
広島風お好み焼き
じいさんが義兄に会いに行く日を決める時は
義兄とSkype(今のTeams)で連絡し合っていました
この日はアポがないから・・・とか
義姉が用事で出かけるので その日にしょう・・・とか
でも7月10日に肺炎で入院してからは
病院の都合もあるので 義姉と連絡を取っていました
今までずっと1週間に一度だったのに 入院してからは
1時間でも良いから会いたいと言って
病院に行っていました
先生から家族とのお話があった時も
じいさんは 義姉 姪夫婦と一緒に先生のお話を聞いていましたが
言われたより早く
その翌日の明け方に兄は息を引き取りました
義姉から兄の死を知らされて
会いに来ますかと聞かれたじいさんは
行きません・・・と答えたのです
私に
元気だった兄だけ記憶に残しておきたい・・・と言いました
何故か 私は会わないと決めたことが悲しくて涙が出ました
じいさんの気持ちは何となく分からないこともないけど
本当にこれでいいのかなと思いました
どんな親子関係であっても 人は亡くなった家族を見て大泣きをします
大泣きをして悲しみが流れ出ていくと思うのです
この時の涙はどんな涙より重たい
それを経験せずに お別れができるのだろうか
父が亡くなった時 息子を連れて会いに行きました
あんなに息子が泣いたのを見たことがなかったです
連れて来て良かったと思いました
亡くなった家族に会って流す涙は他の涙とは違う
とても大切な涙だと思うのです
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先日レシピブログが閉鎖しました 長い間応援ありがとうございました
ちびは20歳4ヶ月のトイプードルでした





















コメント
コメント一覧 (13)
心よりご冥福をお祈り申し上げます。
私は闘病の末亡くなった両親共に看取りました。あれから既に20年以上経ちますが、未だに両親の事を考えると、一番初めに思い出すのは最期の瞬間です。顎呼吸から死亡後のご遺体のお清めまでの時間です。アメリカへ移住する迄同居していた祖母は、最期に立ち会いませんでした。そのためなのか、祖母との思い出は、移住直前に実家の愛犬と祖母と訪れた河川敷の公園の景色です。春の日差しと緑の芝生。木陰のベンチに座っていた、淡い色のコットン地のワンピースと帽子を着用していた祖母。全てがキラキラと輝いて、一枚の大きな絵のように記憶に残っています。
自分の性格故か、楽しい事だけを覚えていようなど、記憶のコントロールが出来ません。ただ、祖母との記憶を考えると、じいさん様のご決断がとても理解出来ます。大きな悲しみをプロセス中のじいさん様を、どうかこれからも支えてあげてください。今夏は、涼しい日も多いですね。どうかお身体ご自愛くださいませ。
カルフォルニアのばあさん
が
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実はうちの旦那もじい様と同じでした。義両親のそれぞれの葬儀際、絶対に棺に収まった彼の母も父も見ようとしませんでした。
棺を目に入れないようにしているようでした。男兄弟や妹や姪の配偶者とともに教会の祭壇まで棺を運ばなくてならないことはとても辛かったと思います。
彼の兄妹、私を含め配偶者や孫たちは棺の中の故人に最後のお別れをしましたが、彼は断固拒否しました。人それぞれで大切な人がいなくなった時の悲しみを処理するプロセスが違うのだなと思いました。とても仲の良い家族で絆も深かったのでショックが大きすぎたのでしょう。
時が経っても、ふとした時に思い出し感傷にふけるときもありますが日にち薬ですね。救いなのは義母も義父も大変長生きしたので、その分たくさんの思い出も笑い話も持てたことです。
どうかお二人とも無理をなさらずに・・・
カルフォルニアのばあさん
が
しました
私は37歳、ニュージャージーでの高齢出産、染色体異常の有る無しの検査をされ、2度共に異常が見つかり、すでに9歳の長男がいましたので、ドクターに合法なので中絶手術を勧められ、皆が賛成する中、父だけが(きっと大丈夫だよ)と電話の向こうで一言。出産一週間前に、会社にまとめて送られてくる古い新聞の社会面に大きな写真付きで事故の記事、即死2名、重傷者5名の写真と名前、その中に父がいました。即死でした。 知らせても身動きできない状態の私に知らせなかったのです。 父が生まれて来る子の障害を持って行ってくれた!と、光の中に父の笑顔を見ました。次男は健康で今も世界中を旅しています。
母は本人には知らされず余命3ヶ月と言われて、北海道に会いに行き、退院したら、あれもこれもしたい、と話していて、2ヶ月後に旅立ちました。
