
豆カレー

銀行時代(2)
1972年11月
バスを2回乗り換えて 1時間半かかって銀行に着きました
ブックキーピングの課長はとがった眼鏡をかけた
30代のリンダと言う名のアメリカ女性でした
働き始めてから4時間後に リンダからもう叱られました
ランチタイムを交代で取らなかったからです
(最初に説明して欲しかったと思ったけど 私が聞き取れていなかった可能性もあり)
リンダから電話の出方も習いました
かかってくる電話は全部問い合わせでした
問い合わせに答える為にはお客様の口座番号と名前が必要です
私の仕事は先ずは 口座番号と名前を書き留める事でした
質問を聞いて その度に先輩に何と答えたらいいのか聞く・・・
それの繰り返しでした
今思うとたったこれだけの事
何を叱られていたのでしょうね
一つだけ今でも忘れられない事があります
いつものように口座番号を聞いてお客様カードを見つけました
(当時はアナログですから引き出しにカードがアルファベット順で並んでいます)
お客様カードには名前 生年月日等が記載されています
Mr. Smith・・・と呼び掛けたら
物凄い剣幕でお客様が怒り始めましたよ
カードに MDと書いてあるだろう!
何で ドクターと呼ばないのか!
そんな常識をしらないのか!
M.D.= Doctor of Medicine= 医師
M.D.がドクターのことだと初めて知りました
このドクターは 支店長とかわれ とまで言って怒りました
しかも私 2度も言っちゃったんですよね
支店長じゃなくてリンダが謝ったような記憶があります
一事が万事でこんなミスの繰り返しでしたよ
父の様な年齢の日本人の部長が 私が 暗くなってバスで帰ることを聞いて
(当時バスで通うのは私だけ)
夕方のダウンタウンの乗り換えは危険だからと言って
雑用係りの(当時日本からの学生アルバイト) 太郎ちゃんに
アパートまで送るように頼んでくれました
優しい方達も沢山いたのです
それ以来 帰りはじいさんが迎えに来るようになりました
未だ当時の建物が残っていました!
今 何になっているのでしょうね

Google地図から
こんな話 子供達にもしたことないです



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ちびは20歳4ヶ月のトイプードルでした



コメント
コメント一覧 (33)
名声が欲しいのでしょうかね…
私は、自慢する人が嫌いです…
本当にすごい人って自分をけして
ひけらかさないですよね。
渡米され、すぐにお仕事され
大変な経験をされましたね。
渡米前、旦那様とのロマンス♪
結婚に至るまでのお話もぜひ!
ラスタちゃん、可愛いです☆彡
カルフォルニアのばあさん
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わたしだったら果たして乗り切れるかどうか…
神様はその方に受け止めきれない試練は決して与えないと云います。
だから与えられた試練は逃げずに受けとめてみること、そうすれば未来は必ず拓ける。
今になって振り返ると、そうか、あの事があったからこそこうなれた、ということが沢山あるんじゃないでしょうか?そしてそれは他のどなたにも当てはまることだと思います。何歳になろうと何事も挑戦です!
カルフォルニアのばあさん
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カルフォルニアのばあさん
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感覚的に全く解らないです(¨;)なので私もきっと怒られますwとゆーか英語分からないので電話なんて怖ーい💦
カルフォルニアのばあさん
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カルフォルニアのばあさん
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カルフォルニアのばあさん
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今は銀行がジャパンタウン側に移転してしまったので、空いたままなのでしょうか。
SF総領事館の出張もこのビルの何階だったか、パスポートの更新に行ったことがあります。
アメリカは人種の坩堝なので、英語ができない人に寛容な人が多いのかと勝手に期待していましたが、同じ立場の移民は寛容ですが、アメリカ人はそうでもない人の方が多い印象です。
ここはアメリカよ、英語を話しなさい、という態度の人も多いですし。
私は元々が1人でも平気な質なので、それですっかり出不精の引っ込み思案になってしまいました。
まぁ、元々の性格は性格ですから、日本語が通じる場所では決しておとなしくはしていませんが😅。
おかげで今でも英語にはひどいコンプレックスがあります。
オンライン辞書があるので、読む方は何とかなるのですが、自分の話し言葉として身につくには程遠いです。
カルフォルニアのばあさん
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チビリッツさんのお話とても興味深いです。私も来た頃95年ですが、インターネットとかもないし、ホームシックで毎日泣いてました。子供がで来てからは家のすべての事、電話かけたりなんだ、いちいち主人に頼ることもできなく(時間の関係とか、自分がせっかちなのもあって)やっていましたので、そのせいで英語は上達しましたが、友人とかはなかなかできなくて。。仕事を始めると、社会も広がるし、いいですよね。怒られたりとか、バカにされたりとかは、ありますけどね。。。
カルフォルニアのばあさん
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カルフォルニアのばあさん
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苦労されましたね。私だったら胃が痛くて続かなかったかも、と思います...!
カルフォルニアのばあさん
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カルフォルニアのばあさん
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カルフォルニアのばあさん
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知らなかったです。
日本には「先生と呼ばれるほど馬鹿じゃない」っていう言葉があります。
決して皮肉ではありませんが(笑)
ちょっと、、、、、ですね。
謙虚な人が好きです(笑)
カルフォルニアのばあさん
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カルフォルニアのばあさん
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日本人だけどアメリカでお医者さんしてる友人が二人います。家でパーティーした時お呼びして紹介したら、お話しする時お互い二人で〇〇先生、△△先生と呼び合ってて正直ちょっとおかしかった。あれが医師会の当たり前なのかーと思いました。うちの主人は会社経営者だけど、ホームパーティーで経営者同士だったら
〇〇社長、なんて言いあってたらギャグみたいでふきだしちゃいそうです。。
カルフォルニアのばあさん
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母の知り合いの女性の人の話を思い出しました。
50年ほど前、日本人同士のご夫婦でアメリカに渡り。
お子さんが独立してそのあと、その女性だけ日本に戻って来て。
(この時に母と知り合いになったみたいです)
笑いながら
「アメリカに30年以上いたのに、英語なんてほとんどしゃべれないのよぉ〜。」
って言っていたのを思い出しました。
お子さんが3人で、その子供たちは普通に米国暮らしをして、お孫さんもいらっしゃるようです。
ご主人とお子さんは、普通に英語を喋れるようですが、奥さんは聞いている意味はなんとなく分かるそうですが、話すことはほとんど出来ないそうで。
今では米国に行くときは、お孫さんに会うためぐらいだそうです。
(ご主人は、4年ほど前に日本に戻ってきているそうです)
とても明るい楽しい方なのですが、多分、色んな意味で大変だったんだろうなと、カルフォルニアさんの文章からふと思いました。
カルフォルニアのばあさん
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