
梅干しに朝露【梅の実6】
今日はブロガーのMikimieさん達とPeet'sで久しぶりに会いました
金曜日朝の10時半 平日なのに店内も

外のテーブルも満席でした

パンデミックから回復したようで 嬉しいです
Mikimieさんはお孫さんのお世話でコロラド州までよく行かれます
小さなお孫さんが 曽祖父さんの写真を見て
戦争に行きたくない・・・
と言った話を聞いて びっくりしました
こんなに小さな子供が 戦争は怖いと思っているのですね
そんな話をするわけではないのに
いつの間にか ウクライナの戦争 ガザの崩壊のニュースを
見聞きしながら 戦争では何が起こるのか 分かるのですね
私はアメリカの徴兵制度復活をいつも不安に思っています
息子が産まれた時も 孫達が産まれた時も
私が20代の頃はベトナム戦争の真っ最中でした
戦争が激化してくると21歳からだった徴兵制が18歳に引き下げられました
1969年には 徴兵抽選制度が導入されました
生年月日が無作為に抽選されて番号が早い人から徴兵される制度です
じいさんの誕生日は12月15日(仮に)抽選番号は125番でした
つまり
12月15日生まれの18歳〜26歳の男子は 125番目に徴兵される・・と言うことです
365番中の125番ですからとても可能性が高いのです
案の定 抽選制度が始まった年 大学生の時に召集令状が来ました
戦争が激化してモンタナ州の小さな町でも戦死者の名前が新聞に出る頃ですから
私もとても心配でした
でも想像もしていなかった理由で落とされたのです
じいさんの近視で身体検査にパスしなかったのです
近視も幸いすることがあるのですね
その後5年ベトナム戦争は続いて 58,221人のアメリカ兵が命を落としました
ベトナム人の犠牲者は200万人〜300万人と言われています
家族が戦争に行く・・・こんな心配はもう2度としたくないです
息子は2003年 湾岸戦争に送られました
帰ってこなかったら 一生自分を許せなかったと思います
徴兵の不安 あの時のトラウマは今でも続いています
せめて孫の時代にはそんな心配をしなくてもいい世になっていることを願っています
お手数をおかけしますが
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先日レシピブログが閉鎖しました 長い間応援ありがとうございました
明日この仔が来ます

ちびは20歳4ヶ月のトイプードルでした




















コメント
コメント一覧 (5)
体重測定で98パウンドしかなかったので体重を増やして来るように言われ数ヶ月後再審査に行ったのですが105パウンドだったので落とされました。
もし合格していたら私は今ここにはいないかもしれません。
歴史を振り返っても人間は戦争をいつも繰り返しています。
悲しいけど、過去も現在も未来も人類が存在する限り戦争を起こし続けるのでしょうね。
誰が身内や親しい人達を戦争に送り出したいと思うでしょうか?
いないと思います。
でも今でも戦争は各地で起こっています。
私も孫を戦争に送り出したくはありません。
Chiblitsさんが息子さんを湾岸戦争に送り出された時の心境を思うと心が痛みます
カルフォルニアのばあさん
が
しました
日本の自衛隊の方、アメリカやその他の国の軍人の方、ベテランの方に対する「絶対の敬意」を忘れてはいけないと常々思っています。
日本では自衛隊が被災地へ支援に向かう際にも、戦争反対派と名のる人たちが「人殺し集団」と言って罵ったりすることがあると聞いて驚愕しました。
SNSで「そういうことを言う人たちは自分たちが被災しても絶対に自衛隊の世話にはなるな」と書いているのを見たことがありますが、本当にそう思います。
夫の兄の奥さんは1女2男の連れ子がありましたが、男子二人とも軍楽隊ながらも入隊しました。
軍楽隊でも訓練は普通の兵士と同じだけするのですよね。
ヒョロヒョロの青二才だった子が筋肉隆々の男性に変貌した写真を見たときは、どれだけの訓練があったのだろうと察しましたが、同時に辛かったことを乗り越え、国の防衛に貢献してくれたことをとても尊敬しています。
息子さんが無事に帰ってこられて本当に良かったです。
こういう方たちのおかげで、毎日呑気に「今日は何を食べようか」などと考えていられるのだと、改めて感謝の気持ちが湧きます。
カルフォルニアのばあさん
が
しました
後に父はロシア語ができたので通訳としてソ連軍に連れて行かれました。
集団自決も母は父の帰りを信じて拒否、毎日、庭の不発弾を拾って、古い井戸に落とすのが日課でした。家畜の飼料だったコウリャンを食べていました。夜は明かりをつけずに暗闇の中での生活でしたので、私は今でも暗いうちに起きるのは、目が覚めていても苦手です。
父が最後の連絡船に間に合うように戻されました。波止場までは満州の広い平原を屋根のない、囲いも1mぐらいの高さの汽車に大勢の人と詰め込まれ、真っ赤な大きな太陽が沈んで行く様子を今でもはっきりと思い出します。波止場では土砂降りの雨の中、人々が行列、父は首から食品を詰めた長方形の缶を二つ掛け、2歳に満たない弟をその上に座らせ、両手にも大きな荷物、母は背中に大きな荷物を背負い、私と兄をしっかりと握っていました。 いつもはヤンチャな兄もずぶ濡れになりながらも文句も言わず、静かにしていたのが子供心にも感心した私でした。
私は3歳9ヶ月でしたが、異常な体験で家の間取りも近所の様子も帰国の行程も
鮮明に覚えていて、後に両親を驚かすほどでした。ですから今も映し出される戦争の映像を見るたびに胸が苦しく、身体が震えるのです。
カルフォルニアのばあさん
が
しました
私の母方の祖父は、稲作農業と干拓会社を経営していました。その祖父は、40才過ぎに急死しました。
その少し後に、長男だった叔父が陸軍に徴兵されました。干拓会社は廃業していましたが、たった1人の男子が2年間も徴兵でいなくなったら農業を出来なくなります。 一大事でした。
ところが、突然徴兵期間が、3ヶ月だけの教育期間になり、農繁期には日帰りで帰宅できるようになったのです。
詳しくは知りませんが、ロンドン条約やワシントン条約に陸軍の軍縮も入っていたと村の人から聞きました。
カルフォルニアのばあさん
が
しました
私の息子は、赤ちゃんの時にアメリカに来て、アメリカで育ちました。私たち、家族は、ビザホールダーとして、アメリカに暮らしていましたが、息子が高校生になり、家の事情が変わった時にグリーンカードを取るという選択が出来ました。
その時に、息子に戦争に行く可能性があるけれど、それでもグリーンカードが欲しいのかと確認した時に、彼は、アメリカに暮らしていて、
アメリカで色々な経験が出来て、感謝している、ほかの友達と同様に、戦争に行く可能性があるのは、当然だと答えました。アメリカという国への愛国精神というものを高校生の彼が持っていることに私は、驚いてしまいました。アメリカの教育なのか、周りの影響なのか、戦争に対する考えは、私たちが持っているものとは、まったく異なる物でした。
私も夫も日本で育ったので、原爆や東京大空襲、中国や韓国に対する日本の侵略など、戦争はどんなにひどい事をするのかをいつも話していました。それにも関わらず、息子のアメリカへの気持ち、戦争に対する考え方は、私たちの思いとは、まったく違うものでした。戦争に対する考えは、人それぞれの思いや立場によって、まったく異なる物だという事を改めて考えさせられました。
ただ、日本でもアメリカでも、どこ国でも、戦争や世界を変えていく大きな出来事に関して、いつでも、自由に意見を言える状況であって、欲しいとおもいます。
カルフォルニアのばあさん
が
しました