兄の時も会いに行きましたが葬儀には出られず、昨年の12月の弟の葬儀にも、私は体調不良で寝込んでいて、行かれませんでした。
ニュージャージーでの私のアメリカのお母さんビナの葬儀には大雪で欠航便が続いていましたが、夫が無理を聞いてくれて葬儀に参加できましたが、96歳だったビナの棺は、開けないで参列者には元気でいた私の姿だけを覚えていてほしい、と言われた、と閉じられたままでした。
亡くなった家族、親しかった人の死を前にして、悲しみの涙を流すという経験がない私なのです。遠くない将来、今88歳の夫を見送る日が来ることは間違いありません。その日がとても怖いです。
じいさん様の悲しみが良い思い出になる日が、1日も早く来ますように。
カルフォルニアのばあさん
が
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時々ブログを拝見していますが、初めてお便りします。
まず、お悔やみ申し上げます。
随分昔のことですが、私が18歳の時に、最愛の祖父が亡くなりました。小さい時からおじいちゃまっ子でしたが、盛大に営まれた葬儀には参列することを拒み、自分の部屋に籠っていました。両親からは「あれほどかわいがってもらったのに」と叱責されましたが、どうしてもどこにも行きたくなかったのです。あの時の気持ちは今でも説明するのが難しいのですが、胸が張り裂けそうで、ただ誰にも会いたくない話したくない、という気持ちで一杯だったことを覚えています。祖父がもういないもう会えないという事実に、一人で向き合う時間が必要だったのだと思います。その気持ちを抑えて多くの人の中で泣くことも、一緒に時間を過ごすのも、辛過ぎたのだと、今は思います。18歳は決して子供ではありませんが、私はおそらく大人になり切れておらず、また、混沌とした自分の気持ちを父母にも上手に伝えられず、葬儀を避けるという態度になってしまったのだと思います。
ご主人様がどんな理由で亡くなったお兄様に会いに行かれなかったのかは分かりませんが、人それぞれ悲しみに向き合うその向き合い方は違うのだと思います。ご主人様がお元気になられ、お兄様のことを話せる日が来ますように。
カルフォルニアのばあさん
が
しました
ただ、それが正しいかどうかはご本人にも、ましてや他人にもわからないので、それで悲しみが長引くかもしれないことは覚悟しなければいけないのでしょう。
Chiblitsさんや私は泣くことで浄化できましたが、それができない人がいる、ということは覚えていなければいけないことだと思いました。
そうでないと「良かれと思って」の押し付けになってしまいますから。
Chiblitsさんが「なるべく普段どおりに過ごす」と決められたことが、一番正しいことだと思います。
カルフォルニアのばあさん
が
しました
けれど、少し後悔していました。
最後の亡骸の彼女はもう私の知ってる彼女ではありませんでした。
私の主人は仕事の都合で会う事は叶いませんでしたが、それでよかったと後にポツリと話してくれました。
その話を聞いた時。私も彼は会わないで良かったと思いました。
彼の中の彼女は一度も時を止めずに生き続けています。
私の中の彼女は、たまに最後の顔がフラッシュバックされるようになりました。
ビナさんのお話を聞いて、参列者の方へのお気持ちが私にはとても響きました。
あつこさんのメッセージを読んで、久しぶりに彼女を想い出し涙が流れました。
どんな涙かはわからないのだけど、彼女を想って出てきた涙です。
まだまだ彼女と繋がられてるんだなぁと思ったら、嬉しくなりました。
まとまらない文で、すみません。
それから、お父様の言葉。胸に沁みました。とても哀しいけど大きな愛に包まれていて。素敵なお父様にも涙が溢れました。
カルフォルニアのばあさん
が
しました
心よりお悔やみ申し上げます。
94才で亡くなった義父に、霊安室に会いに来てくれたのは、親族も含めて多くはありませんでした。隣の霊安室への訪問者がとても多かったので義母は不満そうでしたが、お隣の部屋で眠っていた方は55才。友人や同僚や親族など、生前交流のあった方も多かったことでしょう。一方、94才まで生きた義父は、友人や元同僚や同年代の親族は、ほぼ全員亡くなっており、晩年はきっと寂しい日々を過ごしていたのだとその時、思いました。
じいさん様にはまだお元気なお友達がいらっしゃいますか?ご家族のサポートと、ワンちゃんの存在で、じいさん様が元気を取り戻されよう祈っております。
カルフォルニアのばあさん
が
しました
父の時は母がいましたけどね
誰も頼める人はいないのでその後のこと、葬儀屋さんに連絡する火葬の準備骨を家に持って帰る、その後の手続き、全て一人でやりましたので悲しんでる余裕はなかったです
