
Martin Yanさんの海老マヨ
ここからの続きです
覚悟の旅 サンフランシスコへ
声が出ない!
クリーブランド号の日本人達
貴方はだまされていますよ
やくざ風の人から忘れられない言葉
船がサンフランシスコに近づくにつれて 段々寒くなってきました
1972年8月9日の朝
皆 早くから荷造りを終えてそわそわしていましたが
金門橋の下を通って 港に入ると聞いたので
皆デッキに出て 金門橋が見えてくるのを待っていました
私の気持ちは金門橋どころではなかったです
今でも金門橋を見た記憶もないし
景色どころではなかったのでしょう
私の荷物は青いトランクと大きな箱が3つ位あったでしょうか
そうそう
船を選んだのは持って行ける荷物が多かったこともありました
当時のじいさんは シリコンバレーで仕事を初めて4カ月目
屋根が赤い花柄の日産ブルーバードに乗って迎えにきました
このブルーバードは42年間大事に持っていました(乗ってじゃないですよ)
2014年に手放しました→もらい泣き
着いた町はサンフランシスコから南に1時間程離れているSunnyvale市
船員さんからSunnyvaleは良い町だよと聞いていたのに
鹿児島の様に 山も見えないし海岸も見えない
道路には人間を見ないし 何て言う退屈そうな町だろうと思いました
マイクロソフトもアップルも未だなかった時代ですからね〜
じいさんは その日腹痛で下痢をしていました
今思うと緊張してストレスだったのでしょうね
私達はその高級アパートに2カ月程住んで
これでハネムーンは終わりとばかりに
サンタクララ市のもっと安い 家具がついていないアパートに引っ越しました
(私はこっちの方がこじんまりしてずっと好きでした)
何しろね
私が持ってきたお金はたったの 500ドル
(この時代は円持ち出しが500ドルと制限があったような
でもうっちゃんは制限をどうしたのか今度聞いてみます)
じいさんの貯金が2000ドル
二人合わせて2500ドル 私達の生活は この2500ドルで始まったのでした
私も早く仕事を見つけないとと思いました
元気でしたね〜


お手数をおかけしますが
色々とクリックしてくださると嬉しいです
ちびは20歳4ヶ月のトイプードルでした



















コメント
コメント一覧 (12)
渡米だったと思いますが、きっと愛が勝って
飛び込んでいかれたのでしょうね^^
当時わたしは4歳でしたが( ゚Д゚)
あの頃、アメリカへ渡る、
生活をするという事は
大変なチャレンジャーだったと
思います。
私は91年だったか?
渡米しましたが、それでも
緊張しまくりでした。
その前からアメリカ旅行はしていましたが
留学、生活をするとなると
心構えも違いました。
今は東京で暮らしていますが
私はアメリカ暮らしの方が合っている様に
思えて(主人はハワイで暮らしていました)
また機会があればアメリカへ行きたいと
思っていますが、ビザうんぬん今は
取得が難しい様に思えます。
アメリカへいらした経緯、その後のお話
また楽しみにしていますね^^
ぜひ!うっちゃんさんのお話も
聞きたいです。
カルフォルニアのばあさん
が
しました
赤は勝ち色、エネルギーが湧き出る色、思い出一杯のその車を手放した時のビデオには、込み上げるものがありました。 チブリッツさんが最初の二週間を過ごされたSunnyvale市 に、私は住んでいます。その頃は、シリコンバレーが、これほど世界中に知れ渡るハイテクの街になるとは思えなかった事でしょうね。
色々なことを知らないから、見えないからこそ突っ走っていける若さ、良いですね、若いって。 チブリッツさんが、素敵なご家族を作り上げ、こうして振り返って、懐かしく思えることは、本当に幸せなことですね。読ませていただいている私たちも幸せな気持ちになります。 辛くて、過去を振り返りたくない人もいますものね。
カルフォルニアのばあさん
が
しました
Chiblitsさんより一回り上の世代のわたしの父は、60年代の後半に、幼かったわたしと姉を連れて家族4人でニューヨークのバッファローという町に留学していました。
父は、当時流行った映画のように、赤いネッカチーフを被った女房と一緒にフォードのムスタングでアメリカを走るのが夢だったんだそうです。
わたしの記憶には残っていませんが、アルバムに大切に貼ってある色のあせた当時の写真を見ると、赤くはないですが、たしかにネッカチーフを被ってサングラスをかけた若かりし頃の母の姿が。
隣で眠たげにふくれっ面をしているわたしたち姉妹が夢を壊すように写っていますが、若いころにあこがれのアメリカで生活ができた両親をうらやましく思ったものです。
わたしも現在、ひょんなことからカリフォルニアで生活することになり、それなりに楽しく暮らしていますが、あと30歳若いうちに来たかったなぁとよく思います。。。
Chiblitsさん、もっともっと、当時の話を聞かせてくださいね。
とても楽しみです。
カルフォルニアのばあさん
が
しました
独身は心も身も軽いですね。
この車の話 覚えたますよ。高額で売れたのが、記憶にありました。
2日続けて痛み 電気が走った感じ(神経障害性疼痛)で夜眠れませんでした。自分の症状を検索したら、こんな症状かなと。初めての腰痛なので、医者に的確に自分の状態を説明出来ませんでした。
腰痛は病名ではないとありました。
今朝食後、睡魔が襲ってきたので寝ます。
これも仕事をしてたら、出来ないことです。
私はこの機会(病気やひとりでの過ごし方)を、今後の生活の再構築と考えてます。
眠れなくても、起きてそんなにイライラもせず、時を過ごしました。覚悟(眠くなったら眠る)をしてたので、不安もなかったです。
あの頃の500ドルは、どんな価値だったでしょうか。
私がNYから夏の休暇で帰って、東京の宿泊のホテルでの両替は1ドル260円(端数もあったかも)でした。1973年。固定相場制の360円が頭に残ってたので、少し損したと記憶にあります。
カルフォルニアのばあさん
が
しました
15年共に過ごした愛犬が先月亡くなりまして
ペットロスから立ち直れない私です。
あと3ヶ月で16歳だったのになぁ〜、と残念です。
16歳になっていても、次は17歳まで18歳までと
欲が出ていたでしょうけれど。
保護した2匹を既に亡くしてはいるのですが
今回のコは最初に飼い始めたコだったので
体が半分にもがれたような気持ちです。
ところで、思い出溢れる日産ブルーバードのお話、
今朝読んだサイトの記事とあまりに似ていたので
久しぶりにコメント書かせていただきました。
愛犬が逝った今、思い出を少しずつ手放したり
だんだんと忘れていくことがとても怖いです。
https://www.buzzfeed.com/jp/chinatsukobayashi/car-micomalu
カルフォルニアのばあさん
が
しました
わたしも若い頃、ブルーバードSSSやフェアレディ310、いすゞベレットにあこがれたことがあります。もっとも駆け出しだったので車なんて持てるはずもなく憧れで終わっちゃいましたが…
ちなみに1970年代のブルーバードは、中古車市場でモデルや状態によってですが、250万円〜750万円もするのですよ。ご主人様が手放したのは確か100万もしなかったのでは?写真見ましたがかなり綺麗だったですもんね。買った方は超お買い得だったんじゃないかな。もっとも走るようになるまで幾ら掛かるかはわかりませんが…
ところで昨日の記事でのMRI検査のことですが、Chiblitsさんの文章見れば完璧な脳細胞ですよ!なんのご心配もなし!と云うことで。
カルフォルニアのばあさん
が
しました