今日の美味しい物
恐怖の電話番
銀行時代(1)
英語は大きなハンディだったので
仕事は日本語を使う日系の会社しかないと思いました
日系の会社って・・・どこがある?
そう言えばこの前円を替えてもらった東京銀行がある
先ずはあそこに当たってみようと思い
電話をすると 入社試験を受ける事になりました
支店長さんは日本から赴任になったばかりの若い方でした
面接の後 筆記試験を受けて下さいと言われました
算数と英語の筆記試験でした
算数は足し算 引き算 小学生レベルでパス! (笑)
英語は覚えていません・・・と言う事は 分からなかったのかもですね
記憶にありません
それでも採用になりました!
一つ条件あり
3カ月のプロベーションです(正式採用は3カ月の勤務をみて決定)
初任給 月350ドル (1972年です)
英語も不自由なのに 3カ月後に正社員になった時は
とても嬉しかったです
私の仕事はブックキーピングでした
使用済みの小切手を お客様のファイルに戻す事と電話番です
電話番ですと!!!!!
大丈夫 大丈夫 ブックキーピングには
アメリカ人が他に5人程いましたから・・と思ったのですが
そんなに甘くはなかったのでした
私は一番下っ端でしたからね
ランチタイムは一番最後
先輩がランチ中 私は一人で留守番になったのです!
と言う事は 30分間は電話に出ないといけないのですよ!
OMG!でしたよ
電話が鳴るごとに心臓が破裂しそうでした!
当時は自分で小切手を書いたこともないし
そもそも 小切手って何ぞや?でしたからね
とんでもない所に勤めてしまいました!
犬達のフォトアルバム
お手数をおかけしますが
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ちびは20歳4ヶ月のトイプードルでした
コメント
コメント一覧 (17)
私は同じ頃LAに支店が有るという設計事務所に勤め始めて、オイルショックで支店が閉鎖になり、米国勤務の夢破れた頃ですね。新宿の超高層ビルに転職して勤めたものの、身分は事務職で同じく「電話番」も仕事の一つでした。日本語であってもドキドキで、緊張の余り、目の前の人に話しかける時も「モシモシ」と言ってしまって、皆に大笑いされました。懐かしい想い出ですよね〜。続編楽しみにしています!!
カルフォルニアのばあさん
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チブリッツさん、何も解らないまま、仕事を探し、それも銀行だなんて、素晴らしいです! しばらくは、毎日、ハラハラドキドキの連続だった事でしょう。
若い時は、知識の吸収力も、記憶力も良く、回転も早いですね。
今は、解らない言葉を辞書で引こうと思って、取り出したら、何を調べようとしていたのかを忘れ、やっと思い出し、そうなのね、と、閉じた途端に忘れる日々。
ザルで水をすくうようなものですが、それでも毎日覚えようと努力していれば、すくえなくても、ザルがはぜて、使い物にならないことだけは避けられます。
ボケ防止、ボケ防止と唱えながら、ザル頭を使っています。
カルフォルニアのばあさん
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アメリカで英語で出ないといけないならなおさら!
今でも電話は苦手です。
カルフォルニアのばあさん
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chiblitsさんが英語がわからないのに 凄い!若さっていいですね。
日本で働いても 研修期間がないから全然分からなかったです。
1人で電話番した事あります。メッチャクチャ緊張して心の中で かかってくるな! と心の中で呪文してました(笑)
今は 研修期間が1ヶ月ぐらいあるらしいです。
続きが楽しみ〜
カルフォルニアのばあさん
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ラスタと女性の方(きっと娘さんですよね) が仲良くくつろいでいる写真いいなあ。お互い信頼しあってますね。面白いのはラスタはあんなにくつろいでいるけど実は自分の家じゃあない笑 ラスタはみんなに愛されてるから本宅別宅まであってみんなを笑顔にしてる!良い子だなあ
カルフォルニアのばあさん
がしました
カルフォルニアのばあさん
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