そのあとはお墓の問題もありますし
疲れ果てて、朝寝ていたら何年も会っていない地方の従兄弟から電話があってうるさかったのを覚えています笑
その時は寝かしてくれとしか思いませんでした
一人になってびっくりしたのは世間からの扱いがガラッと違ったことです
そんなことになるとは思っていなかったのでびっくりしました
病院で治療を受けられなかったりもあります。一部の病院、一部の医者(日本)
その時からそれなりに、自分の生きていく方向を見定めることができるようになりました
それから何十年も会っていない血族が遊びに行きたい、泊まりたいと言ってきたのにはさらにびっくりしましたがもちろん断りました
それまでは断るなんてことはできなかったあまちゃんの私でしたが、どうしたら良いかどうするべきかということを漠然と考えるようになったと思います
それからアメリカ人のお友達に言われたことが家で一緒に住んでいた動物たちの話をしていたときに「いつもそばにいてくれるのよ」と言った言葉がとても私の力になっています
いつもそばにいて力付けてくれています
遠く離れたわけではないのですよ、と。
一方的な話をしてすみませんでした
だけど、東京で一人で見送るっていう人はこれからも出てくるし、私だけではないと思うので。
カルフォルニアのばあさん
が
しました
カルフォルニアのばあさん
が
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私はアメリカに来て50年近くなりますが、親戚がほとんどこちらにいて、小さいころから日本の両親よりアメリカの叔父叔母の方と親子の様に接していました。最初は叔父が亡くなったのですが、その時はお棺の中の叔父と最期のお別れをしました。でもその後どうしてもその最後の顔とお棺に横たわった姿ばかり思い出されて、楽しかった思い出が思い出せなくなったのです。数年後に叔母が亡くなりましたが、その時も会いに行く間もなく急に亡くなってからのお葬式で、その時はお棺に入った叔母の顔を見るのを辞めました。お棺には何度もさわってお別れを言ったのですが、直接顔は見ませんでした。今思うと本当にそれで良かったと思います。叔母との楽しかった思い出ばかりが浮かんできて、今でも声が聞こえてきそうです。 Closureがなかったといえばそうなのかもしれませんが、私にとってはきっぱりしたClosureは必要なく、ゆっくりと流れていく叔母のいない時間がすこしづつ現実を受け入れているのだと思います。 ご主人様もご自分に会ったお別れをなさっているのだと思います。ご心配なさらずに。大丈夫ですよ。
カルフォルニアのばあさん
が
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亡くなった衝撃があまりに大きすぎる相手だと、亡くなった顔を見れない気持ちはわかるので、ご自身の感覚を大事にされて見ない選択をしたご主人様は偉いなと思います。
ご自身のタイミングでお一人になった時に泣いておられると思うので、何も言わずにただそっと寄り添っていただけるとありがたいなと思います。
カルフォルニアのばあさん
が
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お義兄様のこと、心よりご冥福をお祈り申し上げます。
この投稿を見て、心より感謝した事がありコメントさせてもらいました。
闘病をしていた、アメリカ人の主人の母が一昨日の日曜日に天国へと旅立ちました。
最後の一ヶ月は義母の弱っていく姿を目にするのは辛く、私の息子15歳、娘12歳の子供達は悲しくなってしまうので、会いに行くことも減っていました。
亡くなった日は、久しぶりに娘が会いに行くと言うので、主人と一緒にお見舞いに行った矢先に亡くなってる母と対面した形になり、その後息子と私がすぐ駆けつけてお別れをしたのです。
息子のあんなにも泣く姿を見たのはいつ以来でしょうか、子供達がグランマにお別れをするのは必要ですが、悲しい姿を見せるのは合っていたのか分からずにいましたが、チビリッツさんのお言葉を見て、ああ良かったのだなあと改めて思う事ができました。
私の日本の母も去年の秋に亡くなり、子供達へいつも無性の愛を注いでくれていた、ばあばとグランマの分まで私と主人が子供達へと愛情を注いでいこうと思います。
チビリッツさんのお言葉が、私の母も同じ事を言いそうだなあと感じることが多く、勝手にお母さんの言葉かなあと読ませていただいていている事があります。
本当にありがたく思っています。
お体大事に、ご主人と過ごされてください
カルフォルニアのばあさん
が
しました