
料理をしたくない時に茄子と豆腐の煮炒め
午後 2:58
知らない電話番号で携帯が鳴った時
スパムコールと思ったら前代未聞の暴風雨警報でした
2017年のサンタローザの山火事以来 息子家族が住むカウンティー
娘夫婦が住むカウンティー そして私達が住むカウンティー
3つのカウンティーの警報システムに登録しています
テキストで警報が携帯に入りますが 電話で喋る警報は初めて聞きました
避難警報などが寸時に入ってきますから登録していたら心強いですね
ここで登録できます
今度の大雪で13人の方が山の家に閉じ込められて亡くなったとニュースがありました
停電で暖房がなく凍死の方もあったようですね
Wさんが丁寧にサランラップを剥がしていくと
新学生日記 1938年 三省堂と書かれた箱が出てきました
箱から出てきたものを見て 思わず おーまいがー と声が出てしまいました
1938年カリフォルニア州立大学バークレー校から日本の恵泉女学院に転校して
寮生活を始めた20歳のWさんのお母様の日記でした

Dear Diary (親愛なる日記さん)で毎日始まる日記は
20歳で初めて家族を離れて 異国に来たお母さんの
寂しさが 日記さんという呼び方に込められているように思えました
何時に起きて 何をしたか 一日の生活が描かれていました
何て綺麗な筆記体!
ページをめくると綺麗な日本文字でも書かれてありました

Wさんとは20年一緒に働いて 40年お友達なのに
家族の事も どうしてアメリカに住むようになったのかも
全く知りませんでした
お母様は日本に留学中 戦争が始まり
熊本で結婚して 5人の子供を育てて 初めてカリフォルニアのバークレーに里帰りができたのは 戦争も終わって30年後だったそうです
この時代に生きた人達は 私の両親も含めて
アメリカに住んでいた日系人の方達も大変な苦労をされたのですね
戦争の為にばらばらになって何十年も会えなかった家族
Wさんの一人の伯母様は強制収容所で亡くなったそうです

今日は沢山興味深い話を聞きました
Wさんはこんな話をしていると
亡くなったMakiちゃんの事が忘れらると言います
今日は 40年間で初めてWさんからお茶に呼ばれました
雨が降る前に 急いで帰りました
追記:今朝 又皆さんの心温まるコメントを読ませていただきました
ありがとうございました
今日と言う貴重な時間は2度と戻らないのですから
楽しい事 ポジティブな事を考えていたいですね
こうしてよく来ていたのにね〜

