意外な事が始まりました
犬達のフォトアルバム
お手数をおかけしますが
色々とクリックしてくださると嬉しいです
ちびは20歳4ヶ月のトイプードルでした
コメント
コメント一覧 (25)
続きが楽しみです^_^
ドラマですね😉
私もアメリカにはフィアンセビザで入国しました😊
カルフォルニアのばあさん
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言う場面で終わり、ヒヤヒヤ、ソワソワ、あぁ、そうだったの、と 安心して、また、どうなるの? で 続き。 私の推理としては、チブリッツさんに、沢山の人から、おめでとう、の声を掛けられ、パーティも開いてくださったり、などでしょうか。
カルフォルニアのばあさん
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船で。。何て想像もつかないですが楽しい旅だったのですね。続きが気になるー!!
私はなんと観光ビザですよ。。26年前の話です。主人とはアメリカいってから手続きすればいいよねっていう軽い乗り。今なら考えられない。でも、こちらへ来てから知り合った日本人の中には、煩雑な書類を整え婚約者ビザを取ったのに、書類をこちらのイミグレーションになくされて、結局時間が同じくらいかかったっていう人が何人か居ました。。イミグレーション、今は少しはましになっているのかな。。私の手続きも二年かかり、延長の判子をなん回目かに押しに行ったときに、なぜか聞いたら、窓口の人に、[さあね、中には10年待っている人もいるのよ]って当然のように言われ、なぜそんなおかしなことがまかり通るのか、なぜそんなに時間がかかるのか誰も調べないのか、あなたたちは仕事をしているのか?と強く言うと責任者が出てきて、調べてくれ、書類に不明な点があって、そのまま横へうちやられてたとこが発覚した、ということがありました。。。
カルフォルニアのばあさん
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気になるぅー(((o(*゚∀゚*)o)))続きが楽しみです🎵
なんか赤毛のアンみたい🎵
カルフォルニアのばあさん
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カルフォルニアのばあさん
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ラスタの毛がキラキラ...😍
カルフォルニアのばあさん
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特に日本人は、同じが好きで同じだと安心するから、夢を追ってる他の若者は登山途中、あぁヒマラヤ登頂目前のChiblitsさんに、膝を蹴られた感じかな。当時は、結婚が女性の最終目的の感もありましたから。
船で渡航。Chiblitsさんの現在の日常生活も、コツコツとそんな気がしました。ブルーベリーをシーツで保護するように。
当時外貨制限が500ドルだったか全く覚えてません。
1972年は5月に結婚のため渡米 義両親の家の改築された2階部分の部屋に、私だけ一人の生活でした。
不満がつのり、喧嘩もしてとりあえず、日本と本土の中間のハワイで様子見。泊まってたアラモアナホテルのロビーで、偶然例の手続きをしてくれた、アメリカ人に見つかり、日本東京に連れ戻されました。
その年の9月には、NYにいました。
意外なことって、距離を置かれたことですか。
自分の経験でそんな気がしました。みんな自分が一番可愛いんですね、と。
カルフォルニアのばあさん
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今は100万円以上は、申告が必要で制限はなさそうです。マネーロンダリングを防ぐためとありました。関税はかからないそうです。
興味深い記事を見つけました。↓
探訪あのころ〜戦後70年
海外旅行創生期 制約だらけの高根の花
2015/5/24 10:58
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CAが両側にずらーーと並んでます。
東京五輪を半年後に控えた昭和39年4月1日、政府関係や業務、留学などに限られていた日本人の海外渡航が「年1回、外貨持ち出し500ドルまで」の制限付きで自由化された。この年に発券されたパスポートは、前年比34・8%増の12万4000冊に達した。
日本旅行業協会によると、自由化1週間後にツアー第1陣が羽田を出発。ハワイ7泊9日間の旅で料金は36万4000円だった。大卒の国家公務員の初任給が1万9000円の時代、現在の物価では約400万円になる。庶民には高根の花だった。
当時、日本旅行で富裕層を狙ったヨーロッパの団体旅行を企画していた大山冬臣さん(74)=千葉県我孫子市=は「1ドル360円の時代、500ドルでは何も買えなかった」と懐かしむ。土産は免税店の洋酒とたばこ、香水、スカーフと決まっていた。パリの一流店では「品がない、言葉が通じない」などと団体での入店を断られた。欧州の五つ星ホテルは信用がない日本人を受け入れず、大金を払っても泊まれるのは三つ星止まりだったという。続く
カルフォルニアのばあさん
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私の大親友もメリーランドに嫁いて行きました
いろんなドラマがあるんでしょうね^_^
カルフォルニアのばあさん
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少しずつですが、他の方のブログを読む余裕ができてきました
まだまだ本調子ではありませんが、少しずつ自分を取り戻していきたいと思います
改めて、ありがとうございました
カルフォルニアのばあさん
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カルフォルニアのばあさん
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カルフォルニアのばあさん
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