2021-06-20-shrimp3

Martin Yanさんの海老マヨ

500ドルで始まったアメリカ人生

ここからの続きです
覚悟の旅 サンフランシスコへ

声が出ない!

クリーブランド号の日本人達

貴方はだまされていますよ

やくざ風の人から忘れられない言葉

船がサンフランシスコに近づくにつれて 段々寒くなってきました
1972年8月9日の朝
皆 早くから荷造りを終えてそわそわしていましたが
金門橋の下を通って 港に入ると聞いたので
皆デッキに出て 金門橋が見えてくるのを待っていました

私の気持ちは金門橋どころではなかったです
今でも金門橋を見た記憶もないし 
景色どころではなかったのでしょう

私の荷物は青いトランクと大きな箱が3つ位あったでしょうか
そうそう
船を選んだのは持って行ける荷物が多かったこともありました

当時のじいさんは シリコンバレーで仕事を初めて4カ月目
屋根が赤い花柄の日産ブルーバードに乗って迎えにきました
このブルーバードは42年間大事に持っていました(乗ってじゃないですよ)
2014年に手放しました→もらい泣き

着いた町はサンフランシスコから南に1時間程離れているSunnyvale市 
船員さんからSunnyvaleは良い町だよと聞いていたのに
鹿児島の様に 山も見えないし海岸も見えない
道路には人間を見ないし 何て言う退屈そうな町だろうと思いました
マイクロソフトもアップルも未だなかった時代ですからね〜

じいさんは その日腹痛で下痢をしていました
今思うと緊張してストレスだったのでしょうね

私達はその高級アパートに2カ月程住んで
これでハネムーンは終わりとばかりに 
サンタクララ市のもっと安い 家具がついていないアパートに引っ越しました
(私はこっちの方がこじんまりしてずっと好きでした)

何しろね
私が持ってきたお金はたったの 500ドル
(この時代は円持ち出しが500ドルと制限があったような 
でもうっちゃんは制限をどうしたのか今度聞いてみます)

じいさんの貯金が2000ドル
二人合わせて2500ドル 私達の生活は この2500ドルで始まったのでした
私も早く仕事を見つけないとと思いました

元気でしたね〜
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犬達のフォトアルバム

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ちびは20歳4ヶ月のトイプードルでした
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