お手数をおかけしますが
色々とクリックしてくださると嬉しいです
ちびは20歳4ヶ月のトイプードルでした






















コメント
コメント一覧 (24)
カルフォルニアのばあさん
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「世界の村で発見!こんなところに日本人」に出てくる日本人妻の方々は、統一教会の合同結婚式の宗教婚でその土地にいる方が多いです。そういう方達の出会いエピソードは嘘の話が多いですよ。
カルフォルニアのばあさん
が
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良かったですね。チブリッツさんのお気持ちが少し晴れたことでしょう、と、私も嬉しいです。 見せていただいた日記、アンネの日記のようですね。 私は満州で生まれ、数週間後には戦争が始まりました。4歳で最後の引き揚げ船で帰国するまでの恐ろしい日々を鮮明に記憶しています。中学生の時にアンネの日記に出会って、アムステルダムの家を訪ねてみたいと思い続け、2010年に念願かなって、アンネがひっそりと隠れ住んだ家で、戦争の恐ろしさを思い出し、思春期のアンネの心情を想って、涙しました。 その何年か後にアウシュビッツも訪れました。 私たちは、家畜の飼料を食べ、安心して寝られない日々、外に出れば恐ろしい光景。自由に動け、充分に食べられ、外の景色を楽しめる今、辛いときは、その当時のことを思うと、耐える勇気と希望が湧いてきます。
チブリッツさん、もうすぐ、この雨も終わり、庭も花が咲き出しますね。
楽しみですね。 庭仕事がたくさん出来るように、今は体調を整えて、お大事にしてくださいね。
カルフォルニアのばあさん
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人生は本当に何があるかわかりませんが、一生懸命生きるしかありませんね
カルフォルニアのばあさん
が
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保管状態も良く 綺麗です。
人には色々人生ドラマがありますよね。
chiblitsさんがWさんのところにお招き頂き 素晴らしい日記を見せてもらって
心が豊かになりますね。
私の父も亡くなる10年前ぐらいから自分年史を作り始めました。
誕生〜仕事〜戦争〜仕事〜再雇用 でした。
私もそろそろ自分史を書こうかな?と思っている所です。
chiblitsさんがおっしゃってるように 私も今日という日を大事に過ごすようにします。勉強になりました。
カルフォルニアのばあさん
が
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カルフォルニアのばあさん
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私もアメリカに来てから27年になりますが、Chiblitsさんのブログを10年以上は読んでいるでしょうか。
こちらで働きながら家族を守っていく中で、同じような境遇のChiblitsさんが、先輩としてとても励みになっています!
励みになったり、気づきがあったり、大事なことを思い出させてくださったり。
お料理も感心します。Chiblitsさんの料理のすごいところは、和食、アメリカン、メキシカン、アジアンそしてパン作り、デザートと、どんな料理でも自在に作れ、それも手を抜いているようで大事な所は抜いていず、家にある材料でちゃんと美味しくできるようになっているところ。天才ですねえ。^-^
時事情報、私は忙しいので、ニュースはChiblitsさんから一番に知っているところがあります(笑)。
そして、Chiblitsさんの素晴らしいのは、社会的視点、環境や健康への視点をもっておられることです。チャリティの案内も大事なことですよね。
カルフォルニアのばあさん
が
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今日のブログ、Wさんとよい時間を過ごされたことが伝わってきました。^-^
今回のWさんのお母さんの事のように、大事な記録を歴史の一片としてシェアしてくださることも、Chiblitsさんが勇気をもってしてくださっていることですね。
戦争は家族をばらばらにし、いろんな人に計り知れないインパクト与えますね。
私の義父(主人の父)はイギリス人で、実際に戦場で戦い、多くの戦友が亡くなった経験をしました。
日本の教育では、日本が戦争中アジアに与えた影響をあまり教えないと思いますが、娘たちの行っているカリフォルニアの高校では、アメリカの原爆投下のことや、日系アメリカ人の強制収容所のことを批判的に教えている、というか考えさせる教育をしていて、感心します。娘たちも、アメリカの良いところと悪いところを、ちゃんと事実検証して学んでいってくれていると感じます。
そういう視点をもっていらっしゃるChiblitsさんがいらっしゃって感謝なのです。
私がちょっと自信なくなった時は、軌道修正してくださっていることもあるんですよ。
ブログはこれからも、楽しく拝見させていただきます。
無理なさらない範囲で、続けてくださいね。^-^
カルフォルニアのばあさん
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私は60代 私の世代では 平和教育とハッキリ記憶に残るものはないです
それでも、日本の軍隊がどんな事をしたか 大陸やシベリアでどんな事が
あったか 沢山のドキュメンタリーを見て 一定の知識はあるので
外国映画で鬼のような日本軍(日本人)が出てくると 今だに胸が苦しくなります
私の子供が 小学生の時は はっきりした平和教育・学習の時間がありました
被爆地をおとずれ 話を聞いたり 見学したり 話し合ったり
広島は 年間30万人の修学旅行生 などが訪れ 平和学習をしていますし
長崎や沖縄でも 現地にいき平和学習をしていますが 子供の一部です
多くは 学校で習うようです
原爆資料館見学は 子供によってはトラウマになる事もありますが
それでも 続けているようです 私も一度しかいけていません
平和学習は 指針により 年齢ごとにプログラムがあるようですが
全ての学校が同じ教育をしているわけではなく 特別にしない学校もある
かもしれません 平和学習は 戦争と平和について教えるようです
“日本では 小学生から 高校まで 平和教育・学習はしています”
教師により内容の濃さは変わりますし 興味を持たない子供もいます
成人になり“ネットや書籍で個人的に勉強する人“もいます
NHKのアーカイブには戦争の歴史が色々あり利用されます
それでも欧米や周辺国から、教科書の内容について今だに批判をうけます
欧米からは 教科書の侵略の歴史の記述が曖昧と指摘されたり
近隣国には 日本人の残虐行為を教えていない という人もいます
日本の教科書は 隣国から常に監視 批判され 教科書選定は
よく混乱していました こんな国は 他に知りません
日本は教えてないという考えをお持ちの方がいたので
書かせていただきました これは私見なので別の考えもあろうかと思います
カルフォルニアのばあさん
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こんな話を思い出したのは 先日同年配のお友達とそういえば教科書には戦争のこと書いてあったのに先生がそこまで終わらすことは一度もなかったですよね〜って話から もしかしたらあれは故意に終わらなかった? という話になったのですよ。 あれからもう何十年も経つので学校も変わったでしょうね。
私は小学生の時からナチの犯罪に非常に興味を持ってアンネの日記を読んだからというわけでもないですが あの頃から新聞に出るニュースは読んでいました。 一つアメリカに来て残念に思うのは毎年真珠湾攻撃の記念日にそのニュースがあるのに原爆の日がニュースにならないのはとても残念です。
カルフォルニアのばあさん
が
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